第五話 一日目/ビター、それは(シニカル)(5)
僕らは必要な物を揃え終わると、大量の荷物と一緒にクルマで別荘へと戻った。
到着するなり、すぐにみんなで準備に取り掛かる。玄関前の森へ向かって張り出している、ウッドデッキが設営場所だった。
鳴門と僕は、倉庫から炭火用のバーベキューコンロを出してきて組み立てると、緩く丸めた新聞紙の上に、買ってきた木炭を並べて火を起こした。
汗だくになりながら団扇で扇いで、ようやく火起こしに目処が付いた頃、うさ乃が僕の腕を引っ張ってきた。
「指示があるのを待っているよりも、率先して動く方がタイプのはずですよ」
小声で耳打ちしながら、うさ乃は別荘の窓の方へと顎をしゃくってみせる。そこからは、室内のキッチンで野菜を洗っている瀬戸内さんの姿が見えた。
「これからわたしは御蔵さんと一緒にテーブルセットを並べるので、たくさんある食材の下ごしらえをする人は一人になってしまいます」
うさ乃の言わんとするところはわかったので、僕は鳴門へ声を掛けた。
「後は全部任せてもいいか?」
「おう、大丈夫だ。任せろ」
鳴門は団扇を片手にビールのプルトップをパシュと開けると、ごくごくごくと喉を鳴らして飲みはじめた。
僕は炭で黒くなった軍手を外すと、玄関のドアを開けて中へと入り、リビングを抜けてキッチンへ向かった。途中、うさ乃と御蔵さんが一緒にイスを並べている様子が、窓の内側からちらりと見えた。
「瀬戸内さん。洗い終わったやつ、よければ切ろうか?」
シンクでキャベツを剥いている瀬戸内さんの背中に呼び掛ける。
「あっ、カツオくん!? 火はもういいの?」
洗う手は止めずに、瀬戸内さんは背中越しに振り返りながら答えた。
「あぁ、もう大丈夫だよ。こっちの分から切ればいい?」
水滴に濡れている玉ねぎを掴みながら、瀬戸内さんを見やる。
「うん、ありがとう。すごく助かる。じゃあ、お願いしようかな」
瀬戸内さんは包丁を取り出すと、柄の方を僕に向けて渡してくれた。
包丁を受け取って瀬戸内さんと一緒にキッチンに並ぶと、ふと視線を感じて窓の方へと首を廻らせてみる。
すると、うさ乃がデバイスを指差しながら、こくこくと頷きかけてくる姿が目に入った。おそらくは、瀬戸内さんがバイタル的な反応を何か示したということなのだろう。どうやら、うさ乃は本当にサポートしてくれるつもりらしい。動機は利己的なものだが、それはそれでありがたくもある。
そのまま、瀬戸内さんと喋りながら野菜をカットしていたら、あっという間に切り終わってしまった。
「カツオくん、すごく手際がいいよね。料理するって言ってたけど、ちょっと見直しちゃった」
なんとなく、いい感じができている気がする。うさ乃の言うことも満更じゃないかもしれない。
その後、焼き方を鳴門が仕切りながらのBBQが始まった。
鳴門は自分が食べるのもそこそこに、みんなのペースを見計らいながら、マメに調理に勤しんでいた。
炭火で焼かれる食材の香ばしい匂いと、立ち上る白い煙り。赤々と熱を放ちながら、時々パチンと弾ける木炭の炎。じんわりと暮れていく色濃い夏の空。辺り一面で、近く、遠く響き渡る虫の音。絶え間ない、みんなの楽しげな笑い声。
ほろ酔いかげんで気分のよくなっている僕には、すべてが素晴らしく感じられた。
こんな時間がこれからも続けばいいと、藍色の空に輝きだした金星を見上げながら、僕は思った。
炭火も熾に近づいて、宵闇もとっぷりと暮れた頃、リビングのソファではうさ乃がひっくり返っていた。
それは、デバイスからの警告を無視して、ビールを半ダース完飲した結果だった。鳴門はとっくに酔い潰れていて、すでに二階の部屋で大イビキをかいて眠りこけている。御蔵さんは寝る前にと、もう一度シャワーを浴びに行った。
そして僕は、燻りながらも、まだ強烈な熱を放っている炭火の番をしながら外でビールを飲んでいた。窓の向こうには洗い物を片付けている瀬戸内さんの姿が見える。
こうして夜の暗闇で炎に照らされていると、その灯りの中に溶け込んでいってしまうような気がしてくる。
燃え尽きる前の最後の眩い輝き。
真っ白になった木炭の中心部で、真っ赤に静かに燃える炎。
ガチャリと扉の開く音がして、僕は自分が炎に魅入っていたことに気が付いた。結構な時間が経っていたようで、ほとんど空になっていたビールの缶が熱くなっていた。
「おつかレンコンっ」
片付けが終わった瀬戸内さんだった。片手には缶ビールを持っている。
「一通り終わったから、わたしも飲んじゃおっかな」
そう言って瀬戸内さんは僕の隣のイスに腰掛けた。
パシュッとプルトップを開ける音がして、こくりと一口だけ嚥下する気配が伝わってきた。
「苦ぁいっ! んんーっ」
見ると、瀬戸内さんがコンロの炎に赤く照されながら、渋い表情を浮かべていた。
「こんな苦いのに、よくみんなおいしそうに飲むよね!?」
瀬戸内さんはつまみ上げるように缶を持つと、ラベルに描かれた鯛を抱えたエビス様とにらめっこをはじめた。
「味覚は経験によって作られるっていうから、飲み慣れればおいしくなるのかもね」
そんなことを言う僕も、本当にこれを旨いと思っているかといえば、大いに疑問ではある。
「じゃあ、飲み慣れていない、お子さまのわたしの口には合わないから、残りはあげる」
そっちのはもう空でしょ? と続けて瀬戸内さんは自分が飲んでいた缶を渡してきた。缶を受け取ると、しっかりとした重量感があった。中身が減っていないからの重さなのか、はたまた、違う意味を勝手に見出しているからの重さなのか。
――違う。僕はこんなことでは動揺なんてしない。意識するから、おかしなことになるのだ。でも、瀬戸内さんだって、少なくとも嫌悪感を持っている相手には、こんなことはしないだろうとも思う。
彼女は僕がこの缶に口を付けることを、どう思うのだろう。
いや、そもそも、瀬戸内さんは僕のことを、どう思っているのだろう。
僕はそれが知りたくもあり、また、知りたくないとも思う。
でも、確かにうさ乃や鳴門が言うように、言葉にしなければ伝わらないこともある。
――伝えるならば、いまなのではないか。
いまなら、酔った勢いで、暗闇に紛れて言えてしまう気がする。
そう思って僕は口を開きかけたが、瀬戸内さんの方が早かった。
「あっ、コップ持ってこようか?」
思わず気の抜けた声が漏れる。
「えっ?」
反射的に瀬戸内さんの方へ視線を向ける。
「わたしが口をつけちゃったやつなんて嫌だよね。わたしったら気が利かないな、ごめんね」
瀬戸内さんが腰を上げかけたので、僕はとっさにそれを制した。
「いや。全然そんなことないよ」
そして、なんでもないことのように、僕は動揺と一緒にビールをごくりと飲み下す。
ひんやりとした缶の飲み口。
口中に広がるホップの香り高い苦味。
苦味が旨いだなんて、なんと皮肉な飲物なのだろうか。
僕は、できれば苦い想いはしたくない。
ビールが胃の腑に届く頃には、僕の想いを伝えようという気力は、すっかり萎えてしまっていた。




