第百四話 まったりスローライフを堪能しているようにみえるがこの男、残業中である~物語を終えないと現実世界に帰れません~
風が潮の香りを運んできて、波の音がする。
潮が引いた浜辺は日陰となるものもなく、日が射して暑い。
本間は腕をまくって、ズボンを折る。スーツで来るところではない。
本間がスコップで表面の砂を削ると、いくつもの穴が出てくる。穴に塩を一つまみ入れるとニョキッと棒のようなマテ貝が出てくる。
すかさず貝をつまんで穴から引きずり出し、木製のバケツの中へ入れる。
穴に塩を入れるだけで、貝が飛び出してくる。また抜き取る。
まるでモグラ叩きのような感じで、楽しい。
ちょー楽しい。(死語)
「たくさん取れた?」
茶髪に茶色の目をした地味めな少年が、バケツを持ってやってくる。
物語の主人公だ。ブラック企業でパワハラに遭い、残業続きで過労死したところ、哀れんだ神さまにチート能力をもらって転生させてもらった主人公……。
異世界の家族に生まれたのではなく、新しい体を用意してもらったらしい。らしい、というのは、よくわからないからだ。
今回も角戸の物語の中に入ってしまった。
「うん、取れてる」
「良かった。本間さんも残業が多いところに勤めていると聞いたからさ、のんびりライフを堪能してくれよ」
「心づかいをありがとう」
穴にまた塩を入れる。今度は複数の穴に入れると、ピョンピョンと貝が顏を出す。それをすかさず手でつかみ出す。
無限プチプチのような感覚で、とまらない。
【まったりスローライフを堪能しているようにみえるがこの男、残業中である~物語を終えないと現実世界に帰れません~】
すっかり楽しんでしまった。
いっぱいのマテ貝と海水が入ったバケツを持って、主人公の家へと戻る。
ぽつんと一軒家があり、世捨て人のようである。
バケツの海水は砂抜き用だ。軒下に置き、木の切り株に腰をおろしてマテ貝をぼけーっと眺める。
振動がなくなったのを察したのか、マテ貝の一匹が少し管を出す。そうしているうちに、他のマテ貝たちもぴゅーぴゅー水を吐き始める。
バケツの周りが水浸しになっていく。まあまあ面白い。
(そんなことをしている場合じゃないよなあ)
ぼんやりと思う。
物語が終わらないと現実世界に帰れない。わかってはいるものの、やる気が出ない。まったりした空気にのまれている気がする。
仕事をしたくない。
いつもしっかり仕事をしているので、少しくらいサボってもいいんじゃないか。
本間は思考停止した。




