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作者: 川瀬早苗

金魚が小さな袋の中で揺られている。「揺られている」というよりは「揺らされている」という表現の方が近いかもしれない。初めて金魚掬いをし、しかも2匹も掬うことのできた子どもは上機嫌で、ぶんぶんと腕を振って歩いている。子どもにはまだ、金魚の暴れ方に目を向ける余裕はない。金魚たちは自分の運命についてどう考えているのだろう。悠々と泳げたのに突如狭い環境に押し込められ自らの行く末を案じているのだろうか。次々とポイが迫る環境から解放されて嬉しいのだろうか。

この頃は夏祭りが多い。駅前でも公園でも出店や山車を見かけ、あらゆる場所で浴衣姿の女性や子供が行き交う。暑いね、と言いながら笑顔ではしゃぐ数人の少女を横目にバス停へ向かう。去年の夏がフラッシュバックし、すぐに空しい気持ちに包まれる。

「いつまでしがみついているんだろうね。」

自分に向けて呟きながら、来たバスに乗る。


行き先は決めていなかった。バスが出発して20分もすると、色は商店街から畑や林へ変化した。上半分が木の葉で隠されて見えない、縦長の白い看板が目に留まる。下半分には「堂入口→」と書いてある。近くの停車ボタンを押してみた。次のバス停はすぐ近くだったようで、バスは急停車する。乗客は私だけだったので他人に迷惑がかかることはなかったが、料金を払うときに運転手の顔を見ると、あからさまに怒った表情を向けてくる。それでも、私には何も言わなかった。

さっきの看板に近づいてみる。上半分には「れんげ」という文字が見えた。矢印の方向へ目を向けると、木々に囲まれた中に、車1台分ほどの道がカーブして続いているようだ。とりあえず、行ってみよう。


「もう疲れた。」

陳腐な台詞で別れを告げられたのは1か月前のことだ。解決策を提示したい男性と話を聴いてほしい女性、よく言われるすれ違いが、4か月にわたって起こっていた。恋人という名前はなくなったものの、彼は今でも私の部屋に入り浸る。恋人のようなやりとりもある。

もう疲れた、と言いたいのはこちらも同様だ。なのに彼はまだ、私が彼を好きだと思い込んでいる。私の気持ちはとっくに消えているのに。というより、本当に気持ちが存在していたのかさえ怪しいところだ。

去年の夏、失恋をした。その直後に彼が現れ、いつの間にか「恋人」になっていた。「恋人」という名称に胡坐をかいているだけの人間だったが、それは私も同じだった。どちらかといえば、私のほうが冷静に相手の気持ちを察することができている。そんな程度だ。


10分ほど歩くと、確かにナントカ堂と名の付きそうな建物が現れた。手入れはされているようだが、人は見当たらない。ばしゃん、と音がした。横の池には鯉がいるようだ。小さな池の端に蓮がひしめき合うように並び、咲いている。

美しい。

単純に、そう思った。仏教の掛け軸などで神々しく描かれているのも納得できる。優雅ともいえるグラデーションの花びらの中心に、硬くしっかりしていそうな花托があるのはなんとなくアンバランスだが、それでも全体としての調和を保って花全体は美しくなっていた。

「あ」

後ろから、間の抜けた声がした。振り向くと、「彼」と浴衣姿の女性が並んで立っている。着崩れを起こしかけているのか、それともわざとなのか、胸元がきわどく開いている。浴衣は寸胴の方が似合う。隣の女性は浴衣を着ていてもわかるほど、プロポーションが良かった。この人は似合わない人なのかな、と呑気に考えながら、二人を見据えた。

「なんで、ここにいるの。」

「彼」が、困ったような視線をこちらに向けている。

「別に、なんとなく。」

それ以上に理由はない。

「知ってたんだろ。ここが俺たちの思い出の場所だってこと。」

「知らない。」

「邪魔しに来ることないだろ。」

「そんなこと、思ってない。」

「俺はお前に戻らないからな。」

「いや別にいいって。私、あなたのこと好きじゃないから。」

「彼」が目を見開く。女性は気まずそうに私を見つめている。

「好きだったこと、ないから。その人と3か月前から付き合ってるんでしょ?お幸せに。」

「彼」も女性も、表情が硬直した。直後、「彼」がこちらにずんずん歩いてくる。やばい、と思ったのも束の間、私は突き飛ばされ、池に落ちた。浅い池だったのが幸いだったが、藻が体に絡みつく。

