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第七話 二日目/夜 アルクホール・ファイヤーワークス(2)

 僕は懐中電灯を持って貯水池への坂を下りていった。手元から伸びる灯りの他は全くの暗闇で、本当になにも見えなかった。時折、空に上がる花火の灯りも、道を照らし出すまでには至らなかった。


 記憶と勘を頼りに池の畔までやってくると、思ったとおりベンチにタオルが置きっ放しになっていた。

「あぶねー、あったよ」

 僕が独りごちてタオルを回収すると、背後でまたひとつ花火が上がった。なんとなく視線をそちらへ向けると、広場の入り口に人影が見えた。懐中電灯の灯りがゆらゆらと揺れながら、こちらへと近づいてくる。


「枕崎くん……?」

 御蔵さんだった。少し覚束ない足取りでベンチの所までやってきた。


「御蔵さん!? どうしたの? ひとり?」

 僕は御蔵さんの側まで歩み寄ると、懐中電灯の灯りを間接的に当てて、彼女の表情を窺った。


「えっと……ついれきちゃいました……」

 御蔵さんは照れ笑いを浮かべて、視線を足元に落とす。


「今日はけっこう飲んでるけど、大丈夫?」

 どう見ても御蔵さんはデキ上がっていた。口調も目付きもとろんとしている。


「らいじょうぶれす」

 言って胸を張ると、御蔵さんはその胸をトンと叩いてみせた。そんな一連の動作を目で追っていると、図らずしも御蔵さんの量感溢れる胸部を注視する恰好になっていた。僕はそのことに気が付いて、慌てて視線を逸らす。


「……うん、じゃあ戻ろうか。足元、気を付けてね」

 脚を踏み出して御蔵さんの横を通り過ぎようとすると、くいっと強めに後ろから腕を掴まれた。


「――枕崎くんのころが、好きれす」

 そう御蔵さんは言った。と思う。驚いた僕が視線を上げて振り返るのと同時に、夜空へまた花火が上がる。


「……御蔵さん?」

 花火の灯りに薄っすらと照らされた御蔵さんの顔を見つめながら、僕はその意味を理解できずにいた。そして、花火が夜空に溶けてしまうと、僕らは再び夜闇に満たされた。すると、彼女は唐突に声を張った。


「――はい。そうです。わたしですっ」

 酔いも手伝って、御蔵さんはいつもよりも思い切りのいい返事をしてくる。


「えっと……御蔵さんが、僕を……ってこと?」

 聴き間違いや思違いの可能性に全力で頭を巡らせて、激しくなる胸の動悸をやり過ごそうとしてみる。きっと何かの間違いだろう。


「――はい。わたしは枕崎くんのことが好きなんですっ」

 それは間違いようもなく、御蔵さんの口からはっきりと発せられた。


 僕はこれまで、その可能性を考えたことがなかった。いや、正確には夢想したことはある。けれども、それは現実とは相容れない一種のナルシズムのようなもので、願望とも妄想とも呼べない、瞬間的な思い付きだった。


 瀬戸内さんは否定をしていたけれども、僕は御蔵さんにあまり快く思われていないと理解をしていた。確かに、勘違いをしそうになる瞬間はあったけれど、それは僕の惨めったらしい自意識のせいだと思っていた。


 僕の頭の中を、これまでの様々なやり取りや出来事が交錯する。

 驚きのあまり、僕が反応できずにいると、御蔵さんはそのまま続けた。


「枕崎くんがぁ、ウミちゃんを好きらことは知ってるらす。らから、ウミちゃんに訊いてみらした」

 御蔵さんの言葉の調子に酩酊感が戻ってくる。


「ちょ、ちょっと待って。訊いてみたって、何を……」

 まさか、そのまま訊いたのか御蔵さん!?


