第六話 二日目/昼 水菓子はシャチと一緒に(1)
窓の外から鳥のさえずりが聴こえてきたので、朝も明けきらないうちに僕は目を覚ました。それは普段、聴いたことのないような馴染みのない鳴き声だった。
あまりよく眠れなかった。同室の鳴門のイビキがうるさかったということもあるけれども、横になってからなかなか寝付くことができなかった。鳴門はまだ寝ている。
下の階から御蔵さんとうさ乃の話し声が聴こえてくる。くぐもっていて会話の内容まではわからないが、時々混ざる笑い声からは楽しげな様子が伝わってきた。
階下へ降りていくと、昨夜は早めに床についていた二人は、朝早くから元気いっぱいといった感じだった。
うさ乃は僕の顔を見るやいなや、水遊びセットを手元に引き寄せて騒ぎはじめた。
「さぁ、いますぐとっとと川へ行こうじゃないですか!?」
すずいっと僕に詰め寄ってくるうさ乃。
「いや、まだみんな起きてないからな」
言い訳をするように僕が言うと、うさ乃は二階へかけ上っていった。
すると、すぐに瀬戸内さんの悲鳴と、鳴門の悶える声が聴こえてきた。
どうやら手荒な手段で二人を起こしたようだ。
「さぁ、みなさん。川へ行きますよ!」
うさ乃に急き立てられて、クルマで川へと向かう。
瀬戸内さんと鳴門は、ぼうっとしながら眠い目を擦っていた。
途中でコンビニに立ち寄って、朝兼昼飯を調達する。
昨日の夜にたくさん食べたせいか、僕はあまり空腹を感じていなかった。どうやらみんなも同じらしく、それぞれが手にしていた品は、たいぶ軽めの内容だった。
一名を除いては。
「それ全部喰うの?」
鳴門が四人前ぐらいの分量を、鼻唄混じりでカゴへと入れていた。
「地域限定とか、テスト販売の商品とかあって、どれも見過ごせないんだよな」
確かに、自宅近所のコンビニでは見かけないような商品が結構あったりする。
「程ほどにな」
気持ちはわからんでもないが、ものには限度がある。
「大丈夫。これからしっかり泳ぐから」
そう言って、鳴門はクロールのように腕をかく真似をする。
「そんなに深くなさそうだったぞ、あの川」
昨日、見た印象では、このところの晴天で水量が少なそうな感じがしたのだが。
「なぁに、楽しみ方はいろいろあるさ」
鳴門は、にやりと口の端をあげると、思わせ振りに眉を上げてみせた。
河原にはそのまま入って行けたので、川岸近くにクルマを停める。
すると、いてもたってもいられないといった感じで、うさ乃が後席から転がり出た。
走りながらライトブルーのワンピースを脱ぎ捨てる。
またもや、正式な作法として下に水着を着込んでいたようだ。
そしてなんと、うさ乃が着用していたのは、あれほどダメ出しをしておいた例の水着であった。しかも、胸元にはいつもの青いトンボ玉の他に、一昨日にはなかった名前のゼッケンまでもが付いている。
「うさ乃!? おまえ、なんでそれを!? それに、そのゼッケンは!?」
抜かった。こうなることは十分に予測できたことだ。
「あぁ、瀬戸内さんが昨日の夜に付けてくれました。やっぱり、これには名前のゼッケンがないとダメだとかで」
ゼッケンを摘みながら、うさ乃が答える。
どうやら瀬戸内さんは、積極的にこれに関わったようだ。
あれ? ひょっとすると、なんの問題もなかったのではないだろうか。僕が考え過ぎていたということか。邪まな人間は僕なのか?