「ちょっと!」

女性が叫ぶ。「彼」は口をパクパクさせていた。鯉みたいだ。こんな時でも私は彼を馬鹿にしていた。

「お前!の、な!そういうすましたところとか、妙に、知り尽くしてる表情!知ってるくせに何も、言わない、動揺しないところ!とか、そういうかわいげのないところ!ふざけんなよ!」

もはや、文脈になっていない。「彼」は踵を返した。女性が私を見やり、不安げな表情をしながらも「彼」についていく。巾着についている鈴がリンリンと鳴る。

よくわからないが、笑いが込み上げてきた。池から立ち上がりたいとも思わない。


「大丈夫?」

心臓が止まるかと思った。恋い焦がれていた声が、左から聞こえてきた。

「腰抜けたの?待ってて。」

ざぶざぶと音がした。慌てて横を向くと、愛する人が、いた。

「はい、持ち上げまーす。」

拒否する間もなく、俗に言うお姫様抱っこの状態になった。なんでここにいるの?あなたも女性といるの?なぜこんなに密着するの?

「このお堂さ、なんかわかんないけど、男女の密会に使われるんだよね。ネットの口コミで広まってるらしくて。夜は暗すぎて誰も来ないんだけど、昼間とかけっこうこの中から話し声とか聞こえるの。神聖なお堂を汚すなー、ってね。まあ俺も目を瞑ってるんだけどさ。池に落とされた女を助けたのは初めて。」

あくまでも視線は前を向いたまま、彼は話し続ける。鯉だってびっくりしちゃうよねー、と。

「なん、で」

その言葉だけ、紡ぐことができた。

「ん?あー、ここね、ちょっと事情があって、俺が週1回で様子見して、掃除とかしてるの。密会するやつらが飲み食いして散らかしたものを片付けたり。」

「片付けるから、散らかされるんじゃ」

とんちんかんな返答が生まれる。お堂に入る階段のような場所で、下ろされる。彼は私の顔を見て、笑顔で答える。

「片付けないと、散らかったままでしょ?それじゃだめじゃん。一応、ここだって信仰の場なんだし。」

待ってて、と言い、お堂の中に消える。出てきたときには、オレンジ色のタオルを持っていた。

「これ、使って。俺の汗ちょっと吸ってるから、嫌かもしれないけど。」

タオルを受け取る。湿っているが、使うことにした。彼が続ける。

「それにしても傑作だね。きみは冷静すぎ。あの女の子、あんなやつといて幸せになれるのかねー。ま、いつもここでは幸せそうに二人で笑ってるから?いいのかもしれないけどねー。」

「ここには、あの人たちはよく来てたんですか。」

「うん。俺が掃除に来る日と丁度かち合うんだわ。どっかで天誅食らわないかな、とか思ってたけど、それが今日だとはね。」

どっちが天誅食らったのかわかんないくらい汚れちゃったけどね、と言いながら、私の足についた藻を取る。

「いつでも堂々としてるとこ、俺、好きだよ。」

「ありがとうございます。弱さを隠すためですけどね。」

顔を拭くふりをして、表情が彼に見えないようにする。この人はこうやって、人を勘違いさせる。

何事もなかったかのように、彼は話題を変える。

「今さ、駅前でお祭りやってるよね。」

「ええ。」

「明日さ、花火らしいんだけど、一緒に観に行かない?」

「・・・え?」

「嫌とか、もう予定が入ってたら、いいんだ。去年一緒に行った楽しさが忘れられなくて、また一緒に行けたらいいな、なんて。・・・あのさ、口、開いてる。」

慌てて口を閉じる。彼はくつくつと笑う。彼の笑顔を見て、自分の表情の筋肉が緩む。

「浴衣、準備しますから。」

去年は浴衣で行ったら、えらく驚かれた。俺も甚平で来ればよかった、カップルに見えたほうが自分も周りも楽しくない?と笑いながら言う彼を思い出す。誤解を招くことに楽しみを見いだすなんて悪趣味ですね、と返した記憶がある。


弱っている金魚から掬われる、という話を聞いたことがある。掬われた金魚は、その後どうなるのだろう。

木漏れ日が揺れる中、鯉がまた跳ねた。

ここまでご覧いただきありがとうございます。

前作『分岐点』とつなげることも可能な話です。

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