第三話 片想い一方通行シャッフル(3)
「い、いつ戻れるんですか?」
「早くても明日の夕方ですね」
御蔵さんの質問にうさ乃が答えると、御蔵さんが顔色を変えた。(ちなみに、僕の身体――って、もういいよね)
「明日は朝から用事があって出かけなきゃいけないんですけど……」
「申し訳ありませんが、間に合いませんね」
ふるふるとうさ乃が首を振って告げる。
「じゃ、じゃあ、周りの人たちに事情を説明しておかないと」
そう言う御蔵さんに、うさ乃が鋭く被せた。
「それは控えていただきましょう。こんな間抜けな事象を広く公表するわけにはいきません。わたしたちの圧倒的な科学力に対する、地球人類の畏怖の念が失われてしまいますので」
「おまえ、自分がやらかしといて何をアホなことを――」
「記憶を消去しないといけなくなりますっ」
そう強めに声を張って僕を遮ると、うさ乃はトーンを落として続けた。
「大勢の人たちを巻き込みたくはないでしょう?」
どうやら僕たちに選択肢はないようだ。
「じゃあ、どうしたらいいんだ?」
観念してうさ乃の考えを聞くことにする。
「明日の夕方まで、伊良湖岬さんが御蔵さんになりきるしかないでしょう。サポートはしますので」
「そのままだな……あと、枕崎な」
「御蔵さん本人がナビゲートする形で、明日の用事は乗り切りましょう」
うさ乃が御蔵さんをちらりと見やる。
「わ、わたしが……!?」
僕の顔をした御蔵さんが、驚きながら人差し指で自分を指す。
「えぇ、自分の知らないところで勝手に暴走されても嫌でしょう?」
うさ乃はそう言うと、御蔵さんの耳元へ顔を寄せる。
「このオトコ、御蔵さんの身体で何をするかなんて、わかったもんじゃありませんぜ? 口では言えない、あんなことやこんなことを……」
ひっ!? と妙な声をあげると、御蔵さんはじとっとした視線を僕に向けてきた。
「へ、変なことなんてしないって! 御蔵さんにそんなことするわけないだろ!?」
うさ乃、そういうやり方はどうかと思うぞ。いや、うまいこと御蔵さんを誘導してるのはわかるのだが、なんだかこう、やるせなくなる。勘弁してください。
「動揺しているあたりに、妙なリアリティを感じるのはわたしだけなんですかね? どうですか御蔵さん?」
うさ乃がぽんと御蔵さんの肩を叩く。
「わ、わたしは……枕崎くんを信じますから。だ、たから、疑ってるからじゃなくて、上手くいくように、きょ、協力します」
御蔵さんは顔を赤くしながらも、一緒にやることを申し出てくれた。
「おっ、さすが御蔵さん。あなたはとてもいい人ですね」
上機嫌でうさ乃は御蔵さんの両手を取ると、ぶんぶんと上下に振ってみせた。
「あなたがこの身体でさえなければ抱きつきたいところなのですが、いまは遠慮しておきます」
考えただけで鳥肌立っちゃいますからね、とかなんとか言いながら、うさ乃は自分の腕を摩った。
「あ、あの……」
すると、御蔵さんが内股を擦り合わせるようにして、もじもじとしはじめた。
「どうしたの御蔵さん?」
入れ替わりのせいで、何か身体に変調をきたしたのだろうか。
「そ、その……ちょっともう、が、我慢ができなくて……」
顔を赤らめて喘ぐようにして、御蔵さんが小声で言う。
「えっと……なにが?」
御蔵さんの切羽詰まった様子に、だんだんと不安が募ってくる。やはり具合が悪いのだろうか。
「……おト、おトイレに……その……行きたい、です……」
御蔵さんは消え入りそうな声でそう言うと、そのまま俯いてしまった。
「あっ、ごめん。気が付かなくて。トイレはそっちの右手にあるから、どうぞ」
僕は廊下の方を指差して場所を説明する。さして広い部屋でもないので、すぐにわかるだろう。
「い、いえ、そうじゃなくて……その……こ、この身体でどうしたら、その、いいのか……わからなくて」
俯いたまま声を震わせる御蔵さん。
「あっ、いや、別に普通にしてもらえればいいんだけど……って、そうかっ!?」
御蔵さんが僕の身体でするってことは――――いろいろと問題があるじゃないか!? こいつはマズイ。
「あぁ、それなら、こういう風に手を添えてですね、狙いを定めておりゃって感じですかね。あー、そうそう。時々、あらぬ方向へいくときがありますので、気を付けてください」
「って、おいっ! うさ乃!? なに実践的なレクチャーしてんだよ!?」
