第二話 彼女のことがぐるぐる(まわる)(2)
学校のキャンパスまでは歩いて十分ぐらい。
この距離でなければ、いったいどれだけの単位を落とすことになっていたのかなんて、考えないようにしている。それは、ちょっとしたホラーだ。
学校の正門をくぐったところで、瀬戸内さんと御蔵さんの二人と合流する。全員これから同じ授業の予定だ。
「うさ乃ちゃんだよね? はじめまして」
深い藍色を想わせる、しっとりとした光沢を湛えた黒髪ストレート。大きなパッチリ猫目に、とびきりチャーミングな口元。しなやかに伸びた四肢と、メリハリなめらかボディ。
そしてそれらを、白地に花柄をあしらった、初夏にふさわしい爽やかなワンピースで清楚に包む。
彼女はこの学内でも一二を争う、いわゆるところの美人さんだ――
「わたしは瀬戸内ウミ。よろしく哀愁っ!」
――これさえなければ。
うさ乃が僕に屈むようにとジェスチャーをしてくる。
僕は前屈みになりながら、うさ乃に顔を近づけた。
「あの……彼女は何を言っているんでしょうか?」
困惑したような戸惑いを含んだ声音で、うさ乃が尋ねてくる。
「……安心しろ。僕にもわからん」
「では、特定組織における符丁か何かでしょうか?」
「まぁ……そうとも言える、かな?」
同じ感性を持つ者にしか伝わらないからね、この手のギャグは……。
「なんと返すのが正解ですかね?」
しばし逡巡して答える。
「……同じように返してみたら?」
うさ乃はこくんと頷くと、瀬戸内さんの方へと顔を向ける。
「こちらこそ、よろしく哀愁」
うさ乃。おまえの勇気、しかと見届けだぞ。
「きゃー、ほら、カツオくんっ! うさ乃ちゃんに通じたよ!? やっぱり、これって宇宙共通なんだよ!」
あぁ、こんなワケわかんないことで、あんなに喜んじゃって……なんてかわいいんだっ! 思いっきりぎゅっとしたいっ! はぁはぁ……。
「心拍数の異常な上昇と、急激な発汗をセンサーが感知しましたが、どうかしたんですか?」
僕が湧き上がる高揚感に浸りはじめた矢先、うさ乃が顔を覗きこんできた。
「うさ乃ちゃん。カツオはいつもこうだから気にしなくていいぞ」
僕がもごもご言い淀んでいると、鳴門のヤツがにやにやしながら言う。
「ウミちゃんといると、だいたいこんな感じではぁはぁしてるからな」
すると、何かに思い当たったようにうさ乃がサイドテールをぴょこんとさせた。
「はっはっーん。わかりましたよ。さては、分不相応にも繁殖のパートナーとして彼女を望んでますね!?」
「おいっ! 繁殖とか言うな! あと、分不相応って……えっ? やっぱそうなのか!?」
宇宙から来た第三者の目にもそう映るのだろうか? 思わず小声でうさ乃と鳴門に尋ねてしまう。
「あんな上玉は襟裳岬さんには無理じゃないですかね?」
「そうか? 俺はいけると思うぞ。カツオはいいヤツだからな」
「上玉なんて下世話な言い方するなよ。あと、枕崎な。それと、いいヤツなんて言われたら、ちょっと照れちゃうぞ」
三人でこそこそ小声でやり取りしていると、瀬戸内さんが不思議そうな顔をしながら話しに割って入ってきた。
「どうかしたの? ほら、イルカちゃんも挨拶するよ?」
そう言って、横に立っていた御蔵さんの腕をぐいっと引っ張る。
艶やかなダークブラウンが映える、コケティッシュなショートヘア。長くて豊かな睫毛に縁取られた大きな瞳。すらりと伸びやかな手足と、スレンダーなのにグラマラスなボディ。
そしてそれらを、マリンパーカーに合わせたポップなTシャツと、タイトなショートパンツに押し込んでいるぴっちり感。
彼女は瀬戸内さんにもひけをとらない美人さんだ――
