第四話 サマータイム図書館/オリーブ(2)
苛烈を極めた試験期間もようやく終わり、学生の間には夏休みの空気がぱんぱんに充満していた。試験というハイプレッシャーで圧縮されていたエネルギーが一斉に解き放たれたのだから、それはもう、すぐにでも弾けそうな勢いだった。
僕にしても、持てる人脈を最大限に活用して(昼飯をご馳走すること三回と、千五百円の現金投資を必要とした)どうにか試験を乗り切ることができていたので、夏休みに飛び込む心の準備は既に万端だった。もう、目前に迫ったバカンスを待ちきれないでいる。
僕が冷たいソーダアイスを囓りながら、扇風機が送り出す涼風を浴びていると、部屋のインターフォンが鳴らされた。
ドアを開けると、この暑さにも関わらず、相変わらずの黒いスリーピースを着込んだ小笠原氏が立っていた。
手には何やら段ボール箱を抱えている。
「こんにちは。いまは不在だと思いますが、彼女に依頼をされた荷物を持ってきました。どうです、共同生活は順調ですか?」
上がり框に段ボール箱を置きながら、小笠原氏は何の感情も込められていない調子で尋ねてきた。
「えぇ、さっき出掛けていきましたよ。共同生活の方は、まぁ、順調といえば順調です」
「そうですか。何か困ったことがあれば、ご連絡ください」
事務的に言うと、小笠原氏はすぐに引き上げようとしたが、そんな彼に僕は問いかけた。
「……あの、次に会ったら訊こうと思ってたんですけど、マスク・ド・うさぎの連中が人類を造った云々の話って、当然、あなたたちは知っていたんですよね?」
尋ねる僕の声は、少しだけ堅くなっていたかもしれない。
「そのご質問にはお答えできません」
小笠原氏は表情も声音も何一つ変えなかった。
「でも、モニタリングしているからには、少なくとも今は知ってますよね?」
「そうお考えいただいても構わないかと」
随分ともって回った言い方をする。
「じゃあ、彼らの目的も?」
小笠原氏は目だけを動かして僕を見る。そこからは何の感情も読み取れない。
「モニタリングはしていますので」
僕がうさ乃から聞いた以上のことについては、知っているとも知らないとも、明言をしないということか。
「まぁ、いいです。知りたいのはそこじゃない。あなたたちは彼らに対して、随分素直に便宜を図っているように見えますけど、享受できるメリットってなんですか?」
国家や共同体同士が武力に寄らない対話をしている以上、二者間はギブアンドテイクのはずだ。ギブが見えない現状は気持ちが悪い。
「彼らとの友好的な関係は、人類のさらなる発展につながる有益なものです」
観察対象者なんぞには詳細を伝える気はないということか。
「具体性を欠いた建前はいいんですよ。彼らからは何があるんです!?」
すると、小笠原氏は僕の前で初めて表情を崩した。
呆れとも嘲りとも取れそうな微笑を浮かべる。
「それにお答えすることはできませんが、少し違うお話をしましょう。今回の観察官は、あぁ、うさ乃さんのことですが、いままでの観察官とは我々との接し方が異なっているのです。その点に、政府の上層部は並々ならぬ関心を持っています。彼女には、かなりの権限が与えられているようなので」
「それがなんなんですか?」
いままでを知らないので、感想の持ちようがない。そうやって僕の質問をはぐらかすつもりなのだろうか。
「枕崎さん、あなたの立ち振舞い如何によっては、次のフェーズがあるかもしれないということです。今回、彼らとの関係が、さらに一歩進んだものになるのではないかと我々は期待をしているのです」
いつの間にか小笠原氏の顔からは微笑が消えていた。
「そんな話から、僕は何を思えばいいんですか?」
小笠原氏が何のためにそんな話をしたのか意図が読めない。
「それはお好きなように」
いや、単なる彼の気まぐれなのかもしれない。
そう判断しようとしたその時、小笠原氏はまた微笑を浮かべた。
「彼らはオリーブをくわえてやって来たのですよ」
「オリーブ?」
何のことだ。何かの隠喩だろうか。
「お話は以上です。少しサービスが過ぎました。私はこれにて失礼させていただきます」
言って軽く会釈をすると、小笠原氏は踵を返した。
「あ、そうです。どうぞ、たのしいご旅行を」
ドアノブに手をかけた小笠原氏は、肩越しに振り返るとそう付け加えた。
それからほどなくして、小笠原氏と入れ違いに、コンビニの袋をぶら下げたうさ乃が戻ってきた。
「おっ、頼んでおいた物が来たようですね」
段ボール箱を見つけると、うさ乃はさっそく中身をあらためはじめる。
さっきの小笠原氏との話は、なんとなくうさ乃には言わない方がいいような気がして、僕は黙っていることにした。
「泊まるところは、川があって泳げるということでしたね」
うさ乃が段ボール箱をがさごそやりながら言う。
そこで僕に、とある直感が働く。
おそらく、いや、そうに違いない。
「うさ乃。まさかとは思うけど、その段ボールの中身は塚田洋品店で買った物じゃないよな!?」
実際に言葉に出してみると、それは確信に変わった。
「よくわかりましたね!? まさか見ていたんですか!?」
うさ乃が驚いたように、こちらを見返してくる。そして、その手には紺色のスイムスーツが握られていた。
「スク水……やっぱりか!?」
ソースはまた例のふざけたインテリジェンス機関のガセネタか!?
「お店の倉庫に眠っていたというアンティークな一品らしいのです。なんでも『旧スク』という物だそうですね。その骨董的な価値もさることながら、宗教的なメタファーでもあることから、着用すると神のごとく崇められるとか……」
「それ違うからなっ!?」
おまえんとこのポンコツインテリジェンス機関は大丈夫なのか? マジで。
「そいつは却下だ、うさ乃。僕の良識が疑われそうだ」
そんなの、瀬戸内さんになんて言えばいいのだ。だいたい、変な物をありがたがるやつがいるから、何でもない物までセクシャルな物になってしまうのだ。このままだと、この世のあらゆるモノが、フェティッシュでマニアックな逸品になってしまう。
「ま、まさか……まっぱで泳げと!? 宗谷岬さん、どんだけ鬼畜なんです……くっ!」
うさ乃は両手を強く握りしめると、ぷるぷると震わせながら俯いた。
「いや、別のを用意してよ」
なぜ、そっち方向へ思考が飛躍するのか。あと、枕崎。
「神への道がぁぁぁっ!」
うさ乃の悲鳴がアパートに響き渡った。




