コヴェントガーデンの街角で(2)
コヴェントガーデンの街角で(2)
? 五芒星―ペンタグラム―
ジェレミー
ダブリンを発ってヒースロー駅に到着すると、私たち三人は重いスーツケースを引きずりながらヒースロー駅構内を歩いていた。駅構内を歩いていると、見知らぬ男性が私たちに気がついて手を振って声をかけてきた。すると祐二がジョウに、「あれ、ジェレミーじゃないか?」と言って声を上げた。
ジョウはシャイなジェレミーの方から声をかけられたことで少々驚いていたが、それと同時にやっと自分に対して心を開いてくれたのかも知れないと感じていたみたいで、嬉しさが込み上げていたように見えた。
「旅行だったのか?」とジェレミーは言った。彼は私と目が合うと「一体誰だろう」といった様子だった。ジェレミーは私たちの大きなスーツケースや背中にリュックサックを背負っている様子から察して話しかけてきた。
「彼女は同じ大学の友達で久美っていうんだ。一緒にダブリン旅行に行っていて、ちょうど戻ってきたところだ」とジョウが私のことを紹介した。
ジェレミーの提案で私たちは駅構内にあるカフェに入り、それぞれサンドイッチとコーヒーを注文して席についた。ジェレミーはきちんとアイロンでプレスされた青い長袖のシャツに黒いVネックのカーディガンを着て、茶色のコットンのズボンを履いていた。腕には高級そうな革ベルトの腕時計、黒の革靴はピカピカに磨き上げられていて、いかにも良家の坊ちゃんという風貌だ。
「冬の休暇だったんだね。僕は生憎フラットにずっといてどこにも出かけていないんだ」
ジェレミーは溜息交じりに言った。
「どうして空港に?」と祐二は言った。
「友人が用事でドイツに行くっていうから見送りに来たんだ。十分ぐらい前に飛び立ったばかりだ」
「医大生だから勉強も大変そうですよね」とジョウが続いた。
「ああ。大学は無事に卒業できたけど、これから研修が始まるから、色々とその準備に取り掛かっていたんだ」
ジェレミーと私たちは年齢が四〜五才しか離れていないにも関わらず、ジェレミーは落ち着き払っていて私たちよりずっと大人に感じられた。
「医者って大変ですね。それに志が高くて立派です」と祐二が言った。
「ありがとう。でも自分の場合、父親や親戚が医師だったから幼い頃から医者になるのが当たり前みたいに教育されてきたんだ。これから研修が始まり将来的にどの専門分野に進むか決めなければならないんだけど、正直迷っている」
「お父さんは?」
私も遠慮気味に話の輪に入った。
「うちの父親は精神科医で、専門病院の勤務医として働いていたんだけど、同僚とも折り合いが悪く、それで結局病院を辞めてプライベート診療の診察所を開設した」
「何かあったんですか?」
ジョウは戸惑いながらもジェレミーの顔を覗き込んで言った。
「医者は科学者だろ。でもうちの父親は神秘主義者でもあるんだ。特に精神的な病は明確な裏付けがないまま治療が行われている側面がある。父は科学的な根拠の無い医療に対しても信頼できるエビデンスを把握した上で医療行為を行ってきた。英国は西洋医学と共に代替・補完療法も広く認められているからね」
「具体的に言うと?」
祐二は感心しながら話に耳を傾けた。
「例えば、アロマやハーブ、ホメオパシー。ヒーリングは、英国では医療分野と連携して深く関わっている。しかし彼らは患者に対して治療に対する助言や診察をしてはいけないことになっている。あくまでも補助的な役割を担っているのだが、うちの父親はきちんとした医師だからそういったものを取り入れながら診察・治療を積極的に行ってきた。正統な西洋医学を志して医師となった同僚とは患者に対する治療方針で揉めていたらしい」
「そうでしたか。では、ジェレミーはどういった考えなんですか?」
ジョウは単刀直入に尋ねた。
「否定はしない。科学的根拠がないから治療効果がないと言って、一刀両断するのもどうかなと思うよ。プラセボであることも確かに否定できないけれど、それでも患者さんに効果があって病気が良くなったと感じるならば、思い込みでも良いと思うんだ」
「病は気からって言葉がありますね」
祐二がぽつりと呟いた。
「そうだね。もし、何か困ったことがあったらいつでも相談してくれ。プライベート診療だから診察代は高くつくけれど、留学保険か何か入っていれば保険適用になるから」
ジェレミーは少し照れ笑いしながら、診療所の住所が印刷されたカードをジョウたちに一枚一枚手渡した。
ジェレミーとジョウたちと一緒に店を出た。久美は自分の学生寮、ジョウ、祐二、ジェレミーはフラットに向かった。
京の都
消印は十二月三十日になっていた。この手紙が届いたのはちょうど新年を迎え、私たちがダブリンから戻ってきた頃だった。日本では一月七日の七草がゆ。元旦の初詣から六日の松の内までは正月で、六日の松納めに正月で飾った門松やしめ飾りを取り払う行事が終わったところだと思われる。
年末私は日本に戻らなかったので叔母から手紙が届いた。手紙を読むと再従兄弟は東京から帰郷し実家の手伝いをしぶしぶしているようだ。最近の若者らしく彼は普段ジーンズ姿だが、神社ではきちんと和装していてまるで別人のようだと書いてあった。私は昔のことを回想する。叔母の神社で巫女装束に身を包み、少し伸びた髪の毛を後ろで束ねている叔母の姿。清潔感の漂う白い小袖とぱっと人の目をひく赤い袴を着ると、幼かった頃に着た七五三の晴れ姿のような気持ちがして心が引き締まる思いがする。例年、私も社務所でお守りやお札を頒布するアルバイトをしていた。納札所は、赤い達磨や正月飾りのしめ縄、鈴のついた赤い破魔矢、お守り、お札などが積み重ねられて溢れそうだ。
叔母の神社は京都市右京区の喧噪を離れた自然に囲まれた場所にある。境内は、正月三が日ほどではないが参拝客で溢れている。朱色の鳥居をくぐると拝殿まで参道が続いている。参道には長い人の行列ができていて、大きな社ではないが、参道右手には社務所や納札所、左手には手水舎、絵馬の掛け所が設置されている。神殿の背後には鎮守の森があり、京の都を守るように少し小高い丘から見下ろしている。京都の冬の空は、突き抜けるように青くて高く、冬晴れのきらきらした太陽の日差しとは対照的に、寒さは足下からじんじんと体の芯まで冷えるような底冷えで、吐く息は白く、かじかんだ手をこすり合わせている姿を久美は思い出す。
巫女とは一般的に未婚の独身女性である。繁盛期には私のほかアルバイトを数名募集していた。叔母も若い頃は巫女装束を身にまとっていたが、神職の試験を受けて資格を得た。今では平安時代にさかのぼる陰陽師の本家である元村家代々から続くこの神社の神職である。元村家本家と言っても平安時代に活躍した安倍晴明の本流からは外れていたらしく、支流の一派に過ぎなかったらしい。陰陽師が活躍した平安時代の陰陽道は、占い・祓い・祭りの三つを指す。
叔母は白衣の上に単という色のついた和服を着て、水干という女性用の上衣と袴を着ている。平安時代の宮廷に仕えていたような華やかな装束だ。一人でこの神社を切り盛りするのは大変なので、外部から応援を頼んで手伝ってもらっているらしい。叔母の息子は大学生という名目で神職の試験を免除されている。手紙には、「相変わらず遊び回っている様子。東京でちゃんと大学行っているのかしら? 神職なんて自分には向かないって言い張っている。久美ちゃんはしっかり者だしね、どう? この神社を継ぐ気持ちはないの?」と書かれてあった。
私は叔母と元村家の跡継ぎ問題に話が及ぶとためらった。まだ私自身、自分の進路について再従兄弟と同じように何も決めていなかったからだ。
大道芸人とアポーツ
コヴェントガーデンの駅を出ると石畳の道が続いている。お店が軒を連ねて、いつも道行く人たちでごった返している。道の真ん中では派手な化粧や衣装を着た大道芸人たちが手品やパフォーマンスをして私たちを楽しませている。私はコヴェントガーデンの駅を出た正面でジョウや祐二と待ち合わせをしていた。二人を待ちながら大道芸人たちのショーに見入っていた。すると、黒いマントを羽織り、トップハットを被った背の高い男が近づいてきた。顔はペンキを塗ったみたいに真っ白で、赤い紅と黒いアイラインが不思議な雰囲気を醸し出していた。
「素敵なリングですね。少しお借りしていいですか?」
紳士らしい低めの声だった。
「はい」
少しきつめのシルバーリングを左手の中指から抜いた。シンプルな形のもので、ブルートパーズが中央に施されている。
するとその男は、人だかりのできた輪に向けてリングを高々と右腕を振り上げて見せて回った。そして左手には丸いオレンジを手にしている。男が右腕を振り下ろし、リングをぎゅっと握りしめた。握りしめた右拳と左手の中に収まっているオレンジを見つめて何かぶつぶつ言い放っていた。そして、「はーっ!」と大きな声を出した。
「レディー。あなたのリングは今消えました!」
男は握っていた拳を広げると、本当にリングは消えていた! その瞬間、周囲の立ち見客から「ワオ!」という声が聞こえた。
すると背後から「久美、すごい芸だな」とジョウと祐二が声をかけてきた。
「いたの? 気がつかなかった」
「俺たちも見入っていたんだ」とジョウが返した。
次にその男は左腕を振り上げ、左手にあるオレンジを同じように見せて回った。そして、ポケットから小さな果物ナイフを取り出してオレンジを慎重に半分に切った。するとオレンジの中からトパーズが施されたシルバーリングが出てきた!
「お返しします」
その男は掌にリングをそっとのせた。リングを手にすると本当にオレンジの汁がしたたり、ほんのりと甘い香りがした。
五芒星のシルバーペンダント
私はジョウや祐二と一緒にアリスのお店に遊びに行った。彼女のお店は土曜日の午後と日曜日が休業だったので、土曜日の午後からみんなで遊びに行くことにした。私はさっき大道芸人がしたパフォーマンスを興奮気味にアリスに話した。
「凄かったんですよ。どうやってリングが右手の拳からオレンジに移動したんだろうかって!」
「私もあそこのパフォーマーに同じ手品をやってもらったことがあったな。あれはアポーツと言って、物品移動の芸なのよ」とアリスが説明してくれた。
アリスの店内の奥にある別室で私たちが椅子に腰掛けて話をしていると、お店で働いていたアルバイトの女性が「それではお先に失礼します」と言って帰って行った。アリスは彼女をちらりと見て「お疲れさま」と声をかけた。
部屋の中は整理整頓されていて、白地に細かな花柄がプリントされた壁にはガラスケースが置かれていた。中には綺麗な石がネームプレートとともに並べられている。
「ねえ、久美。うちのお店でアルバイトしない? 彼女、土曜日の午前中は忙しくて無理して来てもらっているの。シフトを変えて欲しいと言っていて。平日の午後も暇なら来て欲しいわ」
私はガラスケースの中の石に気を取られていたが、アリスの唐突な提案に驚いた。
「え? アルバイトですか。確かにロンドンでは何もバイトしてないからお小遣い欲しいです。私の親戚が神職で、以前はよく神社でアルバイトしていました。ちなみにこのペンダントですがうちの親戚が神社で頒布しているもので五芒星の形をしています」
ペンダントを首から外してテーブルの上にのせてみんなに見せた。
「このペンダントは私のために特注して作ってもらったもので、星の中央部分にラピスラズリが埋め込まれています。神社で頒布しているものは何も埋め込まれていないステンレス製」
「あら、素敵なペンダントね」
アリスはペンダントをつまみ上げて見つめていた。
「石言葉では、ラピスラズリの青色は夜空、金色は星、そしてこの石は宇宙を意味しているの。神の力が宿る石として魔から身を守ってくれる神秘的な石なのよ。私のお店にもパワーストーンを飾っていて、ラピスラズリの石もこのガラスケースの中に入っているわ」
アリスは立ち上がって、ショウケースの中に飾ってある青いラピスラズリの石を指さした。
ガラスケースの中には、さまざまな種類のカラフルな石がピカピカと輝きながら並べられていた。青、緑、黄色、薄紫、薄ピンク、ターコイズ色、黒、無色透明の水晶・・・・・・。どの石もアリスが愛着を持って綺麗に磨かれていた。
古代の石信仰
私たちはアリスの店内でおしゃべりに興じていた。とくにケルトの話には花が咲いた。以前このお店で働いていたエマという女性はアイルランド人で、私たちのようにロンドンの大学に通っていたという。大学を卒業すると実家のB&Bを手伝うためにアイルランドに帰った。私たちはアリスの紹介で、エマの実家が経営している宿に一ヶ月近くも特別に割安で宿泊させてもらった。
「古代ケルト人は、どうやら石への厚い信仰があったみたい。あれからいろいろと調べてみたら、イタリア南部のモンテ・サンタンジェロ(聖天使山)の洞窟は、大天使ミカエルが降臨し、岩山信仰の伝統が人々に伝わったらしいのよ」と私は神妙な顔つきで言った。石の話をしていたので、自然と話題がケルト人の石信仰にシフトした。
「大天使ミカエル!」
ジョウが突然声を上げた。
「どうしたの?」
私は不思議に思ってジョウを見た。
「俺、大天使ミカエルとは不思議な縁があるような気がするんだ」
「そうなの?」
私の目は興味に駆られていた。
「以前、夢に大天使ミカエルが出てきた。とても不思議な体験だった」
「あら、いい夢じゃない」
すると、突然ジョウが立ち上がり、大天使ミカエルがジョウに話していたような身振りと口調で話しを始めた。
『天使には上級、中級、下級天使がいて、全部で九つの階級に分かれています。私は下級天使で下から二番目、つまり八番目の位の『大天使』にあたります。大天使であるだけでなく、九階級の最高位である『熾天使』も兼任しています』
「聖ミカエルがこんな風にジョウに話しかけてきたの?」
アリスはきょとんとした。
「うん。突然、消えたり出てきたり・・・・・・。ダンテの神曲の話やヨハネの黙示録の一節を朗読したりしていました」
「まあ、不思議な夢ねえ」
私たちがジョウの話に感心していると、ジョウの顔つきが急に厳しくなった。今までの平静した様子が一転して変わり、緊張で強ばった顔をしている。額には少し汗がにじみ出ていた。ジョウの心は不安感に苛まされて打ち沈み、妄想に囚われているかのようだった。
「大丈夫? 気分でも悪くなったの?」
アリスの表情も一変し、心配した顔つきになった。
「急に頭がズキズキ痛み出して・・・・・・」
ジョウの顔は青ざめ、立っているのが辛そうだった。心臓の鼓動が早くなって呼吸が荒くなり、視線を床に落としてその場に立ちすくんでいた。
「しばらく様子を見ましょう。それでも気分がよくならなかったら病院へ連れて行くわ」とアリスが言った。アリスはジョウの腕を自分の肩へまわしてゆっくりと歩いて椅子に腰掛けさせた。
しかし、三十分たってもジョウの様子は変わらなかった。むしろ次第に悪化しているようでジョウが体のかゆみを訴えた。アリスはジョウの異常な状況を察知して私たちに向かって声を上げた。
「頭痛と発疹かもしれないわ。至急病院へ行きましょう! 今日は土曜日だから一般の診療所は午後休診だわ。プライベート診療になるけど診てもらいましょう!」
アリスが矢継ぎ早に言った。
「そう言えば、この前ジェレミーのお父さんの診療所の名刺もらったよな。財布に入れてあるはずだ」
祐二が上着のポケットから茶色の二つ折りの財布を取り出し、中から名刺を取りだしてそのカードをアリスに手渡した。アリスはそのカードに書かれている住所を確認し、「エドワード」とつぶやいた。
エドワード
私たち四人はタクシーに乗り込んだ。するとアリスが「リージェンツ・パークの近くにあるセントラル診療所まで」と運転手に告げた。同じロンドン市内だからタクシーですぐに到着した。タクシーから降りると目の前には大きな公園が見えた。ロンドン北西部にある市内最大の公園で、園内にはロンドン動物園もある。リージェンツ・パークの近くには運河も流れており、ジェレミーの父エドワードの診療所はその近くにあった。煉瓦造りの建物で白い清潔な玄関。それほど大きくはないが、建物の隣には車が二台止められるスペースもあった。診療所の二階は自宅部屋に改築してあり、住居スペースの入り口は外階段から上がって二階にあった。
