第八十四話 みかんを積み重ね、サメを積み重ねる
「ただいまぁぁぁあぁぁぁ」
風船から空気が抜けるような声を出して、弟がソファーに倒れ込む。水泳の飛び込みの姿勢でうつ伏せの状態で動かなくなった。スーツがよれるだろうに。
「おかえりなさい」
夏美はそう言って、リビングの椅子から立ち上がった。
弟が物語世界にいた間に、ずいぶんと仕事が溜まっていたらしい。この数日、夜遅くまで残業して帰ってくる。今日はもう十時くらいで、夏美はもうパジャマ姿だ。
仕事があるのはしょうがない、しょうがないけど。
(かまってほしい)
夏美はソファーへと近寄る。
「最後まで書かない作者どもめ。あいつら、地獄へ落ちればいい」
弟が何かぶつぶつ言っている。
「地獄へは言い過ぎか。未完ばかりにする作家は、賽の河原でみかんを積めばいいんだ。そして、俺はスーパーに出せない不格好で不揃いなみかんを大量投入するんだぁ」
仕事の愚痴にしては、ちょっとおかしい。
賽の河原にいくのは子供だし、積むのは小石だし。
と、積むというアイデアはいいなと思う。
夏美は、寝袋にもなるサメを引きずってきて、弟の上に置く。
弟は特に気にしてないようで、愚痴を続ける。
「おい、角戸 完。お前は普通のみかん、平たい温州ミカンを積めると思うなよ。デコポンか晩白柚どっちか選べ」
デコポンはヘタの部分が出っ張ったもので、晩白柚はメロンくらいの大きさの世界最大の柑橘類。九州出身じゃないとあまり知らない。
どちらも積むのには適さない。
平たいニトリのサメを横にして、寝袋のサメの上に積む。またその上に、海遊館のジンベイザメを積んだ。
「おー、選んだか。そうかそうか。そっちか」
弟の独り言は止まらない。
夏美はジンベイザメの上に、イケアのサメをそっと載せる。
「角戸 完、お前はどっちも積むんだよ」
イケアのサメがバランスが悪く、転げ落ちた。
(惜しい)
夏美はイケアのサメを拾い上げて、慎重にジンベイザメの上へ積む。背びれをうまく使って固定する。
ブレーメンの音楽隊みたいになった。(全部サメ)
(うん、いい)
夏美はスマホで写真を撮る。カシャカシャカシャという音が響いた。
「姉さん、何をしているの?」
ようやく、弟がのっそりと頭だけを上げる。その動きでイケアのサメがまた転げ落ちた。
「続の上にサメを積んで、写真を撮ってる」
「サメ?」
「うん」
弟の頭がソファーのへりに落ちる。
「……もう……どうにでもしてくれ」
お疲れのよう。
だけどお話したいし、渡したいものもある。
夏美はソファーの背から弟を覗き込むが、頭しか見えない。髪の毛はそろそろ切ったほうがいい長さだ。
腕を伸ばして、つむじの逆向きに髪をクルクルとまわす。鳥の巣のように、髪の毛が立ち上がる。
くすぐったかったのか、弟は頭を振る。ぺたりと髪の毛が元に戻った。
それでも何も抗議もしない。
(うーん)
下敷き等もろもろ持ってくる。
下敷きはパジャマでこすってから、弟の頭の上へ。静電気で髪の毛が立ち上がる。
「……」
「……」
本当にどうにでもしてくれ状態らしく、何も反応がない。
弟の腕は頭の方へ伸ばされ、力なくだらりと垂れさがっている。
(むー)
プラスチックのストローを袖で挟んでこする。帯電したそれを、弟の手の甲に押しつけた。
ぱちっ、という音と共に、
「いつっ」
という弟の声。
「なぁに、姉さん」
怠惰そうに弟は仰向けになる。弟の上にあったサメ達は、ゴロゴロと床に落ちていった。
弟の目には薄っすらとクマができている。
「ご飯は食べないの?」
「ご飯を食べるにも、お風呂に入るにも体力が必要なんだよ。今は回復しているところ。俺のことは気にしなくていいから」
と言って弟は目を閉じる。今日は金曜日だから、このまま寝てしまいかねない。
「続?」
呼びかけにも答えない。
肩を叩いても動かない。
ストローを再度こすって帯電させ、弟の指に近づける。
ぱちっ、という音がし、
「つっ」
と弟の腕が跳ねた。
「もうなぁに、ねぇさん」
弟の目が開いて、こちらを見た。
