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第八話 夏の日差し(タブー)(2)

 うさ乃は胸の青いトンボ玉を堅く握りしめながら、ゆっくりと吐き出すように言った。しかし、その声音には、まだ迷いが混じっている気配があった。うさ乃にしても、簡単にはいかない事情があるに違いない。それを想像できないほど、僕だって愚鈍ではないつもりだ。でも、それを押してでも僕は叶えたいのだ。理不尽な世界に抗いたいのだ。


「あぁ、覚悟はしているよ」

 すると、突然、複数の作業員が僕らの周りをブルーシートで覆い始めた。


「なっ、いったい……」

 周りの状況が見えていなかった僕は、いきなりの出来事に慌ててしまう。


 警戒して身を硬くしはじめた僕の耳に、聴き覚えのある声が届く。

「目隠しをさせてもらいました」

 見慣れた黒のスリーピース。


「……小笠原さん」

 相変わらず表情はなかったが、目だけはギラついているようにも見える。


「基本的には不干渉なのですが、少し事情があったものですから。申し訳ございません」

 そんな小笠原氏を、うさ乃はちらりと一瞥すると、無言で瀬戸内さんの側にしゃがみこんだ。ジェスチャーでウィンドウを立ち上げて指先で操作をしていく。そして、手首に付けているデバイスを瀬戸内さんの方へ向けると、白い光を照射しはじめた。光はホログラムのように大きな立方体となり、瀬戸内さんの全身をすっぽりと包んでしまう。


 うさ乃はその様子を確かめると、祈るように片手で胸を押さえてから、ウィンドウに触れて何かを実行させた。


 半透明の立方体の中で青白い光が動き始める。

 そんな中、ふと横を見ると、小笠原氏が作業員のひとりに、その様子を撮影をさせている姿が目に入った。


 ――彼らはいったい何をしているのだろうか。


 一瞬だけそんな疑問が頭を掠めたが、すぐに僕の意識は瀬戸内さんへと向かった。

 どのぐらいの時間が経ったのだろうか、一分ぐらいだったような気もするし、十分ぐらいだったような気もする。どういう訳か時間の感覚が麻痺していた。


 気がつくと、光の立方体は消えていて、最初と同じ体勢で瀬戸内さんが横たわっていた。しかし、さっきとは違い、その四肢には芯が通っているような確かさが感じられた。


 瀬戸内さんの隆起した胸が、ゆっくりと上下する。


 ――呼吸をしている。

 僕は瀬戸内さんに駆け寄ると、大声で呼びかけた。


「瀬戸内さんっ! 瀬戸内さんっ! 聴こえる!? わかる!?」

 すると、御蔵さんと鳴門もやってきて呼びかける。


「ウミちゃんっ! 目を開けて!」

「大丈夫か!? ウミちゃんっ!?」

 僕は視線を上げてうさ乃を見た。うさ乃は胸のトンボ玉をきつく握りしめたまま、こくんと小さく頷き返してくる。


「……っん、うん……?」

 瀬戸内さんが眩しそうに薄く目を開ける。


「瀬戸内さんっ!」

「ウミちゃん!」

「大丈夫か!?」

 頭を摩りながら瀬戸内さんは身体を起こしはじめた。


「――あれ? ……みんな? あたっ!? んんっー、あちこち痛いんだけど……」

 あの瀬戸内さんが、本当に動いて話している。


 大きな猫目がくるくると忙しなく動き、瞬きの度に長い睫毛が揺れる。

 薄い桜色の唇が言葉を紡ぐと、聴き馴染んだ彼女の声が僕の耳に届いてくる。


 もう二度となかったかもしれない世界が再び動き出す。


「――よかった……」

 思わず声が漏れ出てしまう。安堵に震えるこの手で、僕は彼女を抱きしめたかった。


 でも、そうすることは躊躇われた。

 僕は御蔵さんに視線を向ける。

 彼女の想いをないがしろにしていい訳がない。


「御蔵さん、僕は……」

 嬉しさに泣きじゃくっていた御蔵さんは、顔を上げると僕の目を真っ直ぐに見つめてきた。


「……わかってますよ」

 そう言って、御蔵さんは柔らかく穏やかに微笑んだ。


 その瞬間、僕は理解をした。

 僕は、御蔵イルカという女のコのことが好きだ。けれども、そこにあるのは、僕が瀬戸内さんに抱いている感情とは別のものだ。


 瀬戸内さんの存在は、もう既に僕自身を構成する一部だと言ってもいい。彼女なくしては、いまの僕は僕たり得ないだろう。彼女を通して触れた世界は、とても眩しく輝いていて、彼女がいれば、僕もその一員になれると信じることができた。