僕の羞恥心などまったく問題にせず、うさ乃が解説をはじめた。いや、だから、その手つきはやめなさい。
「こ、こう? ……する時って座ってもいいんですかね?」
御蔵さんまで、そんな手つきを真剣に……。もうおしまいだ。
「では、やってみましょう。ついていきましょうか?」
「ううん。大丈夫だと思うけど……。困ったら呼びます」
うさ乃に答えると、御蔵さんはトイレへ向かった。
それからの数分間。僕のいままでの人生で、これ程までに長く感じられた時間はなかったであろう。
暫くすると、御蔵さんは頬を赤らめながら、ぎこちない歩き方で戻ってきた。そして、腰でも抜けたかのように座り込む。
「御蔵さん、大丈夫でしたか? 引っかけたりしてませんか?」
うさ乃が揃えた指を、ぷるぷると小刻みに震わせながら尋ねる。だから、その手つきはやめろ。
「ちょ、ちょっとびっくりしたけど……だ、大丈夫でした」
そう返して御蔵さんも、うさ乃の手つきを真似る。やめて……御蔵さんのイメージが……。
「では、ご感想をどうぞ」
マイクを向けるようにして、うさ乃が握りこぶしを御蔵さんへと向けた。
「えっ、あっ、その……だいぶ違う感じが……しました。それに――」
「もうやめてぇぇぇっ!」
照れながらもちゃんと感想を述べる御蔵さんの言葉を、僕の絶叫が無理やり打ち切る。
「ふ、二人とも。この話はここまでにしよう」
僕の人としての尊厳に関わってくる。これ以上は無理。
しかし、僕はそこで気付いてしまった。
「っ!? これって、僕にも同じことが言える話だよね?」
そう。僕が御蔵さんの身体で例のアレを……しちゃうわけですよ。
僕としては女のコのプライベートなことに、こんな形で立ち入りたくはないのだが、いかんせん、生理現象は個人の努力ではどうにもならない領分であるからして、甚だ不本意ではあるのだが、断腸の思いでその大任を果たそうではないか。
ふむ、ちょうど催してきた気がする。
「じゃ、じゃあ、僕もちょっとトイレに――」
「その必要はありませんっ!」
うさ乃がわざとらしく太めに声を張ると、ぐいっと片手を突き出してきた。
「さぁ、これを、飲んでください」
差し出されたのは怪しげな白い錠剤。
「クスリには手を出すなって、死んだばあちゃんが……」
「いいから飲んでくださいっ」
うさ乃は無理やり口に錠剤を押し込んでくると、そのまま僕の鼻をつまみ、それから流れるように頭を乱暴に叩いた。
――ごちんっ。
「だいたい、ご祖母は長野で健在じゃないですか」
――ごくりっ。
思わず飲み込んでしまった。ごめんよ、ばあちゃん……勝手に鬼籍に入れちまって……。
「……なんなんだよ、これは?」
口に広がる若干の苦味を感じながら、僕はうさ乃に問いかけた。
「本来は惑星間を航行する時に使う薬剤なのですが、ちょうどいいかと」
「惑星間を航行?」
「えぇ、宇宙空間で水を無駄にしないために、一度摂取した水分を身体の内部で循環できるようにする薬剤なんです。ほら、もう自然はあなたを呼んでいないはずですよ?」
言われてみると、確かにもう平気な状態だった。
「い、いや、でも一応念のため……」
そう言って、僕がそろりと立ち上がろうとすると、うさ乃が腕をがっちりと掴んできた。
「必要、ありませんよね?」
妙に圧迫するような気配を漂わせるうさ乃。掴んだその手に、さらなる力を込めてくる。
「必要、ありませんよね?」
――ぎりぎりぐりぐり
「っい!? は、はいっ……」
腕が壊死するかと思った。
予想もしなかったうさ乃の怪力ぶりに、僕はあっさり降参してしまった。
痛みの残る腕を半泣きで摩っていると、僕を見る御蔵さんの視線を感じた。それは、信じていた者に裏切られたような、でも、まだ信じたいと思っているような、いやでも、半信半疑のような、といいながらその実、そんなにショックは受けていないような……いや、まぁとにかく、御蔵さんは僕を見ていた。やはり、ここは謝っておくか。
「その……性的な意味での興味を御蔵さんに持ってしまったことについては謝ります。友人や知人にそんな視線を向けられるなんて、本人にしてみれば気味が悪いだろうし、不快なことだと思う。でも、異性に興味関心を持ってしまうのは、人として自然な行為であって、決して忌むべきものではないんだということだけは、わかってもらいたい……です。いや、まぁ、時と場所や関係性を考えろよボケとかいろいろあるとは思うんだけど、僕も非日常的な状況にテンションあがっちゃったというかなんというか……」
