飛行禁止空域
統一歴九四〇年、秋――
ホーネット。
ドラグーン退治に巨大鳥や竜から、飛行機へと鞍替えした傭兵たちの俗称。プロペラの風きり音が、スズメバチのような蜂の羽音と重ね合わせたのだろう。
エリナ=グラーフは、そのホーネットの見習い。
操縦桿を握って久しくはないが、彼女はまだ公式な免許を持っていない。
一七歳の少女でも、それほど難しくはない試験なのだが、合格していない。
その理由は……後で説明するとして、今、彼女は急に入った仕事を終え、母港であるヨークタウンへ戻っている最中であった。
大概のホーネットたちはドラグーンの迎撃を請け負うだけでは、生計が成り立たないので、飛行機を使ったサービスを展開している。その一つに荷物の運搬があった。
しかし、今回の仕事は納得して請け負ってはいない。
自分たちは厄介払いされた。
最初は、そう彼女は感じた。だから裏をかいてやろうと、二人で話し合った。
実際の作戦を考えたのは、彼女の後ろの席に座るリジーこと、エリザベス=P=シュトラッサーだ。
通常、ヨークタウンから目的地のアドミラル州フッドまで、片道三日かかる。それをリジーは往復三日で済ます飛行プランをはじき出したのだ。
それは日の出から飛行機を飛ばし、日没まで、というスケジュールで、二日目に目的地のフッドに到着。三日目の朝一番に飛び立ち、南のヨークタウンへ一気に戻るというものだ。
今日一日、無補給で四〇〇〇キロ近く飛ぶという作戦。
この季節は、北からの風が吹くので、それを利用すれば一気に戻ってくれるはずだと……。
ただ気掛かりなことはある。
そのルートは、飛行禁止空域に指定されているところを通過するのだ。
しかも国は空域に侵入されないためにか、飛行機乗り達が使っている最新の地図に、ただ空白に飛行禁止区域と書いて太線で囲んだ。
噂によれば、なぜか海軍の基地が山奥にあるらしい。
なんでも、何か秘密の研究しているとか……空飛ぶ円盤なんてのもある。
軍とはことを構えるのは、ちょっと考え物だ。
それに普通だったら、情報がない場所。
どこに山があるかも解らず、また何かあったときとか、休憩するなどで着水しないといけないときの河川やそれなりの湖の情報がないのは、操縦士としては不安で仕方がない。
時間はかかるがやはり迂回すべきだろうが、エリナはリジーの考えたルートを信じることにした。
しかし……後から考えれば、見習いである自分がいたところで、できることがあるだろうか?
『桟橋屋』のオーナー、ケイト=ヴァル=ジークフルートが、この仕事を押しつけたのは、自分たちを逃がすためだったのかもしれない。
そう考えると、自分たちが今していることは本当に正しいのか疑問になってくる。
エリナはため息をつきながら、操縦桿を握っていた。
「まだ悩んでいるのッ!」
耳に付けたヘッドフォンから、ガミガミ声が聞こえてくる。
もし真後ろの席にいたとしたら蹴飛ばされる勢いだ。
「リジーちゃんごめんね。付き合わせちゃって」
「アンタが一人で飛べれば、アタシが一緒に行かなくていいのよ」
体中に響いている二つのプロペラとエンジン音をかき分けて、耳が痛いぐらいだ。
痛いのは、耳だけじゃないか……。
リジーといわれたもう一人の少女が、観測兼通信員を務めている。
仕事は、エリナが操る飛行機が今どこを飛んでいる――いわゆる航空航法――とか、外部との通信――至近距離は音声通信。遠距離は無線電信――を全部取りしきっている。
本当はエリナが全部一人で出来なければいけないことだ。
エリナに言わせれば、飛行機を飛ばしながら、自分の位置を計測。
そして、通信に耳を傾けて……と、やることがありすぎて、頭がパンクするらしい。
これ飛行機免許が欲しければ、みんな行っていることだし、それを試験官の前でクリアしなければ免許が取れない。
結局、彼女はできないまま、観測と通信を手伝う人を乗っけて飛んでいる訳だ。
なお、「見習いですよ」と機体はオレンジ色の吹き流しをつけて飛んでいる。
