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第九話 紫ヘイズ。真実の保証

「うさ乃ちゃん、ありがとうね。昨日はお礼もちゃんと言えずにごめんなさい。後でイルカちゃんに聞いたの。わたしはうさ乃ちゃんに命をもらったんだね」

 瀬戸内さんがうさ乃の両手をとって目を潤ませる。


「いや、そんな大げさですよ瀬戸内さん」

 照れているのか、うさ乃は身体をもじもじと捩らせる。


 うさ乃が今日、月へ帰ってしまうということは、昨日のうちにみんなへ伝えてあった。なので見送りには、瀬戸内さんと御蔵さんに鳴門。全員が揃っていた。


 僕たちは多摩川の河川敷で、うさ乃の迎えが月面の支局からやってくるのを待っていた。


「ううん。既に手にしているもののありがたみって、なかなか実感することができないんだなって、今回のことでよくわかったの。こうして、うさ乃ちゃんが行っちゃうのもそうだよ。どうしても帰っちゃうの?」


 うさ乃の手をさらに強く握りながら、瀬戸内さんは真剣な表情で尋ねると、唇をぐっと引き結んだ。


「わたしも残念です。瀬戸内さんが、恋人岬さんと恋人になるのかどうかを見届けたかったんですがね。まぁ、望みは薄そうですが」

 うさ乃がちらりと僕の方を見てくる。


「……枕崎だ」

 このやり取りも最後なのか。そう思うと感慨深いものがある。結局、うさ乃は僕の名前をまともに呼ばなかったな。いや、一回だけあったような気もするが、いまいちはっきりしない。


 瀬戸内さんが笑いながら、ばしばしとうさ乃を叩いている。

 そんな瀬戸内さんの挨拶がひと段落すると、横にいた御蔵さんが口を開いた。


「うさ乃ちゃん……。わたしもうさ乃ちゃんと過ごせて楽しかったです。おかげで、なんだか自分に自信が持てるようになった気がします」


 言うと、御蔵さんは腕を伸ばしてうさ乃を抱きしめた。


「御蔵さん……。もしまだ想いが燻っているのなら、諦める必要はありませんよ。宇宙は広大ですからね、地球のモラルや倫理なんて大した問題ではありません。相手は一人でなけらばならないなんてナンセンスです。生存戦略的にも愚策ですからね。次はあなたの活躍を見せてください。楽しみにしていますよ」


 うさ乃は小声でもにょもにょと御蔵さんに囁くと、ぎゅっと抱きしめ返した。そして、鳴門の方へと向き直る。


「鳴門さん。あなたにもお世話になりました。あなたの気遣いやサポートはさり気なくて、それでいて的確でした。ありがとうございます。そこにいるボンクラさんにも見習っていただきたいもんですよ。きっとあなたは大成するでしょうから、彼をよろしくお願いします」


