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第一話 うさぎが来たりてメシを喰う(2)

 何かあれば携帯に連絡をくださいと言い残して小笠原氏が行ってしまうと、僕とうさぎのお面女子は玄関先で棒立ちのまま、しばし見つめ合っていた。


 うら若き年頃の女のコと見つめ合っていたと言ってみると、何だかすてきなことのようにも思えてくるが、僕が見つめていたのはうさぎのお面にぽっかりと空いた、木の洞にも似たふたつの単なる穴ぼこだった。その奥にあるであろう彼女の瞳は、残念ながらまったく見えない。


「お部屋へ上げていただいてもよろしいですかね?」

 しびれを切らしたのか、うさぎのお面女子が催促をしてきた。いや、そう言いながら既にその脚は上がり框に乗っている。


「あ、えぇ、どうぞ」

 お面からは表情が読み取れないので、どうにも調子が狂う。ワンルームの僕の部屋にはソファなどという洒落た物はないし、座布団なんて気の利いた物も有りはしない。


 なので、床に直接座ってもらうか、ベッドに腰を掛けてもらうしかないのだけれど、ベッドを勧めると何だか下心があるのではないかと誤解をされないとも限らない。あんなうさぎのお面でも女のコだ。


 とはいっても、フローリングの床へ直に座ってくれとも言い難い。どうしたものか。僕の部屋には、そんなことを気にかける必要のある人間など、ついぞ来たことがないので本当に困ってしまう。


 そうやって僕がうんうんと頭を悩ませていると、そんなことにはお構いなしに、うさぎのお面女子は滑りこむようにベッドの布団へと収まった。

 上掛けを肩までしっかりと引き上げると、うさぎのお面女子は顔だけを出した状態で天井を見つめながら話し始めた。


「小笠原さんとのやり取りを見る限り、あなたはまだいろいろと疑問を抱えているようですね? よろしければ、わたしの方でもお答えしますが」


 そう。僕は今の状況をあまりよく理解はしていない。もちろん、法定講習などの必要な説明は受けているのだが、実際にこの状況になってしまうと、いろいろと疑問に思うことはどうしたって出てくる。


「えぇっと……じゃあ、訊くけど……なんで制服着てるわけ?」

 よりによって最初に浮かんだ質問がこれってどうなのだろうか? いろいろと自分自身を問いただしたくもなってはくるが、とりあえずそれは後にしておこう。


「わたしたちのインテリジェンス機関の事前調査によると、制服はこの惑星のオフィシャルな服装とのことでした。また、染色体XY型を持つ個体の多くは、この服装を好むという統計データが得られていましたので、地球上での任務遂行に最も適しているものと判断し、採用しました。ちなみに、指定制服取扱店の塚田洋品店で定価にて購入しています」


「まぁ、確かに冠婚葬祭に学生は制服で行ったりするからオフィシャルと言えなくもないけど……って、男の大半が好むってなにそれ!? ソースは!?」

 当たっている……のか? いやいやっ! でも、彼女たちの諜報活動、侮れないかも。あと、塚田洋品店はこの辺じゃ老舗。


「では、犬吠埼さんの趣味ではないと?」

 うさぎのお面女子が、ぐりんと首だけを巡らせてこちらを睨んでくる。いや、本当に睨んでるのかはわからないけど。なんせ穴ぼこなんで。


「僕の趣味――――ではない。あと枕崎だから」

 間が空いたことに他意なんかない。ないったらない。


「いま間がありましたが?」

「…………気にしないで」

 深掘りされてまろびでちゃうと困ることってあるよね。


「他にご質問は?」

 うさぎのお面女子が確認をしてくる。若干、その声に楽しげな調子が含まれているような気もするけれども、確信は持てない。やっぱり表情が読めないのは難しい。


「あー、その前にさ、制服で寝てるとシワになっちゃうよ」

 さっきから気になっていたことを伝えてみる。いや、制服のことばかり気になっていたとか、制服のことで頭が一杯だったとか、僕が制服フェチだとか、そういう訳ではないので、そのあたりのことは何となくご斟酌ください。


「それもそうですね。では、起き上がっていることにしましょう」

 そう言うと、彼女は身体を起こしてベッドの上であぐらをかいた。いや、それはそれでまたちょっと気になってしまうというかなんというか……お願いだから脚は閉じておいてほしい。