まあ、そんな欠陥がある者が操縦桿を握っているのはちょっと問題がある。だが、エリナにはできない分、秀でることがあるために飛んでいられるのだ。
それは……。
「テリーさんがくれた古い地図を見ながら、アンタの手帳に書かれていた……あッ!」
「どうかしたの?」
「逆探に感あり。迎撃機が飛んでくるかもね」
リジーには観測などのほかに逆探の監視している。
エリナにそこまでやらせると、ますます混乱するだろう。
ちなみに逆探とは、電波探知機。つまり電探、電波探信機の電波を捕まえることで、相手が捜索や警戒していることが判断できる。
この機体には電探を積まずに、逆探だけ積んである。
電探が高価であることと電波を拾えばいいだけであるので、構造が簡単で軽いからだ。
「迎撃機?」
「アタシ等、いけないことをしているんだから、お仕置きをされるってことよ」
「なるほど」
エリナは他人事のように返事をする。
これは予想していたことだ。
この作戦で一番の懸念事項が、噂の海軍基地の存在だ。
最新の地図には記載されていないが、古い地図には軍の基地があることが記載されていた。
何が待っているのか分からない。
公の飛行禁止空域に勝手に入ろうとしているのだ。
問答無用に撃墜されてもおかしくはない。
それが軍のやり方だし、法にもなっている。そんなところを彼女たちは突っ切ろうとしている。
その後、数分間の沈黙が続いた。
外を見れば、左側には山肌が雲の上まで続いてる。
反対側はずっと低い木々の森が水平線の彼方まで広がり、あっちこっちに水たまりのような小さな湖が点在する。
一〇〇〇年前の星が落ちだ後に育った森。
そして、湖はそのころ誕生し、世界中にこんな風景が広がっている。
空の遠くを見れば……綿菓子のような雲が漂い、目を凝らしてみれば遥か向こうに魔術文明の遺産というべき『浮遊島』が望めた。
星が落ちて大洪水で失った大地の足しにと、埋もれた島を引き上げて人工的に造ったもの。大きさは個人所有の小島から、最大のものは我々の世界で言うところの北海道ぐらいのものもある。
浮遊島を浮かすために使われているのは、魔術を利用した重力発生装置だ。魔術技術がまともに使われている数少ない部分である。だが、その土地はあっという間に枯れてしまった。
その当時は解らなかったことだが、地下水や地中内の微生物の関係やらで、食料も水も取れない不毛の地となってしまったとか。
挙げ句に魔法技術の不安定さに、地上に落ちてしまう。
今残っているのは、その時の負の遺産にほかならない。
「わたしたち以外にも、こんなところを飛んでいるのかしら?」
「なに言っているのよ。
飛んでいたとしたら、軍に決まっているって……来たの!?」
「向こうの方に……」
「方向は時計方向で言いなさいよ。アルさんにも言われたでしょ」
「うんと……一〇時、あっ一一時か」
リジーは、エリナのあやふやな方角説明に苛立ちながら、一一時方向。前方の少し左手を見る。薄くモヤがかかっているだけで、何も見えない。
目を凝らしてみても、よく判らない。
リジーは双眼鏡を引っ張り出そうかと、思ったがエリナからさらに情報が入ってくる。
「二機いる。どんどんこっちに向かってきている」
「あんたが見えているなら、それは迎撃機よ」
エリナが秀でていること。その一つは目の良さだ。
リジーは一般人の間でも裸眼ではよい、と言われるほどだが、エリナの目は桁外れによい。
それもホーネットのような飛行機乗りたちの中でも、抜きにでるぐらいだ。
彼女が見えているというのであれば、疑うとはないだろう。
それを裏付けるように、彼女たちの元に通信が入る。
『ここから先は飛行禁止空域。民間機及び許可なき飛行物の進入は一切受け付けない。
繰り返す。ここから……』
音声通信が届いたらしい。
リジーがエリナに聞かせるために、機内通信に流し込んだのだ。
「どうしよう……」
「どうしようって、今更なにを」
「ごめんなさいっていようか? 二人で謝れば……」