祐二がドアをドンドンとノックすると、ジェレミーと似た風貌の男性が中から出てきた。背は中肉中背で栗色の髪に白髪が交じり、口ひげをたくわえ、丸くて優しい目をしていた。白い清潔な白衣が医師だと告げているようだった。
「あの、ジェレミーの知人で同じフラットに住んでいる者ですが、先日彼からこちらの診療所をご紹介して頂きました。突然で大変申し訳ないのですが、急患で診て頂きたい人がいます」と言って、祐二が丁寧に挨拶をした。
エドワードはジョウの異変に気づいて、「さあ中へ入って」と急かして言った。私たちは診療所の中へ通されるとすぐに待合室が見え、布張りの深緑色のソファーが置いてあった。室内は暖かみのあるベージュの壁に大きな掲示板が掲げられていて、ポスターやイベントの案内、診察に関する注意書きなどが貼られていた。待合室の奥には診察室が見えた。エドワードはジョウを連れて診察室へ入った。彼はジョウに丸いすに腰掛けるように指示した。それから、私たちにしばらく待合室で待つように言われた。二十分ほど経過すると、エドワードが診察室から出てきた。
「今、ジョウは診察室で横になっているから心配しなくていい。頭痛は鎮痛剤を飲んだから良くなるだろう。発疹もあるなら麻疹か何かだと思われるが、高熱はない」
エドワードは首をかしげていた。そして「私はジェレミーの父エドワード。いつも息子がお世話になっているみたいで・・・・・・」
エドワードは改めて私たちに挨拶した。
「先日、空港でばったりジェレミーと会ったときに一緒に食事をして、こちらの診療所のことを知りました」と祐二が言った。
「そうでしたか。わざわざ足を運んで頂いてありがとう」
エドワードの頬が緩んだ。
「冬の休暇でアイルランドに遊びに行ったんですが、そのときの疲れが出たのかな」と私が言った。
「何かそのときに変わったことは?」
「ジョウと一緒にニューグレンジという巨大な古墳を見に行ったんですが、そのとき彼は意識が朦朧して倒れました。で・・・・・・」
祐二はその先を言うのをためらっていた様子だった。
「で?」
エドワードが続けた。
「そこは異界の入り口で、妖精の丘という言い伝えがあって」
「なるほど」
エドワードの言葉は意外だったが、以前ジェレミーが話していたことを思い出した。そう、エドワードは科学者であると同時に神秘主義者だった。
「そういう迷信や伝説を信じているわ。私の親戚は京都で神職なの」と言って私も会話に加わった。そして、「私はいつもこのペンタグラムを身につけているんです。この五角形は魔除けの意味があり、中央のラピスラズリの石は聖なる神秘が宿っています」
エドワードは五芒星のシルバーペンダントに興味を持ち、見せて欲しいと言ったので私はペンダントを首から外した。
「ペンタグラムは中世ヨーロッパでも護符として用いられ、悪から身を守ると言われている。魔除けの印として呪術として使われている。日本でもこの五角形が使われているのはとても興味深い」
エドワードペンダントを掌にのせて凝視した。
「私の先祖は、平安時代に京の都で陰陽師として活躍していたようです。陰陽師の陰と陽は、五行説からなり、この宇宙を構成するものが木・火・土・金・水」の五種類であるという考え方をします」
「そういった考え方が東洋にあるのだな。もっと詳しく聞かせてほしい」
エドワードは東洋の神秘に興味津々の様子だった。
「京都は昔、平安京と呼ばれる都がありました。日本は中国からの思想も広く受け入れられていて、方位にパワーがあると考えています。とくに東北の鬼門と西北の天門という二つの方位は日本の陰陽道に非常に意味がありました。東北の鬼門は、鬼や魔物がやってくる方向で、西北の天門は万物を生み出す光のもとである天を表し、パワーがあると考えられています。陰陽師が西北の天門に社や寺院を構えていたのはそういった理由のようです」
陰陽道の話をしていると、みながペンダントを何か特別な力が宿っている宝物のように眺めていた。五行説という概念の基になった星形の五芒星は、洋の東西を問わず、呪符や護符として魔除けに用いられていた歴史がある。万物には神が宿り、自然界の秘められた法則と世界観が存在する。自然界と人類の相互の影響や知識を利用し、魔術的な作用、思想を取り入れた古代の人々。自然魔術は近代科学へ変容を遂げたが、その原理は古代から脈々と現代にまで時空を超えて受け継がれている。
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? 神秘主義とスピリット
アリスのガーデン
久美は土曜日の午前中と平日の午後、アリスが経営しているコヴェントガーデンにあるハーブやアロマを取扱っているお店でアルバイトをはじめた。お客様はたいてい女性で、二〜三十代の女性を中心にコスメやハーブのリーフ、アロマのエッセンシャルを求めにくることが多い。たまにアロマオイルを使用したリフレクソロジーなどの施術やヒーリング、タロット占いも隣の個室で行っている。そのため、いつも店内に常駐しているわけにもいかないので久美がアルバイトとしてこのお店で働くことになった。久美のほかにもう一人同じアルバイトの女性がいる。
今日は土曜日で、壁にかかったオークの温かみのある薄茶色の柱時計の針が規則正しく進むたびカチカチと音を立て、十二時を指していた。お店をクローズする時間だ。久美はちりとりとほうきを手に取り、店内の掃除をはじめようかと思っていた矢先、カランとした音が鳴って店の正面ドアが開いた。そこにはジョウと祐二が立っていた。二人とも冬のコートに身を包んでいたが、今日はいくぶん春の陽気で太陽の日差しも差し込み、だんだんと春めいて暖かいようだった。
先日、彼らがアリスのお店に遊びに来たとき、ジョウがここで体調が悪くなり、急遽ジェレミーの父エドワードが開設している診療所へ足を運ぶことになった。
「ジョウ、大丈夫だった? あれからどうなったかと思って心配だったのよ」
久美はジョウの顔を見つめて言った。
「エドワードが言うには、鎮痛剤を飲んで、塗り薬を塗り、一週間様子をみて症状が良くならなかったら内科の専門医の紹介状を書くと言ってくれたけど、幸い薬が効いて症状は回復したよ」
「エドワードは医者だから基本的な病気の症状には対応できるけど、専門は精神科医だからね」別室にいたアリスが店内に顔を出しジョウに言った。
「アリスにはフラットでも世話になってしまいすいませんでした」
「いいのよ。困ったときはお互い様よ」
立ち話をしていると、また誰かお店にやって来たみたいでカランと鈴の音が店内に鳴り響いた。ジョウたちが一斉にドアのほうを振り向くと、そこにはジェレミーとエドワードが立っていた。ジェレミーはエドワードと同じ薄茶色の瞳で優しい目をしていた。エドワードはジェレミーを少し老けさせて顔にはしわが入り、頬のあたりは肉付きがよかった。上品な佇まいと背丈も同じくらいで、すぐに二人が親子だと分かった。
医学と超自然
「先日は急に診察して頂いてありがとうございました。あれから体調はおかげさまで回復しました」
ジョウは丁寧な口調でエドワードにお辞儀した。
「いやいや、ジェレミーにはうちの診療所の宣伝をしてもらったよ」
エドワードは頬を緩ませた。
「ここで立ち話もなんだから、奥の部屋に入って腰掛けて下さい。今温かい飲み物をお持ちしますわ」
アリスはそう言うと扉を開いてみなを部屋に通した。
「紅茶、コーヒー、ハーブティーどれになさいますか?」と久美が尋ねると「コーヒー」とみなが答えた。久美とアリスは小さなキッチンに入ってコーヒーを入れ、砂糖とミルクを添えてテーブルに運び、席についた。淹れ立てのコーヒーの香ばしい匂いが部屋を充満した。
「うちのお店すぐに分かりましたか?」
アリスがエドワードとジェレミーに尋ねた。
「ジェレミーからアリスがコヴェントガーデンでお店を経営していると聞いていたし、駅を降りて連なる店の看板を眺めていたら『アリスのガーデン』という文字が目に入ったのですぐに分かりました」
「僕もみながアリスのお店でよく集まっていると知って、一度どんな店なのか行ってみたくなったんだ」
ジェレミーは少し照れくさそうに頬を赤らめて話した。
「先日、久美から教えてもらった陰陽道の話で五行説というものに興味があってね。万物は木・火・土・金・水の五種類から構成されていると。確かこの思想は中国漢方の治療診断の基準になっていると思う。私は医者だから切り口は違うが、西洋医学にもそういった思想が基になって今の現代医学が確立された。古代文明の頃から薬草などが用いられ、古代のエジプトではミイラを作る際、乳香や没薬が用いられていた。私の診療所でもハーブを薦めることがある」
「そうでしたか。新約聖書の中でも興味深い話がありますよね」と言ってアリスが頷いた。
「新約聖書の中に出てくる東方の三賢人かな」とジェレミーが答えた。
「そう。イエスが誕生したときに馬屋で黄金・乳香・没薬が捧げられた話よ。乳香は今で言うフランキンセンスで没薬はミルラなの。うちのお店でも取扱っているわ」
「古代ギリシャのエンペドクレスは、地・風・火・水の四元素によって成り立っていると説き、医学の父ヒポクラテスは病気を科学的に捉え、血液・黄胆汁・黒胆汁・粘液の四体液説を説いた。こうしたものが我々の体のバランスを保ち、病気などがいわゆる魔力などの超自然的な力や神々の仕業ではないと考えた」
「今では当たり前の考えだが、古代ギリシャの医者だったヒポクラテスなどがこういった理論を構築するまで、病気は迷信や呪術によるものだと一般的に思われていたんですね」
ジョウはケルトの地で起こったことを思い巡らせながら話していた。
「これら四大元素説や四体液説は、医学や薬学において重要な理論であり、その後、哲学や神学、錬金術、科学、医学に多大な影響を与えた」
ジェレミーは父エドワードに顔を向け、確認するかのように力強く話した。
エレメントと思想
「西洋では地・風・火・水の四つのエレメント、中国など東洋では木・火・土・金・水の五つのエレメントが万物を構成する基本となった」
久美はみんなの話を総括し、感心しながら言った。
「こういった思想は、西洋哲学に大きな影響を与えることになり、パラケルススは、四つのエレメントにはそれぞれ司る精霊があるとした」
エドワードはこういった超自然的なものも受け入れているとジェレミーが話していたように、万物の成り立ちやエレメントの話に及ぶと興奮気味に熱弁を振るっていた。
「西洋の占いであるタロットや占星術などでも、この四という数字は影響を受けているわ。占星術では、十二星座は四つのエレメントに分類されている。タロットも同様に、地・風・火・水はそれぞれ貨幣・剣・聖杯・棒と対応している。また、トランプカードがクラブ・スペード・ハート・ダイヤと四つに分けられるように、タロットカードもペイジ・ナイト・クイーン・キングと大きく四つのグループに分けられるの」
「診察に占いは用いないが、大いに興味がある」
「僕は父からこういった話を聞かされて育ったから超自然的なものに関することはすんなりと受け入れているけれど、正統医学の道に進んだ方がいいのかと思い悩んでいる。同僚の大半はこういったことには懐疑的だからね」
ジェレミーは思い悩んでいる様子だった。
「これから先、どうするか私も進路に悩んでいるのよ」
久美は自分の置かれている状況をジェレミーと重ね合わせていたので、ジェレミーの話に共感していた。
「大学を卒業したら日本に帰国するの?」とジェレミーが言った。
「帰国したら神社の後継者にならないといけないかも。ずっとロンドンにいようかな」
久美はため息をついた。
「神職は神秘的な仕事だし、神託なども行っているの?」
ジョウは陰陽師という神職に興味を抱いていた。
「霊的な力が作用するものは今では封印しているらしいの。普通の神社で、おみくじやお祓いする程度よ。でも、元が陰陽師だから先祖代々受け継がれているものはあるみたい。明治時代の初期までは安倍晴明の家系を受け継いでいた土御門家が陰陽道を引率していたけど、政府がそういったものを廃止したので現在では正式な陰陽師は存在しないのよ」
「真言密教みたいでそそられるなあ」
祐二が言葉を弾ませながら言った。
「真言密教とはライバル同士だったのよ!」
「西洋にも魔術団体などあってそれぞれ活動していたらしいが、そういった組織については存在自体も謎だったりする」
エドワードは軽く咳払いをして眉間に皺を寄せていた。
スピリット
「しかし、どうしてこんな不思議なことが起こるのかな?」と祐二が呟いた。
「ジョウはあれから体調はどうなの? 幽霊騒動は?」
アリスの顔は少し表情を曇らせていた。
「ケルトの地で起きた失神はあれからないです。きちんと聖地巡礼をしてコインを投げ入れて謝罪してきました。そう言えば・・・・・・幽霊騒動や幽体離脱も最近はないですね。夢で出会った聖ブリジットは俺に伝えたいことがあるって言っていた。その念が通じてもう自分に訴える必要がなくなったのかも知れないな」
「また何かあったら夢で再会するかも知れないけどね」
アリスはいたずらっぽい笑みを浮かべていた。
「ほう。そんなことがあったのですか。あのフラットで? ジェレミーからその話は聞いてなかったのでね」
「僕もその話は知らなかったんだよ」
「どうやらあのフラットには不思議な霊力が作用しているのかも知れない。そしてキングス・クロス駅構内にあるあの壁にも」
ジョウは確信に満ちた顔をしていた。久美は誰にも気づかれないようにちらりとジョウの顔を見た。キングス・クロス駅という言葉を耳にするたび、久美の心臓はドクンと鳴って鼓動が早くなるのを感じた。
「でもグレンダーロッホに行ってコインを投げ入れて祈ったのに、何故今頃ジョウだけこんな目に遭ったのかしら?」
久美は取り乱した心を振り払うかのように平然を装ったが声が少しうわずっていた。
「そうだな。ジョウには何かほかの理由や原因があるのかも知れない」
祐二は久美の指摘に納得した表情を浮かべた。
「コヴェントガーデンには小さいけど噴水があって、私もたまに行くけれど、そこにはたくさんのコインが投げ入れられているわ。今でも水に対する人々の信仰心は厚く、昔は馬を生け贄として捧げていたのが現在ではそれがコインに変わった。人々の中には信ずるか否かに関わらず、女神や水の精霊の存在を心のどこかでは受け入れているのかも知れないわね」
アリスもロンドンという土地柄なのか、神秘主義者でごく自然に霊的なものを受け入れている様子だった。
「神社には絵馬というものがあって、小さい木の板に馬の絵が描かれているの。その木の裏側に自分の願いごとや感謝を書いて神社に多く納められている。昔の日本でも神事には馬を奉納していた。神に対して馬を捧げるという風習は、東洋も西洋も同じなんですね」
「妖精というのは専門的に言うと自然霊のことで、この世の草木や花に宿り、姿を持たないスピリットのことなのだ」
エドワードは淡々とおだやかな口調で説明した。
「その話、俺も大天使ミカエルから聞いたことがある。同じことを言っていた!」
ジョウは興奮して饒舌になっていた。
「それは、ジョウが夢で大天使ミカエルに出会ったのかい?」
エドワードは、手持ち無沙汰で暇をもてあました手で顎をいじりながら知恵を絞っていた。
「はい」とジョウが答えると、「うむ」と言ってしばらくエドワードは考え込んでいた。
運命の石
「ジョウは不思議な夢を見て、大天使ミカエルや聖ブリジットと出会った。そして、不思議な神託とも言うべきメッセージを受け取った。もっと具体的に詳細を聞かせてくれないかね?」とエドワードが言った。
「はい。ミカエルが言うには、自分は大天使で正確に言えば自然霊だと言っていました。妖精と同じように本当は姿や形がないと。そして天使には善も悪もいて自分は神からのメッセージを届けるメッセンジャー。そして悪い行いをした人間には戒めるために苦難や試練を与える。それは旧約聖書の『ヨブ記』にも記されていると」
「確かにそうだな」とエドワードが小さく頷いた。
「また、ブリジットによるとケルトには異界の入り口が二つあって、一つは妖精の丘、もう一つは西方の海。自然にまつわる所には女神や水の精が住んでいると言っていました。妖精の丘は俺たちが足を運んだニューグレンジのことを指していて、異界の入り口だと」