「で、質問ですが、もうありませんか?」

「あるある。名前を教えてよ。なんて呼べばいいのかわからないからね」

 まったく、マスク・ド・なんとかなんて南米の覆面レスラーか、ってんだ。

「わたしはマスク・ド・うさぎ四九五七三二号です。また、それ以外の呼称については、服務規程上、お伝えできません」

 予想外の答えに思わず口が開いてしまう。それは困る。


「えぇっと、じゃあ何と呼べばいいのさ?」

 番号だけでは対外的にも困るであろうに。せめて愛称とか……。


「お好きなようにどうぞ」

 なんだか興味がなさそうに、うさぎのお面女子は答える。


 さて本格的に困りました。ひとにあだ名とか付けた経験がない。なんでもいいと言われても、それって一番取り扱いが厄介だ。

 だいたい何でもいいというやつに限って、何でもよくなかったりするものだ。そう言ってひとに案を出させておいて、自分は批評するだけのヤツ。いるよね?


 そんな難題を出されてしまったので、天の啓示が僕に訪れることを真剣に祈っていると、玄関のドアが乱暴に開けられた。


「カツオ、うさ乃ちゃんに会わせてよぉ」

 このアホウ感丸出しの声は鳴門ウシオに違いない。しかし、うさ乃ってなにさ?


「また勝手に入ってきて……。ここはおまえの部屋じゃないぞ」

 僕が不機嫌そうに文句を言ってやっても、鳴門の方は一向に気にした様子もない。


「おぉ、うさ乃ちゃん! はじめまして、俺は鳴門ウシオってんだけど、下の階に住んでるんだわ。よろしく!」

 部屋に入ってきた鳴門は僕には目もくれず、彼女の方へ大股で近づいていくと、勝手にがっちりと堅い握手を交わし始めた。がたいがいいので圧迫感がすごい。


「鳴門、なんで彼女がここにいること知ってんのさ?」

 そんな鳴門の様子を不思議に思って、僕は尋ねてみた。


「学校の掲示板に張り出されてたぞ。お前が観察対象者乙になったから、ちょっかい出すなって。違法行為になるんだってな?」

「えぇーっ! それって公表されるの!?」

 てっきり非公開で行われることなのだとばかり思っていたけど、どうやら違うらしい。


「って、早速ちょっかい出しに来てるじゃんか、おまえ。違法行為なんだろ!?」

「堅いこと言うなよ、カツオ。親友のお前が観察対象者乙に選ばれて、俺も鼻が高いよ」

「いや、これ別にそういうのじゃないからな!? 名誉でもなんでもないから!」

 鳴門のヤツは何か勘違しているようだが、これってそんないいものなんかではない。言うなれば、お上によるプライバシーの召し上げだ。


 すると、勝手にうさ乃と命名されたうさ乃が、ベッドから降りて殊勝な受け答えをしてみせる。

「はじめまして、鳴門ウシオさん。わたしの方こそよろしくお願いします。しばらくの間、こちらでお世話になりますので、どうぞ仲良くしてくださいねっ♡」


 それはまったくをもって完璧だった。


 最後の「ねっ♡」で小首を軽く傾げるあたり、こやつやりおるわい。女のコにそんな風に言われたら、大概の男は浮かれてしまうだろう。


 ――ただし、そのふざけたお面を被っていなければ、だ。


 ゲスいこと言ってドン引きされそうだが、男が第一印象で女のコに好感を持つ場合の条件は、「顔がかわいい」の次は「おっぱいデカイ」と相場が決まっている。

 見る限り、慎ましやかななだらかボディの彼女では、お面で顔がわからない以上、過度の好感を持ちようがない。あざとい仕草も空振りだ。


 だがしかし、


「いやー、うさ乃ちゃんはやっぱりいい子だ。かわいいねぇ、よしよし」

 ――鳴門のヤツは完全に攻略されていた。


 と言っても、様子を見るに「小動物カテゴリー」において、ということのようだが。まるで猫でもかわいがるように、うさ乃の頭を少し手荒に撫でている。どうやら、某公共放送の動物番組を欠かさずチェックするタイプの鳴門には、うさ乃はめずらしい動物の一種ぐらいにしか映っていないらしい。


「こらこら! 犬猫じゃないんだから、顎の下とかはやめなさい。一応、女のコだぞ」

 本格犬猫マッサージへと移行しはじめた鳴門の肩を、ぼんっと少し強めに叩く。目を覚ますんだ。


「カツオ。おまえ、うさ乃ちゃんにニンジンちゃんとあげろよ?」

 ダメだ。こいつ完全にイカれちまった。ところでなぜうさ乃?