そんなことを言って、慌てふためいて、逃げ出すか……と思ったが、エリナの操る機体は予定するルートをまっすぐ突き進んでいる。
そして、彼女の言っていた軍機が、ゴマ粒のようだったものから見る見る近づいてきた。
「やばいのが飛んできた!」
リジーはイヤな感じがしてきた。
単発機だ。
ビヤ樽のような太い機体に、鉄板を切り出したように四角い翼。
子供が「飛行機、書いた」と見せる絵のような機体だが、そんな愛嬌の中に恐ろしい力を秘めていることを知っている。
『F6F艦上戦闘機』
海軍が持っている最新鋭機だ。
不格好な機体だが、単純だから故に頑丈にできている。
装甲も厚い。そのために機体の重量はかさんだが、それをものともしない二〇〇〇馬力の強力なエンジンにより、速度も速い。
技術を惜しまなく使われた機体だ。
まだ主力として配備している先代機の『F4F艦上戦闘機』なら勝ち目はあるかもしれないが、果たして……。
「碇のマーク? やっぱり海軍なんだ。
それにしても、わたしたちのみたいにフロートがなかったけど……」
エリナの方は、心配するもう一人の彼女とは別の感想を持ったらしい。
「車輪付きなんでしょ。贅沢にも森を切り開いて滑走路を造っているのッ! 連中は……」
「エリオンの教会に怒られないかな?」
エリナの言っているエリオン……ホワイト・エリオン族は、世界人口の二割を占める種族で、その宗教は森林宗教、巨木宗教と呼ばれる多神教を信仰している。
どういう宗教かというのは詳しい話は後にして、簡単に言えば「森は神様の住む場所」というわけで、森を切り開くことは許さない――ホワイト・エリオン族は感情が激しいことで有名――と、飛行場などの大規模な伐採は反対の立場をとる。
そのために、民間機やホーネットの使っている航空機のほとんどが、いわゆる水上機。
案の定、星が落ちたおかげで、水辺には苦労しない。だが、どうしても重量がかさみ、空気抵抗も増えてスピードが落ちてしまう。
それは、同じ機体を使っている軍隊からしたら、好都合にもなった。民間……強いてはホーネット達の足枷にもなっているからだ。
しかし、便利さから、そして主とする敵ドラグーンが、そこまでスピードを必要としないことから、不便とは思われていなかった。
彼女達の機体は、ダイヤモンド社製の双発水上機。『ダイナ』の愛称で民間販売されているが、もともとは『一〇〇式司令部偵察機』として陸軍に納品されている機体だ。
民間販売にあたり、いろいろと改造がされている。左右の八七五馬力のエンジンには、それぞれ大きなフロートがぶら下がっている。抵抗が大きくなるが、新型のエンジンカバーのおかげで、これでも最高速度四〇〇キロと並みの機体では――ホーネットの中では――追いつけないスピードを誇ってはいるのだが……。
彼女達の下を、二機の海軍機が通り過ぎていった。
電探からでは接近する機が何なのか、判らない。
画面に二次元で表示されている点でしかないのだ。距離と方角は解るが、高さまでは判らない――いわゆるPPIスコープだ。
判断するために、そして威圧のためにも姿を見せつけたのだ。
「行っちゃった……」
「エリナ、すぐに戻ってくるわよ。
引き返せ、引き返せって、さっきからウルサくてかなわないわ。
言われたとおり、後戻りする?」
「このまままっすぐ行く!」
エリナは独り言のように呟く。機内通信が入ったままなので、その声はリジーの元に届いていた。
「やっぱりね」
リジーはシートベルトの緩みを確認し、締め直す。
自分の乗る機体を操る少女が、軍に喧嘩を売ろうとしているのだ。だが、命まで亡くすとは彼女は思っていない。
それは、エリナのもう一つの秀でた技術があるからだ。
エンジンが唸りをあげる。風防のすきま風の音が大きくなった気がした。
巡航速から戦闘速へ上がったようだ。その途端、頭の上、風防の外を赤色の光の筋が走る。
機銃弾がどこを飛んでいくかの目安のための曳光弾の光。
今は……当てる気はないのだろう。
威嚇射撃だ、と無線で告げられる。
続けて、足の下の確認窓を光が通過する。
