主とワタシ
プランティッケの町は、今日も喧しく、耳の休息を求めている方々にはおよそ住みがたい町である。車が走るわ、人は歩くわ。隠遁先にしては中々優秀ではあるが、さて。そんな事は彼からすれば知った事ではない。
「ハロー、ミリヤ」
ワタシが扉を開けると、上部に取り付けられたベルが鳴った。来客を感知するベルだ。
まあそうだとすると、ワタシの挨拶は虚空に向けられたものとなり、幾分恥ずかしい気分にもなるのだが。
しばらくすると、髪を束ねた、気立ての良さそうな女性が一人、カウンター越しに姿を現した。数冊の本を抱えているところを見ると、出張貸出だろうか。
「あら、ロンリー、いらっしゃい。何か用かしら?」
ロンリー、か。酷い異名だな。いやまあ、確かにそうなのだが。
「少し本を借りにね。後は……そうだな。暫くここに住むことになったから、一応挨拶をと思っただけさ」
ワタシは本棚へと視線を流しながら、適当に気になるタイトルの本を選んでいく。
「……あれ?」
理由があって後ろを振り返る。「どうしたの」とミリヤに尋ねられたので、仕方なしに言う事にする。
「私の後ろに誰か居なかったかな? ハンチングの良く似合う少年なんだけど」
折角飴を買ってやったのに、あの恩知らずめが。
「それってさ、そこの窓からずっとこっちを見てきてる子の事?」
彼女の視線を追うと、窓から半分だけ顔を出して様子を見てる子供が―――
ワタシは即座に背後に回り込み、彼の首根っこを猫みたいに掴んでやった。彼自身も体を縮こませて固まるなど、何処かそれっぽい。
「何故に様子を見てるのかね。大丈夫だ。彼女は怪しい人じゃないよ」
「信用できないよ。先生騙されてるんじゃない?」
「ははは。君も言うようになったじゃないか。でもね、私を騙すなんてそんな事は不可能だと、この際だから言っておこう」
彼と共に、ワタシは再び店に入った。「悪いね」とワタシが言うと、ミリヤは困ったような表情を浮かべて、苦笑い。彼はそんな彼女を見て恐怖。もう何が何だか訳が分からない。
放っておけば、いよいよもって事態の収拾がつかなくなりそうなので、ワタシは取りあえず、
「ほら。人を知るにはまず知ってもらわないとね」
自己紹介を促した。
彼は凄く嫌~な顔を浮かべて、こちらに助けを求めてきたが、それでもワタシが首を振ると、諦めた様に呟いた。
「……先生と同じ感じでいいんなら、アルビオンって名前がある……けど」
その嫌そうな口調から察するに、彼は通り名が好きではないらしい。まあ確かにそんな名前では嫌がるのも当然なのだが。
「じゃあアルでいいわね。私はミリヤよ、宜しくね」
だがそこはミリヤ。大人の女性とでも言っておこうか、相手が触れてほしくない所はきっちり避ける。危ない事には極力首を突っ込まない。
至って常識的な人物である。ワタシの周りには異常ばかる居るもんだから、彼女のみがワタシと交流を持つ人物の中で、およそ常識の範疇での友人と言える。
「彼女はワタシの古い友人でね。昔は腕の良い占星術師だったんだが、何を思ったか、やけに埃っぽい本屋に転職した人だ」
「ちょっとッ? 若干貶し気味の紹介をしないでよ。私だって色々事情があるんだからね?」
「そうかい。ならば言いなおそう。色々な事情によって偉大な占星術師からちゃちな本屋を営むことになった、それはそれは苛烈な人生を歩んだことは間違いないと推察される……多分美人な女性だ」
「最後のつっかえは嫌味とみて間違いはないだろうけれど……まあいいわ。いつもの事だもの」
かなり回りくどい嫌味を、いつもの事と流すミリヤ。これがワタシ達のいつものやり取りだ。いつもの会話だ。いつもの日常だ。彼に対しての私きっと大人しい為、こんなやり取りを見たのは初めてだろうし、何より不思議だろう。
「先生ってそんな会話が出来るんだね」
こんな事を言うあたりが何よりの証拠とでも言っておこうか。「ペルソナという奴だよ」と言い、彼に納得させる。
……そういえば何をしに来たか……ああ、そうだったそうだった。確かワタシは本を借りに来たのだ。
「ねえ。そういえば私は本を借りに来たわけだけど、この本屋にはあるのかな、『勝利の刃』という本は」
「あるけど……あんな物語、おとぎ話に決まってるでしょ? 現実主義のロンリーがそんなもの読むとは―――ああ、そういう事ね」
理解が早くて非常に助かる。視線を彼に向けると、その表情には驚き……というより戦いていた。取りあえずは嬉しい……という事なのだろうか。