「ケルトの地、聖書、キリスト教、異界の入り口、妖精、女神、天使、ヨブ記がこの謎を解く手がかりになる」
エドワードはジグソーパズルのピースを一つ一つ慎重に額縁にはめて完成させるように言葉を選んだ。
「父さんはこういう謎めいたことを考えるのが好きなんだ」
「物事には必ず因果関係が必ずあるからな」
するとアリスが、「こういうときこそ占いでもしましょうか!」と言ってみなを和ませていた。アリスは立ち上がってキッチンに入り、コーヒーポットをテーブルに運んでコーヒーのお代わりを全員のカップになみなみと注いだ。彼らは熱心におしゃべりに講じていたので喉が渇いていた。コーヒーが注がれたカップに砂糖とミルクを入れて、コーヒー豆の新鮮な香りを味わいながら口に含ませた。
「アリス、お店のパソコンをちょっと借りてもいいかな?」とジョウが言った。
「いいわよ。どうかしたの?」
「ケルト神話のことで調べたいことがあるんだ」
そう言うとジョウは、アリスの店内に置いてあるパソコンの電源を入れてカタカタとキーボードをたたいた。エドワードは相変わらず眉間に皺を寄せて考え込んでいた。何か霊的なものが絡んでいるはずだと思っていたに違いない。ジョウは画面をスクロールさせて、いろいろと調べていた。
この日フラットの住人たちが一斉に集まり、ジョウが体験したあのフラットでの神秘的な出来事やジョウと祐二の意外な共通点などの話に花が咲いた。また、超自然的な現象に関してエドワードやジェレミーたちの科学的な側面からの考察も興味深い。ジェレミーはシャイで一見取っつきにくい感じを受けたが、真面目で実直な青年だった。そしてこの日を境に彼らは『アリスのガーデン』でよく顔を合わせるようになり、仲間になった。
しばらくすると、ジョウはパソコンの画面を見ながら時々久美たちに顔を向けてケルト神話についてのレクチャーをはじめた。
「ケルトにはダーナー神族など魔法を使う一族がいて、一族はみな聖ブリジットのように金髪で青い目をしていた。彼らは他の部族に追いやられて草に覆われた丘や水の底に住み着いて、次第に体が小さくなり、妖精になったと。そのため土砦や城砦、土塚などに妖精が出現する」
「ダーナー神族の話ね」
久美はジョウの話を再確認するかのように時々頷きながら聞き入っていた。
ジョウがケルトのことを調べながら、久美たちに詳細を話していたので室内は静まり返っていた。
「この一族は海を越えて南の島からアイルランドにやって来た。ケルト人は目に見えないものを敬い崇める傾向があった。そのときダーナー神族は魔力のある道具を四つ持ってきた!」
ジョウは久美の方を振り向いて顔をほころばせて笑みを浮かべた。ジョウと久美はアイルランドへ出発する前にダーナー神族の魔力の話をしていたからだ。
「魔剣、槍、釜、そして運命の石!」
久美は核心を突いた物言いでジョウを見た。久美はジョウと目が合うとにっこり微笑んだ。
「ほう。それから?」と言って、エドワードも体を乗り出して聞いていた。
「はい。南の島は四つあり、フィンディアス、ゴリアス、ムリアス、ファリアスです。フィンディアスからは魔の剣、ゴリアスからは魔の槍、ムリアスからは魔の釜で、フィリアスからは運命の石でした」
ジョウは、以前久美に話していたように「昔エディンバラ城で運命の石を見たことがある」と目を輝かせながらみなに話していた。久美も『アーサー王伝説』に出てくる聖剣エクスカリバーが突き刺さっていた石だと知っていたので、ジョウの話を聞いていると彼女の心も弾んだ。
アスポーツ
アリスのお店の個室で熱心に話を講じていると時間はあっという間に過ぎ、時刻は午後五時になろうとしていた。日没は冬至を境に少しずつ延び、白枠のガラス窓から差し込む微弱な西日がテーブルの上を照らして春の訪れが感じられた。久美はテーブルの上のコーヒーカップを片付けて店内をほうきで履いて掃除し、アリスはお店の戸締まりをした。久美は上着を羽織って店の外に出た。すると、風は乾いて冷たかったので思わず身震いし、コートの襟を立ててポケットに手を突っ込んだ。
彼らはアリスの店を出て駅に向かってゆっくりと道を歩いていると、あの大道芸人が石畳の上に置かれた台座の上に立ち直立不動で道行く人々を眺めていた。そして、久美たちがその男の前を通り過ぎようとしたとき、「ちょっと待って下さい!」と突然大きな声をかけてきた。
ジョウ、祐二、久美、アリス、ジェレミー、エドワードは足を止め、その男の方を一斉に振り向いた。
「突然、声をかけて失礼しますが、そこのあなた! 何か大切なものがポケットに入っていませんか?」
その男は白い顔をして無表情だったが、声に力がこもっていた。一瞬誰のことだか分からなかった。
「そこのあなたのことです! 黒とグレーのチェック柄のマフラーをしているあなた!」
その男は持っていた杖でジョウを指し示した。
「え? 俺?」
ジョウの顔は困惑していた。
「はい。大切なものがポケットに入っていませんか?」
祐二はジョウの顔を覗き込み、「そうなの?」と小声で聞いた。ジェレミーとエドワードはこの不思議な雰囲気に飲まれて足を止めて行く末を案じていた。久美とアリスは顔を見合わせてきょとんとしていた。
「え? ポケットにはハンカチや財布しか入っていませんけど」
ジョウはコートの内ポケットに手を入れて何か特別なものが入っていないか確かめていた。
「いやいや、そこじゃありません。ズボンのポケットです」
その男は続けて言った。
「あ、これはただの石ですよ。綺麗な石だったんで拾ってきて、なんとなくいつも身につけていました。特別なものではありません」
ジョウが不思議な顔をして答えた。そして、ジョウはその石をポケットから取り出してその男に手渡した。
「どこから拾ってきたのですか? どこか神聖な場所から拾ってきたのではないですか?」
その男は石を手のひらにのせて眺めながら言った。
「もしかして、モナスターボイスのことじゃないか?」
祐二が口を開いた。
「そう。ケルト十字架があって、なんとなく神聖な感じがしたんだ。そこで見つけた綺麗な石だったから・・・・・・」
「ジョウ! 神聖な場所だからこそ、そういったものを拾ってきたらだめなのよ!」
久美は興奮気味にまくし立てて顔を赤くした。
「え? どういうこと?」
「神社でもご神木や石などがあるけど、神聖なものだから大切に扱うべきなの。傷つけたり勝手に持って帰ったりしてしまったら、そこに宿っている自然霊が怒り出してしまうのよ!」
「さようでございます」
その男は久美に向かって頷いた。
「そうか、分かったぞ。ジョウの体調不良の原因が!」
エドワードは満ち足りた顔つきをしていた。それと同時に、大道芸人の顔をまじまじと凝視し何かを勘繰っている様子だった。
「それでは、私がこの石を自然霊たちの怒りを鎮めるために元の場所にお返ししましょう」
そう叫ぶと、その男は以前のように石を握りしめて何かぶつくさ呟いた。そして「はい!」と大きな声を上げて握り拳をゆっくりと開くと、彼の手の中から石が忽然と消えていた。
本当にその石が、コヴェントガーデンの街角からダブリンのモナスターボイスまで時空を超えて元の場所に戻ったのか定かではない。久美のリングがその男の拳からオレンジの中へ物品移動したときのように、その石が元の場所へ戻るために物品消滅したに違いない・・・・・・と久美は感じていた。そして、コヴェントガーデンの街角に佇み、黒いマントを羽織り、トップハットを被った白塗り顔の大道芸人は、何か神秘的な魔の力を宿している男だと思わずにはいられなかった。
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? 近代魔術と心霊教会
アーサー
あの日、ジョウのポケットに入っている石が霊視能力の透視だったと後から分かった。久美のリングがアーサーの右手の拳から左手のオレンジに物品移動したのはアポーツ、ジョウが持っていた石がアーサーの手の中から忽然と消えたのは物品消滅のアスポーツと呼ばれる物理的心霊現象だとアーサーが教えてくれた。
アーサーは表向きコヴェントガーデンの路上でパフォーマンスをしている大道芸人だが実際は霊能者であった。手品のようなパフォーマンスで人々を驚かせて楽しませているが、霊的な力を駆使していると知った。
アーサーによれば、心霊現象というのは霊魂の働きによって生じる現象のことで、物理的心霊現象と精神的心霊現象がある。久美のリングが移動したのは物理的心霊現象といい、物理的な変化を伴い客観的に第三者にも確認できるものだ。ジョウのポケットの中の石を当てた透視は、霊能力を有する者のみが知覚できる現象で、精神的心霊現象にあたる。
心霊主義の発祥となったのは一八四八年、ニューヨーク州ハイズビューのフォックス家で起こったポルターガイスト。フォックス家の三姉妹がラップ音を利用して霊との交信を図った。このような心霊現象は、これまで神話や伝承、シャーマニズム、錬金術など魔術的要素が強かったのだが、近代における心霊現象に関して科学的に研究をはじめるようになった、とアーサーが言った。ジョウと祐二はアーサーの不思議な霊力や魔力といったものに興味を抱き彼と親しくなったのだ。
彼の事務所はコヴェントガーデンの駅を出て、アリスの店とは反対側の道をずっと歩き、その道の突き当たりのT路地を左に曲がった角にあった。その道沿いには占星術などの各種占いの館、ヒーリンググッズやパワーストーンのショップ、精神世界、神秘や心霊主義、魔術に関する本を扱う書店などが軒を連ねており、一種独特の雰囲気を醸し出していた。
英国心霊主義教会/英国心霊科学教会
「で、どうしてアーサーは心霊主義に傾倒していったのですか?」
ジョウはアーサーの事務所奥にあるラウンジのソファーに腰掛けて辺りをせわしく見回しながら言った。彼の事務所はさほど大きくはなかったが、ロンドンの一等地に居を構えていた。玄関の扉には何も看板が掲げられておらず、一見すると普通の住居スペースに思われた。目を引く赤い玄関を抜けるとすぐ正面に小さな受付と丸い腰掛け椅子が二つ置いてあり、右手は彼の書斎のようで、その左手奥に大きなラウンジがあった。事務所の受付は拍子抜けするくらい明るくて、霊能や魔術といった要素は微塵も感じられなかった。しかし、ラウンジの中に一歩足を踏み入れると葡萄酒のような鮮やかなワインレッドの絨毯が敷き詰められ、その縁には何か記号か文字のようなものが金色の糸で刺繍されてあった。部屋の正面の壁には天井から床まで大きなガラスの窓がはめ込まれていた。カーテンレールには白くて薄いレースのカーテンがかかり、日差しが窓から注ぎ込み、窓枠の両側には遮光性が高く美しいドレープの濃厚な紫色のカーテンが取り付けられていた。
ラウンジの中には大きなテーブルと椅子が部屋の右手に置いてあり、左手には黒いアップライトのピアノ、小さな暖炉、暖炉の正面には小さな長方形のテーブルと二人がけの黒い革張りのソファーがテーブルを挟んで二つ置いてあった。ジョウと祐二はラウンジの黒いソファーに座りアーサーと向かい合って話をしていた。
事務所にいるアーサーは、あの派手な衣装と化粧で人々の笑いを誘うユーモラスな大道芸人のときとは全く別人だった。年齢は五十才ぐらいの中年で、肩につきそうな長さの黒髪を後ろで縛り、神秘的な焦げ茶色の瞳で鼻筋が通り、口角がきゅっと上がって端正な顔立ちをしていた。多少顔や額に小じわが見られたが、背が高くて英国紳士風のツイードジャケットを着用していた。彼は頭の回転が早く機知に富み、話術に長けていた。
「一八四八年のフォックス家のハイズビュー事件に端を発し、それ以降、当時科学の主流だったイギリスで心霊研究が盛んになった。一八八二年、ケンブリッジ大学の研究室でSPRという「英国心霊研究協会」が設立された。研究当初は霊魂の存在を否定する立場であったが、否定できないという結果に至り、心霊主義を軸とする団体や協会などが心霊研究をするようになったのがはじまりで、私の属する英国心霊主義教会も当時のそのような団体の中の一つだった。しかし、教会の設立後、教会内でスピリチュアリズムに対する思想の違いから対立が生まれて袂を分かち、二つに分派したのだ。私が属しているのは本流であった英国心霊主義教会で、もう一方は英国心霊科学教会だ」
「スピリチュアリズムって?」
ジョウは膝を乗り出した。
アーサーはやっと話の核心に至ったような顔つきをして軽く咳払いをしてこう続けた。
「スピリチュアリズムというのは、人間の本質は永遠に存続する魂であると定義している。霊界から地上にもたらされた啓示であり、霊的浄化を目的としている。目に見えない世界と霊的法則にのっとり、全ての宗教と民族を一体化しようとする霊界の大計画なのだ。しかし、分派した英国心霊科学教会側から、『英国心霊主義教会と思想は同じだが、魔術に転向した魔法使い!』の一点張りなのだ。だがこちら側から言わせてもらえば、英国心霊科学教会の知識は豊富だがキリスト教色が強い経典主義だ。我々は宗教のドグマの誤謬を正し、この世は神秘の力であるスピリチュアルな法則・ルールの上に成り立っているという霊的真理を普及しなければならない。SNU国際スピリチュアリスト連合という団体が英国にあり、エマ・ハーディング・ブリテンという霊媒の霊言がもたらされ、スピリチュアリズム七大綱領として広く知れ渡っている」
アーサーは得たり顔で悦に入っていた。アーサーの持論は理路整然とし、彼の雄弁さは疑念が入り込む隙をジョウたちに与えなかった。アーサーの巧みな弁舌にジョウたちは圧倒され開いた口がふさがらなかった。地下のマグマがぐつぐつと地上に溢れ出るように本能的に眠っていたものが呼び覚まされた。ジョウは釈然とせず枯渇していた知識欲を満たすため口火を切った。
「七大綱領って?」
アーサーの話によれば、スピリチュアリズム七大綱領とは以下の七点のことだった。
1.神は全人類の父である
2.人類はみな兄弟である
3.霊界と地上界との間に霊的な交わりがあり、人類は天使の支配を受ける
4.人間の魂は死後も存続する
5.自分の行為には自分が責任を取らねばならない
6.地上での行為は、死後、善悪それぞれに報いが生じる
7.いかなる人間にも永遠の向上進化の道が開かれている
ジョウと祐二はアーサーの事務所を後にした。アーサーの話は納得する部分も多かったが、よくよく後になって考えてみると彼の話が壮大過ぎて正直霊的な話を信じていいものかよく分からなかった。確かにアーサーの話は筋が通っている。しかしそれは霊魂の存在、死後の生もあると仮定した上での話だ。ジョウたちは巧みなアーサーの話術やその場の雰囲気に呑まれていたのだろうか。祐二の気むずかしい様子から察して、彼もジョウと同じように感じているに違いない。
「アーサーの話だけど、どう思う?」
彼らは石畳の道をまっすぐに進んでコヴェントガーデンの駅に向かって歩いていた。
「素晴らしいと言っていいのか、何か怪しい教会じゃないかと言っていいのか正直判断が難しい。不思議な人物だな」
「そうだな」とジョウは頷いた。「アーサーに、『この教会のことや私の存在のことは他言無用』だって口止めされたし」
彼らの頭に一抹の不安がよぎった。
「しかし、コヴェントガーデンの街角に立つ大道芸人の正体が、英国紳士風のツイードジャケットを着たアーサーという名の男だって誰にも分からないだろうな」
ジョウは目を丸くし驚きを隠せない様子だった。
日が暮れて辺りは薄暗くなり、石畳の道はいつもと違って閑散とし寂しかった。風が吹くと街路樹の葉がざわめき、細い道を通り抜ける冷気に体が包まれると背筋が凍るような思いがした。彼らの顔は沈痛な面持ちで厳粛としていた。
「これは俺たち二人だけの話にとどめておこう」と祐二が言うと、ジョウは「分かった」と力強く言ったが、ジョウの顔は動揺を隠せない様子だった。
人間と宇宙
ジョウは週末の土曜日午後、アリスのガーデンでいつものメンバーと集まった。ジョウ、祐二、久美、アリス、ジェレミー。エドワードを入れると六人だったが、エドワードは仕事が忙しく、たまにしか顔を出せなかった。ジェレミーも医大を卒業し、今は研修生としてロンドン市内の病院で勤務しているため忙しそうだったが、研修が終わるとアリスのガーデンに直行した。今日もジェレミーはジョウたちより二時間ほど遅く到着した。
