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第二話 彼女のことがぐるぐる(まわる)(3)

 教室の後ろの方。階段状に並ぶ机。


 横一列になって着座をすると、ほどなくして西洋史の授業がはじまった。一部周りには、ちらちらと視線を向けてくる学生もあったが、先生は気が付いていないようだった。


 授業の方はというと、宗教をイデオロギーにした戦争を人間がいかに繰り返してきたかという内容で、うさ乃のヤツはえらく熱心に聴いていた。


 そんなうさ乃を横目でぼんやり眺めていると、

「そこの君たち。――後ろの方の君たちだよ」

 先生が明らかに僕らの方を見ながら、マイクの声を少し張った。

「そこの席を立って、前に来なさい」


 バレてしまったようだ。これは怒られる流れになりそうだ。教室内がざわめき始める。


 せめて被害を最小限に留めるためにも、ここは僕とうさ乃だけが従った方がいいだろう。

 僕はみんなに目配せをすると、うさ乃の腕を掴んで一緒に立ち上がる。

 すると、うさ乃の隣りに座っていた瀬戸内さんが、僕らに続くように、勢いよく立ち上がった。


「先生、すみませんっ! わたしが悪いんです! お叱りはわたしが受けますから、二人を責めないでくださいっ!」


 教室内に瀬戸内さんの大きな声が響き渡ると、ざわめきはぴたりとおさまり、嘘のように静まり返った。

 すると、その静寂を破るかのように、御蔵さんと鳴門も立ち上がる。


「みんな……」


 思わず声が漏れてしまう。視線は立ち上がったみんなを捉えたまま、動かすことができない。そうやって僕が固まっていると、壇上の先生が咳払いをひとつして、あらためてマイクに向かう。


「いや……叱るだなんて……。枕崎くん、だよね? うさ乃さんと一緒のようだから、せっかくなら見やすい前の席にどうかと思ってね……なんかマズかったのかな……?」


 先生が困ったように頬を掻きながら、眉根を寄せる。


「……えっ?」


 思わず僕たち全員、目を見開いて顔を見合わせてしまう。

 そうか。僕が観察対象者乙になっていることは、学内では既に知られている事実なのだから、最初から堂々としていればよかったのだ。


 しかし、先生までもが『うさ乃』と呼んでいる。なんでみんな知っているのだろうか? ってか、知らないのは僕だけなのか?


 その後、僕たちは恐縮しつつ、空いている前の席に移動をすると、小さくなりながら授業の続きを受けた。せめてもの救いは、うさ乃が熱心に授業を聴いていたおかげで、終わりまで先生が上機嫌だったことだ。普段、熱心に聴いてくれる学生に飢えている先生にしてみれば、結構楽しかったのではないだろうか。


「ごめんね、みんなっ。わたしの勘違いで迷惑かけちゃって」


 無事に授業が終わって廊下へ出ると、唐突に瀬戸内さんが、ばっと勢いよく頭を下げてきた。その声音には、彼女の誠実さが滲んでいた。


「いやいや、僕も怒られると思っていたからさ、むしろ助けてもらったカタチだよ」

「ううん。そもそもわたしが悪ノリしたのがはじまりだし、ごめんなさい」

 俯くと、瀬戸内さんは下唇を噛みしめる。


「あー、でも、瀬戸内さん。かっこよかったよ。あんなに大勢の人がいる中で、気後れしないであんな風に名乗り出れるなんて。ねぇ!?」

 鳴門と御蔵さんへ同意を求めると、二人とも大きく頷く。


「俺は完全に出遅れたよ。ウミちゃんはえらく男前だった」

 鳴門がそう言って笑うと、横で御蔵さんがこくこくと何度も頷く。

「そ、そうだよウミちゃん……」

「うん? いや、悪いことしたら、ごめんなさいはしないと……?」

 瀬戸内さんが小首を傾げる。彼女には当たり前のこと過ぎて、何を感心されているのか、ぴんときていないといった様子だ。


「いや、大概の人は大人になってくると、素直にごめんなさいができなくなるし、人前で恥をかくのも怖くなる。誰もが瀬戸内さんのようにできるわけじゃないよ」

 そういう彼女のまっすぐさは、僕には少しだけ眩しい。


「うーん。それだと、わたしが能天気なちびっこ並みだと言われてるような気がするんだけどな……」

 瀬戸内さんは、不満そうにむにゅっと唇を尖らせる。


「えぇっ!? あ、いや、違うよ……」

 マズい。フォローにならなかったのか。わりと本音だったのだが……。

 すると一転、瀬戸内さんは、ぱっと表情を変えた。


「えへへっ、なんちゃってね。カツオくん優しいよね。ありがと」


 大きな猫目を糸のように細めて笑う瀬戸内さん。その笑顔はいたずらっ子のように茶目っ気たっぷりでいながら、なんとも美しかった。彼女は笑っている顔がいちばん魅力的だと思う。


