表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/28

第三話 片想い一方通行シャッフル(4)

「あっ、おかえり、お姉ちゃん」

 玄関のドアを開けると、早速、妹の御蔵ツバキと出くわした。


「あっ!? う、うん、ただいま」

 ある程度は覚悟して臨んだとはいえ、やはり、いざとなると焦ってしまう。


「明日は何時の部? ウミちゃんも来てくれるんでしょ?」

 いきなり問題発生。明日は何時なのか把握していない。


『十時からの最初の部に行きます』

 僕の頭の中に直接声が響いてくる。


「う、うん。十時に行くよ、ウミちゃんと一緒に」

 なるだけ平静を装って答える。まだボロを出すわけにはいかない。


 僕の耳たぶには、ナノマシンを混ぜ込んだ小さなシール状の透明フィルムが貼り付けられていた。これが通信機とカメラの役目を果たしている。仮に耳を間近でじっくり見たとしても、この極小極薄透明デバイスには、まず気付くことはないだろう。


 本体自体には大した機能は付いていないらしいが、うさ乃たちの拠点にあるハイスペックな量子コンピュータと繋がっていて、地球上に存在する情報量程度であれば、瞬時に並列計算できるらしい。……できるらしい。詳しくは訊かないでほしい。


 ちなみに、うさ乃は手首のデバイスをファッションとして着けているそうだ。見てわかるようなデバイスは懐古的なものらしい。


 とまぁ、そんなわけで、おっかなびっくり御蔵家に足を踏み入れた僕には、御蔵さんとうさ乃による、手厚いサポートと厳重な監視がついていた。


「あー、緊張する。失敗したらどうしようかと思うと、何も手につかなくて。お姉ちゃん、こういう時はどうしたらいいのかな?」

 姉の中身が会ったこともないオトコだなんてことは、当然知らないツバキちゃんが純真な眼差しで僕を見上げてくる。


 この娘がどんな経緯で芝居をはじめて、今回どんな劇をやるのかなど、詳しいことを訊く暇はなかったけれども、このかわいらしい顔が不安げに曇る様を目の当たりにすると、無条件に応援したくなってくる。


「全部を楽しんできなよ。緊張で押しつぶされそうになることも、失敗して涙を流すことも、いつか必ず愛おしく思う時がくるよ。すべて、いまこの瞬間にしか経験できないことだからね。だから『がんばれ』なんて僕は言わない。『楽しんできて』というのが君への助言だよ」


 すると、ツバキちゃんは目を丸くして唇を戦慄かせた。


「お、お姉ちゃん? ど、どうしたのいったい……? それに、僕……? 君……って?」

 しまった。やってしまった。いまの状況が頭からすっ飛んでいた。


『良いこと言ってやった風のそこの人。自分でリカバーしてくださいよ』

 呆れたようなうさ乃の声が頭の中に響いてくる。


 えっと……


「って、前に何かの台詞で言ってたんだよね……ちょっと暗唱してみたってやつ?」

「……大丈夫? お姉ちゃん?」

 ツバキちゃんが心配そうな眼差しを向けてくる。マズい。


「いやー、お姉ちゃん、明日の芝居が楽しみすぎて、つい浮かれちゃったよ、はははっ……」

「お姉ちゃん、なんか変だよ……?」

 さらに事態を悪化させてしまったのだろうか、ツバキちゃんの僕を見る眼差しの種類が変わったような気がする。


「でも、『楽しむ』っていうのはそうかも。わたし、そんなことぜんぜん考えてなかったから。そうだよね、演る側が楽しんでないと、観る人もつまらないよねっ」

 そう言ってツバキちゃんは、にぱっと微笑んだ。


 なにこの天使。なにこの素直な感じ。

 同じぐらいのサイズなのに、うさ乃とはぜんぜん違ってかわい過ぎる。

 持って帰って交換したいぐらいだ。


『心拍数が上がってますよ。まさかとは思いますが、はぁはぁしてませんよね!?』

 うさ乃が鋭く叫んできた。結構マジなトーンなのが気になるんですけど。


『えっ!? ま、枕崎くん……そ、それはホントですか?』

『早まってはいけませんっ! 理性こそが人間を人間たらしめている獣との違いですからねっ!』

 御蔵さんとうさ乃が、揃って頭の中で騒ぎ立てる。


 二人が僕のことを、どういう目で見ているのかよくわかった。


「……そんなわけないだろ」


「えっ? なに? お姉ちゃん?」


 あぶない。ついうっかり声に出してしまった。

 こっちから反論できないのがもどかしい。


 うさ乃が出してきたデバイスには、脳波を使って双方向のやり取りができるタイプの物もあったのだが、それは人体に埋め込む必要があるらしく、残念ながら僕は遠慮しておいた。


