終わりの始まり
額に浮き出たたくましい血管。
頬をつたう汗。
俺はうんこをしていた。
今は5月5日の朝、ここは高校のトイレの個室、外からはホーホーボボー、ホーホーボボーと鳥の鳴き声が聞こえてくる。
鳩か……朝っぱらから元気だな……
ホーホーボボー、ホーホーボボー バサバサバサバサ
よしっ、俺も負けてられるか!
背中を丸め、膝に肘をつき、鼻の前で祈る様に手を組む、これが俺のスタイル。
「ん゛ん゛んん゛ん」 っと腹に力をこめる
すると、スポンッっという軽快な音とともにうんこが出た。
つい「クソが」とひとりごとを言ってしまった。
もうこの場に留まる理由はない。
ケツをトイレットペーパーでシュパっと拭き、水を流そうとレバーに手をかけたその時だ、
「おはよー」
何ッ!?
突然響いた甲高い声に俺はすぐさま便器の中を覗き込み叫んだ。
「誰だッ!?」
バナナの形にそっくりのクソがゆらゆらと浮いているだけだった。
「こっちだよ」
上か!
すぐさま上を向くと、前髪ぱっつんの栗色ロングツインテールのめちゃくちゃかわいい女が仕切りの壁の上から顔を出してこちらを覗きこんでいた。
彼女の頬は赤く、鼻の穴からは血がたれていた。
何てでかい女だ。
トイレの仕切りが2メトール30センチくらいだとすると女はそれ以上ある事になる。
「サーッ!」
軍人のようにこめかみに手をそえて敬礼のポーズををする女。
なぜか視線は泳いでいた。。
俺は(何だこの女、キモっ)っていう表情で返すと、誘拐犯にもらった新品の白ブリーフと制服のズボンを同時に掴んで穿き、ベルトをシュッとしめあげた。
「いっぱい出ましたねぇ」
わざと羞恥心を煽るようにデカ女は言った。
俺は何も聞こえなかったかのように水を流し、再び(何この人)って感じの目で彼女を睨みつけてから個室を出た。
手洗い場で石鹸をとり泡を立てる。
鏡で背後を見ると、個室のドアを蹴り開け、便器から飛び降りた女がこちらに向かって来るのが見えた。
なんだ、ただのチビ女かと思った。
女は隣に立つと、俺の顔をしたから覗き込むようにして見てきた。
「うわっ、ちょーかっこいいー」
顔が近い、女の顎に小さなほくろがあるのが確認できるくらいに近い。
半笑いの顔で鼻血を垂らして目をギラギラさせる女。
関わらない方がいいと思った。
俺はできるだけ目を合わさないようした。手の泡をキレイに落としきらないうちに蛇口を閉め、制服の裾でパンパンと手を拭くと、そそくさとその場を立ち去った。
しかし女はついてきやがった。
「ねぇ、どこに行くの?」ときいてきた。
俺は無言で歩き続けた。
「ねぇ君、転校生?」
どこまでもどこまでもついてくる。
どこまでついてくるのか気になった俺は、試しにわざと校舎の外に出て、運動場から体育館へ、そして駐輪場まで行って、再び運動場を通り、再び校舎の中に戻ってきたが、それでも女はついてきた。
「身長高いね~何センチ?」
見知らぬ人の質問に答える義理はない、無視だ。
「何でそんなに髪伸ばしてるの?」
無視だ。
「すっごいボサボサしてる、髪の毛切った事ないの?」
「もしかして道に迷ってる?」
「歩くの早い~」
「何かいい匂いする、柔軟剤? 香水? 何使ってるの?」
知るか、しつこい……
「ねぇ、何で君は女子トイレに居たの?」
まずは俺の質問に答えろ!
俺は足を止め、彼女の方を向き、冷徹な口調で問いただした。
「いつから見ていた」
やっと喋ったとでもいうように嬉しそうな顔になる女。
そしてこう言った。
「なに? トイレの事?…… 最初からだよ。 長かったね。君は便秘気味なの?」
舐められたもんだ、プライバシーもクソもねえ! キレた俺は女を窓側へ追い込み、両手で思い切り窓ドンをかました。
ドン!!