「ジェレミーの研修は大変そうね。今後の進路はどうする予定なの?」
アリスがジェレミーのカップに紅茶を注いだ。ジェレミーは「ありがとう」と言ってカップを口に運んだ。
「将来は父と同じ専門家の道に進む予定ですが、父の病院を継ごうか迷っています。先日ジョウが話していた金縛りとは、脳が覚醒に近い状態のレム睡眠のときに起こりやすく睡眠麻痺と呼ばれ、幽霊は幻覚で不規則な睡眠が原因と言われている。幽体離脱は夢を見ている状態のことで、全て脳内で起こっていると科学的には説明されている。霊的な事柄はこのように科学的に反証されているけど、父や自分は他の側面からも考察するようにしている」
「それはロンドンという土地柄もあるのかな?」と久美は口にした。
「それもあるね。また我が家では、父が精神性を重視するシュタイナー教育に傾倒していて、それが基で父の医療に対するあり方に影響を及ぼしたんだ。シュタイナーが提唱した人智学は、魂の進化を基本とする超感覚的世界における人間の霊的能力開発であり、教育、芸術、医療、農業分野など幅広く影響をもたらした神秘主義的思想だ」
「神秘と科学の二元論ね」とアリスが頷いた。
「先日こちらにお邪魔したときに父が話していたヒポクラテスの四体液説は、多血質・胆汁質・憂鬱質・粘液質として子供の四つの気質に分類されます。そして人間の体は、アストラル体、エーテル体、肉体、自我という四つの本性から構成されていて、宇宙の進化を通して自分の本質の中にアストラル体、エーテル体、肉体を組み込んできたと言われている」
「壮大な思想なんだな」と言って、ジョウは感服した。
「そうだね。人間の四つの本性部分は宇宙全体に対して係わり合って進化してきた。つまり、人間は宇宙に組み込まれている」
「しかし、アストラル体やエーテル体ってどういうこと?」
ジョウは聞き慣れない言葉を耳にして頭の中が整理できていない様子だった。
「人間の形姿はエーテル体(幽体と霊体)という霊的なエネルギー体が肉体に重なりあっている。死後の世界はエーテルの世界であり、エーテルの世界における体はエーテル体なんだ」
「死後の世界ねえ」
祐二は腕組みした。
「アストラル体(幽体)は、死後に肉体を脱ぎ去った霊的なエネルギー体のこと。ちなみにアストラル体は、死後の世界で魂が持つ体のことなんだ。そして霊体とは魂であり神我なんだよ」
「なんだか難しい話でよく理解できないなあ」
ジョウが眉間に皺を寄せていた。
「つまり、俺が体験した夢というか幽体離脱は、肉体に重なり合っている幽体のことだな」
ジョウはジェレミーと問題の答え合わせをするかのように言った。
「そういうことになるね。宇宙の進化に伴って現在の地球が出来上がり人類も進化を遂げた。その祭、霊的な本性が人体組織に影響を与え、エーテル体、アストラル体、肉体、そして自我との相互作用となって現れ、宇宙の形成過程が意識の内部に映し出されるようになった。これが人間と宇宙との調和だ。しかし、色々と変遷を辿り人間の意識の中に悪といった可能性も与えることになってしまった。人間が欲望のおもむくままに生き、そこから病気の可能性が生じた」
「凄い理論だな」と言ってジョウは仰天した。
「そうだね。そして地球の進化が続く中、人類が地上に受肉した時期をレムリア期と呼んでいる。その後には太古のアトランティス期。現在の人体は、このアトランティス期に顕現したと言われている」
魔術結社
ジョウは身の上に起きる不思議な現象と夢に現れる大天使ミカエルや聖ブリジットのことを解明しようと躍起になっていた。ジョウは頭が朦朧とし異常な眠気に襲われることがある。
「霊学における夢とは幽体離脱している状態と言われている。眠気は色々と考えられるが疲労かも知れないし、他のことが原因かも知れない。幽体離脱は睡眠中の夢だけでなく、星気体投射と呼ばれる技術で肉体からアストラル体を分離し、他の世界を訪れたりすることができるんだ」
「知っているわ。でも素人には危険なのよね」
アリスは熱心にジョウたちの会話に耳を傾けていた。
「そうですね。十八世紀から二十世紀初頭にかけてロンドンには数多くの魔術結社があった。その背景には古代異教の復活、科学技術の発展、宗教改革などさまざまな要因が絡み合っていました。この頃は教会を通さずに、人間と神との直接的な接触を試みていましたから」
「でも、どうやって神と接触するの?」
ジョウは間髪入れずにジェレミーに尋ねた。
「方法は今話したように、意識的に肉体から幽体を離脱させる星気体投射や霊界通信が主だった」
「霊界通信?」
祐二もジョウに続いた。
「これは日本でも行われているわ。霊媒者がトランス状態に入って自分の潜在意識をなくし、自分の体に霊を憑依させて霊と交流してメッセージを受け取る方法よ。東北地方のイタコとか有名じゃない」と久美が快活に話した。
「ああ、あれか!」
祐二は大きく頷いた。
「それまでは久美が説明したようなシャーマニズムが主流だった。しかし、ハイズビュー事件というポルターガイスト騒動が起こって以降、科学の主流だったイギリスで研究が進み、様々な方法で霊との交流を図り霊言を受け取った」
「あ!」
ジョウは思わず祐二と顔を見合わせた。そう、アーサーが話していたハイズビュー事件のことだ。それに霊言。ジョウは衝動に突き動かされていた。
「知っていたの?」
「いや、そういった事件があったのは以前聞いたことがあった。で、ジェレミーやエドワードは魔術結社のような団体に所属しているの?」
ジョウは祐二と目で合図した。他言無用だとアーサーが話していたのでお互いに唇をきつく結び、知らぬ存ぜぬを貫いた。
「魔術結社ではないよ。英国心霊科学教会というきちんとした団体で、イエスやキリスト教の教えを基本としている。しかし、この教会は百年以上前に思想の違いから心霊科学教会と心霊主義教会が分派し、英国心霊主義教会は魔術に転向してしまった」
それからまもなく彼らはアリスの店を出て、久美は自分の学生寮、ジョウ、祐二、ジェレミー、アリスはフラットに戻った。いつものように石畳を駅に向かって歩いていたが、歩道には黒いマントとトップハットを被ったアーサーの姿はなかった。この日を境にアーサーは大道芸人としてコヴェントガーデンの街角に姿を現さなくなったが、ジョウと祐二はアーサーの事務所に足繁く通うようになった。
ドッペルゲンガー
「明日木曜日 午後五時 事務所で待っている。アーサー」
ジョウと祐二はアーサーの事務所のラウンジにある黒いソファーに腰掛けた。アーサーからジョウたち宛てにメールが入ったからだ。彼らは一度、突然思い立ってアーサーの事務所に行きドアをノックしたが誰もいない様子だった。だからアーサーの事務所へは彼からメールが入らない限り行かないことにした。コヴェントガーデンに行っても大道芸人のアーサーはもういない。彼と連絡を取るのは彼から一方的にメールが入って事務所に呼ばれたときに限られた。 ジョウが察するところ、どうもジョウと祐二以外の人間がいるときに接触するのを避けていると思われた。そのため、大道芸人として街角に立つのをやめたとジョウは考えた。また、彼らが事務所にアポなしで行っても会えないのは、彼が秘密組織として何か活動しているのではないかと思っている。
アーサーはジョウたちを出迎えるかのように、ラウンジに置いてある黒いアップライトの上品なピアノに向かい、静かに椅子に座った。ピアノは綺麗な黒光りをして、鍵盤は白く輝いていた。姿勢を正し軽く咳払いをした。両手をピアノの鍵盤に置き、弾く準備が整った。
「ショパン エチュード十の三ホ長調」とアーサーが言った。すると彼の指はなめらかに白と黒の鍵盤の上を滑り出した。感情を込めて両肩を大きく揺らしながら、ゆっくりと、ときには激しく鍵盤を叩いて、ショパンの別れの曲を弾いた。ショパンの曲は全体的に難易度が高く弾くのは至難の業だが、アーサーはこの芸術性の高いショパンの透明感ある曲を見事に弾いた。長調なのに物悲しく、悲哀に満ちた音色が部屋の中を奏でている。
「上手ですね。子供の頃から弾いているんですか?」
ジョウはアーサーの奏でるピアノの音色に心を奪われた。
「ああ。この曲は大好きでね、よく弾いていた。美しいだろ」
「そうですね。クラッシックは心が癒やされます」
ジョウはクラッシク音楽に興味がなかったが、アーサーのピアノは素人のジョウでも素晴らしいと感じていた。ショパンの別れの曲をよく弾いていたと話すアーサーの横顔は何かを物語っているように見えた。アーサーは演奏を終えるとピアノの椅子から立ち上がり、ソファーに腰掛けた。
「ジョウ、君は俺と似て少し繊細なところがあると感じていた。心の中に抱えている想い。誰にも理解されない悲しい出来事。そうだろ?」
アーサーはジョウの過去を全てお見通しのようだった。
「わ、分かるんですか?」
ジョウは唇をきっと結んで真剣な顔になった。
「ああ。君の表情を見ていれば、霊力を使わなくても何かもやもやした気持ちを抱えていることぐらい分かるが」
「そ、それじゃあ、交通事故のことも?」
「子供の頃、大きな事故に遭ったが九死に一生を得た。自分で自覚があるか分からないが、事故で頭を打った衝撃でその後遺症が出ているんだよ」
ジョウはアーサーの特殊な霊能力に驚嘆した。面識もない赤の他人の過去のことがどうやって分かるのだろうか。容易には理解できない事情や人の心の機微がどうやって分かるのだろうか。
「十四の時、交通事故に遭ったんだ。学校の下校途中、横断歩道でトラックにはねられた。はねられた瞬間、音楽を聴いていたからトラックには全く気づいていなかった。でも、体が妙に軽くてふわふわしていた。そして、目に映るもの全てがスローモーションのようにカチカチと音を立てながら一コマ一コマ風景が変わって目に飛び込んできた。死んでもおかしくなかったほどの大怪我だったけど、奇跡的に助かった。もしかしたら、生まれてすぐに亡くなった双子の弟が助けてくれたんじゃないかと思っている。会ったことも話したこともない不思議な弟だけど、今でも強い絆で繋がっている気がしてならないんだ。事故当時、学校指定の学生服を着て鞄を持っていた。交通事故後、体が回復して病院から退院し自宅へ戻って身の回りを整理していた時に、あることに気づいた。その時持っていた鞄の中に、絶対にあるはずがないシルバースプーンが鞄の底からひょっこり顔を出した。もちろん自分が入れた覚えもない。学校の弁当には箸を持って行ってたけど、スプーンなんて必要ないからね。第一、シルバースプーンなんてうちには無かった。うちのキッチンの引き出しにしまってある他のスプーンとは銘柄も素材も違っていた。そのシルバースプーン一本だけ、突然鞄の中から現れたんだ」
ジョウの言葉には真実味が帯びていて力強かった。
「きっと、ジョウの弟が命を助けてくれたんだ」と祐二が言った。
「そうだ。ヨーロッパでは、赤ちゃんが誕生した時に魔除けと一生食べ物に困らないようにという願いを込めてシルバースプーンを贈る風習がある。ジョウの弟は出生時に亡くなっているが、今でもジョウのことを心配して見守っているんだ。事故で大怪我をしたが、魔除けの意味があるシルバースプーンでジョウの命を守ってくれたんだ」
アーサーは言葉を一つ一つかみしめるように話した。
「弟は生まれてすぐに亡くなったと昔母から聞かされた。それまでずっと兄弟がいなくて一人だと思っていたから実感が湧かなかったし、非現実的すぎてどう対処していいか分からなかった。それまで秘密にしていた弟のことを話してくれた時の母の顔は、今でも忘れられないくらい痛々しくて、まだ幼かった自分でもこの話を金輪際してはいけないって悟った。でも、その不思議な弟と一度だけ会ったことがあるんだ。夢だったかも知れないけど、自分と姿も声もそっくりで、本当に分身のようだった」
「奇跡的に命が助かったのは良いのだが、ジョウのことが・・・・・・少し気がかりでね」
ジョウはアーサーの思いがけない告白で顔が青くなった。
「無意識のうちにもたらされていた個人的抑圧が、夢や空想で解き放たれた。無意識が意識に対して自らを貫くと葛藤が生じ、影という別人格が現れる。影法師とでも思ってくれ。その影法師が人格だけでなく意思を持った結果、ジョウの意識とは関係なく独りで行動を起こしてしまう。ジョウの影法師、つまりドッペルゲンガーと呼ばれる状態のとき、ジョウの肉体から幽体が離れていることがある。一番注意しなくてはならないことは、死ぬ間際に自分で自分の姿を見ることがある」
「ドッペルゲンガー。お、俺は、死が近いのですか?」
ジョウの心はナイフでえぐられたような鋭い痛みを感じ、沈痛な面持ちで顔は青ざめ、唇は青紫色で声が震えていた。
「そういった予知予言に関しては答えられないが、自分で自分の姿を見たことは?」
アーサーはジョウの顔を食い入るように見た。
「あ、ありません!」
ジョウは恐怖で体が小刻みに震え、目線が定まらず自分の呪わしい運命を吐き捨てるように言った。
「それはよかった」
「では、一体どうすればいいでしょうか?」
ジョウの背筋は凍り、沈鬱な顔をして憤りにかられていた。ジョウは世の混沌とした秩序や法則に幻滅して人生に対する嫌悪を抱き、未来に対する希望も野望も打ち砕かれ、何もかも放棄してしまいたい、と彼の顔が物語っていた。
魔法円
アーサーはジャケットの内ポケットの中から何かを取りだした。それは丸い円環で、その円の中には久美が持っていた五芒星のペンダントと同じものが施されていた。ゴールドのペンタグラムはアーサーの掌で綺麗に輝き放射線状に放っていた。
「これは、ペンタグラムですよね。友人が同じようなものを持っています」
祐二は打ちひしがれているジョウを横目に答えた。
「そうだ。知っているなら話は早い。ペンタグラムには不思議な魔力が宿っている。中世ヨーロッパ時代から受け継がれている魔除けの印で、悪霊から身を守る力がある」
すると、アーサーはポケットの中から紙と鉛筆を取り出して何か絵を描いている様子だった。祐二が脇から覗き込むと、アーサーは白い紙の上に二重の円を描き、その四方の角に五角形のペンタグラムを描いていた。
「これは、英国心霊主義教会の古の呪符で魔術的効果がある。この魔法円だが、円は結界の役割を果たし、悪魔は魔法円の中に入り込むことができなくなる。二重の円の四方は、万物を構成する「地・風・火・水」四つのエレメントを示している。そして、これを部屋の四隅に貼り付けておくと部屋の中に結界ができるのだ。しかし一つ注意がある。決してこのペンタグラムを逆にしないこと。逆にすると悪魔を示すことになるからだ」
魔法書
アーサーが教えてくれた魔法円は魔術儀式の一つである。十二世紀、アラビア天文学が中世ヨーロッパへ導入され、惑星の地上にもたらす影響力を特定の形象シンボル化された記号や五芒星などの図形を用い、占星魔術や護符魔術として実践された。
ジェレミーが話していたように、英国心霊主義教会は魔術を積極的に取り入れていた。しかしその根底には四大エレメントの自然魔術が血肉となり、ヘルメス思想と呼ばれる教義が引き継がれている。
ヘルメス思想とは、ヘルメス・トリスメギストスと呼ばれる伝説の人物によって伝えられた思想で、ヘルメス文書として哲学、占星術、錬金術、魔術に関する内容が記されている。十三世紀には、ヘルメス・トリスメギストス著作の自然の神秘を解き明かした神秘的文献と称されるエメラルト・タブレットの断片が発見された。原板はすでに失われているが、そのタブレットには神々の啓示や言葉、叡智が記されているという幻の魔法書だ。
「アーサーはその魔法書を読んだことがあるのですか?」
祐二はジョウをなだめながらも、アーサーの魔術の話に虜になった。
「もちろんないさ。神との対話や教えのほか、古代アトランティスや天地創造の秘密などの預言書的な趣のある文書だ。『秘密の首領』ならばそのありかを知っているかも知れないが」
「秘密の首領? それは魔術結社のことですか?」
「これまで誰も直接会ったり話したりしたこともない魔術結社の頭領だ。魔術結社に設立の許可を与える存在で、実存しているかも分からない。物質界には存在せず霊界通信や星気体投射で接触できるという。一説には聖守護天使やシュタイナーじゃないかとも噂されているが」
「ヘルメス・トリスメギストスとは一体どんな人物だったんですか?」