夏美はソファーの背に頬杖をつく。
「今日は誰かから何かもらった?」
「ん? 明日でいい?」
「今日じゃないとダメ」
「うぅぅうう」
弟は目をこする。
「何かもらったって、どうでもいいじゃないか」
「よくないの。チョコとかもらってない?」
「あー、もらってないもらってない」
パタパタと弟は手を振る。早く眠りたくて、適当に言っていることがバレバレ。
夏美はストローを脅すように、手の近くへ持っていく。
「ちゃんと答えて」
ぐっと弟が片手で夏美の手首を握って抵抗する。
「ちょ、静電気やめよ」
「なら、きちんと答えて」
ぐぐぐっと力を入れるけれども、男の力には適わない。悔しいので、手首をまわしてストローを弟の腕にくっつける。
ぱちんっ
「いっつ! わ、わかったから」
弟は手を離し、眠そうにまた目をこする。
「で、チョコ?」
弟はぼけーっとした目で中空を見つめる。
「新人にチョコもらったけど」
「え?!」
仕事に慣れない新人が、ベテランの弟に憧れることはありそうなこと。思わずつま先立ちになり、ソファーの背から身を乗り出す。
「板チョコに『豪華なお返しください』というのしが巻かれていた」
(ほっ)
夏美は胸を撫でおろして、かかとを下ろす。板チョコで本命はないだろう。でも、バレンタインデーで渡すのはチョコと限らない。
「他にもらったものは?」
「姉さん、ちょっと休んでもいい……」
ストローを袖で挟んで、こする。
「待って姉さん、帯電しない」
弟が腕を伸ばしてくるのを、後ろに避ける。弟は「ううぅ」と呻いた。
「他に他にって、あー」
弟はだるそうに、まぶたを強く閉じて開く。
「みかんに……」
「みかんちゃんに!」
またソファーの背から身を乗り出して、覗き込む。弟が下の名前を呼び捨てにしているのが、気安いようでモヤモヤする。
「みかんを貰った」
「……みかん?」
夏美は身を乗り出したまま固まる。
「果物のみかん。物語が未完になるよう祈られたみかんだそうだ。『ハンターハンター』と『ガラスの仮面』、佐藤大輔先生の本らと『グイン・サーガ』と『失われた時を求めて』で囲んで祈祷したらしい」
「……」
佐藤大輔は多作の作家だが、シリーズものでただ一つしか完結していない。『グイン・サーガ』は百巻以上の大作で未完。『失われた時を求めて』は最も長い小説としてギネス世界記録に認定されている未完作品。
オレンジ色のおさげ髪のみかんが、みかんを本で囲みシャッシャッと神主が振るお祓いのわさわさした棒を振っている場面を想像してしまう。
(みかんちゃんならやる)
肩すかしを食らって、乗り出した身を元に戻す。
弟は嘆息した。
「どうでもいいし、食べ物のみかんに罪はないからお昼に食べた」
「そうなの……」
弟はもういいだろうとばかりに、目を閉じようとする。
「続」
「ん?」
夏美はチョコ入りのハートの箱を乱暴に、弟の胸の上へ投げる。ぱっと落とさないよう、弟が慌ててチャッチした。
「ぎ、義理じゃないから」
(言っちゃった!)
顔が熱くなるのを自覚して、その場から逃げるように足が向く。
「義理じゃない?」
ぼんやりとした弟の声が後ろから聞こえる。
気づいて欲しいけど、気づいて欲しくない。
今までの関係を崩したくない、気持ちを知られて距離を置かれるのは嫌だけど、少しは知って欲しい。
ソファーから立ち去る途中でニトリのサメを拾い上げる。顔を冷やすように、ほっぺたを押し当てた。
「姉さんっ」
ドタッ、と弟がソファーから落ちたのか鈍い音がする。
「ね、姉さんっ。そう思ってくれて嬉しい。俺も姉さんと同じ気持ちだから」
弟のうわずった声に、夏美はサメで顔を隠しながら振り向く。そっと少し横から顔を出した。
「本当に?」
弟に先程までの倦怠感あふれた姿はない。熱っぽい眼差しで、こちらを見てくる。心臓がトクトクと高鳴り、苦しくなってギュッとサメを抱きしめる。
「近所の弟でもいいと思っていたのに、義理の弟でもなく本物の弟と思ってくれて、俺は最高にうれッ」
夏美はサメで思いっきりフルスイングした。




