ナイトとジークフルート
統一歴九四〇年、夏――
エリナは頭を抱えていた。
朝食を済ませて、ケイトと顔を合わせたときのことだ。
「今日こそやりなさいよ」
前々から言われていたが、ずっと先延ばしにしていた。
そもそも自分は飛行機の操縦士だ。
そんなところまで見る必要は、無いはずなのに……。
まあここに雇ってもらうときに、掃除や食事などの家事をやる、とは言ったが……これか家事に入るのだろうか?
経理なんて……。
抗議したが「家計簿よ」と言い返された。家計簿だから家事の一部と言って、当の本人はいつものように新聞を読んでいるだけだ。
〈ホント、全然判らない〉
数字を足したり、引いたり、引いたり、引いたり……彼女は、気分が悪くなってきた。
飛行機を飛ばすのには、燃料代だの、弾薬代――彼女か消費した記憶は無いが――だのいろいろと経費がかかっているのは分かる。でも、店の経費の中に衣服代、食費を入れるのはどうかと思ってくる。それもケイトとローナの分だ。
〈なんか数値が合わないけど……〉
最後に出てきた数値が正しければ、最初に計算を始めたときよりも、桟橋屋の経費が増えたことになる。ここに住み込みで働き出してそれほど経っていないが、そんなに働いていない。これはおかしい、と計算をやり直してみたが、今度は減っている。
「エリナ。コーヒー、入れてくれない」
一通り新聞を読み終わったのだろう。いつものように注文してきた。
これで少しは数字から解放される。
エリナはバーカウンターの奥の部屋に入っていた。そこは住人兼用のキッチンになっている。
店内からは見えないことをいいことに、できるだけゆっくりとコーヒーを準備することにした。数字を見る時間をさらに引き延ばすために……。
ポットにお湯を沸かしていると、店の前にクルマが止まった。
ここに来るのと言えば、運搬を頼むために荷物といっしょにやってくるトラックか、あの列車の中であったレジスターぐらいだ。それが珍しく店の前に止まったのは、黒塗りのタクシーだった。
エリナは不思議に思い、キッチンのドアから入り口をのぞく。
現れたのはスーツ姿のヒューリアン族の男性だった。スマートで背が高く、鼻も高い。歳は、彼女の親世代と言ったところか。
「お久しぶりです。ジークフルート」
と、丁寧に挨拶をする。そして、帽子を取ると頭に毛がなかった。
ケイトさんの方はといえば、それを見て驚いているように見える。
「お忘れですか?」
「忘れるも何も……ずいぶん老けたわね」
と、引きつったような笑いを浮かべた。
グラウ・エルル族は感情を表に出さない、と言われているが、エリナがこの人を見ている限り、そんなこと無いだろうと思っていた。他のグラウ・エルル族にあまり接触していないのが原因なのだが……とにかくこの人は表情が豊かだ。整備をしているローナが、感情が激しいホワイト・エリオン族だと言うことが、不思議なぐらいだ。
「ヒューリアン族ですからね。あれからずいぶん経ちましたし……」
「貴方、どこか外国に飛ばされたんじゃなかったの?」
「いろいろありましてね。戻ってきました……これはお土産です」
彼は何かのお菓子の箱を差し出す。だが、ケイトはそれを受け取ろうとはしない。
何か警戒しているような顔をする。
「先ほど駅前で買ってきたものです」
そう付け加えた。
ケイトはそこでエリナを呼んだ。自分で受け取らずに、彼女に受け取らせるつもりらしい。
「ワッフルというお菓子だ。甘くておいしいよ」
エリナの手に箱を渡すと微笑んで見せた。
ケイトはやはり警戒しているのか、興味を示そうとはしない。むしろ彼の行動を逐一監視しているように見える。
「ところで、今、貴方は何をしているの?」
「……本部勤務です」
と、静かに言った。そして、なぜかエリナを警戒するような目で見る。
それを察してか、ケイトは彼女をキッチンに行かせようとする。
「何か飲む?」
「では、紅茶を……アールグレイがあれば……」
「コーヒーしかないわ」
そうケイトは言い切った。しかし、裏には他の飲み物はそろっている。
何でそんなことを言ったのか解らず、エリナがそれを指摘しようとしたら、ケイトの目は「黙ってコーヒーを入れろ」と言っている。ここは黙って従っていた方がいいと感じた。
キッチンに入ると、火にかけてあったポットのお湯が沸いていた。
もともと、彼女の分と自分の分、それにローナの分も淹れようと沸かしていた。
まあローナの分は、お客さんに回せばいいかと、コーヒーを準備する。コーヒー粉を保存缶から出して……と、二人の話が断片的に聞こえてくる。
その話に耳を傾けていると、ある言葉に作業の手が止まった。
陸軍。
どういうことだろうか?