 ぺこりとお辞儀をするうさ乃。すると鳴門は、そんなうさ乃を抱きかかえ上げた。


「あぁ、任せときな。うさ乃ちゃんの大事なカツオのことは、俺がちゃんと面倒みるからさ。安心してまた戻っておいで」

 にやりと太々しい笑みを浮かべると、鳴門はうさ乃の頭を片手で撫でた。


「小動物扱いはやめてください」

 うさ乃は抗議するが、その声音は言うほど嫌そうでもなかった。

 そして、鳴門の腕から降りると、うさ乃は僕と向かい合った。


「ボンクラさん……」

「いや、待て。なんだそれは!? もはや岬ですらないぞ!?」

「まぁ、いいじゃないですか、そんな些細なことは」

 やれやれといった感じで首を振るうさ乃。なぜ呆れられているのかわからん。


「よくない。おまえ、何で僕のことをちゃんと呼ばないんだよ?」

 僕はそこで息を吸い込むと、ゆっくりと言葉に変えて吐きだした。


「最後ぐらい聴かせてくれ。うさ乃の口から聴きたいんだ」

 照れて言わずにいては何も伝わらない。何も起こらない。何も変わらない。それは、僕がこの数日間に思い知らされた人生の真実というやつだ。


「あまり親しくなると、別れが辛くなるじゃないですか……。ふとした瞬間に名前が口をついて出ると、泣けてくるじゃないですか……」

 うさ乃が視線を落として俯きはじめる。


「――いやいや、そういうのいいから」

 すると、うさ乃はぐいっと勢いよく顔を上げた。


「えへへ。バレましたか」

 やっぱり小芝居だったか。うさぎのくせに、たぬきだからな、こいつ。


「仕方ないですね。耳の穴かっぽじってよぉく聴いてくださいよ?」

 今度のうさ乃は本気っぽい気がしたので、なんとなく姿勢を正して構える。


「短い間でしたが、どうもお世話になりました。最後に、わたしがこれまでに地球人類を観察して得た知見をお伝えしておきましょう。枕崎カツオさん。人生とは幸福の追求です。いきなり幸福とか言い出すとなんだか胡散臭くなりますが、人の生きる理由はこれ以外にありません。あなたの幸福が何なのか、よく考えて、わたしがいなくなった後の毎日を、丁寧に過ごしてください。以上です」


 うさ乃は言い終わると、胸の青いトンボ玉を握りしめながら、じっと僕を見つめてきた。


「ありがとう。うさ乃がいたこの数週間は、凝縮された楽しい毎日だったよ。元気でな」

 僕は握手の手を差し出した。本当はまた戻って来て欲しいということも伝えたかったのだが、あまり無理を言ってもうさ乃を困らせるだけなので、ぐっと言葉を飲み込んだ。


 自分の気持ちを何でも伝えてしまうのは、後悔のないように今日を生きるということとは違う。伝えないことで生きる今日もあるのだ。


 うさ乃が手を握り返してくる。そこには、しっかりと力を込められていた。すると、突然、頭上が眩い光に包まれた。見上げるとそこには、

「アダムスキー型って、これまたベタな……」

 典型的な、これぞUFOといった飛行物体が浮かんでいた。


「開発者の趣味でして……本人曰く、地球人類の期待に応えることのできる、唯一にて至高のデザインらしいです……」

 口ぶりからすると、うさ乃はこの飛行物体をあまり好意的には思っていないようだ。


「ま、まぁ、わかりやすいよな……宇宙から来たって……」

 このぐらいがフォローの限界だろうか。これ系に造詣が深くないのでもう無理。


「じゃあ、みなさん。ありがとうございました。どうかお元気で」

 うさ乃はあらためて僕らに向き直ると、ぺこりと頭を下げた。するとその瞬間、飛行物体から一筋の光が照射されて、うさ乃の姿が忽然と消えた。


 それは、あまりに一瞬のことで、別離の余韻も何もあったものではなかった。そして、飛行物体は音もなく、瞬く間に空の彼方へと消えてしまった。


「行っちゃったね」

 空を呆然と見上げたまま、瀬戸内さんが呟いた。


「そうだね……」

 御蔵さんがそれに応える。彼女も飛行物体の消えていった彼方を呆然と眺めている。


 鳴門も僕も、同じように空を眺めていると、後ろの土手で激しいクルマのブレーキ音が響いた。続いて乱暴にドアが開閉される。


「枕崎さんっ! うさ乃さんはどうしました!?」

 小笠原氏だった。彼にしてはめずらしく、ひどく慌てているようだった。土手を飛び降りるように走ってやってくる。


「いま、帰りましたけど……。モニタリングしてるんじゃないんですか?」

 そんなことは先刻承知なのだとばかり思っていたのだが。息を切らせている小笠原氏の顔を見やる。


「ダミーか……。我々は違うデータを掴まされていたらしい。いつからだ……」

 眉間に皺を寄せて小笠原氏が渋面を作る。


「もしかして、知らなかったんですか?」

 この様子だと、あのたぬきうさぎに一杯食わされたようだ。


「うさ乃さんは我々にダミーデータをモニタリングさせていたようです。今日、対空レーダーが所属不明の未確認飛行物体を検知したので、もしやと思って来てみましたが……。うさ乃さんは何と言っていましたか!?」