 だって、怪しい機械を身体に入れちゃいけないって、死んだ、ばあ……もう殺生は止めておこう。まぁ、なんだ、あいつらの機械は頭痛とか副作用が怖いからね。


「ううん。なんでもないよっ」


 記憶にある御蔵さんの笑顔をイメージして、僕は全力でかわいい笑顔をしてみせる。

 うさ乃め、後で覚えてろよ……。


「やっぱりなんか変だよ、お姉ちゃん。いつもはそんな笑い方しないもん」

 いよいよ本格的にマズいか……。ひとまず退散しよう。


「そ、そんなことないよ? さぁ、荷物を置いてこようかなっ」

『二階に上がって廊下の奥です』

 僕が部屋に逃げようとしていることを察知して、御蔵さんが場所を教えてくれた。


 僕は急ぎたくなる気持ちをぐっと抑えて、できるだけ普通に見えるように階段を上がって部屋へと入った。その間、ツバキちゃんにずっと見られているような気がしたけれども、僕は振り返らなかった。もし、目が合っちゃったりしたら、バレるんじゃないかと……。


「ふぅー、これは先が思いやられる」

 部屋のドアを閉めると、思わずため息が出てしまった。

 すると、間髪入れずにうさ乃が文句をつけてくる。


『なんだってそんなに不審者なんですか!? フツーにしてくださいよフツーに!』

「いや、結構、人の真似をするって簡単じゃないんだよ。ちょっとした仕草や言い回しで印象付けられているっていうか、普段、見ている人でもかなり難しい」

 そう言って、視線をあげると部屋の様子が目に入ってきた。


「おぉっ……これは」

『いやぁぁぁっ! 枕崎くん、見ないで!』


 フェミニンな雰囲気の柔らかい色調で整えられた室内は、アンティーク調の家具やアイテムをセンスよく使っていて、インテリア雑誌に出てくるような部屋だった。……ベッドの上に服が大量に広げられている点を除いては。


『きょ、今日の朝は時間がなくて……どの服を着ていくか迷ってたら遅刻しそうになっちゃって……。い、いつもはちゃんとしてるんですよっ!?』

 御蔵さんが焦って弁解をはじめる。朝、ばたばたと慌ただしくファッションショーをしている御蔵さんを想像すると、なんだか微笑ましくなってくる。


 しかし、こうして見ると、御蔵さんは結構ガーリーな服を持っているようなのだが、学校ではあまりそういう印象がない。趣味じゃないのかと勝手に思っていたけれど、こうしてベッドの上に出ているということは、選択肢のひとつだったはず。


「御蔵さん、衣装持ちだね。かわいいやつもたくさんあるし、これとか似合いそうだよね」

 スカート丈が少し短めの紺色をしたワンピースを手に取ってみる。視界に姿見が入ったので、なんとなく身体に合わせて覗き込んでみると、そこに映る御蔵さんはどこぞのお嬢様といったような印象で、いつもとぜんぜん雰囲気が違って見えた。


「なんだ御蔵さん、これすごく似合うじゃん。嫌いじゃないなら、もっとこういう格好すればいいのに」


『……っんきゅ!?』


 御蔵さんが変な声を出して黙り込んでしまった。ひょっとして触れられたくない事だったのかも……。いまさらながらプライベートに深入りしてしまったのではないかと不安になってきた。


「ごめんっ、御蔵さん。余計な事を……。気を悪くしたよね?」

 御蔵さんの知らない一面を垣間見れたことで、少し浮ついて調子に乗ってしまった。


『……ううん。ま、枕崎くんは、その服……わたしに、に、似合うと、思いますか?』

 口の中で呟くように御蔵さんが小声で訊いてくる。


「うん。似合うよ、ほらっ」

 そう言ってまた姿見を覗き込んで、ちょっとポーズを取ってみる。いつもの格好もかわいいけれど、こういうのも悪くない。いや、よく似合っていると思う。


「御蔵さん的にはどうなの? 気に入ってないの?」

『その……少しウミちゃんっぽいかなって。似たようなテイストだと……その……ウ、ウミちゃんの方がかわいいから……なんなく気が引けるというか、その……』


 御蔵さんが自信なさげにおずおずと下を向く様が目に浮かぶ。


「御蔵さん、前にも言ったけど、人と比べてどうかじゃないよ? この服は好き? 好きなら着ればいいんだよ。でも、物には相性があるからね。自分で合わないと思うならやめればいい。でも、その判断基準は、誰かと比べて似合う似合わないじゃなくて、それを着た自分のことが、自分で気に入るかどうかだよ」


 御蔵さんはもっと自信を持った方がいいし、持つ事ができるはずだ。それはある意味、謙虚さなのかもしれないが、度が過ぎれば自分を束縛する枷でしかない。


『う、うん……』


 半信半疑といった感じの返事が返ってくる。まぁ、こういうのは自分で実感することができないと、そうは受け入れられないものだから仕方がないのかもしれない。


 するとその時、ドアの外から声がかけられた。

「お姉ちゃん、お風呂沸いてるから入りなよ」


 ツバキちゃんだった。その声音には、どこか心配そうなニュアンスが感じられた。様子を伺うきっかけとして風呂の件を伝えにきたといったところだろうかって風呂っ!? そうか、そういうイベントもありましたね。こ、これはひょっとするとひょっとするのか!?


