第二話 彼女のことがぐるぐる(まわる)(4)
移動中、学食のカツカレーがいかにすばらしいかについて僕が熱弁を奮ったことにより、僕とうさ乃、そして瀬戸内さんが見事にカツカレーセットを選んだ。
ごはんのおかわり自由を重視する鳴門は豚のしょうが焼き定食。辛いものが苦手な御蔵さんはパスタセット(今日のパスタはジェノベーゼだ)をチョイス。
時間がまだ早いのにも関わらず、テーブルはそこそこ埋まりつつあった。
空いていたテーブルにつくと、うさ乃は胸元を押さえながら、スプーンを握りしめて鼻息を荒くする。エライ意気込みだ。そして、ひとつ息を吐いてから、勢いよくカツカレーを掻き込みはじめる。
「うぐっ、もぐもぐ、んんっ、ごくんっ」
お面の下からのぞいている口元が、無残にカレーまみれになっていく。
すると、横に座っていた御蔵さんが慌てはじめた。
「う、うさ乃ちゃん。顔、顔がかなり見えてるけど……だ、大丈夫?」
どうやら、真横から見ている御蔵さんには、ずらしたお面の隙間から、うさ乃の顔が結構見えているようだ。
「おっと。これはマズイですね。ついカツカレーのおいしさに夢中になってしまいましたよ。んで、御蔵さん。どのくらい見てしまいましたか?」
「えっ? い、いや……か、顔は輪郭ぐらいで……あ、あとは、睫毛が長いなって、ことぐらいしか……」
御蔵さんがあたふたしながら答える。瞳が落ち着かなげに揺れている。
「そうですか。まぁ、誰かと違って御蔵さんは信用できる方のようですからね。きっと、ご申告どおりなのでしょう」
「誰かって誰だよ!?」
なんだかトゲがある。僕はそういうのには敏感だぞ。
「もし、ばっちり見てたらどうなるんだ?」
しょうが焼きを咀嚼しながら、鳴門が横から尋ねてきた。
「その場合は、記憶の消去が必要になります。鼻から脳に特殊な金属片を入れて記憶をコントロールすることになるんですが、これが磁場の影響を受けたりして、激しい頭痛を引き起こすことがあるとかないとか……」
カツをもぐもぐしながら、うさ乃が答える。
「いや、それって、あっち系のテレビの特番でよく見るやつじゃん!? 外科手術でも摘出できない位置に埋め込まれるっていう、例のやつだろ!? 生々し過ぎるわ!」
嫌な話を聞いてしまった。御蔵さんも顔をひきつらせている。しかも、いちばん目撃事故に遭いそうなのは僕じゃないか。
「大丈夫ですよ、納沙布岬さんの時は腕のいい技術者を用意しますから」
そう言って、うさ乃が最後の一口を頬張る。
「やるの医者じゃないんだ……。あと、枕崎ね」
そんなすっとぼけうさ乃が、カツカレーを完食する様子を見て、瀬戸内さんが感嘆の声をあげる。
「うわぁー! うさ乃ちゃん、食べるの早いね!? じゃあ、次はそっちのデザートいってみよう」
瀬戸内さんが、うさ乃のトレイに乗っている杏仁豆腐を指差す。
「ここの杏仁豆腐はすっごくおいしいんだよっ! ふるふるとぅるとぅるで、ぷるんぷるんなんだよっ! わたし、大好きなのっ!」
瀬戸内さんの擬音ばかりの説明は要領をいまいち得ないが、ここの杏仁豆腐がうまいことは確かだ。
しかし、興奮してあほの子みたいになっている瀬戸内さんもかわいい。
「ほほう。それは楽しみですね。早速いただいてみましょう」
すちゃっとスプーンを構えると、うさ乃は杏仁豆腐に取りかかった。ひとすくいして口に運ぶ。
「んっー! んんんっ! うまいですっ! めちゃめちゃうまいじゃないですか!」
うさ乃が身体を揺らして、いまにも飛び上がらんばかりに感動を現す。
「ホント!? よかった、気に入ってもらえて」
瀬戸内さんが手を合わせて、うれしそうに微笑む。
「どれ、もう一口」
うさ乃がスプーンを握り直す。すると、うさ乃の背中に、よそ見をしながら歩いてきた学生の腕が当たる。
