試験?
目隠しされたままエリナは、飛行機が飛び上がるのを感じた。
快調に回り出力を上げた二つのエンジン音は、自分の操縦していたものより、もはるかに強力で全身を腹の底から震わせる。
アルは飛び上がるのにいろいろと手順をかけていたようだ。
この街『ヨークタウン』が頻繁に飛行機が行き来するために、事故等が起きないよう管理されている、とか……。
ヘッドフォンに彼の独り言のような手順の話が、流れてきたが目隠しされたままの彼女には、理解できないでいた。
そして、飛び上がってかれこれ三〇分ぐらいしたところで、目隠しを取るように言われる。
「うぁー」
一瞬、明るさに目がくらみ声をあげてしまった。だが、慣れていくと視界が開けてきた。
青一色の世界。
空の青。
海の深い青。
水平線らしい方角を見回しても、どこから海か空なのかわからないぐらいだ。
その他にあるものといえば、綿雲が少々。目を凝らしてみると、はるか彼方に巨大な塊、浮遊島が浮かんでいるぐらいだ。
「景色に浸っているところ悪いが、北がどっちかわかるか?」
「えっ? 試験ですか?」
「そんなところだ。傭兵の条件として方向感覚は大切だからな」
「……左ですか?」
「おい、時計方向で言え。機首の方角が0時で……」
「では、四時です」
エリナはそうはっきりと答えた。
アルは……答えなかった。
エンジンの出力を上げはじめ、操縦桿を引いた。
機体はぐるりと一回転。遠心力で体がシートに押し込まれる。
それからも数回、宙返りを繰り返した。体内の血液が足へと集まり、頭の中は逆に血の気が引いて気を失いそうだ。
「ついてきているか?」
「はッ、はい!」
気を失いかけたが、エリナはこれぐらいは何とかついてこられた。
先ほどの答えは正解だったのだろうか?
「そうか……」
答えないまま、アルはあっさりと言うだけ。
また「北はどっちだ?」と聞いてくる。
エリナがまた答える。
そうすると今度は、機首を堕とし逆宙返り。
今度は逆に体が浮き上がり、シートベルトが肩に食い込んでくる。血液が頭に集まり始める。目の前が赤くなり、顔が膨れ、風邪を引いたかのように熱くなってくる。
「ついてきているか?」
「はッ、はい!」
まだ視界が赤っぽく、頭がボーッとしているが、これも何とか耐えきった。
そしてまた「北はどっちだ?」と聞いてくる。
エリナがまた答える。
「耐えているようだな」
「なんとか……わッ!」
答える間もなく、今度は機体を右へ左へと振り回す。
体はシートベルトに固定されているが、頭はそうはいかない。
首が振り回されないように、必死に力を込めて踏ん張った。
アルはさらに機体を揺さぶる。
ついには螺旋を描くように宙返りしながら、突き進み始めた。
加えて宙返り、そのまた逆回りなどなど……もう、どちらが北か、どちらが南か、はたまたどちらが上か下かも分からなくなるぐらいだ。
「どッ、どうだ……ついてきているか?」
ようやく、機体が水平に戻った。
アルの方も、これだけ自分で機体を振り回すとさすがにきついのか、息が上がっているように見える。
「はッ、はい!」
それでもエリナは気絶することはなかった。
普通の少女だったら最初の宙返りで音をあげていただろうが、彼女はついてきていた。
「なるほど。これだけ戦闘機動をしても付いてきているのなら、素質はあるかもしれない」
「これが試験だったんですか?」
「これぐらいで音をあげているようだったら、ほかの連中とやり合えん。
方向のことはどうして分かった?」
「それは……」
