混色の果て
黒縁眼鏡の奥の瞳が、満足気に細められる。
証拠撮影のために渡されていたスマホは、隆太郎の掌に戻り、聖哉の最期をもう5回は再生している。
「満足か」
「想像以上だ。よくやってくれた、颯真」
広い食堂には、俺達2人切りだ。基地内は、不自然なほど静寂に包まれている。
「潤司達は?」
「……港に向かった。恐らく色々聞かれるから、帰りは明日になる」
「そうか」
「なぁ……来いよ」
薄い唇を意味深に歪めて、彼が立ち上がる。射るように俺を見詰めたまま、右手を差し出した。
これから侵入するであろう彼の感触が予感され、背筋がゾクリと粟立つ。どうかしている。
心身の解離に戸惑いながら、ソロリ伸ばした手を、彼は力強く引寄せた。勢いで立ち上がった俺を見ると、口角を微かに上げた。
堕ちていく――目眩に似た感覚に俯いたまま、彼の部屋まで手を引かれた。
-*-*-*-
気持ちは置き去りなのに、身体は隆太郎が導くままに開かれた。彼に同性愛の気配など感じたことはなかったが、こなれた手つきで俺を丁寧に弄ぶと、深く身体を繋ぎ、前後不覚になるほど意識を溶かした。俺は激しく彼を求めながら、何度も快感の声を上げ、いつしか腕の中で果てていた。
目覚めると、隆太郎の胸板に半身を重ねていた。傷痕を覆うように、彼の左手が俺の肩を抱いている。
上下する胸板から伝わる鼓動は穏やかで、彼も満たされたことを示しているようだ。
「りゅ……――」
喉が締まり、言葉が途切れた。
隆太郎の左手から、目が逸らせない。人差し指から親指にかけての、所謂水掻きと呼ばれる部分。大きく掌を開かなければ見えない、甲側の中央に、団子の如く大きめの黒子が3つ並んでいる。
身体が強張り、どうやって息をしているのかすら、分からない……。
「颯真……起きたのか?」
ビクリと動揺が走る。うっすらと汗が滲む額に、彼は唇を寄せてきた。
「汗ばんで、どうした? まだ欲しいのか」
「馬鹿、違う。トイレだ」
咄嗟に浮かんだ言い訳を口にして、抱擁を抜け出した。身体を起こすと、胸から下、あらゆる所に彼の痕が付けられていて、ギョッとした。彼は、自分の物に印を付ける癖があるらしい。
「少し、腹減らないか? ついでに何か作ってくる」
「――お前、意外と甲斐甲斐しいんだな」
「相手によるさ」
俺は、横たわったままの隆太郎に唇を重ねてから、服を身に付け、部屋を出た。
扉を閉じた途端、ガクガクと膝が震えた。声を上げないよう唇を噛み、左肩をきつくきつく握りしめた。
-*-*-*-
「遅いと思ったら、ピザ?」
15分後、レンジで温めたマルゲリータと缶ビールを手に部屋に戻った。
「腹に溜まるもの探してて」
デスクに向かっていた隆太郎にタバスコと缶ビールを渡し、空豆色のカウチに腰を下ろした。
「成功に」
俺は缶を掲げてみせた。カツン、と小さな音を鳴らして、互いに喉を潤した。
辛党の隆太郎は、ピザの半円を真っ赤に染めると、早速一切れ口にする。
「隆太郎」
唇を赤く汚した彼は、もう一切れ摘んで旨そうに頬張りながら、チラリと俺を見た。
「お前と聖哉は――兄弟なのか?」
低い位置から睨上げる。彼の動きが止まった。
「颯真……いつから」
「やっぱり、そうか」
しまった――そう言わんばかりに綺麗な二重を細め、薄い唇を歪めた。髪型と眼鏡で印象を変えても、ふとした表情の中に滲む聖哉の面差は隠せない。
「奴は本妻の三男、俺は妾の子だ。この基地は、奴を体よく閉じ込めるための遊び場だ。俺は奴のお守り役。いい加減、うんざりだった」
悪びれず吐き出すと、飲み干した缶をグシャリと潰す。
「俺を犯したのは、聖哉の指示なのか」
「――颯真」
「ずっと、聖哉だと思っていた。その黒子を見るまでは」
隆太郎は、指摘された左手に目を落とす。
「刻まれてる間、腕を押さえつけていた掌を覚えている。レッドの『R』じゃない。これは、隆太郎の頭文字だ!」
フッ、と唇を歪める。冷めた眼差しには、何の感情の色も見えない。
「お前は、忠犬になると思ったんだがな」
「嘘だ。利用して、殺すつもりだったんだろ? 潤司と鈴音のように」
「見たのか」
食堂に向かう途中で、2人の部屋を覗いた。港に向かったというのは嘘で、潤司は吊るされ、鈴音は手首を切られて、どちらも事切れていた。
「じゃあ――仕方ないな」
唇を舐めると、彼はデスクの引き出しからナイフを掴み、チェアから立ち上がり――。
「ヒッ……ぐ、がっ……!?」
呻いて床に転がった。真っ青になって、喉元を掻きむしっている。
「あうっ……ぁがっ……」
脂汗を垂らしながら、俺に向かって右手を伸ばす。
「潤司が自殺用に作ったトリカブトだ。アイツ、薬草庫から根っこをくすねて、粉にしていた。いつでも使えるように、ってな」
毒草として名高いトリカブトは、「附子」という漢方薬の材料にもなる。島では、厳重な管理の元、栽培されている。
「ごぶっ……!」
嘔吐と呼吸困難。こいつに運が残っていたならば、心停止で楽に逝けるだろう。
「じゃあな」
痙攣する隆太郎を残して部屋を出る。そのまま基地の外に向かうと、聖哉が消えた崖の先端を目指した。