『御蔵さんは、毎日、二時間はお風呂に入るようですね。しかし、長いですね。何をしてるんですか?』

 頭の中でうさ乃の声がしたかと思うと、すぐに御蔵さんの声が続いた。


『ほ、本を読みながら半身浴、です……。そ、それで……は、入るんですか、お風呂……?』

 不安げに御蔵さんが尋ねる。これは……うさ乃に訊いてるんだよな?


『入らないのはやっぱり変ですよね。無類のお風呂好きが入らないとなれば、これはちょっとした事件ですからね。家族の興味を引くでしょう』

 どうやら、ひょっとするようだ。ヤバい。すこぶるめちゃめちゃどうしようもなくゲスいのだけれど、胸がどきどきしてきた。ヤバいホントに……。


「う、うん。ありがとう。もうちょっとしたら入るね」

 僕がドアの向こうにいるツバキちゃんへ応えると、「あんまり調子がよくなさそうだから、今日は長湯しない方がいいよ、お姉ちゃん」と気遣わしげな声が返ってきた。


 どうやらツバキちゃんを心配させてしまったようで、少なからず心苦しいものがある。

 しかし、これで風呂に入ることは確定事項になったわけだ。


 御蔵さんにもツバキちゃんにも大変申し訳ないのだが、僕はいま、この身の内に湧き上がるリビドーに押し流されようとしている。魅惑の入浴タイム……。


 そうやって僕が邪な期待に胸をときめかせていると、苦い思いを吐き出すように御蔵さんが声を洩らした。


『あ、あの……み、見ちゃうんですよね? 枕崎くん……』


 その切実で、いまにも泣きそうな御蔵さんの声を聴いた途端、僕の中で罪悪感が一気に広がった。


 ――こんな事をするべきではない。


 御蔵さんを傷付けたり困らせていいわけがない。僕は己の欲望に負けて、危うく友人を失うところだった。


「いや、できれば、僕も御蔵さんが嫌がるようなことはしたくないんだけど……うさ乃、何か手はないのかな?」


 ……などと言ってみる。そう、これは偽善だ。いい格好しようとしているだけだ。だって、本心ではめちゃめちゃ見たいし、正直に言えば、既に想像だってしているぐらいだ。でも、やっぱり御蔵さんに嫌な思いはさせたくないし、嫌われたくないし、なんなら好感度上げたいとか思っていたりもする。ふっふっふ、見たか僕の俗物ぶりを。


『入浴をしないという選択肢はありません。いつも通りに過ごす必要がありますからね。なので、取り敢えず浴室に向かってください』


 うさ乃が淡々とした調子でそう答える。なるほど。では仕方がない。これは僕の本意ではないというポーズはとった。僕が積極的に望んだことではないという建前は既に成立している。そう、これから起こることは不可抗力なのだ。僕の俗物ぶり満点の偽善をもってしても、どうにもならないことなのだ。……ごめんよ御蔵さん。僕に残されたことは、いまから目にするものを忘れないように、しっかりと脳裏に焼き付けることだけだよ。


 僕は一階に降りていき、脱衣所へ入るとドアを閉めた。


「あっ、着替えを持ってこなかった……」

 偽善と妄想の葛藤に気を取られていて、すっかり忘れていた。取りに戻らなければ。


『大丈夫です。まず先に入っちゃってください。出入りを繰り返して、家の人に何度も会うのはリスクがあります』

 確かに、うさ乃が懸念するように、僕にはうまく対応できる自信があまりない。


「わかった……。じゃ、じゃあ、入るよ」


 心臓が飛び跳ねるようにばくばくといっている。

 高揚感、背徳感、罪悪感。

 そんな様々な感情が綯い交ぜになって、ぐるぐると僕の胸中を渦巻きはじめる。

 まずはリストバンドを外して、続いてソックスを脱ぐ。

 見慣れない、形の良い脚を視界に捉えて、思わずどきりとしてしまう。

 そして、僕はボーリングシャツのボタンに指を掛ける。

 気がつくと呼吸が荒くなっていた。指先が震えてくる。

 僕の興奮と緊張は最高潮に達していた。


「御蔵さん、ごめん。なるべく見ないようにするからっ」


 こめかみの血管が、どくんどくんと激しく脈打つ。

 心臓はレッドゾーンに脚を踏み入れたエンジンよろしく、高回転で唸りをあげている。

 ボタンを摘んだ指先にゆっくりと力をこめると、するっとボタンホールを潜った感触が伝わってきた。

 僕の荒い呼吸音が静かな室内に響いて、耳に纏わりつく。

 あまりに昂ぶってきたせいか、視界の端が白みはじめてきた。

 聴こえる荒い呼吸音。大きく上下する肩と胸。

 このまま気を失うのではないか。


 僕はそんなことを考えながら、次のボタンに指を掛けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