「じゃあ、ちょっと待っててね」そう言ってミリヤは店の奥へと消えていった。本を漁るような音がするが、こちらから見えるのは埃だけである。
「……先生」
「何だい?」
「先生は、さ。英雄になりたい僕を、どう思う? 英雄になれるって思う?」
彼がそんな事を聞いてきたもんだから、ワタシは思わず一歩退いて、
「どうしてそんな事を聞くんだい?」
なんて。至極当然の質問をしてみた。英雄になりたい、その願いが馬鹿げているとは思わない。だがそんな事をどうして聞くのか。ワタシはそれだけが気になった。
英雄。それは人々に理想を見せた者の後ろ姿。誰しもがあの背中に追いつきたくて、或は共に歩みたくて。だが……所詮は泡沫と消え行く幻想。そうなれたら等と思ってなれた者は誰もいない。
英雄譚の大半は、誰かのちょっとした活躍に、盛大に尾ひれを付けたようなもの。本当の英雄譚というのはそれこそ一握り。誰しもがなれるものでは断じてない。だからこそ……彼がどうしてそんな事を言い出したのか。返答によってはこちらも真面目にならなくてはいけないだろう。
「英雄ってさ、かっこいいじゃん。強くて優しくて、でもちゃんと人間性はあって」
それはきっと、勝利の刃の事を指しているのだろう。著者不明、制作年も不明。誰よりも強くあろうとした英雄の物語。買おうものなら少々値は張るが、間違いなく読む価値はあるだろう傑作。
「ちょっとしか読んだことないけどさ、あれはきっと本当の事なんだよ」
「どうして? 本は大抵架空の話だ。あれを本当とする根拠なんてどこにもない」
「架空か現実かなんて、どっちにしかいない僕達にはわからないでしょ。それこそ、現実なんて言葉は今居る世界を指してるだけじゃない。それもあるんだけど……さ。1番はやっぱり、あの世界は生きているって事なんだよ」
ここまで饒舌な彼も見たことがない。ワタシはミリヤが来るまでの間、彼の言葉に耳を傾けていた。
「色んな物語があって、色んな生き方がある。人の数だけ歴史があって、それは物語として語り紡がれる訳だけど、何というかあれはさ……一人の人間が、その誇りを燃やし尽くして得た、一種の結果なんじゃないかって思うんだよね。だからあれだけは、何というか……僕達と存在が近い気がするんだよ」
「ふむ。一人の人間が持つ誇りを燃やし尽くした、か。中々いいことを言うようだけど、しかしわからない。それがどうして君の問いとつながるのかな?」
そう彼に問うた時、カウンターの奥からミリヤが姿を現した。手には一冊の本が乗っている。
「待たせた……って訳でもなさそうね。はいこれ」
ミリヤから本を受け取ったので、私は軽く頭を下げて、店を後にした。
道を歩きつつ、彼は言う。
「先生。さっきの事なんだけど」
「ああ。どうして君の問いに繋がるという話だね。忘れていた訳じゃないが、改めて聞こう。どうしてかな」
この時、ワタシは期待をしていた。彼がどんな言葉を言うのか、それが楽しみで仕方が無かった。
だが紡がれたのは、ただ一言。
「かっこいいから、なりたいんだ」
予想外の答に、ワタシは唖然とした。そんな私を嘲るかのように、彼はまっすぐな瞳でこちらを見据えた。
「何かに全力になって、死に物狂いで生き抜いて、人生余す事なく使えたんだよ? 先の結果がどうであれ、それは確かにカッコイイものだと思うんだ」
たとえそれが、いつか失われる幻想だったとしても。
「……参ったな」
私は期待をしていた。彼がどんな言葉を紡ぐのか。しかしながら紡がれた言葉は、誰にでも言えるような言葉。
否、失望した訳ではない。むしろ余計に面白い。まさか予想の真上を行くとは……
預かって、正解か。
それは誰しもが言える言葉だが、誰しもが同じような感想を抱ける英雄なんて、確かにそれはカッコイイ。
難しい言葉を並べ立てる必要は無かった。ただありのままに、素直に感じたことを……
「先生はどう思う?」
そんな返しをされて、尚もワタシの答えを求めるか。ならばこう返すしかないだろう。
「かっこいいよ。私はそれをかっこいいと思うし、それを願う君を馬鹿にするつもりもない。英雄も人だ。誰しもがなれる可能性を秘めている。ただ……」
あえて最後は意地悪に。生憎性根が腐ってるもので。
「ちょっと勉強が足りないかな。今は精々、自分の研鑽に励むといい」
一日が終わる。
空は未だに青かった。
言うことはないのだ。