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秘密の傷痕

 食堂を片付けた俺達は、隆太郎の部屋に集まった。


「適当に掛けてくれ」


 各個室は、調度品の種類や設備は共通だが、名字に基づいたパーソナルカラーで統一されている。

 隆太郎の室内は、森林を思わせる柔らかな緑に染まっていた。


 亀龍島は、海岸線の全長約100kmの孤島だ。島全体が「五龍製薬」の社有地で、島の北部に港があり、その周辺に管理事務所と職員寮がある。


 島南部の丘の頂上に、俺達が暮らす「五龍ウーロン基地」がある。ここは、生薬の材料となる薬草の栽培と、採取した海洋資源の管理が主たる仕事だ。

 とはいえ、俺達は専門の研究員という訳ではない。与えられたマニュアルと指示に基づいて、労働、観察、記録を繰り返すだけの、所詮素人だ。衣食住の完全保証と、破格の給料を条件に、3年間の期限付で雇われた非正規職員アルバイトなのである。


「良かったら食えよ」


「ありがとう!」


 空豆みたいなカウチに座った潤司は、差し出されたクッキーの缶を抱えて、ポリポリ食い出した。よほど腹が減っているのだろう。


「奴には――俺も我慢ならなかった」


 隆太郎は壁際のデスクに軽く凭れると、割れた眼鏡を外し、別の黒縁眼鏡をかけた。俯く横顔が、ふと誰かに重なった。


「基地の東側に崖があるだろ。あの下の岩場を、奴の墓場にする」


「突き落とすのか」


「ダメだよ、監視カメラがある!」


 唇の横にクッキーの欠片を付けたまま、焦ったように口を挟む。

 分かってる、というように、隆太郎は潤司に頷いてみせる。

 この島は、企業秘密を扱っているため、島中に24時間録画のカメラが設置されているのだ。当然、外部からの侵入者対策に、件の崖を見張るカメラもある。


「自殺してくれりゃ、問題ないだろ」


「それは……」


 無理だろう、と俺達の声が重なる。隆太郎はニヤリと笑む。


「追い込む。奴も人間だ」


「どうやって……?」


 クッキーをゴクリ、飲み込んで、潤司は缶の蓋を閉めた。


「2人とも、奴が何者か知ってるだろ?」


 何者も何も……俺と潤司は顔を見合わせる。


「俺達は3年で去るけれど、奴は違う」


 そうなのだ。赤石聖哉の本名は「五龍聖哉」という。この仰々しい名前は、奴が五龍製薬の御曹司であることを意味している。

 何故奴が「赤石」を名乗っているかというと、これはこの島での約束ルールだ。情報漏洩を防ぐため、俺達は素性を明かさない条件で雇われている。名字は、基地内に用意されている身の回り品の色に対応して、便宜的に与えられた物に過ぎない。


『君達が新しい仲間? 俺は赤石聖哉。本名は五龍って言うんだ。俺のジィちゃん、うちの会社の創業者だから。ま、気にしないで仲良くしてくれよ』


 基地に来た初日――二重の涼しい目を形だけ細めて、奴は俺達を迎え入れた。衝撃の告白を訝しんだものの、管理事務所の職員が『坊っちゃん』と失言したのを聞き、信用せざるを得なかった。


「奴は、自分だけは安泰だと信じている」


 そうだ。保証された身分だからこそ、横暴悪行の限りを尽くすのだ。


「だから、奴の後ろ楯を潰す」


 沈黙を受け、たっぷり時間を取ってから、隆太郎は口を開いた。


「フェイクニュースを流す。五龍製薬が多額の負債を抱えて倒産した、とね」


「ど、どうやって?」


「外界の情報源は、通信室のPCだけだ。管理事務所のPCも、弄る準備は出来ている」


 カウチから身を乗り出した潤司に、事も無げに答える。その平然とした様子にドキリとした。衝動的に立てた計画じゃない。彼は、密かに準備していたのだ。


「ハッキングしたのか」


「……ヒマなものでね」


 腫れた頬が皮肉の影を纏い、悪魔的に歪む。ヒヤリと空気が冷えた気がした。


「偽情報で絶望させる。その上で――」


「……えっ? 僕?」


 視線を受けて、潤司はハッと自分を指差す。


「ああ。首を吊って貰う」


「ええええっ?!」


 無論、本当に死なせはすまい。聖哉に殺されたように偽装して、追い込もうという考えか。


 一体、いつから隆太郎は殺意を温めていたのか。予定していた台本通り、冷徹に俺達をキャスティングしてゆく……。


 聖哉に憤る同志のはずなのに――隆太郎に対する不安が雨雲のように膨れ上がる。腹の底のざわつきを抑えられなかった。


-*-*-*-


「颯真、少しいいか」


 殺害計画を披露した後、自室に帰り掛けた俺を、隆太郎は呼び止めた。


「ああ」


 こいつは、油断できない相手だ。俺は警戒の眼差しを向けていたのかも知れない。


「ここ、座ってくれないか」


 彼は、俺が先刻まで腰掛けていたベッドの縁ではなく、デスク前のチェアを示した。大人しく従うと、真後ろに立った彼は、俺の左肩に軽く手を乗せた。思わず力が入る。


「傷は、まだ痛むのか」


「なっ……!」


「『何故それを』、か?」


 冷静に俺の言葉を継ぎながら、デスク上のノートPCを立ち上げる。ネットには繋がっていない。これは、単なる報告書の作業用に彼が使用している物だ。

 小さな動作音を上げて、動画アプリが起動している。スッ、と長い指が、俺の右肩越しに伸び、再生ボタンをクリックした。


『……あうっ……止め……レッ……』


「止めろ!!」


 ラップトップを閉じようと伸ばした手を、素早く隆太郎が抑えた。

 薄暗い画面の中、裸の男達が絡み合っている。犬のように四つん這いにさせられて、喘いでいるのは――数ヶ月前の俺だ。


『ホラ、遠慮しないで鳴けよ。お前、恋人おとこに捨てられて、ここに来たんだろ?』


『ど……して、それ……をああぁっ!』


「――めてくれないか」


 顔を背けたまま、俺は感情を殺す。真後ろに立った隆太郎は、俺の首筋を指先でなぞると、シャツのボタンを1つ、2つと外していく。


「お前も……俺を辱しめるのか」


 声が震え、屈辱に俯いた。あの夜、レッドから受けた凌辱行為レイプを、こいつに知られていたなんて。


「『R』……レッドの頭文字だな」


 はだけた胸――ではなく、シャツをずらして、傷痕の残る左肩を顕にした。


録画ビデオだけじゃ安心できねぇからな。俺の物だっていう証を残してやるよ』


『ぐぁああああっ!!』


 果てた俺を冷やかに見下ろしたレッドは、ナイフで俺の肌を抉った。抱かれた身体の痛みが消えた後も、みみず腫になった左肩の『R』の刻印は、いつまでも消えずに残り――以来、俺は奴に逆らえなくなった。


「……聖哉を追い詰める役は、お前に任せたい」


 ラップトップをパタンと閉じて、隆太郎は左耳に囁いてきた。彼の息が首筋にかかり、そこに熱が集まる。刻まれた傷痕に暖かい唇が触れ、次いでざらついた舌が這い回る。


「俺が解放してやるよ、颯真」


 溜め息とも吐息ともつかぬ深い息が、喉の奥から漏れた。俺は見えない糸に操られたかのように、左に顔を捻り――まだ頬が不自然に歪んだ隆太郎の口付けを受けた。




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