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第三話 片想い一方通行シャッフル(5)

 アンティーク調のルームライトは、柔らかい明かりを放っていた。

 こうして真下から見上げていても、眩しさに目がくらむようなこともない。


 僕は身体の火照りと、喉の渇きを感じていた。

 遠いところで少し頭痛がするような気もする。


 徐々に身体の感覚がはっきりとしてくると、僕は柔らかい場所で寝ているのだと気が付いた。


 御蔵さんの匂いがする。


『目が覚めましたか』

 頭の中でうさ乃の声がして、僕は身体を起こした。


「いったい……どうなってんだ?」

 周りを見渡すと、ここは御蔵さんの部屋だった。

 出しっ放しになっていた服は、すっかり片付けられている。


『あなたには少しの間、眠ってもらいました。その隙に、わたしと御蔵さんとであなたの身体を、いや、御蔵さんの身体をお風呂に入れて着替えもしておきましたよ』

「えっ? じゃ、じゃあ、二人がここへ来たってこと? いつの間に?」

 うさ乃の言っている意味が理解できなかった。二人は僕の部屋にいるはずだった。直ぐにここへ来るだなんてことは、物理的にも、時間的にもできるはずがなかった。


『いやー、地球で得た情報のひとつが役立ちましたよ。この前、テレビでちょうど観たんです。地球にはとても便利な概念があって、あなたも知っているはずですが、都合よくお風呂に繋がってしまうドアがあるんですよ。お風呂好きの女のコが毎回被害に遭う、ほら、どこでもな例のアレですよっ!』


 おい……まさか。


『わたしはぴんっときましたね、これだと。手持ちの部材で急ごしらえしたので、ジェネレーターの出力バランスが悪く、一回しか使えませんでしたが、そちらに行って帰ってくることはできました。いやー、ひやひやしましたよ。間に合わないのではという焦りっ! 見つかってしまうのではないかという恐怖っ! 想像をはるかに上回る御蔵さんのおっ……あっ、これは秘密です』


 おい。いま何を言いかけた……。


 でも、まぁ、助かったというか残念というか、いや、残念な気持ちは多分にあるのだが、とにかく一難去ったことは喜ばしい。うん。喜ばしいよホント。


『ところで、夕飯だと下から呼ばれていますが』

 うさ乃に言われて耳を澄ますと、階下から御蔵さんを呼ぶ声がしていた。


『くれぐれも言動には気を付けてください。あなたは御蔵イルカですからねっ』

 心配そうにうさ乃が念押しをしてくる。しかし、ちょっと様子がおかしいぐらいで、中身が別人に入れ替わったと疑う人はいないと思うのだが、うさ乃はえらく警戒をしている気がする。


「わかってるよ。夕飯食べながら軽く会話を楽しんでくる」


 僕は一階のダイニングへ降りていった。ドアを開けると、そこにはツバキちゃんと御蔵さんの両親がいた。

 御蔵さんの父親は温和そうな雰囲気の眼鏡をかけた細身の人物で、母親の方は髪を伸ばした御蔵さんといった感じの綺麗な人だった。


 テーブルに目をやると、猫の箸置きにピンクの箸が乗っている席が空いていた。

 僕は椅子を引いて席に着く。


「今日はツバキちゃんのリクエストです。明日は初日だからね、がんばってもらわなくっちゃっ! 好きなだけママの愛を受け取ってっ!」

 妙に陽気な御蔵母が渡してくれた取り皿を手にしながら、目の前の食卓を眺める。

 鳥唐揚げの甘酢あんかけと野菜炒めに麻婆豆腐。


 どうやら妹の好物は中華らしい。どれもおいしそうで急に空腹を覚える。


「ごくっ……いただきます」

 他人の身体でも空腹を感じることには、妙な安心感があった。なんだか、ちゃんと生きている感じがする。

 僕は一番手前にあった麻婆豆腐を取り分けると、レンゲで掬って口に運んだ。

 山椒と唐辛子が効いていてなかなかに辛い。頭の毛穴が一気に開いたような気がする。


 しかし、他所の家の食卓というのは非常に落ち着かないものだ。

 普段であれば身の置きどころに困ってしまうのだが、いまの僕は御蔵さんなので、それなりに馴染んだ感じでいなければいけない。これはなかなか難し――なぜか全員が僕を見つめてぽかんとした表情を浮かべている。


「お、お姉ちゃん、大丈夫? お姉ちゃん用はこっちよ?」

 御蔵母が目をぱちくりさせながら、小ぶりの深皿を指で示した。


「えっ? あ、ごめんなさい。勝手に食べちゃって……」

 御蔵家のルールに抵触してしまったのだろうか。だったら教えて――そう言えば、さっきから御蔵さんの声が聴こえてこない。なにかあったのかもしれない。

 そんなことを考えながら、そっちの深皿を引き寄せる。


「ううん、食べたければぜんぜん食べていいのよ。ただ……そっちは辛いでしょ?」


 そこで僕は思わずびくっとしてしまった。

 深皿の麻婆豆腐を見ると明らかに色が薄い。

 これは御蔵さん用に用意された特別仕様なのだ。


 そう、こっちは辛くないのだ。

 御蔵さんが辛いものは苦手だということを、すっかり失念していた。


「イルカ、すごいね。ついに克服したのかな?」

 御蔵父が目尻を下げて、楽しそうに笑いかけてくる。


「お姉ちゃんが辛いもの食べてるのなんて初めて見た……」

 そう言うツバキちゃんの目は、単純に驚いているだけではなさそうな気がする。


「た、たまには食べてみようかと思って……。結構おいしいよ!?」


 山椒で舌がぴりぴり痺れてきたけれども、この状況の方がよっぽどシビれるものがあった。


 スポーツ用のアンダーウェア。それが御蔵さんの妥協点だった。今朝、着替えをするにあたり、荒ぶる魂をどうにか宥めながらパジャマを脱ぐと、そいつは姿を現した。


 その時の僕のがっかり感がおわかりいただけるだろうか。

 いや、これはこれで趣があるのかもしれない。

 だが、僕の中の何かが、風船の空気が抜けるように萎んでいったことは事実だ。


 無意識のうちにため息をつくと、うさ乃の声が頭の中で響いてきた。


『ほら、御蔵さん。やっぱり正解でしたよ。明らかにテンション下がってますからね。彼の性癖は把握済みです』


 昨日、僕が意識を失ってベッドで横になっている間に、御蔵さんは僕の身体で入浴をしていた。

 しかし、我慢大会ばりの長湯に慣れていなかった僕の身体は、御蔵さんのペースにはついて行けなかったようで、彼女の意思に反してすっかりのぼせてダウンしてしまったらしい。 


 その御蔵さんが倒れる前、最後の懸念事項としてあげていたのが朝の着替えだったとか。そして、それを受けて、うさ乃が対策案を講じた結果がこれというわけだ。


 僕はどれだけ信用されていないのか……地味に泣けてくる。

 まぁ、彼女たちは正しかったわけだが……。


『あっ、いや、それでも、あんまり見ないでほしい……です』

 御蔵さんが慌ててそう付け加えてきた。視線はトレースされているので、どこを見ているかなんてすぐにわかってしまう。


 なんとも言えない生殺しの状況の中で、僕はただ悶々とする他はなかった。

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