「あー、もうわかったから。まだ、そのうさ乃と話しが終わってないからさ、とりえず自分の部屋に戻っててよ。またあとで相手してやるから」

 こうなりゃ面倒くさいので、とっととお引き取り願うことにした。


「おう、そうだな。あんまり邪魔をすると法律違反になっちまうからな」

 その場合は親告罪なのだろうか。最寄りの交番へ通報すればいいの? あ、モニタリングされてんだっけ。

 そんなことを考えながら、どうにか鳴門を自室へと追い返す。


「賑やかなお友達ですね。同級生ですか?」

 うさ乃が再びベッドに腰を下ろしながら尋ねてきた。声音からすると、どうやら面白がっているようだ。


「同じゼミなんだよ。下の部屋の住人でもあるし、なにかと縁があるんだ」

 僕も床へ座って腰を落ち着けると、ようやく一息つくことができた。


「縁といえば、こうして出会えたわたしたちも負けてないですよねっ♡」

 うさ乃はそう言うと、最後に「うふっ」みたいな感じの吐息をあざとく付け足して、小首を軽く傾げてみせる。

 なんでだろう。そんな仕草に少しドキッとしてしまったし、ちょっとかわいいような気がしてしまった。

 ……マズイ。顔もわからないし、胸だって平らだというのに、何やってんだ僕は。さっきの持論に反しているじゃないか。


 ここは一旦、気を取り直して、

「ところで、うさ乃さん。必要な日用品や着替えとかはどうするの?」

 実際的な質問をしてみることにする。


 マスク・ド・うさぎがホームステイすることは知っているが、詳細についてはよく知らない。その辺の説明は……あったのか? あったような気もするな、講習に。


「後ですべて持ってきてくれるそうです。本来であれば事前に持ち込まれているのですが、ホントに困ったひとですよね、小笠原さんは♡」

 でも、そこがかわいいっ♡ みたいなテンションで言われた。表情はわからないけど、声の感じで感情を推察することは、慣れれば十分に可能なようだ。小笠原氏め、ちょっとだけ羨ましいじゃないか……。


「っということなので、ひとつお願いがあります。荷物が来るまで、着替えの服を何か貸してもらえませんかね?」

 シワになるのはやっぱり困りますし、と言いながらうさ乃は制服の裾をつまんでひらひらとさせた。

 僕は引き出しから、比較的状態の良いキレイめなTシャツと、ウエストが紐で調節できるハーフパンツを探しだすと、ふたつを重ねてうさ乃へ手渡した。


「ありがとうございます。では、ちょっと着替えますので――そうですね、少し後ろを向いててもらえますか?」

 請われるままに後ろを向いて床に座ると、すぐに背中の方から衣擦れの音が聞こえてきた。しゅるしゅるという音に、あらぬ妄想が刺激をされる。


 下げられるファスナー。


 ふぁさっと布が床に柔らかく落ちる音。


 溢れ出る脳内桃色ビジョンに、どうにも落ち着かなくなって、もじもじとしてしまう。


「ひょっとして見たいんですか? 室戸岬さん?」

「枕崎だってっ!」

 完全にからかわれている。うさ乃の声にいたずらな響きが混じっているのがわかる。あと、なぜ、わざわざ名前を間違える!?