「旧約聖書のモーセと同時代に生きていた古代アトランティス伝説の王だが、古代エジプト神トートやギリシャ神話のヘルメスとも言われている」
「すごい魔法書なんですね。今どこにあるんですか?」
祐二はアーサーの巧みな話術と人を惹きつける神秘的な魅力にのめり込んでいた。
「諸説はあるが、実際は謎に包まれている。エメラルド・タブレットだが、エノク魔術で大天使ウリエルより授かったエノク語で天使の言葉が記されていると噂されている」
「天使の言葉……」
床に視線を落とし、うつむいていたジョウが頭をもたげた。
「そう。天使の言葉あるいは古代アトランティス大陸で話されていた言葉じゃないだろうかと考えられている。その幻の魔法書を手に入れて預言書を解読し、人類のために霊界からの福音書を広めることが私の使命だ」
「俺は幽体離脱したとき、大天使ミカエルと出会い様々な言葉を受け取ったんです。これは夢なのか幻なのか・・・・・・」
ジョウはアーサーの思いがけない告白に絶句していたが「天使の言葉」という響に反応して少しばかり安堵の表情を浮かべ、僅かな希望の光が優しくジョウを包み込んでいた。
「どんな内容だったのか簡単に話してくれないか?」
「はい。ダンテの神曲とヨハネの黙示録を朗読していました。そして自分は大天使ミカエルで神のメッセンジャーだと」
「興味深いな。ヨハネの黙示録は新約聖書に収められているが、暗示的、神秘的な内容だ。世界の終末、審判の日に備えるように七つの教会に送ったメッセージである。七つの封印は子羊だけがその封印を解くことができ、七人の天使、七つの災いなどが記されて、大天使ミカエルが登場する。エメラルト・タブレットにも共通する神の預言書だ」
ジョウはアーサーの属する英国心霊主義教会が怪しいカルト的な魔術団体ではなく、四大エレメント思想に基づいた立派な教会だと悟ったが、ジェレミーやエドワードたちの属する英国心霊科学教会の会員と接触を避けているのが不可解だった。しかし、ジョウと祐二が彼らの仲間だと知って、ライバル組織に自分の身元を知られるのが不都合なのだろうとジョウは推測した。『魔術に転向した』とジェレミーやエドワードは主張しているが、同じ思想を根源とし、その源泉は支流で分かれたが、脈々と受け継がれている古の教義は揺るいでいない。
キングス・クロス駅
ジョウと祐二はアーサーの事務所を出た。時刻は午後八時になろうとしていた。地下鉄に乗ってセント・パンクラス駅で降り、駅の近くのパブで遅い夕飯を食べるところだ。パブは常連客でごった返して賑わっていた。二人はパブでビールを注文し席についた。ジョウは安堵し落ち着いた様子だったが、魔術やアーサーのことは二人だけの秘密にしなければならない。
「今日の話は凄かったな。俺たち、秘密結社の一員にでもなった気持ちがするぞ」
祐二は興奮を隠しきれなかった。
「そうだな。アーサーは本物の霊能者だよ。自分たちしか知り得ないことをずばずば言い当てる芸は、そこらへんにいる大道芸人の子供だましの手品じゃないぞ」
「俺はどうもキングス・クロス駅のあのプラットフォームには何かあるんじゃないかと睨んでいる。いつも観光客で長い列が出来ているが、あそこは異次元と繋がっている場所だと思うんだ。ジョウが夢で見た場所だが実際にあの異次元の空間へ訪れることができるんだよ、きっと」
「星気体投射で高次の次元へ?」
「ああ。しかし、それには危険が伴うらしいが、秘密の首領とも接触ができるかも知れない」
祐二はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ジェレミー、エドワード、アリス、久美は、どう思うだろうか?」
ジョウは彼らの顔が脳裏に浮かんだ。
「もちろん反対するに決まっているじゃないか! でも、何かあったら魔法円があるぞ」
「そんな危険なことはやめろよ。俺は今日、命拾いをしたんだぞ」
ジョウは興奮して顔を赤くした。
二人はビールを飲み干しフィッシュアンドチップスを注文して今日の出来事を話した。ほろ酔い気分になり、少しは気が晴れた。
ジョウと祐二は勘定を払いパブの外に出た。キングス・クロス駅構内を通って外に出てフラットに戻るところだった。あのプラットフォームに後ろ髪を引かれる思いがしたが時刻は午後十時を過ぎていた。大学は先週末からイースターホリデーに入っており、明日は復活祭前の聖金曜日。休暇ということもあり若い人たちの姿や乗降客がちらほらいるのが見えた。
駅の通路を歩いているとある男の顔がジョウの視界に入った。見覚えのある顔でクラスメイトのイアンにそっくりだった。男はジョウの目の前を無視するかのように平然と通り過ぎて行き、そしてあのプラットフォームの中に忽然と消えて行った。果たして彼はドッペルゲンガーなのだろうか。
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? 謎の失踪
ロンドンタイムズ社
二0XX年 四月八日(土) ロンドンタイムズ社
ロンドン市内の大学に通う男子学生 行方不明
四月七日(金)未明より、ロンドン市内の大学に通うイアン・マックイーン(二十才)さんの行方が分からず、地元警察に行方不明届けが出ていたことが捜査関係者への取材で分かった。
ロンドン警察署の調べでは、この男性は木曜日の晩、キングス・クロス駅周辺での目撃情報が寄せられており、現在もイアンさんの行方は分かっていません。お心当たりのある方は下記のお問い合わせ先にご連絡お願いします。 ロンドン警察署 londonpoliceXXX@XXX.uk
イアンの失踪
「ねえ久美。この新聞に掲載されている記事だけど、もしかして久美と同じ大学の学生じゃない?」
久美はいつものようにアリスのガーデンに来ていた。今日は土曜日でしかもイースター休暇中。アリスはお店の商品棚の整理をしていた。久美は大学が休講で暇だったのでいつものようにアリスの手伝いをしていた。
アリスが久美の背後から大きな声で叫んだ。久美はアリスから手渡された新聞を手に取って行方不明の大きな見出しが出ている記事をくまなく読み漁った。
そこには若いスコットランド人男性の写真が新聞の見出し一面トップを飾っていた。髪は赤毛で少しウェーブがかかり目の眼光は鋭く白い頬にはそばかすが所々あった。写真の中のイアンはジョウの同級生かもしれないと脳裏をかすめた。
「ええ! 私と同じ大学だわ! 大学が休講中だったからこんな大事になっているなんて知らなかった! 彼とは寮も違うから」
久美はジョウや祐二からの連絡を待った。きっとあのイアンだ。すると案の定、ジョウからメールが入った。
「今からアリスのガーデンに行く。話がある」と手短なメッセージだった。
様々な思惑が頭の中を交錯した。どうしてイアンは失踪したのだろうか。行方不明ってことは何か大きな事件や事故に巻き込まれたのではないだろうか。ジョウが話していたところイアンは同じ大学のスコットランド人の友人で、あのフラットでの幽霊騒動を相談し、謎に包まれた幽霊の存在についてよく話していたそうだ。まだかまだかとジョウを待ちわびた。突然、時が歩みを緩めて一分が十分ぐらいに感じた。せわしなく店の中を歩き回り、ポケットの中の携帯をことあるごとにチェックした。
暫くするとカランと鈴の音が聞こえ玄関のドアが開いた。ジョウがハアハアと息を切らせていた。祐二も一緒だった。久美は思わず「イアン・マックイーンの記事読んだ!?」と叫んだ。
「久美、知っていたのか!」ジョウは手の拳で額にうっすらと滲んだ汗を拭って答えた。
「さっきアリスから新聞記事を見せてもらったの。そしたら私たちと同じ大学の学生だと分かって。以前、ジョウがイアンという友人の話をよくしていたから、もしかして・・・・・・と思ったの!」
「そうだ。あのイアンだよ! 今朝、久美はニュースを見てないのか?」
「普段テレビ見ないから全然知らなかったの」
「俺もジョウからこの話を聞いて驚いたよ」と祐二が口を挟んだ。
「お店に来るときフラットの最寄り駅前が少し騒がしいと思ったけど、このことだったのね。さっき一息ついて休憩していたとき、この記事を読んでびっくりしたのよ」とアリスが目を丸くして言った。
ジョウは気が高ぶっているのか興奮気味にイアンのことを話した。ジョウは心臓が高鳴って脈拍が異常な早さで波打ち、押し寄せる恐怖と戦っていた。そしてイアンの写真を指さしてこう叫んだ。
「俺もキングス・クロス駅でイアンの姿を見たんだ! あの夜、あのプラットフォームの中に消えてしまったんだ!」
目撃談
「絶対にあのプラットフォームには不思議な魔の力が宿っている。俺は幽体離脱して時空を超えた異次元の世界へ訪れた。木曜日の晩、祐二と一緒にキングス・クロス駅近くのパブで夕飯を食べた後フラットに戻ろうと思っていた矢先、駅構内でイアンの姿を見かけた。生気を失ったような青白い顔をして無表情だった。俺があいつに声をかけようかどうか迷っていると、すーっとプラットフォームの中に導かれるようにして忽然と消えてしまった。目の錯覚かと思った。俺はこの異常な光景を祐二に話そうかどうか考え抜いた挙げ句、自分の胸の中にとどめておくことにした」
ジョウが顔をあげて久美と祐二の顔を見た。一瞬静寂が訪れた。久美はなんと返事をしていいか困惑した。非現実的な話に久美は圧倒され死んだような目をしていた。久美は寒気を覚えた。アリスの店内は窓ガラスから暖かな春の日差しが差し込んでいたにも関わらず、冷たい氷が彼女の背筋を滑り抜けていくように悪寒が走った。
「わ、私もそう思うわ。ジョウの言うとおりあのプラットフォームには不思議な魔の力が働いている!」
「どうして?」
ジョウは私の気持ちをすべてお見通しではないかと思って一瞬たじろいだ。
「ちょっと、気がかりなことがあって」
「もしよかったら力になるから話してね」
アリスが優しく声をかけてくれた。
「ありがとう。でも……」
久美は視線を落として口ごもった。
「俺たちは仲間だろ」
ためらっている久美を見て祐二が言った。
「分かった。でも、気を悪くしたらごめんなさい。実は私、イアンと同じようにジョウがあのプラットフォームの中へ消えて行くところを目撃したことがあるの」
久美の告白を聞いてジョウの顔から血の気が引いて青ざめ、ジョウの優しい瞳が一瞬にして灰色に変わった。不安の波がジョウを襲った。
「ほ、本当か?」
祐二が血相を変えた。
「ジョウ、ごめんね。きっと夢か幻だと思うよ。それに私の目の錯覚かも知れないし」
久美は場違いなことを言ってしまったと悟った。室内は水を打ったような静けさに包まれていた。久美がそっとジョウに視線を向けるとジョウの顔は険しく鋭い目をしていた。
「一体どういうことなんだ。ジョウがあのプラットフォームに?」
「ジョウがフラットに引っ越してきたばかりの頃。でも、たった一度だけよ」
祐二はジョウの方を振り向いた。
「大丈夫だから。もう何ヶ月も前のことだろ」
祐二は後ろめたそうな顔つきをし、ジョウの耳元でこそこそ話をしていた。
「どうかしたの?」
アリスは重苦しい異様な空気を払いのけるかのように言った。しかし、ジョウと祐二は何か知られてはならない秘密を共有し仲間に隠していた。
イアンの携帯履歴
しばらくすると、また玄関の鈴の音がカランと鳴り響き警察官が店内に入ってきた。物々しい状況に久美は固唾を呑んで見守った。警察官は警察手帳を提示すると「ちょっとお伺いしたいことがあるのですが」と言った。アリスは個室に警官を通してテーブル席に促した。警官は若々しくたくましい体つきをしていた。ポリスという文字が背中に入ったグレーの制服を着用し、腰には拳銃を納める鞘が見えた。ジョウたちと目が合うと顔をにこやかに緩ませたがすぐに凜々しい真面目な表情に戻った。
「私はロンドン警察署捜査課に所属するニック。すでにご存じかも知れませんがイアン・マックイーンという青年が木曜日の晩から行方不明になっておりまして、彼の身辺を調査したところ同大学のクラスメイトである長瀬ジョウさんと知り合いだということが分かりました。大学の寮に連絡したところ、キングス・クロス駅周辺のフラットに引っ越したと分かり、そちらのオーナーのほうにも連絡させて頂いたところこちらのお店にいるのではないかと伺いました」
警官は手短に自己紹介と捜索中のイアンの身辺を調べていることをジョウたちに話した。
「はい。イアンとは大学のクラスメイトです。俺がフラットに移ってからも大学の授業ではよく見かけるしたまに会って一緒に食事に行ったりしていました」とジョウが答えた。
「イアンと最後に会ったのは?」
「先週の金曜日の授業が最後です。その後、大学はイースターで休講中のため彼とはそれ以来会っていません」
「イアンの携帯の履歴を調べたところ、あなたのほかにも複数の友人とのやり取りがあったのですが、大半はスコットランドにいる友人でした。彼らとは面識がありますか?」
「いえ。イアンの故郷であるスコットランド人の友人たちとは会ったことはありませんが、大変仲が良いらしく、長期休暇になると故郷に戻って彼らと会っていると話していました」
「そうでしたか。それから、アーサー・ジョーンズという男性はご存知でしょうか。この道とは反対の道をまっすぐ行った先にある英国心霊主義教会の事務所の方です。イアンは彼とも面識があるようですが」
「あ、アーサー・ジョーンズですか?」ジョウは一瞬たじろいだ。焦ってうまく舌が回らず、警官はジョウの挙動不審ぶりを見抜いていた。
「もしかして、アーサー氏のことをご存知では?」
警官の鋭い切り込みに、ジョウは嘘を隠し通すことが出来ないと悟った。ジョウの隣に座っていた祐二は顔が青ざめて視線をテーブルに落としていた。
「ええ。でも、彼の事務所で教会の話を少しした程度で深い付き合いではありません」
ジョウは顔を赤くし、心臓の鼓動が高鳴っていた。
「イアンは先週の金曜日の午後五時頃、アーサー氏の事務所で彼と会った形跡があります。その日あなたはイアンと大学の授業の後一緒でありませんでしたか?」
「いいえ。俺はまっすぐフラットに戻りました。それよりもイアンがアーサーと知り合いだったことに驚きました。何も話してくれなかったので」
「イアンの携帯履歴に『文字に秘められた力』という意味深な言葉が残っていて。何か心当たりは?」
「いいえ」
ジョウははっきりした口調だったが、警官にアーサーのことや彼の事務所、教会について口を閉ざした。
「イアンは四月八日午前十一時の列車で湖水地方行きの切符を予約しています。我々は明日九日早朝にロンドンを出発して湖水地方へ赴き彼を捜索に行きます。それから最後になりますが、キング・スロス駅でイアンの姿を目撃した証言がありますが不思議な話でして。そういった類の噂を聞いたことはありますか?」
「もしかして、プラットフォームのことでしょうか?」
間髪を容れず祐二は答えた。
アーサーとの関係
警官が帰った後、久美はジョウと祐二にアーサー・ジョーンズや教会のことを尋ねた。久美はジョウや祐二のことを仲間だと思っていたのに、大切なことは自分に何も話してくれなかったと言って激怒していた。
「アーサー・ジョーンズって誰? それから英国心霊主義教会って?」
久美のきつい尋問口調にジョウは驚いた顔をした。そして祐二も青い顔をして苦し紛れに口を開いたが、焦りからどもり、どう説明していいか分からない様子だった。アリスは久美の気を静めるように「まあまあ、ゆっくり話を聞きましょう」と言ってキッチンに行き、四人分の紅茶を入れてテーブルに運び静かに席に着いた。
「アーサーはコヴェントガーデンの大道芸人で、俺の石がポケットに入っていると言い当てた人だよ。覚えているよね。あれから俺と祐二はアーサーと知り合いになって、彼の事務所を尋ねるようになった。そこで彼が実は霊能者だと分かり彼の所属する英国心霊主義教会のことも知った」と言ってジョウが話を切り出した。
「じゃあ、どうして私たちに隠していたの?」
久美は憮然としていた。
「アーサーに口止めされたんだよ。それに英国心霊主義教会って、エドワードやジェレミーが所属する英国心霊科学教会と袂を分かち分派した教会だと分かって言い出せなかったんだ」
ジョウは言い訳がましく呟いた。