と、空を見上げた。答えていいかどうか悩んだ。
実は……ズルをしていたのだ。
先ほどアルはパネルの電源を切ったが、その中に動いている計器が一つだけあった。
時計だ。操作パネルの電源の入り切りで、いちいち時計を調節するのが面倒と、別系統にしていたのかもしれない。
時刻が分かれば、今度は母親の出番。
形見の大きな時計は動きはしないが、文字盤の全体がくるりと回る仕組みになっている。
そして、時計の針を現在時刻に動かす。文字盤の十二時と、短針の針の間を、太陽の方へと向ける。
そこが南だ。
南が分かれば反対側は北というわけだ。
「……何となくです」
「そうか……。
おまえの母親も変な感覚を、持っていたからな。方向感覚もよかったし、そうそう風が見えるとか言っていたな。それに……」
どうやらバレていないのか、アルは感心しているようだ。
どちらかというと彼女は方向感覚は自信がないのだが、黙っていることにした。
彼の話はまだ続いていた。
それをエリナは相づちを打つ。打ちながら、外を眺めている。
相変わらず、青い世界。
どこからが海で、どこからが空なのか分からない。上空のギラつく太陽……。
「あっ!」
上空では空気が薄い所為か、太陽がまぶしく感じる。
しかし……何か一瞬、その中で光ったような気がした。
「どうした?」
「いえ、思い違いかな……」
もう一度、太陽を見た。だが、相変わらずギラギラと輝いているだけに見える。
「何かあったら言えよ。ホーネットになるということは、ドラグーン以外に敵を……」
その途端、太陽の方から光が降り注いだ。
太陽の光ではない。
赤色の細長い光が、彼女の目の前。金属音を上げ、機体中央を貫いていく。
〈撃たれたッ!〉
機銃掃射を受けたことは分かった。だが、どこから……と、もう一度太陽を見返した。
その光の中から影が一つ現れる。再び、光の粒が降り注いだ。
「危ないッ!」
エリナの声に合わせて、アルがとっさに機体を翻るが、降り注ぐ光の粒に突っ込む形になってしまった。
再び機体が貫かれるのを目撃した。
前方の風防の防弾ガラスが砕け、外気が一気に入り込んだ。
正確に当ててくる……翼にあいた穴から、液体のようなものが吹き出した。
〈燃料タンクをやられた!?〉
どうやら穴から漏れているのは燃料のようだ。
火が付くのではと心配したが――燃料タンクには防弾ゴム皮膜処理がしてある――燃料漏れはすぐに収まった。それよりも……。
黒い塊が左側をすり抜けていく。
太陽の中から機銃掃射してきたやつだ。だが、それに注意している暇はなかった。
アルの機体は右に旋回したまま戻ろうとしない。
先ほどの試験のようにくるくる回るのかと思ったが、そうではなかった。
ゆっくりと機首も下がり始めている。
〈もしかして二回目に撃たれたときにッ!〉
風防が割れたときにアルに何かあったのかもしれない。
「アルさん、大丈夫ですか! 返事してくださいッ!」
機内通信に叫んだが、反応は無し。
手を伸ばして……届くような作りにはなっていない。
もし確かめるとしたら、機体の外に出なければならない。だけれど、このままでは機体は海面に激突してしまうだろう。
その時、ドラグーンとの戦いの記憶がよみがえった。
恐怖が……。
体が固まってしまう。
何かやらなければ……そう思っても、何もできない。
止まってしまった彼女を起こしたのは、皮肉にも原因を作った黒い塊だ。
下から突き上げてきた。弾が機体を叩く!
「はッ!」
その衝撃で止まっていた体が動き出した。
どうするべきか?