「まぁ、地球人類と同じですからね。カラダの造りは。何処もかしこも」

 ぺちんぺちんと、肌を軽く叩く音が、妙に扇情的に響く。


「じゃあ、ちょっとだけお見せしちゃいましょう」

 そう言うと、うさ乃は僕の頭を両手で掴んで、ぐりんと自分の方へと無理やり回した。


「うわっ、いやっ、ちょっ!」

 見てはいけない! っと思いつつも、つい薄目を開けちゃったりして、本能と煩悩に忠実な僕という名のダメ人間。


 しかし、僕の網膜に飛び込んできたうさ乃の姿は、なんのことはない既に着替え済みだった。


「……おい」

 ふつふつと湧き上がる消化不良感とやるせなさと微量の怒気。


「あれ? 何を期待していたんですか?」

 からかうような気配がたっぷりと染み込んだうさ乃の声。


「……僕の純情を返してくれ。きっちりミミを揃えて全部」

 思わず、がっくりと肩を落として俯いてしまう。なにががっくりって、自分のアホさ加減に他ならない。……文字どおり他にはないので、ぜひ勘繰らないでいだだきたい。


 そんな僕の失望をよそに、うさ乃は姿見の前へとことこ歩いていくと、

「わたしはなにを着ても似合うということがわかりました」

 ほらっ、と言いながらくるくる楽しそうに回りはじめた。胸元に下げられたトンボ玉みたいな青いペンダントのチャームが、一緒になって宙を舞う。


 ――なんかちょっとかわいいな。


 そんな姿に、僕は思わず見惚れてしまった。

 すると、回るのを止めたうさ乃が、じっとした視線を向けてきた。


「……そんな恨みがましい目をするほど見たかったんですか? まぁ、わたしは結構すんごいですからね。わかりますよぉ?」

 最後の方には「ふふんっ」といったニュアンスを滲ませながら、うさ乃がそのまっ平らな胸をぐいっと張る。


 いや、すんごいって、なにがっ!? おまえの凹凸控えめなだらかボディなんて、すんごくないからな!?


「なんといっても、地球人類はわたしたちを基にデザインしてますからね。あなたがオリジナルに魅力を感じてしまったとしても、それは仕方のないことです。本能みたいなものですから。とはいえ、まぁ、何から何までぜんぶ人間と同じなんですけどね? 試してみますか?」

 言うと、うさ乃はTシャツの襟ぐりを少し開いて、鎖骨を露わにする。そして、首を軽く傾けると、ちらりとこちらを見やった。


「試すってなにを……いや、ちょっと待てっ! いまなんつった? おまえたちを基にデザインって、どういうことだよ!?」

 なんだかすごく嫌な予感がしてくる。これ以上は確かめない方がいい。自分の中の何かが警告してくる。


「――えぇ、ですから、地球人類はわたしたちが造った、ということです」

 うさ乃は淀みなくさらりと言ってのける。そして、少しおどけたような、芝居じみた口調で続けた。

「おや、足摺岬さん。まさか、放っておいたら、サルが勝手に人間になったとでも思っていたんですか?」

「――ミッシングリンクってヤツか……」

 嫌な予感は的中。あと、枕崎だ。


「ご名答です。話が早いですね」

「おまえたちが――失われた鎖の正体だと……?」

「そうですよ。地球人類は、わたしたちがわたしたちに似せて造った、わたしたちの同胞です」


 あまりのことに、まったく実感が湧いてこない。あのふざけたお面の効果だろうか。緊迫感も説得力もへったくれもありゃしない。しかし、へったくれってなんのことだろうか? 日本語って不思議。


「だから、わたしたちはこうして時々、地球の様子を見に来てるんです。同胞が心配なので」

 もー大変なんですよぉ? とグチるうさ乃の声を聞きながら、僕は唇を舌で湿らせると、おもむろに口を開いた。


「――地球人類と友好関係を築くことができるのか判定するためだって聞いてるけど……」

 実は、こいつらの本当の目的は、地球を侵略することなんじゃないのか? 一度そんな想像をすると、目の前にいるこの小柄なうさぎのお面が、なんだか不気味な存在に思えてきた。


「んー、ハズレてはいませんが、それでは不正解ですね」

 うさ乃は右手の人差し指を立てると、ちっちっと左右に軽く振ってみせた。


「実はわたしたちの惑星は、文明が高度に発達した結果、滅びようとしているんです」

「はぁ?」

 一瞬、うさ乃の言っている意味がわからなかった。高度に発達してどうして滅ぶのか、まったくぴんとこない。


「あれ? その顔はぴんときていませんね?」

 うさ乃は見透かしたように、僕の心中を言い当ててみせる。


「地球で起こっていることと同じですよ。多くの先進国といわれる国では、軒並み出生率が下がっていることはご存知ですよね? なぜか? そうです、子孫を産み育てるという行為は、非常にコストのかかることだからです」

