第五話 一日目/ビター、それは(シニカル)(2)
田んぼに囲まれた小高い丘に建つその施設は、パンフレットよりも立派に見えた。
思ったとおり、十分もかからずにクルマは温泉に到着した。
大きめの駐車場には数台のクルマが停まっているだけで、ナンバープレートから推測するに、来ているお客さんは地元の人たちのようだ。
公共施設のわりに、なんとなく緩い雰囲気をしたエントランスを進むと、簡素な受付と券売機があった。奥の方には、応接セットのような豪奢なテーブルとソファが、大きなテレビの方を向くように並べられているのが見える。
脱いだ靴を空いている下駄箱へと入れる。扉も鍵もないところをみると、盗難などのトラブルはないようだ。古き良き田舎のモラル。
券売機でうさ乃の分の入浴券も買って、受付にいた係りの人へと渡す。
「瀬戸内さん。御蔵さん。この先、うさ乃の面倒をみてやってもらえる?」
僕はちょこまかと動き回っていたうさ乃の頭をぐいっと押さえると、瀬戸内さんと御蔵さんの前に突きだした。
「任せてよ。お風呂の作法ってヤツを、うさ乃ちゃんに見せつけてあげましょうっ」
瀬戸内さんが、艶めく黒髪を後ろへと片手で払いながら、キメ顔をしてみせる。
「……こ、転ばないように注意しておきます」
頬をうっすらと朱色に染めながら、御蔵さんは大きく頷いてくれた。
「あれ? みなさん一緒に入るのでは?」
うさ乃は僕の手から逃げ出すと、御蔵さんの後ろへと隠れながら尋ねてきた。
「入るけど、風呂は別々なんだよ。おまえは女湯だ」
僕は女湯を現しているアイコンを指差しながら、うさ乃に言った。
「それは残念です。わたしがすんごいってところを思い知らせるチャンスだったんですがね」
なだらかフラットボディに、どうしてそこまで自信が持てるのかはわからないが、ポジティブなのはいいことだ。明るく強く生きていけよ、うさ乃。
浴場の中へ入ると、いくつかの室内風呂とサウナの他に、外には露天風呂があった。時間が早いのか、お客さんはまばらで、風呂によっては貸切状態だった。僕と鳴門は誰もいない露天風呂へ入ることにして、外へと出る。
施設は小高い丘に建っているため、露天風呂からは周囲がぐるりと一望できた。遠くに連なる山々と、眼下に広がる一面の田園風景。なんとも開放的な景色に、自ずと気分も大きくなってくる。
少しぬるめのお湯に肩までしっかり浸かっていると、暫くして手足が弛緩していく感覚がやってきた。
「はぁーっ」
思わず声が漏れ出てしまう。隣の鳴門も同じようなものだった。
「いやー、昼間っから入る温泉は堪らんものがあるな」
鳴門は風呂の縁に塗り込められた岩へ頭を預けると、遮るもののない青空を仰いだ。
今日の僕には鳴門へ言っておくことがあった。それは鳴門にも関係のあることなので、はじめに断っておく必要があると僕は考えていた。
「――鳴門。あのさ、僕は……瀬戸内さんが好きだ」
僕はタオルを畳んで瞼の上に乗せると目を瞑った。
やっぱりこんな話は、どうにも照れくさい。
「あぁ、知ってるぞ」
鳴門がどんな顔をして聴いてるのかは見えないけれども、きっと普段と変わらない表情をしているだろう。
「だよな」
わかっていたけれども、こうして確認すると途端に恥ずかしくなってくる。
「でも、瀬戸内さんは気付いていない」
鳴門が移動したのか、お湯が波立ってちゃぽちゃぽと小さく音をたてる。
少しの沈黙と水音。
「んー、気付かないフリをしている……なんてのは、ウミちゃんの性格的にないな」
鳴門の声が少し離れたところから聴こえてきた。タオルを取って声のした方向に視線をやると、鳴門は向こう側で仁王立ちをしながら、遠くの景色を眺めていた。
「伝えた方がいいかな」
鳴門の背中に向かって問いかけてみる。
「言葉にしないとわからないこともある」
振り返る背中越しに、鳴門は口の端をゆっくりと上げてみせた。
「――そうだな」
僕はざぶんと頭まで湯船に浸かってみた。
さっきまで聞こえていた周りの音が遮断されて、水の音と自分の血管が脈打つ音が頭に響く。
ぷはっと顔を上げると、側まで鳴門が戻ってきていた。
「潜るのはマナー違反だ」
「知ってる」
僕は鳴門を見上げて続けた。
「もしかすると、おまえとみんなの関係にも影響があるかもしれない」
僕が動いたら、鳴門も無関係ではいられないだろう。迷惑をかけてしまうかもしれない。
「……それを理由にしておまえが逃げるんだとしたら、俺は本気で怒るぞ」
少しだけ硬いものが混じった鳴門の声は、それが冗談なんかではないことを、僕に伝えてきた。
「ホントに……そうだな」
さっきの鳴門のように、僕も空を仰いでみた。
雲ひとつない青空は、夏の色が隅々にまで広がっていて、どこまでも遠く続いていた。