「そう言えば、先日ジェレミーがうちのお店に遊びに来たとき『英国心霊主義教会は魔術に転向してしまった』と話していたわね。話しぶりからすると彼らはお互いに知らないのかも。私もあの大道芸人がアーサー・ジョーンズという男で、英国心霊主義教会の一員だとは知らなかった。心霊主義教会という団体が存在するのは噂で知っていたけど、どんな人たちがどんな活動をしているかは全く知らなかったの」
アリスがジェレミーの言葉を思い巡らしながら返した。
「アーサーはスピリチュアリズムの啓蒙活動をしている。幻の魔法書を手に入れて予言を解明し、人類のために霊界からの福音を広めることが使命だと言っていた」
「幻の魔法書って? 預言の解明? もしかしてアーサーに騙されているんじゃないの?」
久美は開いた口が塞がらなかった。
「冗談みたいな話だけど本当なんだよ。エメラルド・タブレットと言われるもので、神の啓示や天地創造の秘密が記されている預言書なんだ。この話だけど、エドワードとジェレミーに話したほうがいいのかな?」
ジョウはためらっている様子だった。
「とりあえず、今はジョウの友人イアンを捜索するのが先よ。私たちも急だけど湖水地方へ行きましょう。明日は予定何か入っている?」とアリスが言った。
森と湖の国
ジョウたちは急いで荷物をまとめ、翌朝ロンドンのユーストン駅から列車に飛び乗って湖水地方へ向かった。復活祭の日曜日の朝だった。湖水地方にはウィンダミアをはじめグラスミアなど大小さまざまな湖が点在していた。イースター休暇のため多くの観光客で賑わっていたが、観光客に紛れてロンドンや地元警察官がイアンの捜索に加わって聞き込み調査をしていた。
「警察は観光客で賑わっているウィンダミアやグラスミアを中心に捜索しているかも知れないわね。私たちは別の場所に行ってイアンを探しましょう」とアリスが提案した。何か事情があって湖水地方に来たにしても、さすがに人目につく場所にはいないだろうという判断だった。そこでジョウたちはウィンダミアでレンタカーを借りて湖水地方を移動し、北部の湖に向かった。湖の岸辺を歩いていると白鳥が白い羽をはためかせながら悠々と湖の中を遊泳しているのが見えた。観光客がパンを投げ入れると白鳥が一斉に岸辺に集まってきて小さな子どもたちが歓喜の声を上げて騒いでいる。ジョウたちは白鳥やはしゃいでいる子どもたちを横目にしながら森の中へ入っていった。
時刻はすでに十二時を過ぎていた。ジョウ、祐二、久美、アリスは森の奥へ足を踏み入れてイアンの行方を捜索していた。二人組の警察官の姿が見えたが、ジョウたちは彼らとは逆の方向へ歩を進めた。森の中を歩いて行くと、木立が左右に行儀よく整列し枝葉が頭上高く覆い茂っていた。そのため太陽の光が所々遮られて届かず薄暗かった。森の中に一歩足を踏み入れると、幻想的なおとぎ話の本に出てくる世界観が広がっていた。風が吹くと木の葉と木の葉がかさかさと擦れ合う音が聞こえ、冷たくて乾いた空気が流れてきた。
「この森の中に足を踏み入れてから言葉ではうまく説明できないんだけど、普段とは違う空気が辺りに流れているような気がしてならない」ジョウは幻想的な森の中を散策しながら神々しい畏怖の念を感じ取っていた。ジョウたちが森林浴をしながら気持ちよく森の中を歩いていると、突然、頭上から硬いものが少し降ってきた。小さな石ころみたいな大きさで、白乳色、肌にあたると氷結みたいに固くて痛かった。濡れた小道に足を取られないようにジョウは中腰になり態勢を整えた。こんな季節外れの晴天の空から、木々の枝葉をすり抜けて雹でも降ってきたのかなと思った。すると久美が大きな声で「妖精の鏃!」と叫んだ。ジョウ、祐二、アリスは一斉に久美の方を振り返った。久美によると西ヨーロッパの伝承で妖精が放った矢だという。これに当たると病気になったり身体に異常が起こったりすると言われている。ジョウはこういった類の迷信に半信半疑ながらも久美の話を聞いて身震いした。ジョウはこの不思議な飛来石のようなものが直撃しないように思わず両腕で頭を抱えた。そして彼らの周りには、一瞬にして重苦しい奇妙な空気が張り巡らされた。ジョウは沈鬱な顔をして心は打ち沈み、執拗な妄想に捕らわれてしまったのではないだろうかと感じ始めていた。頭がくらくらして足下がおぼつかず、立っているのが精一杯だった。そしてこれが一体何であるか理解できないまま、暫く空を見上げ、頭上に注意しながらその場に立ち竦んでいた。
次第にジョウの心臓は激しく鼓動を打ち、不安感が一気に押し寄せた。また悪戯好きの妖精に翻弄されているのではないだろうかと感じた。その瞬間、背筋に寒気が走り、顔は青ざめて疲労の色が浮かんでいた。ジョウの異様な表情に気づいた久美が、急いで彼の所に駆け寄り「お清めが必要ね」と言って、上着の胸ポケットから天然塩を取り出した。ビニール袋の中に手を入れて塩をつかむと、ジョウの頭や肩にぱっぱっと塩を振りかけた。それから祐二、アリス、久美自身の頭や体にも塩を振りかけていた。アリスは日本の儀式に多少躊躇いながらも感心している様子だった。ジョウが久美に「用意がいいんだね」と不安混じりの困惑した顔で言うと、「巫女の姪ですからね」と言って安心させるかのように微笑したが、すぐに真面目な顔に戻った。
彼らは気を取り直して慎重に歩き出した。今までにも増して気を引き締めながら、所々ぬかるんでいる道を一歩一歩、ゆっくりと歩いて行った。緊張感に包まれながらも森の中に咲いている花や鮮やかな緑が、彼らの心を落ち着かせてくれた。ジョウが腕時計に目をやると、トレッキングを始めてから四十五分以上経過していた。もうそろそろ目的地に到着するはずだが一向に石碑は見えてこなかった。地図を確認しながら歩いてきたから絶対に迷うはずがない。何度も同じ道をぐるぐる回っているみたいだった。
「そうだ。魔法円で精霊とコンタクトしてみよう。どうやら俺たち道に迷ったみたいだから」と祐二が言った。祐二がそういったのは表向きの口実であり、本当は興味半分、精霊とコンタクトしてみたい衝動に駆られていた。
「魔法円って魔術を行う儀式のことよね。そんなことして大丈夫かな?」
久美とアリスは一抹の不安がよぎった。
「大丈夫。俺たちアーサー直伝で魔法円の儀式や方法を教わったから。それに久美がよく知る五芒星が元になっている。二重円の外側に五芒星を描いて呪文を唱えるんだ。二重円の外側の四方は万物を構成する「地・風・火・水」四つのエレメント。これは以前エドワードも話していたじゃないか。四つのエレメントにはそれぞれ司る精霊がある。円は結界の役割があるから心配ない」
そう言うと祐二は地面に落ちていた木の棒を取り上げて土の上に大きな二重の円を描いた。その円は彼ら四人が入れるくらいの大きさだった。土は乾いていたので木の棒で地面を擦ると埃が舞った。祐二は咳払いした。そして、円の外側に一筆書きの五芒星を一つ一つ丁寧に描いた。コンパスで描いたような綺麗な円ではなかったが思ったよりも上手く描けたみたいで祐二は上機嫌だった。そして祐二は意気揚々と呪文か何かを唱え始めた。すると、ジョウたちの到着を待ちわびていたかのように、たくさんのカラスが頭上高く不気味な声を上げながら悠々と飛び回っていた。ジョウはこの薄暗い森の中で見かけたカラスの大群を薄気味悪く感じ、ニューグレンジの妖精の丘で遭遇したカラスではないかと感じた。カラスの大きな羽は不気味な黒光りをしていて、嘴は今にでも啄みそうなほど尖り、鋭い鉤爪とつんざくような大きな鳴き声を上げて彼らを威嚇している様子だった。
ジョウは突然の出来事に驚いて声が出なかった。戦慄が全身を走り、体がガタガタと揺れ、唇は真っ青で小刻みに震え、恐怖に慄いた。そして、夢幻のような現実を目の当たりにして、あの日と同じようにめまいに襲われ、頭の中が真っ白になり、思考が停止しそうになった。ジョウは成す術もなく、全身の力が抜けてしまったかのようにしゃがみ込み、その場で暫く顔を伏せていたが、時々、空を見上げてカラスの動きを観察した。耐えがたい古の狂想曲が、頭の中のレコード盤をぐるぐると回転しているみたいだった。
すると、一羽の大将らしきカラスが、ジョウのすぐ目の前にある葉が生い茂った大きな大木の枝に止まった。そして睨みつけるような鋭い眼光をまっすぐジョウに向けた。ジョウの隣に立っていた久美は上着のポケットに手を突っ込み、顔を引き攣らせながら一歩前に出た。
「雹だか石だかよく分からないけど、あれ、あんたたちの仕業だったんでしょう! ジョウはお前たちの悪戯のせいで困っているのよ。もうこれ以上私たちに関わらないで!」と黒光りした不気味なカラスに向かって怒りを込めて叫んだ。
ジョウは朦朧としながらも指と指の隙間からカラスと久美のやり取りをこっそりと見つめていた。祐二とアリスはじりじりと少しずつカラスに気づかれないように後ずさりして、地面に転がっていた小石を拾って握りしめていた。
カラスの大群は一斉に大きな声を上げて何度も威嚇するかのように鳴いた。枝に止まってふてぶてしい態度で彼らを睨みつけていたカラスのボスが、次の瞬間、久美に向かって飛びかかった。
久美はポケットから残りの塩を取り出し、そのカラスめがけて振り撒いた。祐二やアリスも握りしめていた小石を投げつけた。するとカラスは真っ黒な羽をバタバタと何度もはためかせ、攻撃を避けるように体を背け、後退した。地面にはカラスの羽が無造作に抜け落ちていた。
それから、久美と祐二は地面に落ちている木の枝を拾い上げて枝を振りまわしカラスを追っ払った。すると、頭上を飛び回っていた他のカラスたちが群れをなして徒党を組み、久美、アリス、祐二の頭や体を鋭い嘴で突いたり、鋭い爪で引っ掻きまわした。
久美は握りしめていた木の枝の先端をカラスに向けた。そして、一瞬の隙をついて大声で何か呪文のようなものを唱えていた。その迫力にジョウもカラスも圧倒された。カラスたちは久美に負けじとキーキー鳴いて、乱雑に羽をばたつかせ騒ぎたてていたが、まるで、久美の圧倒的な善の魔力に押し戻され、それ以上彼女に近づけない様子だった。
その瞬間、カラスの大群が標的を久美たちからジョウに変え、一斉に向きを変えて飛びかかった。久美、アリス、祐二はジョウの体に襲いかかってきたカラスを追い払っていた。ジョウはカラスの鋭い爪で手足を引っ掻かれた。心臓の鼓動に合わせてズキズキと痛みが走る傷口に耐えながら頭を抱えて地面に平伏した。ジョウの頭上では久美、アリス、祐二の迫力ある怒声が鳴り響いていた。
「これ以上危険だわ。魔法円はやめにしてここから抜け出しましょう」
アリスは息を切らせながら言った。アリスは現在地を調べようとポケットから携帯を取り出した。電源を入れると画面には『圏外』と表示された。
「おかしいわ。圏外だなんて。森に来たときにはきちんと電波が届いていたはずよ」
「アリス。ごめん。俺、魔法円のやり方を間違えたのかな」
祐二は事態を飲み込むと、急に不安になって精霊とコンタクトすることは危険で馬鹿げていたと感じ始めていた。
「気にするな。アーサーは危険人物だ。イアンとも連絡を取っていた。そのイアンは今では行方不明だ! 俺たちに間違ったことを教えたんだよ。煮え湯を飲まされたのかも知れない!」
ジョウはアーサーのことを考えるとだんだん怒りがこみ上げてきた。そして、悪夢を振り払うかのように頭を何度か左右に振り立ち上がろうとした。すると、祐二がジョウの腕を引っ張り上げた。ジョウは少しよろめきながら立ち上がると、ズボンに着いた泥土やカラスの羽を叩いて振り落とした。
石碑とシンボル
ジョウは立ち上がると「石碑を探そう」と言って歩き出した。ジョウはアーサーに対して懐疑的になり疑念がつきまとっていた。眉間に皺を寄せて教会の派閥や魔術、予言書のことを考えた。今になって思えばどれも胡散臭い話のように思えたし、ドッペルゲンガーも自分を恐怖に陥れる策略で嘘のように思えた。荒々しく上着のポケットをまさぐった。ポケットの中にはアーサーから譲り受けた魔法円の護符が入っていた。その紙を取り出して目を皿の様にして見つめると悔しさがこみ上げてきた。護符をポケットにしまい込み、反対側のポケットから携帯を取り出して電源を入れてみたが、アリスが言ったように突然、彼の携帯にも電波が届かなくなり文明の利器に頼れなくなった。ジョウは仕方なくしまい込んだ地図をもう一度リュックサックから取り出して石碑を目指した。
「この石碑には神秘的な文言や記号みたいなものが刻まれていると言われている。小さい頃、祖父からよくこの碑文のことを聞かされて育ったの」とアリスが呟いた。
「もしかしたらイアンはこの石碑のことを何かで知った、もしくはアーサーから聞かされていたのかも知れない」
ジョウは語気を荒げ、地図を眺めながら答えた。
「北はこっちの方角でいいのかな?」と久美が言った。
祐二は名誉挽回に北の方角がどちらか調べようと思った。ポケットからコンパスを取り出して地面に置いた。するとコンパスの針がくるくると何度も弧を描いた。
「だめだ。コンパスが使えない!」
彼らの顔には絶望の色が浮かんでいた。
「行き当たりばったり、勘で行くしかないわね。イアンの携帯履歴に『文字に秘められた力』とあったから、きっとあの石碑を目指して彼もこの森の中をさまよい歩いているかも知れない」とアリスがジョウをなだめるように言った。
ジョウたちは気を取り直して石碑を目指して歩き出すと、森の中に立ちこめていた暗く、もの憂いで、不吉な空気は払拭され、太陽の暖かく優しい光が彼らを照らし、清々しい緑の香りに包まれた。そして暫く歩くと、彼らの目の前に石碑が飛び込んできた。
「湖水地方周辺で育った私は、幼い頃から童話やおとぎ話を聞かされて育った。この周辺は緑が多く自然に囲まれているから、子どもたちは神秘的なものを目にすることがある。だから、地元の人たちは超自然的なものを受け入れてその知識を利用し、生活に取り入れている。自然界に存在する天、星、空気、火、大地、水、鉱物、植物などは人と相互に影響を及ぼし、そのような自然現象が人間の運命に影響すると考える人たちがいる。その世界観は古代ヨーロッパの魔術であったり、占星術やタロット占いであったり、薬草などであったりする。私がバーバリストでタロットなどの占いを行っているのも幼い頃に培われたものが根底にあるのよ。その石碑もおとぎ話のように聞かされた。実際に足を運んで目にするのは今日が初めてだけど」
アリスは石碑を目の前にすると立て板に水のごとく興奮気味に話した。
「石碑に刻まれている謎に包まれた文言や記号って?」
ジョウは繁々と石碑に刻まれたシンボルを見つめた。
「黙示録みたいなものと言われている。実際にそうなのか定かではないけどね」
その石碑は花崗岩でできていて二メートルぐらいの高さがあり、所々苔むしていた。石碑の表面は埃がかぶり、石碑に刻まれた神秘的な記号は判読しづらかった。ジョウは苔むした石碑の表面を掌で擦りはじめると埃が舞い上がった。ジョウが咳き込んでいると久美がハンカチを彼にそっと手渡した。ジョウは手渡されたハンカチを口に当てて埃を吸い込まないように丁寧に埃を払った。すると、だんだんシンボルのようなものが現れてきた。
ジョウが埃にむせて咳き込みながら石碑を擦ると神秘的なシンボルが浮かび上がってきた。四つのシンボルは何かを暗示していると思われた。そのシンボルの下には『q』という文字が七つと象形文字のようなアルファベットが石碑に刻まれていた。久美はこの不思議なシンボルと文字を写真に収めようと思いリュックサックからカメラを取り出して撮影した。ジョウはこれらシンボルや文字が何を表しているのか考え巡らせた。昔からこの地方に伝わる民間伝承なのか、それとも本当に黙示録的なものなのだろうか。ジョウはもう一度上着のポケットに手を突っ込み、荒々しく魔法円の護符を取り出して見つめた。英国心霊主義教会の古の魔術や護符も信仰によって受け伝えられたものなのだろうか。もし仮にそうだとしたら、本物なのだろうか。あらゆることを頭の中で考え合わせれば合わせるほど混乱した。
するとその瞬間、森の奥から大きな声がこだました。
「大丈夫ですか? どこにいますか?」
「こっちです!」
ジョウは大きな声で答えると急いで護符をポケットの中にしまい込んだ。人の足音がだんだんと近づいてきた。森の茂みの中から見えてきたのは、森の中に入る前に見た二人組の警察官だった。復活祭の日曜日夕刻、ジョウたち四人は警察官によって無事に保護された。