「今度は当てるってッ!」
リジーの耳に当てたヘッドフォンから伝わってくる声が、既に怒鳴り声に変わっていた。
後ろを振り返ると、引き返してきた機体は一機だけ。もう一機は……と空を見回したが、判らない。
どこから隠れているのだろう。
一機だけ姿を見せて、もう一機は隠れている。
姿を見せている者に注意が行きすぎて、もう一機の存在を忘れたところへ、止めを刺す。
卑怯と言われるかもしれないが、空戦なんて、勝ったもの勝ちだ。
「しゃべっていると舌噛むッ!」
エリナが珍しく声を上げる。と、彼女たちが乗る飛行機は、下から何か巨大なものを突き上げられる感じがした。
異常なほどの急上昇。
リジーは一瞬のうちに視界が真っ白になった。頭から血が足へと抜けていく。
自分になにが起こっているのか判らないまま、今度は視界が真っ赤になる。
「なっ、なにやったのよッ!」
視界が戻ったリジーが外を見たら、左手の山肌は触れそうなぐらい接近していた。そして、後ろにいたはずの海軍機。それがなんと前方にいるではないか。
急上昇、すぐさま急降下したようだが……どんなトリックを使ったのかよくわからない。
相手、海軍機の方もこちらを見失ったらしい。
見ればこちらを探しているのか、機体を左右に揺らし、上空を探しているように見える。
リジーが無線などに耳を傾けると、海軍機が二機とも地上の基地へ自分たち……つまり、彼女たちの居場所を問い合わせていた。
エリナが秀でているもう一つのこと。
それは操縦能力だ。
彼女は、子供の頃から操縦桿を握っていたらしい。
故郷では農薬散布の仕事で飛んでいたとか。
そして、ホントか嘘か判らないが「風が見える」らしい。
見える風をうまく利用して彼女は飛んでいる、と言っているのだが誰も信じていない。が、そんな眉唾な話でも、たぐいまれな操縦能力があれば十分なことだ。
地上の基地は電波探知機で、見方の海軍機二機、彼女たちの一機を監視しているようだ。
ただ、高度までは判らないらしい。下からは方位を伝えているが、パイロットたちは後方にいるとは思っていないため、食い違いや混乱を生じている。
その混乱に拍車をかけるように、エリナは機銃の引き金を引いた。
機首にオリジナルにはない七・七ミリ機銃が付いている。
自己防衛用なのだが、弾は真っ直ぐ飛び、前を飛んでいる海軍機を舐めた。
当たることはなかったが、海軍機は翼をひるがえすと、そのまま視界から消えて行ってしまった。
撃墜されるのを恐れたのだろうか?
まあ、見習いを示す吹き流しを付けたホーネットに撃墜された。と、なれば海軍の恥さらしになると、思ったのか判らない――まあ、そんな理由だろう。
ここに来てエリナはエンジンにムチを入れた。
出力最大に……そして、あるボタンに手を伸ばす。
「ロケットブースターっ!」
大声を出したのは、後ろに乗っているリジーへの警告だ。
これを使うときには宣言してくれと、何度も言われた。
数秒開けて、手を伸ばしたボタンを押した。
リジーの乗っている場所から見える機体の側面がせり出し、開口部が見える。
そこから機体は火を噴いた。
『緊急加速装置』
まあ単なる固形燃料ロケットモーターだが、今し方飛んでいる場所から、一気に加速。
一時的ではあるが、最高速度を軽く超え、時速は五〇〇キロの領域へ持って行ってくれる。
固形燃料が燃え尽きる一分少々の間だけだが……。
その間だけでも、この場から逃げれば御の字だ。
それからしばらく様子を見ていたが……エリナが外を見回しても、ほかに飛んでいるものは無し。リジーの監視する通信には反応なし。
少し前まで続いていた沈黙が再び訪れる。
「リジーちゃん。諦めたのかしら?」
「さあ、あまりしつこいと女の子に嫌われる、と思ったんじゃない?」
「そうなの?」
「エリナ、冗談を真に受けない!」
そのとき、ふと外を見たエリナが妙なものが見えた。だが、彼女はそれを口にすることはなかった。
銀色のお盆が飛んでいる、など今の相方に言ったところで、信用してもらえないだろう、と……。