陸軍といえば、半年以上前に自分の故郷を救えなかった人たちだ。
お湯を注ぐ手が震えだした。
このお客は陸軍の関係者、何だろうか?
話を聞いていると、彼の名前はナイトと言うらしい。
そして、ドラグーン対策室とか言っている。そこに配属されているなどと……。
その言葉を聞いて怒りが沸いてくる。
何であの時、撤退してしまったのか。
何であの時、故郷を救ってくれなかったのか。
何であの時……。
撤退を決めた張本人……そうでないとはしても、あの時の関係者ではないだろうか。
それが目の前にいるというのか?
手が震える。怒りが収まらない。
コーヒーが出来上がってしまった。これを持って行かなければならない。だが、断片的に聞いているだけだ。本当かどうか判らない。もし間違っていていたら、お客さんに失礼に当たるかもしれない。
しかし、お盆を持つ手が震える。そして、決定的な言葉が出てきた。
「一応、今は陸軍のドラグーン対策室で……」
と、ナイトという男性から発せられた。途端、コーヒーの乗ったお盆を落としそうになった。
音を立てたものだから、二人がエリナに注目する。
「大丈夫かね?」
「この子……ドラグーン被災者よ。半年前の……」
ケイトはエリナの怒りを感じ取ったのだろう。彼女には自分が故郷をドラグーンによって無くしていることは伝えてあった。彼女はこの客が陸軍関係者だと知っていたから、エリナを遠ざけようとしたのかもしれない。
「半年前? ……あッ」
ナイトは突然、立ち上がると姿勢を正した。
「それは……私は最近、配属されたとはいえ、それは陸軍の責任だ。
陸軍を代表して君に謝りたい」
「えッ、あッ……」
エリナは謝ってくるなんて思いもしなかった。
どうせ言い訳を並べて「自分たちの所為ではない」というものだろう。と、考えていたものだから、面と向かって謝られると、言葉が出なくなった。
〈どうしたらいいんだろ? わたし……〉
自分がどうしたいのか解らない。
どうせだったら、大声で罵声を浴びせたいと考えていたが、そういうわけにもいかない。
相手は正式な謝罪をしている。そんな人に怒りをぶつけるのは、何かいけないような気がしてきた。
「相変わらず真面目ね。だから万年佐官なのよ」
ケイトはあきれたように言う。そして……。
「エレナ、もういいでしょ。ちょっと席、外してくれない」
彼女がどう対応していいのか、混乱しているのが解ったらしい。
言われるまま、エリナは奥のキッチンに入っていくことにした。
少し一人でいて、頭を冷やした方がいいかもしれない。
キッチンに戻ってくると、水を一杯飲み干した。椅子に腰掛けて、ボーッと天井を見る。
自分の気持ちを正直にぶつけた方が、よかったのだろうか?