 小笠原氏が取り乱した様子で、僕に詰め寄ってくる。


「一旦帰るけど、たぶん、もう来れないかもしれないとか何とか……」

「それはマズい。交渉相手はうさ乃さんでないと……他の監察官では話しにならない」

 吐き捨てるように言うと、小笠原氏は爪を噛みはじめた。そして、僕を睨みつけた。


「あなたは知っているんですか? 今回、うさ乃さんが何をしに来たのか」

 妙なことを訊いてくる。僕に説明したのは小笠原氏のはずだ。


「経過観察でしょ? 移民として相応しいかどうかの……」

 すると、小笠原氏は嘲るように口の端を上げた。


「どうやら聞かされてはいないようですね。経過観察も理由のひとつではありますが、うさ乃さんは移民対象者の選出基準を作るために来たんですよ」

「選出基準?」

「そうです。彼らは地球人類全員を連れて行く訳じゃない。一部の選ばれた人間だけが彼らの世界に行けるのです。そのための選出基準を、うさ乃さんは早急に作る必要があった。あなたも聞いたことがあるでしょう? 『地球環境は破壊されている、汚染されている、みんなの地球を守りましょう』そんな標語やお題目を。わたしに言わせれば、あれは実に控えめな表現です。現実はもっと深刻な状況で、実際には、地球は既に回復不能なほどに致命的なダメージを負っています。異常気象や新種の疫病、その影響は挙げたらキリがありません。各国の連携により秘匿されていますが、この惑星はもう長くない。もうすぐ人が住むことのできない土地になるのです」


 そこまで一気に喋った小笠原氏は、ジャケットのポケットから数字が描かれたタバコのボックスを取り出すと、口に一本咥えてオイルライターで火をつけた。彼が深く吸い込むと、タバコの先端が真っ赤に明るく瞬く。そして、ゆっくりと紫煙が吐き出される。


「――わたしはソフトパックが嫌いでしてね。タバコはボックスと決めているんです。ソフトパックだと、タバコの葉が溢れてポケットの隅に溜まっていく。あれはいただけない」

 一服したことで落ち着きを取り戻したのか、小笠原氏の口調は穏やかなものになっていた。


「……」

 どうも様子がおかしい。この男、本当はなんなのだろう。


「あなたには、これからひと働きしていただきますので、少しお話ししておきましょう」

 ふぅっと小笠原氏がまた紫煙を燻らせると、濃厚な煙の匂いが漂ってきた。


「政治家や政府高官、資産家とその家族たち。そういった方々を優先的に移民対象とすべく、我々は動いています。ありきたりだと思うでしょうが、これこそがこの世の真実なのですよ。力のある者が生き残る。実に生物らしいじゃないですか」

 そのシニカルな物言いへの嫌悪感から、僕は反射的に口を挟んでしまう。


「生物らしい? えぇ、そんなものを人間らしいとは言わないですからね」

 すると小笠原氏は、呆れたようにため息と一緒に煙を吐き出した。


「いやいや、枕崎さん。これは非常に人間という生物の有り様を現していますよ。これが人間です。利己的で強欲で目も当てられない。すばらしいじゃないですか。わたしはそんな人間という種が愛おしくてなりませんよ」


 小笠原氏は精巧な蝋人形のような、どこか不気味さを感じさせる笑みを浮かべた。無表情で事務的な当初の印象からはかけ離れた、まるで別人のような小笠原氏の変貌ぶりに、言い知れぬ恐怖が躙り寄ってくる。


「あんた……大丈夫か?」

「そうですねぇ、大丈夫ではないですよ。せっかくあなたのおかげで、うさ乃さんとの交渉材料を手に入れられたのに、肝心の彼女がいないのですからね」

「なんのことだ?」

「瀬戸内さんの件ですよ。あれは彼らのなかでも禁止行為ですからね。それを交渉材料にすれば、移民の選出基準だけではなく、永遠の命を手に入れられたかもしれない」

 だいぶ論理が飛躍してやしないか。その程度の脅しで、うさ乃が全ての要求を飲むとは思えない。


「そいつを実現するには、強請りのネタがちょっと弱いんじゃないかな?」

 すると、小笠原氏は驚いたように目を見開いた。


「呆れた。本当に何も知らないのですね。いいでしょう。ついでですから、お話ししましょう」

 そう言うと、小笠原氏はタバコを指で弾いて灰を落とした。


「彼らの社会には、とある強力な社会規範が存在しています。――宗教ですよ。それは彼らにとっては根源的なもので、精神世界を完全に支配するほどの影響力を持っているものです。彼らの社会における宗教の影響は、地球におけるそれらの比ではありません。そして、その宗教によって、人為的に魂を蘇らせることは、神を冒涜する行為として厳格に禁止をされているのです。もし、タブーを犯した者がいれば、彼らの共同体はそれを許さないでしょう」


