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彼と少女

作者: 初倖


「さあ、この夏に、あなたに、ふしぎな不思議なお話を、してあげましょう」


 夕方、日が沈み始めた空が朱に染まる頃。

 目前の、セミロングの黒髪が夕日に透かされ輝いていた。

 真っ赤なワンピースを着た幼い少女が、裾をひらりと泳がせながら振り返り。

 その人差し指を、そっと自らの口に当て。

 にぃ、と。可愛らしく、美しく、憎らしく、不気味に、嗤った。

 少女が振り返り終えると、辺りは突然真っ暗になる。しかし、夜になったわけではなかった。

 まさしくその通り、何も見えない、真っ暗闇の中に、少女と彼はぽつりと居たのだ。

 彼が畏怖に言葉を失う。ひとつ遅れて悲鳴をあげようにも、喉になにかが詰まったかのように声が、音が、出ない。

「ああ、だめよ、だめ。しゃべってはだめ。怪物にみつかってしまうの」

 先ほどまで聴こえていた鴉の鳴き声は耳鳴りに変わっていた。視界に広がる一面の闇と、淡い少女の姿。

「わたしもね、ひまをしていたの。だから、あなたとお話したいのよ」

 少女がぺたんと座る。

 ワンピースは綺麗に、ふわりと広がった。

 お座りなさいな、と少女が言うので、呆然と動きを止めてしまっていた足を漸く動かし、崩れ落ちるかのように尻を付いた。

「ふふ、あなたも、ひまなのよね? どうかしら? ひまつぶしになるかしら?」

 彼は少女に、『暇である』判断を下されていた。

「都市伝説を試そうだなんて、時間がある以前に、勇気があるのか、無謀なのか、おばかさんなのか」

 人づてに聞いた都市伝説。

 現代となっては様々蔓延る都市伝説を、彼は検証しようとしていた。

 別に研究対象だとか、罰ゲームだとか、そんな大層な理由じゃあない。ただ単に。

「まあ、わたしはなんだって構わないのだけれど」

 ただ単に、好奇心と興味本位。

「なにを震えているの? 今すぐ取って食ってやるなんて怖いことは言ってないでしょう」

 少女の仕草は、表情は、言葉は、大人顔負けの大人らしさがあった。

 空気がねっとりと絡みつくようだ。ぞわぞわと肌の上を這い、吐き気がするほど気持ちが悪いのに、少女はそんなこと全くこれっぽっちも感じていないらしい。

「ねえ、黙っていないで、お返事してちょうだい。寂しいでしょう。あなたからお話して。とっておきの、そうね、最近のおもしろい話でも」

 姿かたちは、二桁にいくかいかないかの少女であるのに、その動作や言葉遣いは妙に大人らしい。

 どうしたの、と少女が首を傾げた。

 彼は声を出そうにも、出せなかった。異質な空間に包まれ、嫌に存在感のある目の前の少女に恐怖し、少しでも声を出せばそれは悲鳴になりそうだった。

「ああ、さっき言った、怪物のことを気にしているの? 大丈夫よ、いまアレは、眠っているようだから。でも、起こさないような、静かな声でお願いね」

 怪物なんて、まだ見ていないものになど意識を向けている場合ではない。

 けれど、この少女の機嫌を損ね、なにか大変な事態にでもなってはいけない、と彼の本能が告げていた。

「……ぁ、あ」

 ヒュ、と喉を空気が通る音がする。

 ワンテンポ置いて、漸く必死に声を出した。

「ここは、……ど、どこなんだ」

 ぱちくりと、少女が不思議そうにまばたきをした。

「あら、ここはただのお部屋よ。確かに、あなたが居た場所とはまた別のところだけれど。そんなことより。ねえ、知っている絵本の話でもいいわ。わたしを楽しませて」

「えほ…ん?」

「ええ。わたしが知っている話はいやよ。わたしは知らないことを知るのが好きなの」

 彼は必死に言葉を紡いだ。少女に逆らうことが恐ろしかったがために、昔留学したときに聞いた、その国の言い伝えを聞かせてみせた。

 少女は口を挟まずそれを聞く。

 ひとつが終わると、少女は次の話を催促する。何分、何十分、何時間経ったか、彼にはわからなかった。

 とても長いような時間。本当は短いのかもしれない時間。

 話すネタも尽きてくる。

 彼は言葉に詰まり始めた。

「……もういいわ」

 少女がけだるげに呟いた。

「全部知っているわ。全部、知っているのよ。それは知らない話じゃあない」

 少女の背後の闇が、うぞり、と動いた気がした。

「だって、それはすべて、前にあなたが話してくれたじゃない」

 少女の背後に、白いものが見えた。

 光か。出口か。

 彼は希望かと思い立ち上がった。

 少女の言葉を、もはや聞いていなかった。白いそれに、向かおうとして。

「残念ね」

 その白いものが動いた。

 それは、とがった何かだった。現れたものは十数本の――牙。

 彼が出口だと思ったそれは。

「……ッ」

 まどろんだ暗闇の中から姿を現したものは、狼とも狐とも見えるような、しかし顔には目が八つ付いた、巨大なバケモノだった。

「うわああああああああ!」

 ついに彼は絶叫した。

 口を大きく開けたバケモノの牙が光る。

「怪物が起きてしまったわ。可哀相に。上手にお話しができたら、また返してあげるつもりだったのに」

 その悲鳴はバケモノの口の中へと消える。

 一瞬のうちに彼はバケモノに喰われてしまった。

「仕方ないのかしら」

 少女はバケモノの鼻先を小さな手で撫でた。ぐるぐると、喉から唸り声が出る。

「この闇は記憶に残らない闇だものね」

 ひとを引きずり込んでは、話しをさせて。少女の知らない話をして、この闇から出られても、そのひとはこの闇のことを忘れる。

 少女の満足とは、知識を得ること。

 少女の暇つぶしに足を引かれた、哀れな人間たちは、一体何人居たのだろう?

 闇は少女の腹の中。

 捕食されるか、脱出するか。

「次は誰にしようかしら」

 夕暮れの一本道に、真っ赤なワンピースを着た少女が踊る。

 次の獲物を寄せるために。


――ねえ、どこかの住宅街にさ。

――カーブミラーが向かい合っている

一本道があるんだって。

――おかしいよね、一本道なのに。

――午後四時にそのカーブミラーの間に立つと


神隠しに遭うらしいよ。


――まあ、噂話なんだけど。


-了-

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