大きな音が廊下中にひびき、窓についた俺の両手の平を中心にピキッピキッピキっと亀裂が走りはじめた。
女はびっくりして、ライオンに睨まれたトムソンガゼルのようなおびえた目をして俺を見上げていた。
「付いてくるなクソ女、目障りだ」
冷徹な低音イケボで脅しをかける。
女はピクリとも動けずただただ震えていた。
鼻の穴からのびていた鼻血のすじは乾燥してパリパリになっていた。
俺は窓から手を離し、向きなおして歩き出した。その瞬間に廊下のガラスはパリーンと粉々に散り、それとともに彼女も崩れ落ちたのを背後に感じた。
おっと、去る前に誤解を解いておかないといけない。
俺は足を止め、言ってやった。
「知らなかった……。 女子トイレだと……」
女は何も言わなかった。
たぶん放心しているのだろう。見なくても分かる。
俺はそのまま振り返らずに誘拐犯に指定された場所に向かった。
誘拐犯とは、俺を誘拐してこの学校に入学させた女、工藤 真由美の事だ。
▽
約束の場所1年C組の扉の前に着いた。
一度だけ深呼吸をして、引き戸に手をかけようとしたら、ガラガラガラと扉が開いた。
目の前に白髪交じりのオールバック、茶色レンズの丸メガネ、ラクダ色のトラウザーパンツに、アイロンのかかった白シャツをインしたサンダル履きの小綺麗な初老のおじさんが立っていた。
まるでヤクザみたいだ。
「おお! きたか転校生、ほら、入りなさい」
男が手招きするので俺は伏し目がちに教室の中へ入った。
「「キャーー!キターーー!!」」
「よっ、新入り!」
「ヒューヒュー!」
「まってましたー!」
「イヤー!イケメンー!」
「はやく自己紹介してー!」
「わーー!」
「キャッキャ、キャーーー!!」
「ウキーッウキーッ!!」
繁殖期の動物園の猿のコーナーのように黄色い声が飛びかった。
「うるさい……」 つい小声であくたいをついてしまった。
ヤクザ風がニタニタしながら猿どもに言った。
「彼がさきほど話しをした転校生の……」
「「キャアアア――!」」
「「うおおおおおおおおおーーーー!」」
「ウキキーッ!!!」
さらにボルテージの上がる猿達。
「ほら、自分で……自己紹介して」
ヤクザ風が俺の方を見て、小声でささやき手で促してくる。
最初が肝心だ。
俺は教壇に上がり生徒たちの方へ向きなおると、背筋をピンと伸ばし胸を張り、顎を上げた。
「オレの名前はサーターアンダーギー剛矢! たぶん15歳! 身長は181センチメートル!
体重は78キログラム! ・・・…趣味は縄跳び! …・・・好きな食べ物はちんびん! よ、よろしくっ!」
「キャー!!」
「ヒューヒュー!」
「イェーーイ!」
「苗字長ーっ!」
「チンビンて何だ!?」
「よろしくなー! サーターアンダーギー!」
「もっとやれー!」
「そうだそうだ! もっとだー! アンコールだー!」
「アンコール!」
「「アンコール!」」
「「「アンコール! アンコール!」」」
ドンッ!!!
俺はクラスメイトの方を向いたまま無言の黒板ドンを決めた。
一気に静まりかえった教室。
そんな教室の微妙な空気を気にする様子もなく、ヤクザ風は白いチョークを握ると黒板いっぱいに勢いよくでかでかと文字を書きはじめた。
力の込めすぎでチョークが何度かぽきぽき折れながらも、柴垣大河と書ききった。
「僕がこのクラスの担任の紫垣 大河。 よろしくね、へへ」
と、いたずらっぽくニコっとして俺の肩にポンと手をまわしてきた。
チョークの粉が舞い俺の肩は白くなった。
彼の服からはタバコのにおいがした。
プ!
「お!先生もれそうだ。 適当にあいている席について、じゃあね。それじゃあまた」
そう言い残すと、担任の柴垣は片手でケツを押さえてそそくさと教室を出て行ってしまった。
みんなの視線を肌に感じながら俺は適当に空いてる席に着いた。
「あっ、あの、そこは、実鈴ちゃ」
「うっせえブスッ!!」
何か言いたそうにしていた隣の席のマスクをしたブスがしゅんとしたところで、俺は机の上で脚を組み、ポケットに折りたたんで入れていた”ゴジラっぽい怪獣の形の帽子”を深めにかぶって腕組みをして本日遅めの二度寝ときめこんだ。
こんなところやってられるかと思った。
ギャアアアアアオオオオオオオオオオオーーーーン!!!!!