 あ、ここでいうコストは金銭的な意味だけじゃありませんよ? と付け足して、うさ乃はさらに先を続ける。


「誰にとっても、享楽的な人生というものは甘美な魅力に満ちています。自分の好きなことを、好きなように自由にやりたい。自分のリソースのすべてを、時間やお金ですね、それらすべてを自分のために使いたい。そういった願いや望みは、わたしたちの惑星でも同じです。高度な社会においては、人は最終的に個人の幸福を追求するようになるのです。そして、それは決して悪いことじゃありません。自然の摂理ですからね。でも、そうした結果、ごく自然にわたしたちは滅亡へと向かうことになりました」


 突如、うさ乃によって始められた社会学の講義は、地球の話なのか他所の惑星の話しなのか、その内容があまりに酷似し過ぎているため、どちらの話なのかわからなくなってしまうようなものだった。


「しかし、人口の減少は国力、まぁ、惑星力とでもいいましょうか、そういった力の減退に直接影響してきます。そこで、わたしたちは惑星力を立て直すために、移民を募ることにしました」


 うさ乃の話を聞きながら、僕は思わず口を挟んでしまう。

「待ってくれ、それじゃ、やってることが人間とまったく同じじゃないか」


 すると、うさ乃はうれしそうな声音で答えた。

「いえいえ。この場合、地球人類がわたしたちと同じなんです」


 そして、そのトーンを維持したまま、うさ乃は続ける。

「とはいうものの、わたしたちも、誰でも彼でも受け入れるわけにはいきません。自分たちの利益を最大限に考えているわけですからね。つまり、来ていただく人々には、【わたしたちが理想とする隣人であること】が求められるのです」


 ここまでくれば、鈍い僕にだってその続きはわかる。

「――その理想の隣人とすべく、僕たち地球人類を造ったってわけか?」

 うさ乃が大きく頷く。

「ご名答っ! ピンポンですよっ!」


 ――正直、複雑な気分だ。彼らが、種の生存戦略を合理的に進めているだけに過ぎないことはわかる。自分たちの存続を最優先させる発想は、生物として絶対的に正しい。僕にそれを否定する権利はない。でも、それを素直に受け入れられない気持ちが、僕の心のどこかにあるのもまた事実だ。