「ほら、イルカちゃんってばぁ」
瀬戸内さんが必死になって促す。
「あ、あの……その……み、御蔵……イ、イルカです」
――強烈なまでの人見知りでなければ。
そんな御蔵さんに、うさ乃がぺこりとあいさつをする。
「よろしく哀愁」
「いや、言っとくけど、それ万人に共通の挨拶じゃないからな……」
「よ、よろしく、あ、哀愁で、す……」
御蔵さんもおずおずとお辞儀をして返した。
各々があいさつをし終わると、うさ乃が小声で何やら呟きはじめた。
「しかし、こんな機会に恵まれるとは。繁殖ですかそうですか。報告書には、そんなこと記載されていませんでしたよ。わたしたちのインテリジェンス機関もまだまだですね」
指先のジェスチャーでウィンドウを開く。
「えっと……いまのが御蔵、イルカ……で、さっきのが……瀬戸内……ウミっと、」
うさ乃は、口のなかでもにゅもにゅ呟きながら指先を動かしていたが、一瞬、何かに気付いたように動きを止めると、ウィンドウを凝視した。
しかしそれは、よく見ていないと気が付かないほどに、短く小さな所作だった。
「――瀬戸内ウミさん……あなた、大きいですね」
うさ乃は少しだけ顔を上げると、瀬戸内さんに向かって話しかける。
「うーん、確かにうさ乃ちゃんと比べれば背は大きいかもしれないけど……平均的だよ?」
ちょっと戸惑ったように瀬戸内さんが答える。
「――おっぱいも……大きい」
しげしげと、ある一点を見つめるうさ乃。
「えっ!? いや、これは……でも、イルカちゃんの方が大きいしねぇ……」
そう言って、瀬戸内さんは御蔵さんの胸元へと視線を向ける。
するとうさ乃は、今度は御蔵さんの方を向いて尋ねた。
「お二人は同じものを食べて育ったんですか?」
そんなうさ乃の意味不明な質問を、御蔵さんは困惑しつつも真摯に受け止める。
「い、いえ……。きゅ、給食とか同じものを食べていたかもしれないけど、基本的には、べ、別です」
その答えを聞くと、うさ乃はうんうんと独りで頷きながら、何やらちょいちょいとウィンドウを操作して、最後にぴっとジェスチャーで画面を閉じた。
うさ乃の手元から手品のようにウィンドウが消えると、
「うさ乃ちゃん、今日は一緒にお昼食べようね。わたしたちが何を食べて育ってるかわかるよ」
瀬戸内さんがうさ乃へ向かって、にぱっと笑いかけた。かわいい。
しかし、よく考えてみると、瀬戸内さんもナチュラルに『うさ乃』とか言っちゃったりしてるけど、なんで知っているのだろうか?
そんな疑問を感じながら、みんなと教室へ向かっていると、ふと、うさ乃をどうするか考えてなかったことに思い当たった。
「そうだ、うさ乃。授業が終わるまで図書館にでも行って待ってたら?」
瀬戸内さんと御蔵さんに挟まれて前を歩いているうさ乃に声をかける。
「いえ、わたしのことはどうぞお気になさらずに。このまま一緒に授業を受けたいと思いますので」
まぁ、次の授業は大人数だし、百人単位が入れる大きな教室で行われるので、潜り込むことは十分に可能だが……。
「でも、制服でお面じゃ、目立ってしょうがないんじゃないか?」
「じゃあ、わたしのカーディガン貸してあげるよ。これで制服は大丈夫だよね?」
瀬戸内さんがトートバッグからパステルブルーのカーディガンを取り出す。
「いや、でも、お面の方は……」
「大丈夫っ! お面、かわいいからっ!」
根拠不明の強気発言をすると、瀬戸内さんは自信たっぷりな感じで、不敵な笑みを見せた。瀬戸内さんには時々、このような不可思議な言動がみられる。
でも結局、お面に関してはノープランで挑むってことだよね、これ?