僕がもごもごと言い淀みはじめると、御蔵さんが前のめり気味に話しだした。
「だ、大丈夫です。その……それだけっていうのだと困っちゃうんですけど、まったく興味を持ってもらえないのは、その、もっと困りますから……。そ、それに、わ、わたしも、同じ……ですし……」
最後の方はほとんど消え入りそうになっていた。
この場合の『わたしも同じ』はどこにかかっているのだろう。
御蔵さんを見てみると、真っ赤な顔をして目を潤ませていた。
意外な反応をみせる御蔵さんの様子に、なんだか僕も恥ずかしくなってきて、思わず言葉に詰まってしまった。
すると、いつの間にかうさ乃が側までやって来て、ぽんと僕の肩を叩いた。
「よかったじゃないですか。御蔵さんも、ちょっとぐにぐにやってみたようですし」
「やってませんっ!」
慌てて否定をする御蔵さんは、顔から火が出そうといった感じで真っ赤になっていた。
「あれ? そういう告白だったのでは?」
うさ乃が首を傾げながら、指をぐにぐにと動かしてみせる。おい、いい加減やめるんだ。
「ま、まぁ、とにかくだな、もうそのへんにして明日の段取りを確認しよう。なっ?」
全員、戻れないところへ行ってしまう前に、軌道修正することにした。
「それもそうですね。まずは、そっちをなんとかしますか。御蔵さん、明日の用事とはなんですかね?」
うさ乃はぐりんと御蔵さんの方へ視線を向けると尋ねた。
「明日は、ウミちゃんと一緒に舞台を観に行く約束をしてるんです」
なんでも、御蔵さんの妹が所属する劇団の公演初日が明日なのだとか。
「じゃ、じゃあ、僕が御蔵さんの代わりにというか、御蔵さんとして瀬戸内さんと舞台を観に行くってことだよね?」
「そうなりますね」
うさ乃がこくりと頷く。ということは、多少変則的ではあるが、これは瀬戸内さんとのデートだと言ってもいいのではないだろうか。
そう思ったら、俄然テンションが上がってきた。
「舞台を観て帰ってくるだけなら楽勝でしょ」
僕の頭の中は既に明日のデートのことでいっぱいになりつつあったが、そんな僕にうさ乃は諭すように言った。
「甘いですね。あなたは今日から明日の夕方まで、完全に御蔵イルカでいなきゃいけないんですよ?」
そして、呆れたようにため息をつくと、肩を竦めてみせる。
「えっ? 瀬戸内さんと一緒の時だけじゃないの?」
するとうさ乃は、これみよがしに、さらに大きなため息をついた。
「まったく……。では問題です。今夜あなたはどこで寝るのでしょうか? はい、答えをどうぞっ」
なにを言ってるのだ、うさ乃のやつは。確かに僕のベッドはうさ乃に占領されてしまったので、どこで寝るのかと訊かれれば、それは不本意ながら床だと答えるしかないのだけれど……。
「……ここだよ」
僕はいま座っている床を指し示した。
「ぶっー。ハズレです。あなたが今夜寝る場所は御蔵さんのお宅です」
「へっ?」
別に僕の部屋でも問題ないように思うのだが。
「へっ? じゃないですよ。御蔵さんは実家にお住まいなんです。門限は二十一時。外泊をする際には、事前に両親の許可がいるという箱入りっぷり」
うさ乃が手首のデバイスから投影されたウィンドウを見ながら言うと、御蔵さんは驚いて目を見開いた。
「な、なんで知ってるの……?」
「関係者については調査済みですからね。先ほどの話しに出ていた妹さんというのは、御蔵ツバキさんのことですね?」
うさ乃のジェスチャーで、画面に一人の女のコの画像が表示される。小学校の高学年ぐらいだろうか。黒髪でストレートのロング。服装は深窓の令嬢といった雰囲気。なんとなく瀬戸内さんを連想させるものがある。でも、顔のパーツ、特に目なんかは御蔵さんとそっくりで、血の繋がりを容易に想像させた。
「ちょっと脱線していまいましたが、何が言いたいかというと、御蔵イルカという女のコは今夜自宅に帰り、妹とコミュニケートする必要があるということです。仲が良いみたいですからね、初日を控えた妹と、なんの会話もないだなんてことはあり得ないでしょう。あぁ、そうそう。当然ですが親御さんもご在宅でしょうから、そちらの対処もうまくやる必要がありますね」
ウィンドウを閉じると、うさ乃は僕を見て言った。
「さぁ、これでも楽勝だと?」