「一言でいうと、わたしたちは、仲良く一緒に暮らすことのできる同胞を求めているんです」

 たぶん、表情をみることができたなら、この時のうさ乃は笑みを浮かべていたことだろう。そういう声だった。


 しかし、言ったあと、こちらの反応が芳しくないことに気付くと、

「あー、やっぱり引いちゃいましたかね?」

 うさ乃は、うわ目遣いをしながら(そう見える気がする)不安そうな声音で尋ねてきた。


「……正直に言えば、なんだかもやもやしている。いきなり、おまえたちを造ったのはわたしらだって言われても、すんなりとは受け入れられない……かな」

 うさ乃の不安げな様子に、一瞬だけごまかしてしまおうかとも思ったが、ここは正直に感想を伝えておくことにした。


「――大丈夫ですよ。だからこうして、あなた方に受け入れてもらえる方法を検討しようと、調査に時間をかけているんじゃないですか」

 なぜかサムズアップをかましながら、うさ乃が力強く頷いてくる。


「そのための観察活動だと……?」

「ご名答っ! 百点満点です!」

 うさ乃は胸の前で指を組むと、いまにも讃美歌でも歌い出しそうな勢いで「エクセレント!」と言いながら、ぐいっと伸び上がってみせた。すると、


 ――ぐぅぅぅ


 唐突にお腹の音が鳴り響いた。

 ちなみに、僕ではない。


「お腹……空いたのか?」

 僕の眼前で、恥じ入るように項垂れているうさ乃。


「……はずかしながら」

 俯くうさ乃の首筋がほんのりと色づいている。顔を赤らめて照れているようだ。かわいいとこある。

 そんなうさ乃の様子を見ながら僕は尋ねた。

「地球の食べ物は大丈夫?」


 すると、もじもじとしながら、うさ乃が小声で答えた。

「わたしたちと地球人類は、基本的には同じだと考えていただいて差し支えありません……宗教上の理由で食べられない、というような食品も特にありませんので……」


「じゃあ、昨日の残りでよければあるからさ、すぐに用意するよ」

 僕は台所へ向かうべく腰を上げた。


「すごい食事ですね」

 うさ乃は目の前に並べられた料理を見て、感嘆の声をあげる。

 サバの味噌煮にご飯と豆腐の味噌汁、それと、ほうれん草のおひたし。僕は料理にはちょっと自信がある。


「わたしたちは普段、こうした食事は摂りませんので」

 しげしげと皿や小鉢を、めずらしそうに眺めるうさ乃。


「えっ? じゃあ、いったいなに食べてんの?」

 僕は、ほうじ茶の入った湯呑みをうさ乃の方へ差し出しながら、少しだけ視線を上げて彼女の顔を見た。


「完全食としてデザインされた錠剤やゼリーです。食物からエネルギーや各種栄養素を摂取するのは効率が悪いですからね。生産・加工まで考慮すると、コストパフォーマンスが低すぎます」


 そんなことをうさ乃が滔々と話していると、唐突に「チロリン」という音が鳴り響いた。

 彼女の右手首に付けられたデバイスからの通知だった。すると、手元の何もない空間にホログラムのようにウィンドウが浮かび上がる。


「この食事、わたしたちには馴染みのない種類のアミノ酸が含まれているようです」

 画面を見ながら、うさ乃は通知内容についての説明をした。


「食べたらヤバイの?」

 ひょっとすると、彼女たちが体質的に受け付けられないものがあるのかもしれない。僕は慌ててうさ乃に尋ねた。


「いえ、体細胞の生成に多少の影響があるだけで、大きな問題はないようです」

「多少の影響ってどんな? 無理して食べなくてもいいから」

 食物アレルギーみたいなものだろうか。具合が悪くなってもかわいそうだ。

 すると、うさ乃は何だか言い辛そうにしながら口を開く。


「そうですね……身体の成長率が……上がる、みたいです」

 言いながら、うさ乃はごまかすようにピッと、指のジェスチャーでウィンドウを消した。


「えっ? 大きくなるってこと? んじゃ、ほら、いっぱい食べた方がいいんじゃないか?」

 なだらかボディのちんちくりんからの脱却。すばらしいではないか。

 食器をぐいっと、うさ乃の前へさらに近づけてやる。


「……ホルモンバランスや継続的な成分の摂取など、それなりの条件があってのことなんで、いまのわたしが食べても効果はありませんっ」

 だから言うの嫌だったんですよ、とかなんとか言いながら、うさ乃がむくれはじめる。


「なんだ、小さいの気にしてたのか?」

 すると、うさ乃はキッとこちらに顔を向けて睨んできた。たぶんね。


「そりゃ、気にしてますよっ! 地元でも一・二を争う小ささなんですから、わたし」

 どうやら本当にコンプレックスらしい。人間くさいというかなんというか。地球人類とぜんぜん変わらないというのも、あながち嘘ではないようだ。


「まぁ、ほら、ひょっとしたら大きくなるってこともあるだろ? 何かの間違いでとか、なっ?」

「それって、まったく思ってないってことですよねっ!?」

 今日いちのレスポンスをみせるうさ乃。


「いやいや、それより早くごはん食べなよ。冷めちゃうからさ」

 そう言われて、うー、と唸りながら胸元の青いトンボ玉を弄るうさ乃。納得がいかないといった顔をしながらも箸を手にとる。


 そういえば、うさ乃はどうやって食べるのだろうか? お面は取るのか?

 そんなことを考えながらじいっと観察していると、いただきますと言ったうさ乃が、お面を少しだけずらして口元を見せる。


 現れる淡い桜色をした、小さな花弁のような唇。

 なんとも儚い感じで、目にした途端、妙に胸がどきどきしてきた。


「あのさ、お面は……お面は取らないの?」

 気が付くと、僕はそんなことをうさ乃に尋ねていた。


「それは服務規定違反なんです」

 うさ乃は、サバの味噌煮を器用に箸で口に運びながら、ゆっくりと、そう答えた。


 柔らかく小刻みに動く桜色の唇。


「おいしい」と形どって動く、ぷっくりとした唇。


 なんとも言えない艶かしさに、思わず目を奪われる。


 わかっていたのに。

 なんで僕はそんなことを訊いてしまったのだろう。


 でも、うさ乃がいったいどんな顔をしているのか、その時、とても気になったことは確かだ。


 その後、小笠原氏がうさ乃の荷物を届けてくれたのだが、なんだかよくわからない段ボール箱が大量にあって、急に部屋が狭くなってしまった。

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