 ――瀬戸内さんなのだ。


 僕は御蔵さんに目で頷き返すと、瀬戸内さんに向き直った。


「――瀬戸内さん。僕は、僕は瀬戸内さんが好きだ。僕には瀬戸内さんが必要で、瀬戸内さんにも同じように思ってもらえると、嬉しい」

 もう恥も外聞もなかった。僕は正直に、簡潔に思うままを伝えた。


「えっ、ちょっ、どうしたのカツオくん? そう言ってくれるのは嬉しいけど……そんな思い詰めたように……えっ? 大丈夫?」

 ただでさえ自分の置かれている状況に混乱していた瀬戸内さんは、事態が飲み込めずに更に困惑しているようだった。


「どうしても伝えておきたかったんだ。僕がそう思っているってことを、どうか知っておいてほしい」

 僕が真っ直ぐに瀬戸内さんの瞳を見据えながら言うと、彼女は目を逸らさずに見つめ返してきた。


「――うん」

 すると、近づいてきていた救急車の音が、ぴたりと鳴り止んだ。


「救急車が到着したので、瀬戸内さんは一旦病院へ。念のために検査を受けてもらいます」

 言って、小笠原氏は救急隊員を手招きする。


「瀬戸内さんの付き添いを頼めるかな?」

 僕は立ち上がると、御蔵さんと鳴門の二人に尋ねた。


「おまえは行かないのか?」

 鳴門は意外そうに言うと、ちらりと瀬戸内さんを見やった。


「あぁ、うさ乃にちょっと話があってね。後で顔を出すよ」

 そして、うさ乃の方へ視線を巡らせる。


「うさ乃。瀬戸内さんはもう大丈夫なんだよな?」

 例のウィンドウを操作していたうさ乃が顔を上げる。


「えぇ、なんの問題もありません。検査だって不要ですよ」

 少し不満げにうさ乃が答える。


「まぁ、そこはいろいろ事情のある話だからさ、むくれんなよ」

 僕は、救急車へ向かおうと立ち上がった瀬戸内さんに声をかける。


「だそうだから、安心してよ」

「うん。よくわかんないけど、わかった」

 瀬戸内さんは困惑しながらも、にこりと笑顔を見せてくれた。


「また、後で」

「うん、待ってる」

 こくりと頷いた瀬戸内さんに別れを告げて、僕はうさ乃の所へ向かった。


「うさ乃、ありがとう。瀬戸内さんを助けてくれて」

 ウィンドウで何か作業をしていたうさ乃は手を止めると、僕を見上げた。


「わたしもどうかしてます。干渉はしないのが原則だったんですけどね」

 うさ乃は例のトンボ玉を指で弄びながら、わざとらしく、ため息混じりに言ってみせる。


「その……対価の話だけど、いつ支払えばいい? 約束だし、後悔はしてないけど、心の準備はしておきたい」

 もう腹は括っているが、一応、周りに挨拶ぐらいはしておきたい。


「いえ、対価を支払うのは残波岬さんではありません。あれ? 言ってませんでしたかね?」

 覚悟を決めて切り出したのに、うさ乃はトボけた様子で返してきた。


「……はぁ!? そんなん言ってないよ。じゃあ、どうなるんだよ!?」

 そもそも支払う対価とは、いったいなんなんだって話にもなる。


「まぁ、それは知らなくてもいいことですよ」

 そう言うと、うさ乃はぷいっと歩いて行ってしまう。そして、小笠原氏の前で足を止めると、ジェスチャーでウィンドウを表示させた。


「あのクルマの運転手は『青うさ会』の構成員ですね。あなた方が彼を確保したことは知っています」

 ウィンドウには一人の男の画像が映し出されていた。


「えぇ、彼はこの国の法規を逸脱しましたので、我々が然るべき手順を踏んで、その身柄を拘束しました」

 小笠原氏は少し警戒するように、言葉を選んで慎重に答える。


「彼は、わたしたちが事前にお渡ししていたリストに記載されている人物ですが、適切に対処していただいていたのでしょうか?」

 うさ乃が指先を動かすと、ウィンドウに顔写真のサムネイルが一覧で展開された。


「もちろんですよ。ですから、こうして迅速な行動をとることができています」

 顔色ひとつ変えずに小笠原氏は述べるが、その声の抑揚には、どこか人を小馬鹿にしたような響きが感じられた。


