第五十三話 人のことはちゃんと名前で呼ぼう
本間 夏美は悩んでいた。
『赤の他人』の一件から、弟がより一層よそよそしいというより、お客さん扱いになっている。
食事は好きなものばかり揃えられ、家事を手伝おうとすると断られる。
弟がテレビを見ている隣に座っても、まるでお邪魔にならないようにという風にリモコンを傍に置いて立ち去ってしまう。
一番悲しいのは、声を掛けられる時に「あの」とか「その」とか言われること。
「ん~」
夏美は考えた後に、弟が愛用している着る毛布をお尻に敷いてソファに座った。
「あの~」
外から帰って来た弟の視線が、薄茶色の着る毛布に注がれている。ソファの横に立ち、手が所在なくあげられていた。
「私の名前は『あの』じゃないもの」
「あー。エアコンの温度を上げていい?」
「私は寒くないもの」
「……」
弟というより、本間家の人達は寒がりだ。北九州の実家では、コタツにストーブがあるのにはんてんを羽織るくらい。
「そこの着る毛布をくれる?」
「……」
聞こえているものの、聞こえないふりをする。目の端と耳で弟の方を気にしているものの、顔はテレビの方を向く。
弟が困ったような笑みを浮かべた。
「あの~」
「私の名前は『あの』じゃなくて、ちゃんとした名前があるもの」
「本間さん」
それも名前だけど。
「続も本間じゃない」
「いや、まあ、そうだけど」
弟は何やら口の中でもごもご言う。
(みかんちゃんのことは、呼び捨てにするのにっ)
そう思うとちょっと腹立たしくなる。弟の基準はよくわからない。
『夏美』と言って欲しいと言えば、そう呼んでくれるだろうけど、そうじゃなく自然に呼んで欲しい。
「本間 夏美さん。そこの着る毛布を渡して」
(そう来た)
がっくりと頭が下がりそうなのを持ち直す。
ちょっとこれ以上は無理そう。だけれども、ここで渡したら今後の呼び方が『本間 夏美さん』になる。きっと。
しぶしぶ、着る毛布を弟に渡す。
「続。血縁関係にないけど、『姉さん』って呼んでいいから。近所のお姉さんみたいな感じで」
弟の顔がぱっと明るくなり、「おっし。俺は近所の弟レベルにランクアップしたっ!」と小さくガッツポーズしたのが見えた。
弟はいそいそと着る毛布をはおると、
「姉さん。今日の夜は鍋にする? シチューがいい?」
と、テンション高く訊いてくる。
ゴールデンレトリバーだ。着る毛布の色もあいあまってそう見えてくる。しっぽと耳があったらなでてあげたい。
『姉さん』呼びは嫌いじゃない。
前の通りに話してくれるのは嬉しい。嬉しいけれど……
(元の木阿弥になってしまったような気がする……)
「ん~」
「そこまで思い悩む? 姉さん。姉さん?」