 初めて耳にする話だった。その話が本当だとすると、対価を支払うことになるのは――うさ乃だ。なんということだろう。瀬戸内さんを救うためとはいえ、うさ乃には禁忌を押し付けたということになる。僕の胸を言いようのない感情が蠢く。


「ひょっとすると罪の意識に耐えられなかったのかもしれませんね、彼女は。わたしの知る限り、彼らは例外なく敬虔な信徒ですから。うさ乃さんも身に付けていたはずですよ、彼らの信仰の証である小さな青い珠を」


 ペンダントに付いていた例のトンボ玉のことか。指で弄るのは、単なるうさ乃のクセだと思っていたけれど、クセ以上の意味があったようだ。


「彼女は、自らの罪を告白しに帰ったとも考えられます。うさ乃さんには、本国の監視などは付いていないようでしたからね。言わなければわからないのでしょうが、信仰心がそれを許さなかった……。まぁ、知らなかったとはいえ、あなたも残酷なことをしましたよ。彼女は様々な想いや感情を天秤にかけて判断せざるを得なかったはずです。苦しんだのではないですかね」


 僕は今更ながら、あの時のうさ乃の様子を思い出す。彼女の苦悩をまったくわかっていなかった。何かを思いあぐねていたのはわかっていたはずなのに、彼女に手を差し伸べられなかった。何かをしてもらうことだけを、僕は考えていたのだ。


 いま僕はうさ乃に詫びたかった。罵倒されたかった。殴ってもらいたかった。だが、もう彼女には手が届かない……。まただ。失わないと知ることができないだなんて、僕は何度同じことを繰り返せばいいのだろうか。


「贖罪をしたいのならば、わたしに協力してください。本国に戻っても彼女に居場所があるとは思えません。呼び戻すのです。わたしなら、彼らと政府の間に立って、うさ乃さんの居場所を作ることも可能ですよ。なんでしたら、その場所をあなたの側にすることだってできます。さぁ、あなたが彼女に働きかければ、まだ間に合うはずです」


 小笠原氏にどんな権限があるのかわからないが、その話は僕にやり直す機会を与えてくれているように思えてしまった。こんな話は考えるまでもなく断るべきなのに、僕の心には迷いが生じていた。


「ダメだよ、カツオくん」

 声の主を見やると瀬戸内さんだった。鋭い響きを含んだ声音で僕を制止する。


「瀬戸内さん……」

「そんな利己的な人が、うさ乃ちゃんのためになることなんて考えてるわけないよ! いまだって、カツオくんの負い目につけ込もうとしているだけじゃんっ!」

 めずらしく瀬戸内さんが声を荒げる。眇められたその目は小笠原氏をしっかりと捉えていた。


「おやおや、あなたがそんなことを言ってもいいのですかね、瀬戸内さん。良心が痛みませんか? 彼女を助けたいとは思わないのですか?」

 芝居じみた調子でおどけてみせる小笠原氏。瀬戸内さんの視線を正面から受け止めて、逸らしたりはしない。


「うさ乃ちゃんはそんな助けを求めてなんかいない。それは彼女の意思を踏みにじる行為だもの。それに、あなたの言っていることは憶測に過ぎない。いえ、そもそも内容が真実だという保証だってありはしない」


 すると、小笠原氏は一瞬、憐れむような目をして瀬戸内さんを見た。


「真実の保証ですか。この世の何が真実かなんて、誰にわかるというのです」

 携帯灰皿にタバコをねじ込むと、小笠原氏は視線を逸らして空を仰いだ。


「そんなに時間はありません。枕崎さん。答えを聞きましょうか」

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