 瀬戸内さんにそんな素敵な笑顔を向けられて、僕は頬がじわじわと紅潮していくのを感じていた。

 すると、そんな僕の肩を鳴門が軽く叩いてきた。言動が豪快なくせに、こういう時は妙に察しがいいから嫌になる。


「みんな、次は午後からだろ? 早めに学食に行って飯にでもしよう」

 鳴門がみんなの顔を見ながら、なっ? と眉をあげてみせる。

 そうやってうまいこと場を収めてしまう鳴門に、僕はこれまでどれだけ助けられただろう。


「そうしよっか。ねっ? うさ乃ちゃん」

 瀬戸内さんがうさ乃の手を取って歩きだす。そして、二人の後を追うように鳴門も歩きはじめたので、僕も続こうと足を踏みだした。


 するとその時、ふと、視線を感じて顔をあげると、御蔵さんと目が合った。

 その途端、御蔵さんは慌てたように視線を逸らしてしまう。


「……御蔵さんも、さっきはありがとね」

 鳴門と一緒になって僕らを助けてくれたお礼をまだ言えてなかった。


「い、いえ……。連帯責任……ですからね。そ、それに、責任を……ぶ、分担できるのも悪くない、ですよ」

 途切れ途切れに言いながら、御蔵さんはどんどん顔を赤らめていく。

 出会ってから、かれこれ一年ぐらい経つのだが、僕と話すときの御蔵さんは、いつもだいたいこんな感じだ。


 瀬戸内さんの話によると、べつに僕のことを嫌っているとか、苦手に思っているというわけではないらしい。照れているだけだと。

 もう慣れたけど、はじめの頃は真剣に悩んだりしたこともあった。


「お昼に、行こうか」

「……うん」

 ぎこちない様子の御蔵さんと、一緒に並んで廊下を歩いていく。


 少し進んで最初の角を曲がると、そこで鳴門とうさ乃が立ち止まっていた。

「どうかしたの? あれ? 瀬戸内さんは?」

「あちらですよ」


 僕が尋ねると、うさ乃が入口の方を指し示した。

 見ると、瀬戸内さんが制服を着た高校生たちと話をしている姿が目に入ってきた。


「なにしてんの?」

「さぁ? ちょっと待つように言い残して、行ってしまいました」

 うさ乃が首を捻りながら答える。鳴門の方を見てみると、こちらも「さぁ」といった感じて肩を竦める。


 そうこうするうちに、どうやら話は終わったようで、高校生たちがお辞儀をする姿に、瀬戸内さんが手を振って別れを告げている。


 そして、つたたたたっと小走りで戻ってくると、

「お待たセーター」

 澄ました顔をしながら、瀬戸内さんは真面目な口調でそう言った。


 隙あらば繰り出される彼女の波状攻撃に、常日頃から晒されている我々にはスルースキルが備わっている。

 つまり、ツッコまない拾わない反応しないの、三ない運動を反射的に行えるのだ。

 ところが、いまだにスルースキルを体得できていない一名と、攻撃に慣れていない新参者一名がこれに反応してしまう。


「くすっ」

「えっ? 待つという行為と、衣服であるセーターになんの関係が!?」

 口元を隠す御蔵さんの横で、うさ乃が不思議そうにこちらへと視線を向けてくる。


 すると、瀬戸内さんは満開の笑顔をその整った顔いっぱいに広げた。

「えへへっ」

 笑っている瀬戸内さんは、やっぱりとても魅力的だ。ギャグはともかく……。


 そんな彼女に僕は尋ねる。

「なんかあったの?」

「ほら、今日、学校説明会やってるでしょ? 入口の所できょろきょろしてる高校生が見えたから、説明会の場所がわからないんじゃないかと思って」


 どうやら瀬戸内さんは、その高校生たちの姿を見かけてすっ飛んでいったらしい。


「で、やっぱり迷ってたの?」

「うん。会場は講堂だからね、こっちだと逆だもん。だからね、おねいさんが丁寧に教えてあげたのだよ」

 えっへん、と言ってわざとらしく胸を張ってみせる瀬戸内さん。


「……ウミちゃんらしいね」

 それを受けて御蔵さんが微笑む。


 そんな御蔵さんに、瀬戸内さんは目配せしながら笑いかけると、うさ乃の方へと向きを変える。

「ごめんね、うさ乃ちゃん。遅くなっちゃったね」

 前屈みになりながら、うさ乃の顔を覗きこむようにして瀬戸内さんが詫びた。


「いえいえ。瀬戸内さんの興味関心、思考と行動パターンなど、非常に参考になりました。いいひとですね、瀬戸内さん」

 首を小さく左右に振ると、うさ乃は明るい口調で答えた。


「えー、そんなこと言われると、なんだか恥ずかしいなぁ」

 瀬戸内さんが頬に手を当てて身をよじらせると、一同に笑いが起こった。


「よし。じゃあ、みんな。あらためて学食を目指すとするか」

 鳴門が両手をぱんっとひとつ打って、その場に止まってしまったみんなの脚を再び前へと進ませた。

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