見た感じ、あのナイトという人は、心から謝罪しているような気がする。そんな人に罵声を浴びせるのは気が引ける。
結論が出ないまま、店内の方を見ていると、ふと二人の話が気になりだした。
そこで彼女はバーカウンターの陰に隠れることにした。
盗み聞きはよくないと解っていたが、カウンターを背にして、二人の会話を聞くことにした。
「で、陸軍のエリートさんが、このしがない桟橋屋になんのようなの?」
「実は海軍側と連絡が取りたいんです」
「海軍なら、こんなヨークタウンなんて来ずに、海軍本部に直接問い合わせればいいでしょ?」
「内密に接触したいんです。誰か紹介してくれませんか?」
「うちは真っ当な桟橋屋よ。そちらのスパイごっこに付き合っている暇はないわ」
「そうは言っても、一人や二人はご存じでしょ?」
「気安く言ってくれるわね。そちらが追い出したくせにして……。
それで、なんの目的で海軍と内密に接触したいわけ?」
「ドラグーンに関することです。と、言えば動いてくれますか?」
「それは、それは……」
「前回のエセック州フランクリンのことはご存じですか?」
「知りません。聞きません。応えません」
「そのまま聞いていただいて結構です。
ただ、私はタバコを吸いながら、独り言を話すだけです。
それでよろしいですか?」
「……」
「フランクリンでは、採取が行われました。だが、パイルが発見されないまま、ショベルとハンマーがやってきました。
不思議なこともあるものですね。
我がコンスティテューション連邦が、独立と連邦制を勝ち取ってから一〇〇年少々経ちますが、そのような事例はありません。他国の開示されている情報にも、そのような事例はありませんでした。つまりこの数百年の事例の中で、初めてのケースになります」
「……」
「我々はその件に関して、海軍が関係しているのではないかと睨んでいます」
「……」
「急に現れたショベルとハンマーへの彼等の対応が、早すぎると感じています。
私は、国民の生命や財産を守るのが、軍人の務めだと思っています。それを軽視するものがあるとすれば、許すわけにはいきません。
しかし……」
「……」
「もし、仮にですよ。軍人の……海軍内に、国民を危機にさらすような行動を取るものが現れているとすれば、全力を持って排除しなければなりません」
「貴方のような軍人ばかりだったら助かるわ」
「私は独り言を言っているだけです。
貴方はただ隣に座って、コーヒーを飲んでいるだけ……」
そこで話は終わったようだ。スーッとタバコを吸う音が聞こえる。
そして……。
「独り言が多くなりました。帰ります。
それから、そこの君!」
エリナはドキッとした。隠れて話を聞いているのがバレたのかと……。
カウンター越しに自分の頭の上を、タバコの煙が噴きかけられた。
怒られるのを覚悟して、エリナは顔を上げようとしたが、カウンターの前に何か違和感が感じられた。
煙が人の形をして避けている。
「魔法の修行が足らん。隠れるなら気配を消したまえ」
そう言うと、ナイトは店を出て行った。
恐る恐るエリナが首を出すと、その人の形をしていたものが姿を現してくる。
「どうしてバレたんだ?」
カウンターの前に立っていたのは、常連客のテリーという男性だ。
陽気な人で、エリナに得意な魔法をよく見せてくる。指先から火を出したり、ものを浮かべたり、姿を消したり……それが不思議そうにしている。
「修行が足りないんでしょ」
ケイトは吐き捨てるように言うと、カウンターの戸棚に近づいてきた。
そして、エリナがカウンターの裏に隠れているのを見つける。
エリナは怒られるのではと覚悟したが、彼女はそのことは何も言わなかった。
ケイトは、戸棚にある酒瓶を乱暴に取る。
「今日は休業よ。家計簿、つけておきなさいよ!」
そして、桟橋の方へと行ってしまった。
「グラウ・エルル族が昼間から飲むなんて……」
テリーの顔色が悪くなった。
何か恐ろしいことでもあるのだろうか?
よく分かっていないエリナが彼に聞き返す。
「彼等が昼間から酒を飲むなんて、日食か葬式ぐらいだよ。
ちょっと様子を見に行ってみる」
と、彼はケイトの後を追って桟橋の方に行ってしまった。
「休業……」
急に休みだと言われても、エリナはどうしようもない。いや、やることはある。
机の上に投げ出してある経理簿をみた。
「こっちも休みッ、てことにはならないですよね?」
机に向かって座り直し、冷めたコーヒーを飲みながら頭を抱えることとなった。