――どんっ
――ぐちゃ
「いやぁぁぁぁぁーっ!」
うさ乃の悲痛な叫び声が食堂に響き渡る。
杏仁豆腐は、床がお召し上がりになったようで、無惨にそのふるふるはぶちまけられた。
「杏仁……杏仁豆腐ぅぅぅがぁぁぁっ!」
ぷるぷるとうち震えるうさ乃。ぶつかった学生は、やっちゃったと口のなかでもごもごと呟きながら、足早に行ってしまう。
「……だ、大丈夫? うさ乃ちゃん」
「あれまぁ。これはもう食べられないね。ざんねん」
御蔵さんと瀬戸内さんが、手早く片付けをはじめる。
「わ、わたしの……あんなにおいしい杏仁豆腐が……」
うさ乃は、まだ呆然とした様子で、うわ言のように杏仁豆腐に起こった不慮の事故を嘆いていた。すると、
「はい。わたしのあげるよ。うさ乃ちゃん」
瀬戸内さんが自分の杏仁豆腐を、うさ乃の前にちょんと置いた。
「えっ? で、でも、瀬戸内さんも好きだと言ってたじゃないですか!?」
かばっと顔を上げて、うさ乃が瀬戸内さんを見つめる。
「大丈夫。また食べられるもん。それに、わたしはいま、うさ乃ちゃんに食べてもらいたいんだ」
ねっ? と首を軽く傾げながら、瀬戸内さんはにっこりと微笑んでみせる。
「せ、瀬戸内さん……ありがとうございます」
うさ乃が嬉しそうにお礼を口にする。
「どうぞ、召し上がレーニンスターリン!」
片付けをしていた御蔵さんが、それを聞いて堪えきれずにぷっと吹き出す。
「――ほら、ちゃんと謝るんだ。宇宙規模の失礼を働いたんだぞ、おまえさんは」
すると、鳴門のヤツがさっきの学生を連れ戻してきたようで、きちんと謝るように促す。
「す、すみませんでした。あの……それ弁償します」
そう言って学生が深々と頭を下げる。
「いえいえ。それには及びませんよ。わたしはこうして杏仁豆腐を食べることができましたし、謝罪もしていただきました。これ以上を望むものではありません」
言い終わると、うさ乃はぱくりとスプーンをくわえた。
「――だそうな。行ってよしっ」
ばんっと鳴門が学生の背中を叩く。
「あ、はい。失礼します」
そそくさと学生が退散すると、瀬戸内さんがうさ乃に尋ねた。
「うさ乃ちゃん。おいしい?」
「えぇ。とてもおいしいです。なにより、瀬戸内さんにいただいたものだと思うと、さらにおいしいです」
うさ乃の返事を聞くと、瀬戸内さんは今日いちばんの笑顔をみせる。
「よかったぁ」
その笑顔は、見る者をひとり残らず魅了するような、陳腐な表現だけれども、まるで天使のような、いや、ホントに天使なんじゃないのかっ!? えっ!? おいっ!? ――
――おっと、取り乱してしまった。と、とにかく、そういう種類の素敵な笑顔だった。
そんな瀬戸内さんを目にしてしまったのだから、僕の胸の動悸が激しくなるのも道理というものだ。そして、この胸がぎゅっとする感覚。日に日に抑えることが難しくなってきている。
「心拍数と発汗ふがぁっ――」
僕の眼前に、にょきっと顔を出してきたうさ乃のカレーまみれの口元を手で押さえる。言わせてなるものか。
すると、一瞬、お面が取れそうになったので、全身の毛穴がぶわっと開いた。
――金属片も頭痛もごめんだ。
いや、もしかすると、これは故意に取ったという違反行為!?
――外交問題だってごめんだ。
「おわわぁっ! あぶないじゃないですか!?」
間一髪、うさ乃が両手でお面を押さえて事なきを得る。
「あぶなかった……。それ、結構簡単に外れるんだな」
「そうですよ。被ってるだけですからね。やめてください? 不意打ちは」
お面のズレを直しながら、うさ乃がぶつくさと不満げに洩らす。
「あ、そっか。お面は取っちゃいけないんだよね!? 二人で何を遊んでるのかと思ったよ」
瀬戸内さんが暢気にころころと笑う。
いえ、なにげにあぶないところだったのですよ。