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? 黙示録
シンボルとオカルティズム
「ジェレミーが警察に連絡を取ってくれたのね。復活祭の日、私たち森の中で迷って大変だったの」
私は安堵の表情を浮かべながら答えた。イアンの捜索から二週間後「アリスのガーデン」で皆が集まった。今日はジェレミーも来ていた。
「ああ。みんなフラットにいないし、メールしても誰からも返事がないから心配になったんだ。で、久美たち一体何があったんだ?」
ジェレミーはいつものように落ち着いた口調で表面上は穏やかだったが、瞳の奥では何かを勘繰っているように鋭い眼光だった。
すると、ジョウが事の成り行きを説明するために口を開いた。
「二週間ほど前にニュースになっていたイアン・マックイーンという青年の失踪事件。実は、俺のクラスメイトで警察官が事情聴取のためこの店に来たんだ。そのときにイアンとアーサーの繋がりが分かり、湖水地方へ行く電車のチケットを手配していたことを知った。そこでアリスの提案で急遽湖水地方へイアンを探しに行った」
「アーサーって?」
ジェレミーは静かに呟いた。すると久美は憮然とした表情でジョウと祐二の顔を一瞬睨みつけた。
「ジョウと祐二ったら私たちにアーサーのこと黙っていたのよ! 例の大道芸人よ! 覚えてる? この店とは反対の道をまっすぐ行った先に事務所を構えているみたい」
「ああ。いつだか不思議なトリックを行っていた人物だね。気にはなっていたんだが。その人物と知り合いだったの?」
ジェレミーはティーカップを口に運ぼうとした手を止め、ジョウの意外な告白に驚いた。
「黙っているつもりはなかったんだけど、つい言いそびれてしまった。そのことでちょっと訊きたいことがあってね。エドワードやジェレミーが所属している英国心霊科学教会なんだけど、英国心霊主義教会とはどういった繋がりがあってどんな活動をしているか知りたい。大道芸人のアーサーは霊能者で英国心霊主義教会の人だったんだよ」
「ほ、本当か? で、イアンはどうなったの?」
ジェレミーの顔は一瞬強ばり、ティーカップを倒しそうになった。
「警察の話によると、イアンは湖水地方に来ていなかったらしい。自分のことがニュースや新聞で取り上げられているのを知って驚き、彼本人が直接警察に連絡して事の沈静化を図った。イースター休暇後、まだ一度も大学に姿を表していない。メールしても返信が来ないんだ。それ以上詳しいことは分からない」
「英国心霊主義教会!」
ジェレミーは大きな声で叫んだ。
「なんだかエドワードとジェレミーの存在を知っていてわざと避けているみたいにも感じた。アーサーから英国心霊主義教会は思想の違いから英国心霊科学教会と袂を分かち独自の道を進んだと聞いている。そしてスピリチュアリズムを普及する活動をしていると話していた」
「ああ。それは共通の理念だよ。しかし、彼らは魔術や呪術を教義に取り入れてキリストの教えに背いた。秘教的でカルト的な教会となってしまったんだ。会員組織は地下活動を行っているのだろう」
ジョウは上着のポケットに手を突っ込み、アーサーから譲り受けた魔法円の護符を取り出した。丈夫な紙質だが、少々よれて汚れていた。
「これは、アーサーからもらった英国心霊主義教会古の呪符で五芒星が描かれている。アーサーは本物の霊能者だろうけど黒魔術じゃないかって心配になったんだ」
ジョウはみんなに護符を見せた。
「この五芒星はうちの神社でも使用しているものよ。宇宙や万物はあらゆるところで繋がっているのかしら。創造の神秘が込められているような気がするわ」
「アーサーはヘルメス思想に傾倒し、天地創造、さまざまな思想宗教に共通する神の真理・叡智、終末思想などが記されていると言われているエメラルド・タブレットという魔法書を手にいれようとしている」と祐二が言った。
「われわれはキリスト教の教えに忠実で精神の中心を占めているんだ。カトリックなど正統な教会からすれば英国心霊科学教会も霊魂や死後の世界を認めているから異端で教義から外れたオカルトなのかも知れないけれど」
ジェレミーはアーサーを否定するかのようなきつい口調で言い放った。また、スピリチュアリズムや死後の個性の存続、その個性との交流を受け入れない正統派に苛立ちを覚えていた。
「ジェレミー、タロット占いも俗っぽいオカルト扱いなのよ。タロットの絵札には、この物質界と目に見えない霊的世界が存在し隠された法則が秘められていると。キリスト教は占いや呪術を禁止しているからね」
ジョウや祐二はアーサーのことを不可解に思いはじめ怒り心頭だったが、秘教的な魔術に興味を抱いていた。ジョウ、祐二、アリス、ジェレミーが教会や魔術のことに話しが及ぶと、私はあの日湖水地方で撮影した写真のことを思い出した。写真は全部で四枚。鞄の中から写真を取り出し、おもむろに口を開いて「見て」と言った。テーブルの上に一枚一枚丁寧に写真を置いた。
「これは湖水地方の森の中で迷ったときに撮影したものなの。アリスが言うには黙示録のような不思議なシンボルが刻まれている石碑で、古くからその地方に伝わる伝説のようなもの。ここに刻まれている四つのシンボル。そのシンボルの下には『q』という文字が七つ。そして象形文字のようなアルファベット。これらは一体何を暗示しているのかしら? それともただの民間伝承かしら?」
「古代人の石信仰。それに謎のシンボル。文字はアルファベットじゃない。図書館に行って参考文献を漁らないと分からない」
ジョウは写真を食い入るように見た。
「それじゃあこのq は?」
私はジョウに質問を投げかけた。
「アルファベットのq かな?」
「それは違うな。だってこの象形文字みたいなやつはアルファベットじゃないから」と言ってジェレミーが口を挟んだ。
タロットの神秘
アリスがタロットカードをテーブルの上に置いた。二十二枚の大アルカナのカードを手際よく手品師のようにシャッフルした。タロットの偶像的な絵柄を解読するのは難解だが、そこに宇宙の法則と神秘が息づいているように感られる。石碑のシンボルとタロットのシンボル。そこに共通するのは古くから脈々と受け継がれている生命の源泉。聖書のほかに森羅万象の系譜を紐解く謎の鍵は、もしかしたらこのカードに秘められているのかもしれないと私は感じた。
「これはケルト十字法。カードの配置がケルト十字みたいでしょう」
アリスが口早に説明した。カードを一枚一枚並べていく。秘教の謎を解くカードが顔を見せる。時間の流れを追いながら分析していく方法だ。私はこのカードが何を意味し、何を予言しているのかまったく分からないが、寓意画が私に手招きしてその教えを施して何かを伝えようとしている。宇宙の理。タロットや魔術はカルトなのだろうか。しかし、科学も魔術も目指している真理は一つ。タロットの持つ神秘のベールがその秘密を明かすときがきた。
「現在の状況は月。過去の状況は運命の輪」
アリスは独り言のように呟きながら意味をかみしめている。静まりかえった部屋の中。テーブルの上には矢継ぎ早にカードが並べられ、次々と展開される状況を見つめていた。単なる占いと分かっていても掌にうっすらと汗が滲んだ。
「過去の状況は、変化に富んだ危ないものだった。物事の流れが正に転ぶか負に転ぶか分からず運命を感じさせる出来事やアクシデントがあったりしてね。物事は常に流れている。その流れは誰にも止められない。未来永劫。そして現在は月。この絵自体も謎をはらんでいるような感じがするわ。天界の月は不可解な夢想。曖昧な状況で非合理的」
「そして、未来は?」
私は固唾を呑んだ。
「ちょっと待ってね」
アリスは軽く咳払いをして背筋を伸ばした。そして未来を表すカードをめくって慎重にテーブルの上に置いた。
「未来は審判」
アリスの声が部屋に響いた。
「そ、それはどういう意味?」
ジョウの声が少し上ずって不安に押しつぶされそうになっていた。アリスは有能なテレビの司会者になり、観客の期待と不安が入り交じる緊張感を一身に受け止めていた。
「私たち、どうやら天使と縁があるのかしら。天使がラッパを吹いている。過去に葬り去られたものが蘇る。あるひとつのものが終わり、新しく再生する意味がある」
「しかし、この天使のラッパ吹きだけど、聖書では『最後の審判』とも言われている。あの有名なヨハネの黙示録。この世の終末思想。この世にはいつか終わりが来て、キリストが再臨し、人々は神の審判を受けて天国へ行くか地獄へ行くか決定され一千年王国が続くという思想だ」
ジェレミーが淡々とした口調で言った。
「もし仮に、このタロットの寓意画の暗示するものが、この預言通りだとしたら。俺が夢に見た大天使ミカエル。そしてヨハネの黙示録の朗読とダンテの神曲との繋がりは?」
ジョウはしばらく狐につままれたような顔をしていた。
私はタロットの絵札と石碑に刻まれた謎のシンボルが潜在意識ないし無意識に訴えかけ、魂の奥底に眠っている霊力を呼び覚ます力を感じた。アーサーのような霊能力者でなくとも、私たち一人一人が有する霊の息吹。その源泉が力強く湧き出るのを感じた。それは叔母が神職で元村家代々続く京都の陰陽師の血筋だからだろうか。神秘と科学、宇宙と人間などの二元論。目に見えない世界と物質界。スピリチュアリズムと宗教。人々の意識の変革が、二極化した世界の分離意識を真理に照らし合わせて調和し、ワンネスへの目覚めに繋がる。私は、神々の叡智が記されているシンボルの解読に躍起になった。
アーサーとイアンの関係
私は月曜日の午後、ジョウと祐二と大学の正門前で会う約束をした。大学付属の図書館であのシンボルを解明するためだ。しばらくするとジョウと祐二が校内から出てきたので、正門を出て角を曲がり図書館へ向かっていると、一人の中年男性が一ブロック先の道沿いに立ってこちらの様子を伺っているみたいだった。私たちがその男のそばを通りかかろうとしたとき、ジョウと祐二が足を止めた。すると男の方から「久しぶりだな」と言って軽く笑みを浮かべた。ジョウは怒りがこみ上げてきたのか声を荒げて「騙したな!」と叫んだ。私はその場の状況からこの男がアーサーだと悟った。
「ここで話をするのはまずい。事務所に来てくれ」とアーサーが穏やかに言った。私たちはアーサーの後を黙ってついて行き、近くに止めてあった車の中に乗り込み、コヴェントガーデンにある彼の事務所へ向かった。事務所の中に入ると、イアンがソファーに身を沈め、ぐったりした様子でこちらを見つめていた。
「これは一体どういうことだ!」
ジョウは怒りを込めて言い放った。
イアンはうつろな目をしてジョウとアーサーの様子を眺めていた。
「おい、イアン! お前が失踪して心配していたんだぞ。一体何があったんだ? なぜここにいるんだ? 説明しろよ!」と言ってジョウは叫んだ。するとアーサーが軽く咳払いをして静かに言った。
「イアンは星気体投射で高次の次元へ行き、秘密の首領に接触しようと試みた。しかし、それには危険が伴うことは君たちにも話したはずだ。イアンの騒動は私の忠告を守らなかった結果だ」
私はアーサーの言葉で事態を飲み込んだ。
「つまり、どういうことですか。単刀直入に話してください」
ジョウが興奮冷めやらぬ様子で言った。
「幽体離脱だよ。意識的に自分で行った。深いトランス状態に陥り、霊界の人格がイアンに乗り移り暴走したんだ」
「ということは、キングス・クロス駅のプラットフォームで見た人物は、イアンのドッペルゲンガーだったのか!」
ジョウは激高した。
「そうだ。幸い、幽体が肉体に戻ったから良かったものの、もし、そのままシルバーコードが切れて幽体が肉体から離れた場合・・・・・・死に至る」
私も祐二も無言でジョウを見つめた。なんと声をかけたら良いか分からず、慰めの言葉も見つからなかった。ジョウのドッペルゲンガーも、いつイアンのように暴走してしまうのだろうかと考えると鉛の心は打ち沈んだ。ジョウは視線を床に落とし拳を握りしめていた。体は震え、必死に恐怖心と戦っている様子だった。
「やはりキングス・クロス駅のプラットフォームは異次元への扉のようだ。多くの人がプラットフォーム付近で霊やドッペルゲンガーを目撃している。君たちもうすうす気がついているだろうが、コヴェントガーデンには神秘主義者向けのショップ、事務所、教会などが乱立している。大道芸人の中には意識的に結界を張っていたり、邪悪な霊などと対峙していたりする者もいる」
「じゃあ、あの日私のリングが移動したり、ジョウの石が忽然と消えたのもそのパフォーマンスの一種だったんですか?」
私は驚きを隠せなかった。
「そうだ。ああやって街角に立って人を楽しませている一方で、一般の人に霊的なものを感じ取ってもらうために行っている」
ジョウはまだ釈然としない様子だったが、イアンが重い口を開いた。
「ジョウ、俺が悪いんだ。アーサーの責任じゃない。俺の無知と無責任さからこういった事態に陥り、新聞で取り上げられるような失踪騒ぎになった。以前、お前と祐二が事務所から出て行くのを見かけたことがあってアーサーと接触していることが分かった。俺も好奇心からアーサーと連絡を取るようになり教会や教義のことを知った。そして、危険なことだと分かっていながら馬鹿なことをしてしまった」
「でも、俺たちは湖水地方へ行って危ない目に遭ったんだぜ! この護符は黒魔術じゃないのか!」
ジョウはポケットの中から護符を取りだし、怒りにまかせてアーサーに食い掛かった。
「魔法円のことを教えたとき、ペンタグラムを決して逆にしないことと忠告したはずだ。私は霊的世界の実相を広めるために啓蒙活動を行っているが、魔術は自己責任で行え!」
アーサーは苛立って強く言い放った。
「そう言えば、あのとき、森の中で方角が分からなかった」
私は記憶を辿りながら呟いた。
「そもそも魔法円を描いたときには方角なんて気にも留めていなかったし」
祐二はばつの悪そうな顔をしていた。
「君たちの責任でトラブルが起きたんだ。言いがかりはよしてくれ」
私と祐二はジョウをなだめ、アーサーとこれ以上口論にならないように事務所を去った。
七という数字と啓示
ある日曜日の午後、私たちいつものメンバーはエドワードの診療所で顔を合わせた。日曜日のため診療所は休診でジェレミーも久しぶりに実家に滞在していた。診察室の隣には大きなラウンジがあって、私とアリス、ジョウ、祐二の四人はその部屋に通された。部屋の中に入ると大きなテーブルが部屋の中央に置かれ、ジェレミーが椅子に腰掛けて席についていた。部屋の壁一面には天井まで届きそうなほど背の高い書棚があり、医学書など難しそうな本のタイトルがたくさん収められていた。それらの中には精神世界や宗教学などの本も混じっていた。私たちはジェレミーと目が合うと「久しぶり」と声を交わして一緒に席についた。エドワードは紅茶が注がれたマグカップをテーブルに運び、話を切り出した。
「今日はアーサーという人物についていろいろと尋ねたいことがあって君たちに来てもらった。先日、ジェレミーからイースター休暇中に起きた失踪事件のことを聞いて驚いた。ジョウの友人で、しかもアーサーという名の大道芸人と繋がりがあった。それに、アーサーは英国心霊主義教会の一員だというじゃないか!」
エドワードは興奮して顔を赤らめていた。ジョウは落ち着き払った様子で返した。
「はい。先週、俺たちが事件の失踪に関わる出来事を調査しようと思って図書館に向かって歩いていたとき、アーサーと道端でばったり遭遇して彼の事務所に連れて行かれました。そこには俺のクラスメイトのイアンがいて、変わり果てた様子だった。アーサーの話だと、イアンは好奇心から一人で危険な星気体投射を行い、肉体から幽体を分離させて高次の次元へ訪れようとしたらしいです」
「キングス・クロス駅での目撃情報はイアンの幽体だったということかね? しかも彼はプラットフォームの中に忽然と消えて行ったと噂が広がっている。すると、アーサーがイアンに星気体投射の方法を伝授したのかね?」
「父さん、きっとそうだよ。アーサーは英国心霊主義教会だから!」
ジェレミーが横から口を挟んだ。
「アーサーの事務所に行ったとき、ジョウは黒魔術じゃないかってすごい剣幕で怒っていた」私はおもむろに口を開いた。