「いま好きな人がいるろか訊いたらぁ――」

 打上げ音が響いて、次の花火が向こうで上がる。夜空に散り広がる遠い灯りが、僕らを淡く照らしてくる。


「――いないそうれす」


 薄い微笑を浮かべた、御蔵さんの綺麗な顔の輪郭が、夜闇に儚く消えていく。


「ウミちゃんが、ウミちゃんがぁウソをつかないのは知ってますらよねっ!? だから、その答えは、本当のことらと思います」

 確かに瀬戸内さんはウソをつかない。真実を言えない時は黙っているというタイプだ。


「わらしは、枕崎くんのことぉ、好きれす。一年の時、初めて会っら日から」

 下を向けたままの懐中電灯の灯りでは、御蔵さんの表情までは届かない。


「……うん」

 相槌を返すので精一杯だった。


「わぁらしなら、一方通行の想いが、ろんなものか、わかりますよぉ? たぶん、枕崎くんの一番近くに、行けるとぉ思いますっ」


 そこで一旦区切ると、小さく息を吸ってから御蔵さんはさらに続けた。


「わらしを好きに、なってくえるなら、他の誰を好きれも、構いませぇん。例え、それが、同情らとしても」

 虫の音が遠くで聴こえる。さっきまであんなに鳴いていたカエルの声は、もう聴こえてこない。

 僕は何と返したらいいのか、まったくわからなかった。御蔵さんの話も半分ぐらいしか飲み込めていない。


「御蔵さん……」

 どうにか口を開いても、その後が何も続かない。口にした彼女の名前が、宙に浮かんだままどこへも届かない。


「今日ら、それらけ言いに、きましたっ」

 また、花火が高く打ち上がる。そして、大きな華を夜空に咲かせると、その煌びやかな灯りは下界へと降りそそがれる。


 照らされた御蔵さんの顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。それは、いままでに彼女が見せてくれた、どんな笑顔よりも御蔵さんらしいと僕は思った。


 すると、御蔵さんはその場にへなへなと座り込んでしまう。


「御蔵さんっ!? どうしたの!?」

 僕が慌てて御蔵さんを支えると、彼女は何かを呟いた。でも、それが何と言っていたのかは、僕にはわからなかった。


 その後、いくら呼びかけても御蔵さんは、あーとか、うーとしか答えず、瞑目したままぐんにゃりとしていた。そんな前後不覚になっている御蔵さんを抱えるようにして立たせると、僕は別荘までの坂道を上りはじめた。


 手や腕を回す箇所にはそれなりに気を遣う。それでも、御蔵さんに触れている部分から感じる体温と柔らかさには、妙な背徳感があって、僕の偽善的な建前を激しく揺さぶってくる。くわえて、御蔵さんからはシャンプーの香りに混じって、仄かなアルコール臭と、湿度のある肌の匂いがした。それは甘いのにどこか生っぽい、異性の匂いだった。僕はこじ開けられそうになる欲望の扉を、なけなしの理性でどうにか抑えつける。


 己との激闘に辛くも勝利した僕は、どうにか別荘のウッドデッキまで戻ってこれた。そこから先は瀬戸内さんが代わってくれて、御蔵さんを二階の部屋へと連れていった。


 すっかり疲れきった僕が、リビングにあるL字型のソファへ沈むように腰を下ろすと、向こう側のクッションでは、あられもない格好でうさ乃が転がっていた。


 ずり下がったショートパンツからは尻の割れ目が少し覗いていて、大きく捲れ上がった黒のタンクトップからは、お腹と背中が剥き出しになっていた。規則的なイビキをかいていなければ、変死体のように見えなくもない。


 うさ乃のやつ、自分が誘導するから言うことを聞けみたいな感じだったくせに、結局は自分が楽しんじゃって、さっぱり役に立たなかった。


 おまけに、瀬戸内さんにアプローチするはずが、御蔵さんに告白されるという予想外の展開になってしまうし……。いや、予想外なのか? 旅行の前にうさ乃は何と言っていた? 御蔵さんを対象外にしてもいいのかどうかとか……。もしかして、うさ乃にはわかっていたということなのか?


 僕は立ち上がり、ひっくり返っているうさ乃の側までいくと、あらためて彼女を見下ろした。暢気にイビキをかいていて、お面の縁にはよだれの形跡があった。僕は捲れた服を直してやり、近くにあったタオルケットをうさ乃のお腹にそっと掛けた。


 ――でもまぁ、もう少し先延ばしにしてもいいか……。この状況では、僕もそんな気にはなれない。うさ乃もなんだか楽しそうにしていたし、いまのところは、これでよかったのかもしれない。


 そうやって自分に言い訳ができるようになってしまった僕は、冷蔵庫からビールを取り出すと、ウッドデッキで花火を見上げている鳴門の所へと向かった。

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