桟橋屋タイプ・ゼロ その3
「あなたが、エリナ=グラーフ?」
眉をしかめると、エリナを足下からゆっくりと上半身へ向かって観察し始めた。
〈緊張するな……〉
エリナは額に少し汗をかき始めた。
この女性の瞳は大きく、服の上からすべてを見通されているような感じがしてくる。
しばらくそんな観察が続くと、目を合わせてくる。
「本当に?」
「はい。えっと……そうだ。これ、見てください」
店の隅に寄せておいた自分の旅行カバンから、何かを取り出すと女性に差し出す。
彼女が取り出したのは、便せんの束だった。
あの悪夢……故郷を失くしたときに、ドラグーンに半ば特攻した彼女は、たまたま居合わせた海軍の艦に拾われたのだ。
墜落した時に怪我や何やらでいろいろあり、しばらく海軍の病院に入院していた。
そのとき行く当てがなかった彼女はある場所に手紙を出した。母親が若いころに仕事をしていたという、ここ『タイプ・ゼロ』へと。
「わたしが、入院中に受け取った手紙です。ここに今日の日付と……」
「自分がここに送った手紙のエリナ=グラーフの本人だと言いたいわけ?
でもね……私が相手していたのは、あなたよりももっと大人のエリナ=グラーフよ。ここに二〇年ぐらい前にいたのよ」
「はい、知っています。そのエリナ=グラーフはわたしの母です」
一呼吸おいて、改めて……。
「それで、わたしはその娘のエリナです」
そう言い切ると、ジークフルートと呼ばれた女性は口をぽかりと開けて呟いた。
「……あの女が子供を産んだなんて知らない……」
そう言いつつ、傍らで機械をいじくっているローナを見る。
あなた知っている? と。
こちらはこちらで、話を聞いていないのか、全く手を止めようとはしていなかった。
「聞いた」
が、ぼそりと呟いた。
ジークフルートの方は、自分の知っているエリナに子供がいたことを知らないことだと、突っぱねようとしたが、裏切られたようだ。
「なるほど、あの女のことだから名前を付けることが面倒だようね」
「面倒なんて、そんな……」
まあ、エリナ自身も母親と同じ名前なのは少々気にした時期もあった。だが、それもあっという間に終わってしまった。
あんな元気だった母親がいきなりはやり病で死んでしまったこのだ。
母との思い出。苦労もあったが、楽しい思い出が……。ふと悲観しかけたが、今はそんな思い出に浸っている場合じゃない。
でも、ひょっとしてこの二人、母が死んだことも知らないんじゃないのか?
そんなことを思いつつ……。
「母は二年ほど前に死にましたが……お手紙で報告したはずですが、もしかして?」
「えっ!?」
「知っていた」
案の定、二人の反応は違っていた。ジークフルートは驚き、ローナはぼそりと呟く。
「何であなただけ知っているのよ!」
「ケイトが、手紙、読まないから……」
「手紙なんて支払いの催促ぐらいしか来ないからよ。
ローナ、あなたわざとこの子の手紙をこっちに回したの?」
「エリナ自身が死んだって話の手紙も、渡しているわよ」
「……あの女、葬式代とかで金をせびってくるから、また冗談かと……」
「あの時のは本物じゃないかって、話さなかった?
それに明らかにあの子の文字じゃなかった……」
「そんな、私を悪者扱いするつもり?」
二人の間にかなりの食い違いがあるようだが、エリナは少々置いてきぼりを食らっている。
つまりは、ここに歓迎されていないようなことは薄々感じ始めた。
「あのぉ~……」
エリナは恐る恐る二人の会話に入り込もうとする。
もしこれが母親だったら歓迎されたのかもしれない。
店の状況から察するに、余り儲かっていないのだろう。仕事がないというか、仕事のできる人がいないといった感じなんだろう。母親の腕前だったら、あのホーネットとかいう飛行機乗りには十分なはずだ。
「ああ、あなたの処分についてね」
処分、何て言い方に少しイラッと来た。
エリナが別に悪いわけではないはずなのに……まあ、後でグラウ・エルル族の『妙な言い回しだから気にするな』とあのアンチョコからの情報が教えてくれた。
「こっちの認識違いがあるようなので、ちょっと時間を頂戴」
「時間ですか?」
時間を頂戴と言われ、何日も待たされるのかと彼女は思った。
グラウ・エルル族もホワイト・エリオン族も寿命が長い分、気が長いのではないかと。
そうなると滞在費や何やら必要になる。所持金が心もとないのも確かだ。
親切に助けてくれた海軍の人から、交通費と生活費を渡された――ドラグーンに襲われた土地の人には当面の生活費が支給されることになっている――が、そんなにあるわけでもない。
「二時間後に、ここに来なさい」
「えっ二時間後ですか?」
「そうよ。その間、食事でもしてきたら?」
「確かにお腹は空きましたが、今はそんな場合では……」
「グラウ・エルル族は日々の食事か重要なのよ」
あのアンチョコには桟橋屋『タイプ・ゼロ』の周りの食事情報も載っていた。
ジークフルートとローナは、二人でさっさとサイドカーに乗りどこかへ行ってしまったが、エリナはそのアンチョコにあった近くのパブで食事をした。
これからのことを考えると食事なんて取れない、と思っていたが、目の前に食べ物が並べば身体は正直だ。よくよく考えたら、朝から何も食べていない。
そして、約束の二時間はあっという間に過ぎた。
手に付けている形見の時計は、水没した時間を指したまま動かなかったことをすっかり忘れていた。
「あれ? ジークフルートさんは?」
店に入ると、あのグラウ・エルル族のオーナーがいない。
ホワイト・エリオン族が食事に出かける前と同じように、機械をいじっている。
しかし、遅れたといっても、出かける前に見た店の時計で、約束の時間の一〇分ほどしか遅れていないはずだ。
それぐらいで、怒るようなことは……。
「ケイトは……寝たわ」
「寝たってどういうことですか?」
「グラウ・エルル族は寝るのが早いから……」
ローナはそう応えた。
エレナはその時は信じられない、と思ったが、後であのアンチョコを覗いてみて納得した。
彼女の言う通り、グラウ・エルル族は寝るのが早い。
どうやら宗教がらみらしいが、電球が普及して夜でも明るいというのに、彼らは日没を過ぎると、さっさと就寝モードに入るらしい。
世界中で、人口のおよそ五分の一がこんな状態なのだ。
エレナの故郷はヒューリアン族ばかりでだったから、種族間の違いが生活リズムまで違うなんて、思ってもしていなかった。
「わたし、これからどうすればいいんだろう……」
自分のこれからの人生を握っているかもしれない人が、へそを曲げていなくなっている――実際は違うのだが、今のところ彼女には見える――状態を考えると途方に暮れるのも無理はない。だが、グラウ・エルル族は時間にうるさく、そして自分の生活リズムを早々に曲げるような人でもなかった。
「心配しなくてもいいわ。ケイトから二階の部屋を使えって」
「それはつまり……」
手紙でやり取りした通り、ここで働かせてくれるというのか?
そう一瞬、期待したが……。
「今日の掃除のお礼」