表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

プロローグ

 その瞬間、奴は薄い唇を歪めたように見えた。

 そして、普段より低い声で呟いた。


「ブルー、お前もか……」


 古代ローマのかの英雄、ジュリアス・シーザーの格言をなぞらえたかの如き台詞に、内心俺は苛立った。

 奴は、こんな時でさえ、自分テメェを偉大視してやがる――と。


 俺は答えずに、一歩踏み出した。硬いブーツの底が小石をジャリッと踏み潰す。

 その音を合図にしたかのように、奴――俺達のリーダー、レッドは崖下に消えた。


 激しく岩石が崩れる音が、落ちていく。叫びも呻きも、罵りも激昂も――何一つ漏らさずに、奴は自ら命を断つ道を選んだ。


 潔い、とは思わない。

 奴がこれまで俺達にしてきたことを考えれば、当然の報いだと思うし、同情の余地など皆無だ。


 大空に続く広大な海原を背景に、仰け反るような体勢で、奴は落ちて行った。

 俺を正視しなかった。単純に見たくなかったのか、視界に入れる価値すらないと見下したのか――最期に目に映ったのは、多分果てしなく広がる紺碧の、雲ひとつない夏空だったに違いない。


 緊張の中、奴の残像が淡く滲む崖の先端へと、俺は慎重に進む。崩れそうな足元に片膝を付いて、眼下を覗き込んだ。


 優に30mは下ったであろう岩場の上に、赤い液体が溜まっている。その中に微動だにしない奴の姿も確認出来る。ゴム人形のように、不自然な方向にグニャリと四肢が投げ出されているのは、複雑骨折しているせいだろうか。

 顔は――見えない。血に染まった頭部は、岩に突っ伏している。あの、整った高飛車なマスクは、車に轢かれた蛙より無惨に潰れたに違いない。


 俺は胸の内ポケットからスマホを取り出すと、望遠の倍率を最大にして、何枚も撮影した。その間、岩場に打ち付ける波が奴の血を洗い、奴の身体を押し動かす。俺は撮影モードを動画に切り替えて、観察者の如く記録した。

 波飛沫が上がる。岩場の周囲の海水が、心なしか朱に染まる。ザザン……ザザン……と、荒波が規則的に奴を揺らす。そこにあることが不自然な異物だ、と言わんばかりに遺体を岩から引きずり下ろし――程なく全てを青い海中に飲み込んだ。

 血溜まりさえ、もはや痕跡は薄く、捕らえられない。崖の途中には、点々と付着した赤い染みが見えるものの、それすら遠からず風雨が消してくれるだろう。


 ――終わった……。


 スマホの録画終了ボタンに触れ、深く息をく。


 瞳を上げると、インクブルーの太平洋がキラキラと眩しい。空の色から連続した深い藍だが、緩いカーブが明確な境界を示し、両者が溶け合うことを拒絶していた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