「ああ。アーサーは俺や祐二に魔法円のことを教えてくれたようにイアンにも同じようなことをしていたんだ。自己責任でやれと反駁していたけど、俺は納得がいかない」
ジョウは憮然とした様子だった。
「魔法円や星気体投射は魔術だぞ。ジョウの魔法円も危険でなければよいが」
「実は湖水地方へ行ったとき森の中で迷って俺の不注意から魔法円で精霊とコンタクトを取ろうと試みましたが、危険な思いをしました。あのときは本当に悪かった」
祐二は私たちに向かって頭を下げた。
「もうその話はいいのよ」と言って、アリスは祐二をなだめた。
「つまり、アーサーは大道芸人である一方、英国心霊主義教会に属して魔術を行っている。そして危険な魔術を人々に伝授しているようだな。でも一体なぜ?」
「霊的真理の啓蒙活動だと」
「霊的真理は英国心霊科学教会との共通理念でもある。その根底にはキリストの愛が脈絡と流れているのだがね。しかし、英国心霊主義教会のような魔術は危険なので行ってはいけない。聖書に書かれているキリストの教えが全てだからだ。それから、ジェレミーから少し話を聞いているのだが、森の中で不思議な石碑を見つけたそうだね。しかも神秘的なシンボルが刻まれていたらしいが」
「私がその写真を持ってきました」と言ってテーブルの上に何枚か並べた。
写真の中の石碑に刻まれた暗号的な四つのシンボル。q という文字が七つ。象形文字のようなアルファベット。エドワードは写真の中の石碑を注意深く見つめた。
「このシンボルは天地創造を示す四大シンボルだ。エノク文字で記されておる。それぞれの意味は火・水・土・風だ」
「エノク文字?」皆が一斉に声を上げた。
「それじゃあ、q という文字の下に記されている象形文字のようなアルファベットもエノク文字ですか?」
私はエドワードの顔を覗き込んだ。
「なんと書いてあるか意味は分からないが、エノク文字なのは確かだ」
「エノク文字って、もしかしてあの有名なエノク書と繋がりがあるのかしら?」
アリスは驚嘆した顔をしていた。
「そう考えられる。エノク書とは旧約聖書の正典、外典に含まれないユダヤ教、キリスト教の文書で、天界や地獄、最後の審判、ノアの洪水などについての預言書である。聖書にはキリストの教えのほか預言的な赴きのある文書が収められていて、ダニエル書やヨハネの黙示録などが預言書として扱われている」
「ヨハネの黙示録は新約聖書の外典であるけど、難解なため議論が絶えないの」と言ってアリスが補足説明してくれた。
「さよう。黙示録とは神が選ばれた預言者に与えたとする記録であり、著者自らヨハネと名乗り、終末に起こるであろう出来事の幻を見たと語っている。エノク書の中に出てくるエノクは天に運ばれたとき天地創造の秘密が明かされ、彼は天使たちとエノク語で会話したと言われている。興味深いのは、この石碑にはエノク文字と天地創造のシンボルが刻まれている点だ。きっと天使も関係しているのだろう」
「ミカエルも?」とジョウが呟いた。
「天地創造、エノク、天使。それじゃあ、このq という文字は一体どんな意味があるのかな?」と私は不思議に思った。エドワードは椅子から立ち上がると書棚から預言書について書かれた専門書を取り出し、老眼鏡をかけてページをめくった。
「きっと何かの預言的な暗示だと思うな」とジェレミーが言った。
「エノク書には四大エレメンツである天地創造の秘密のほか、天文学や暦についての記載がある。二十一文字からなるアルファベットが黄道十二星座、四大エレメント、タロットと深い繋がりがあるそうだ。エノク語は天使の言葉とも古代アトランティス大陸で話されていたとも言われている。中世イギリスの魔術師ディーが大天使ウリエルとコンタクトして様々なメッセージを受け取り、エノク魔術として発展していった」
エドワードは一通り書籍に目を通して読み上げてくれた。
「古代アトランティス、天使の言葉」
ジョウは一瞬、何か閃いたような顔をした。
「父さん、このq はエノク文字じゃないかな?」
「いや、q という文字はエノク文字ではなさそうだ。エノク語やエノク書とは繋がりがないだろう。きっと英語のアルファベットあるいは何かを暗示しているに違いない」
「預言的な文字か象徴かも知れないわ」と言って、私は心躍らせた。
「エノク書の中では終末思想である最後の審判について言及があり、預言書的なヨハネの黙示録は手がかりになるかも知れない」そう言うと、エドワードはもう一度席を立ち、書棚から新約聖書を取り出してヨハネの黙示録のページを開き、確信に満ちた顔をしてこう言い放った。
「世界の終末、審判の日に備えるように七つの教会に送ったメッセージ。七つの封印。七人の天使。七つの災い。子羊だけが封印を解くことができる」
霊界通信
その夜、私は興奮してなかなか寝付けなかった。ベッドから起き上がり窓の外を見るとまだ空は真っ暗で時刻は午前三時二十分。ガウンを羽織ってキッチンに立ち、ポットの水を沸騰させてマグカップに紅茶のティーバッグと熱湯を注いだ。マグカップから立ち上る湯気が白色の物体となって輝いて見えた。暫くしても、その物体は消えることなく細長い形姿に変わり、何か謎めいているように感じられた。私は不思議に思いながらも白色の不思議な物体を頭の隅に追いやった。
アーサーの存在と神秘的なシンボルやヨハネの黙示録。これらは何か不思議な繋がりがあると思えてならなかった。ジョウの話によると、アーサーは古代アトランティス伝説の王であるヘルメス・トリスメギストスの文書を手に入れるために活動していると。それは、霊界からもたらされた神秘学的な文献で自然の原理を解き明かした「エメラルド・タブレット」と呼ばれている。さらにその文書は、エノク魔術で大天使ウリエルから授かったエノク語あるいは天使の言葉で書かれているという。そう、あの石碑に刻まれていたエノク文字だ。私は点と点が繋がったような気持ちがして、これまでの経緯を整理してまとめようと思い、机に座ってノートを開きペンを手に取った。すると、自分の意志とは関係なく勝手にすらすらとペンがなめらかにノートの上に走り出した。
ヨハネの黙示録:
・七つの教会に宛てたメッセージ
・七つの封印
・七人の天使
・七つの災い
・子羊だけが封印を解くことができる
私は一通りペンを走らせて、筆を置き、ノートに書き取った言葉の意味をかみしめた。七つの教会とは? 七つの封印とその意味は? 七人の天使はヨハネの黙示録に登場する天使のことだろうが、七つの災いや他の何かと関係があるのだろうか。天使のラッパ吹きはアリスのタロットでも登場したものだったけれど・・・・・・。何よりも一番気がかりだったのは、最後の子羊だけが封印を解くことができるという行だ。これらの言葉はエドワードが話していたことだけど、謎を解くヒントを天から授かったのだと悟った。そして、この日を境に私はノートに不思議な出来事を記録しておくことにした。ノートを閉じてふとキッチンに目を向けると、あの白い物体は上下に回転しながら空中を浮揚していた。そのとき、私は「ジョウ!」と叫んだ。急いでジョウの携帯にテキストを送った。「ミカエル、ヨハネの黙示録の朗読、ダンテの神曲。あの七つのp の意味が分かったの!」
アーサーとの再会
始発の地下鉄に乗って私はジョウとキングス・クロス駅のあのプラットフォームの前で待ち合わせることにした。私が駅に着くとジョウはすでに到着していてあの不思議な壁を見つめていた。外はだんだんと白み始めて朝焼けが美しく、早朝の駅構内は静寂が漂いほとんど人の影が見えなかった。ジョウは私に気がつくと興奮して気が急いて「ノートは?」と口走った。私は鞄からノートを取り出しジョウに手渡した。
「こ、これは!」とジョウが絶句した。
「そうなの。私もびっくりしたわ! エドワードの話をまとめておこうと思ってノートを開いてペンを取ったら勝手に手が動いてこの文章が現れたの。自分の意識はきちんとあったのよ。そして私はいろいろなことに気がついたの。そのこともノートに書いておかなくちゃ!」
「いろいろなことって?」
「あの石碑に刻まれていた意味がぼんやりとだけど、点と点が繋がったの。四大エレメントとエノク文字。そして、謎だった七つのq の意味が分かったのよ!」
「一体どういうことなの?」
ジョウは微動だにせず私の顔を真剣な顔で見つめていた。
「ジョウが夢で見た大天使ミカエルは、ダンテの神曲やヨハネの黙示録を朗読していたのよね」
私はジョウに確認するかのように尋ねた。
「うん。こんな風にね」と言ってジョウは、ミカエルの真似をしながらヨハネの黙示録の十二章七節を話し出した。
『さて、天では戦いが起った。ミカエルとその天使たちが、竜に戦いをいどんだのである。竜とその使いたちもこれに応戦したが、勝つ力がなく、もはや天には身の置き所もなかった。こうして、巨大な竜、すなわちサタンとも悪魔とも呼ばれ、全世界を惑わすあの昔の蛇は地に投げ落され、その使いたちも、もろともに投げ落された。その時、わたしは天で高らかに叫ぶ声を聞いた。』
「七つのq だけど、これは七つの頭、つまり七つの災いを意味しているの。ミカエルの言っていた天での戦いで現れた竜のことなのよ! そしてさらにq という文字を反対にするとpという文字になる。これは、天使が剣の先でダンテの額に刻んだ七つの大罪を意味する!」
「エドワードが話していたように、石碑に刻まれていた四大エレメントとエノク文字、そして七つのq はすべてヨハネの黙示録に繋がっていたんだな」
「そうよ。七つの災いとはダンテの神曲の七つの大罪である高慢、嫉妬、怒り、怠惰、貪欲、大食感、色欲を意味する」
私は興奮で顔を赤らめながらジョウに話した。すると背後からコツコツと足音が聞えてきてこちらに向かってきている様子だった。私とジョウは後ろを振り返ると大道芸人の姿をしたアーサーが不敵な笑みを浮かべながらこちらを見つめていた。
「どうしてここにいるの?」
私は青ざめた声をして叫んだ。
「久美とジョウがここにいることはすべてお見通しだ。そのノートのことも。謎が一つ解けたようだね、礼を言おう」
「それじゃあ、俺たちを試していたんだな! ミカエルは、『残念なことに・・・・・・あの悪魔ルシファーは、実は、私の双子の兄弟だったんです』って話していたことを思い出したぞ!」とジョウは叫んだ。
「変な言いがかりはやめてくれ。霊的真理を紐解く同じ同志じゃないか」そしてアーサーはこう続けた。「久美、君の首にかけている五芒星の銀のペンダントと私の金の五芒星の護符の謎は解けたかな?」
「え?」
私は一瞬たじろいだ。
「ダンテの神曲では、天使が金と銀の二つの鍵を持っていたね。金は聖職者の権限、銀は学問や知性を表す」
「あ!」と私は思わず大きな声が漏れた。
「私と久美はこの大きな謎を解く鍵を握っているのだろう」
アーサーは淡々と言い放った。
「アリスのタロット占いの未来のカードは『審判』だった。あの絵札には天使がラッパを吹いていた。俺たちの未来を暗示する天使のラッパ吹きのカードも『ヨハネの黙示録』に繋がっていたんだ」とジョウは吐き捨てるようにアーサーに言った。そして、「それじゃあ、七つの教会や七つの封印の意味って!」
「七つの教会とは、きっと私とジョウ、祐二、アリス、ジェレミー、エドワード、アーサーのことよ。霊界から私たちに宛ててメッセージを送っているのよ。でも、七つの封印の意味が分からない・・・・・・」
私はジョウとアーサーの顔を交互に見つめた。駅構内は静けさの中に異様な空気が流れ始め、私の掌はうっすらと汗をかいていた。
「七つの封印。聖書では、白い馬(勝利)、赤い馬(戦争)、黒い馬(飢饉)、青ざめた(死)、殉教者が血の復讐を求める、地震・天災、沈黙・祈りを意味するが、多くの議論を呼んでいる」
「そ、そんな・・・・・・」
ジョウは不安に押しつぶされそうな声を出した。
「未来は審判。人々は神の審判を受ける。天使がダンテの額に刻んだ七つの大罪を意味するpを消していく。つまり、我々人類が背負っている七つの大罪を生存中や死後浄化していくことを意味しているのではないだろうか。以前ジョウに話した通り、この世は霊的な神秘の力である霊的真理の七大綱領から成り立っている。霊界と地上界との間に霊的な交わりがあり、それは天使の守護を受けることだ。白い馬の勝利とも言えるのではないだろうか。赤い馬の戦争や黒い馬の飢饉は、人類はみな兄弟という概念の類魂を分かっていないから戦争や飢饉など天災が引き起こされるのだろう。青ざめた死は、人間の魂は死後も存続する霊魂。殉教者が血の復讐を求めるのは、自分の行いは自分が責任であるという波長や階層を表す。そして、地震・天災は、地上での行為は善悪の報いを受ける因果のことであり、沈黙・祈りは、いかなる人間にも永遠の向上、進行の道を示す運命のことなのだろう」
「つまり、七つの封印とは霊的真理の七大綱領のことかも知れない」
ジョウは考えあぐねながら返した。
「最後の子羊だが、聖書ではキリストの再臨ではないかとも言われているが、それは考えにくい。イエスほどの人物がまたこの地上界に再臨する必要はないだろう」
「どういうことなの?」と私はアーサーに尋ねた。
「イエスは二千年以上も昔、この世に再生された。人々に愛と許しを教示し、裁きや分離ではなく理解や統合を促した。自他を隔てる壁は消え、すべては私であるという類魂の法則、つまり、異なった命は調和して一つであるというワンネスへの目覚めだ。そして、目に見えない世界や神秘の作用によって、物が豊かになればなるほど低級霊の影響を受け、欲望だけで行動する人間が増える。すると世の中がおかしくなり人々が不幸に陥る。霊的世界からこの世に再生する意味や人生の目的とは、魂の浄化にほかならない」
アーサーは持論を展開して、私とジョウに切々と霊的真理を説いた。
「でも、思想や宗教、独自の信条はどうなるの? 霊的真理は本当に正しいことなの?」と私は切り返した。
「スピリチュアリズムはあらゆる宗教が生まれる以前より存在していた。だからキリスト教などの教義と一致する部分もあるが、宗教は誤謬も多い。その理由だが、イエスの教えは弟子たちの口伝だったから、歪曲して伝えられたと言われている」
「久美、だからアーサーはエドワードたちの所属する英国心霊科学教会と袂を分かち分派したんだ。でも、英国心霊主義教会は……。俺は今でも不可解に思っている!」
私はなんと返答していいか分からず固唾を呑んでその場を見守った。
「自分の行いは自分の責任だ。ただそれだけだ。そして私は聖書や預言書を研究し、神の言葉が記されているエメラルト・ダブレットを手に入れることを使命としている。それじゃあ、君たちとはそろそろお別れの時がやってきた。またいつか会えるといいな」と言ってアーサーはプラットフォームの中に姿を消した。
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エピローグ
20XX年 執筆記録(自動書記)
筆が走る。自分の顕在意識はあるけれど、勝手にすらすらと筆がノートの上を走る。まるで神様が天使を遣わして私たちに何かを伝えたいようだった。キングス・クロス駅にあるプラットフォームの不思議な異次元への扉やタロットカードが示す未来の審判。コヴェントガーデンの街角で私たちが見たものすべてのことは、アーサー・ジョーンズが預言を紐解こうとしているエメラルト・ダブレット、聖書『ヨハネの黙示録』、エノク書、天地創造説に象徴されている謎にすべて繋がっている。私はこの不思議な体験をノートに綴り、ついにこの物語の完成を迎えようとしている。
『コヴェントガーデンの街角で』は、英国ロンドンで土方久美、長瀬ジョウ、高山祐二、アーサー・ジョーンズ、アリス・オルコット、ジェレミー・ホワイト、エドワード・ホワイトの七人に起こった不思議な体験を基に執筆されたストーリーである。
神様は私たち人類の魂の目覚めと向上のために現世を創り、学びの世とした。霊界を通して私たちに魂の存在であることを啓示し、霊的浄化を目的としている。この世の闇は辛く悲しいが、魂の存在だから乗り越えられる。永遠に続く苦しみはないのだから。現世の闇にあえぐ人々が、この霊的真理の法則、真実に気づく日が来ますように……と、私は物語を締めくくることにした。
終わり