「わたしたちは、彼らが接触してこないように処置を希望したのですがね。ご理解いただけていませんでしたか?」

 うさ乃の声音にも鋭さが混じりはじめる。


「我が国は、何もしていない善良な市民を捕まえて閉じ込めておくような人治国家ではありません。まともな法治国家です。監視を付けて警戒しておく、それが最大限ご協力できることですよ」

 この返答に含まれるウソの感触は、さすがに僕でも気がつくレベルだ。


「――まぁ、今回はそういうことにしておきます。ですが、わたしたちも常に寛容な訳ではない、ということはお伝えしておきましょう」

 うさ乃はくるりと踵を返すと、そのまま僕の方へと戻ってきた。


「うさ乃、どういうことだよ? 『青うさ会』ってなんなんだ?」

 どうやら小笠原氏個人なのか、国家としてなのかはわからないが、彼らはうさ乃たちに含むところがあるようだ。


「政治団体です。『青い地球をうさぎから守る会』というのが正式名称で、所謂ところの過激派です。わたしたちのことがとにかく気に入らないという集団のようです。彼らの主張は論理が破綻しているのですが、信奉者は少なくありません。人は本質的に異質なものを認められないということなんでしょう」

 さっきウィンドウに映し出していたリストを、うさ乃は僕にも見せてくれた。


「こいつらが瀬戸内さんを……」

 リストに載っている顔写真はどれもみな若く、男女ともに普通の人たちのように見えた。


「わたしたちは今回のような不幸な事故が起こらないように、事前に彼らについての情報を日本政府に伝えていました。ですが、まぁ、奸物というのは何処にでもいるようで、情報は恣意的に使われたようです」

 うさ乃の言葉には、侮蔑と嫌悪の情が込められているように感じられた。


 そのまま僕たちは瀬戸内さんが運ばれた病院へと向かった。うさ乃の言ったとおり、瀬戸内さんの状態には問題がなかったが、詳細な検査のためにその日は入院となった。


「経過観察活動は一旦中断することになりました」

 病院から戻ってくると、うさ乃は唐突にそう言いだした。


「えっ? どうしたんだ?」

 あまりに突然だったので、僕は驚いて声が裏返りそうになった。


「事故が起こってしまいましたし、日本政府の協力体制にも疑義が生じています。一度、正式な外交ルートから申し入れを行う必要があると、本国の上層部は判断をしました。次の動きが決まるまで、わたしも一旦、月面の支局に戻ります」

 そう言って、うさ乃はベッドに倒れ込むと、うつ伏せのまま続けた。


「明日、戻ることになります。小笠原氏には伝えないつもりなので、少しごたごたするかもしれません。迷惑をおかけするかと思いますので、いまのうちに謝っておきます」

 うさ乃はベッドに突っ伏したままだった。


「明日って、急だな……。また来るんだろ? これでお別れってのも、なんだかその――寂しいし……」

 僕は知らないうちに、この生活がいつまでも続いていくものだと錯覚していたようだ。そんな訳はないのに……。


「わかりません。それはわたしが判断することではありませんので。でも、おそらく、もう一度ここへ戻ってくるのは難しいでしょう……」

 そのうさ乃の言葉は、静かに部屋の中を漂うと、虚しく消えていった。


 僕が何も言えずにしばらく黙っていると、いつの間にかうさ乃は寝息をたてていた。昼間の一連の騒ぎで疲れたのだろうか。


 僕はうさ乃の側まで行くと、上掛けをかけてやった。するとその時、うさ乃が反応するように寝返りを打ったので、頭の動きにあわせてお面が少し浮き上がった。隙間からは、うさ乃の白い頬がのぞき見える。


 その瞬間、僕は衝動的にうさぎのお面に手をかけていた。僕はうさ乃に初めて会った時から、どうにもお面の下の素顔が気になって仕方がなかったのだ。指先にあと少し力を込めるだけで、お面は外れるだろう――これが、最後の機会かもしれないのだ……。


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