僕が自問自答をしながら形勢不利の状況に冷や汗をかきはじめていると、視界の端で瀬戸内さんがTシャツを脱ぎはじめた。
「うさ乃ちゃん、かわいいよね」
思わずどきりとしてしまう。どうやら、瀬戸内さんも正式な作法に則っていたようだ。
Tシャツの下はビキニのトップにデニムのショートパンツタイプといった水着姿で、快活な瀬戸内さんのイメージにはぴったりだった。適度に引き締まりながらも、丸みを帯びた全身のラインは美しく、白い素肌が太陽の光を受けて、更に白さを増していた。
「うーん……もっと違う水着を勧めたんだけどね」
僕はなんとなく瀬戸内さんを直視していられなくて、目を逸らしてしまった。その視線の先。クルマの向こう側では、隠れるように御蔵さんが上着を脱いでいた。
ホルターのタンキニにショートパンツを合わせた、だいぶ露出が控えめな水着姿だった。グラマラスな御蔵さんのラインはふんわりしたデザインによって隠れてしまっていたが、照れてもじもじしている様子や、ちらりと垣間見えるお腹の白さなどは、なんとも艶かしい印象を与えるものだった。
「あ、あの……これ、冷やしておきましょう」
そう言って御蔵さんがクルマから出してきたのは、網目状の紐で吊るされたスイカだった。昨日のスーパーで大玉を見かけて、スイカ割りをしようという話になったのだった。夏の風物詩的によく話には出てくるものの、僕は実際にスイカ割りをやったことがなかったので、実は少し楽しみにしていたりする。
川岸に大きめの石で囲いを作って、水の中へとスイカを入れる。水はなかなかのつめたさで、これならおいしく冷えるに違いなかった。
「きゃっ、つめたいっ!」
脚を水に浸けた御蔵さんが、思わず声を上げた。
「つめたいよね。でも、あっちじゃ平気そうに泳いでるよ」
そう言って僕が視線を向けた先では、鳴門とうさ乃が派手に水しぶきをあげて泳いでいた。水深が浅いのによくやる。
「こっちはあったかいよーっ!」
すると、向こうで瀬戸内さんが手招きをしていた。行ってみると、傍流が川岸で溜まって小さいプールのようになっていた。緩いながら流れもあるので、水の鮮度は保たれているようだった。
「そりゃっ」
妙に意気込んで瀬戸内さんが水に浸かる。
「おぉっ! 温泉みたいだよっ!」
そのまま、瀬戸内さんは水の中で仰向けに横たわった。
「ほら、イルカちゃんもっ!」
瀬戸内さんが水面をばしゃばしゃやって御蔵さんを促す。
「う、うん」
御蔵さんもおそるおそる脚を水へと浸ける。
「ホントだぁ! あったかぁい!」
言うと、御蔵さんも水の中で横になった。
「カツオくんの入るスペースはないねぇ、ごめんね」
笑いながら瀬戸内さんが脚をばたばたとさせる。
「えっ、でも詰めればなんとか……」
御蔵さんが横にズレようとしてくれる。
「あぁ、大丈夫だよ御蔵さん。僕はここで待ってるから」
僕は手近な岩に腰を下ろした。あらためて水溜りを眺めてみると、それはなかなかに壮観な眺めだった。水着姿の魅力的な女のコが、狭い水溜りに二人で身を寄せ合うように横たわっているのだ。普段であれば、いろいろ捗るシチュエーションなのだが、こんな間近ではじろじろと見るわけにもいかない。必然、僕の視線はふらふらと宙を泳ぐことになる。
すると、向こうでうさ乃が僕に向かって何かを叫んでいる様子が見えた。
「なんか用かぁ!?」
大声で訊き返すと、今度は何を言っているのか聴き取ることができた。
「シャチを持ってきてくださいっ!」
どうやら、よくある白黒ツートンの巨大浮き輪のことのようだ。ヒトを顎で使いやがって……。
クルマまで戻ってみると、シャチはきれいに折りたたまれたままだった。
「空気入れるトコからかよっ!?」
誰もいないというのに、思わず声に出してしまった。
それから、しゅっしゅっとエアポンプを必死に脚で踏みつけて、やっとシャチが立体の姿を現した。
そんなシャチを抱えて、うさ乃のいる比較的流れの速い場所へと向かう。
うさ乃はさっきから、浮き輪で上から下へと何度も下っては、その度に歩いて川上へ戻るということを繰り返していた。
「おい。持ってきたぞ」
気が触れたように、きゃっきゃと奇声をあげているうさ乃へシャチを見せる。
「もう、遅いじゃないですか」
ここまでの僕の努力と好意をむしろ責められた。
「あのな、膨らませてもいなかったやつだぞ!? そりゃ、時間かかるよ!?」
さすがに、かちんときてしまい、声を荒げてしまう。しかし、そんなことは意に介した様子もなく、うさ乃はひったくるようにして僕の手からシャチを奪う。
「さぁ、ついてきてください」
うさ乃はシャチにしがみつくようにして水に飛び込むと、下流へ向かって流れていった。
ついてくるように言われてしまったので、僕はその後を歩いて追いかけるが、圧倒的にシャチの方がスピードが速い。みるみるうちに、うさ乃が小さくなっていく。
先の方、川の流れが左に大きく曲がっていくポイントに差し掛かると、うさ乃はシャチを降りて、僕が追いつくのを待っていた。
「じゃあ、上まで引っ張ってください」
ようやく僕がうさ乃の側までやってくると、うさ乃は何でもないことのように、しれっとシャチに繋がっている紐を渡してきて、自分はまたシャチにしがみついた。
「まさか、おまえ……歩かないつもり?」
どう見ても、そのつもりにしか見えなかったが、万が一ということもあるので、一応、うさ乃に尋ねてみる。
「それは愚問というものですよ」
ふふんっと鼻で笑われてしまった。
その後、この一連の流れを延々と繰り返すことになった。いいかげん歩き回るのにも疲れたので、僕も下りは別の浮き輪で流れることにした。途中、役目を鳴門に押し付けようとしたのだが、やつは別荘の倉庫から持ち出した網を使って、川岸の茂みを漁場に魚獲りに熱中していたので、断念せざるを得なかった。
「うさ乃。ちょっと休憩しないか? もう脚がパンパンだ」
「情けないですねぇ。まぁ、仕方ありません、少し休みますか」
うさ乃は少しだけ不満そうな気配をみせながら、シャチを担いで川から上がった。
クルマまで戻ってくると、瀬戸内さんと御蔵さんがお茶をしていた。