とにもかくにも、機体のコントロールを取り戻さなければならない。
「アルさん、大丈夫ですか! 返事してくださいッ!」
再び機内通信に叫んだが、反応は無し。
彼がどうなっているか分からないが、悩んでいる暇はない。
ふと目の前の操縦桿に目がいった。
〈たしか、後ろでも同じように操縦できるようになるって……〉
今はダラリとして動かない操縦桿だが、あのチャンネルを入れれば動くかもしれない。
そう思いつき、飛び立つ前に触っていたパネルの端にあるチャンネルをひねった。
計器の針が動き始める。
そして、操縦桿に手ごたえのようなものを感じた。
〈ともかく体制を整えないと……〉
機首を引き上げ、海面へ落ちないようにせねば……。
あの黒い塊への対応はその次だ。だが、いざ操縦桿を握り、目一杯、身体の方に引き寄せようとしたが、ビクともしない。
海面はどんどん近づいてくる。
「あがってッ!」
全体重をかけて操縦桿を引き上げる。
しかし、何かに固定されているようにビクともしない。だが、その時だった。
「すまん!」
機内通信にアルビオンの声が届いた。その途端、操縦桿が嘘のように動き出す。
そして、機体は海面すれすれで水平に戻った。
「すまん、しばらく気を失っていたようだ」
どうやら操縦桿が動かなかったのは、彼が握ったまま気を失っていたためのようだ。
「大丈夫なんですか? ガラスが割れているような……ケガとか」
「大丈夫だ。俺は死なない! しかし、よくあの状況から対応できたな」
「無我夢中で……」
その途端、再び曳光弾が降ってくる。
アルはすぐに回避行動にとったので、今回は機体に当たらない。
海面すれすれを飛んでいるためか、なかなか照準が付けづらいのだろう。
機首を下げれば海面に激突しかねないから……だが、こちらも機首を上げることは難しくなった。後方の上空に相手は付いている。
機首を上げれば、すぐに機銃が飛んでくる。
アルはチラリと後方を確認した。
「オスカーだな」
黒い塊。それは、アイランド社製の『オスカー』という単発飛行機――陸軍が採用する『一式戦闘機』の水上機バージョン。
彼が使っている機体とは違って、胴体下にフロートが一個付いているだけなので軽い。エンジンは九五〇馬力と、彼の乗る『ドラゴンキラー』と少しだけ非力なものを積んでいる。
「アルさん。これから、どうするんですか?」
「任せろ。戦闘の仕方をよく覚えておけよ」
そう言うと、ワザと機首を上げて上空にあがろうとする。と、機銃掃射が飛んでくる。するとすぐに機首を落として水平飛行。
同じことを繰り返した。だが、何度目かの機首を上げたときに弾が飛んでこなかった。
「よしッ!」
エンジンスロットルを全開にして、そのまま機体は駆け上がる。
ついでにあるボタンに手をかけて押した。
緊急加速装置だ。
機体の下部から火が噴き始め、機体が一気に加速。強い加速で体がシートに押しつけられるが、あっという間にぐるりと宙返りして、相手の後方上空へ付けた。
「どうして、撃ってこないんですか?」
「弾切れだ。これを待っていた」
アルは相手がいらだたせて弾薬を消耗させていたのだ。
曳光弾の大きさから考えて、相手はまだ初期武装の七・七ミリ機銃を使っている。
搭載弾数は五〇〇発だが、弾倉に入るのは一〇〇発だ。続いて撃つためにはクリップを交換しなければ、射撃できない。
その瞬間を狙った。
アルが詳しいのは、実は今の機体に乗る前に使っていたのが、この『オスカー』だったからだ。
今の『ドラゴンキラー』にはそれよりも重装備。プロペラに邪魔されないから機首に、一二・七ミリ機銃を二門、二〇ミリ機銃を一門積んでいる。
相手は彼の作戦に乗せられたと、悔しがっているだろう。
今は見失っているのか、水平飛行をしている。
「太陽を背にするのは、なかなかの腕だが、空中戦中にまっすぐ飛ぶやつは命取りだ」
そんなところへ、アルは自分が後ろにいるぞとばかりに、一二・七ミリ機銃の引き金を引いた。
軽快な音を上げながら、機銃弾が放たれる。と、確認したのだろう『オスカー』は、左へ旋回し始めた。
捻り込み……単発機の特有の空中戦闘機動だ。
アルはそれを見越していた。
追いかけるように、左に旋回する。ロケットブースター付きで……。
ほぼ変わらない距離と位置のまま、二機が左回転した。
普通だったら小回りのきく単発機の方が有利になったのだろう。
アルの機体が一回転している間に、自分は二回転して後ろを捕ろうとしたのだろうが、スピードと高揚力装置を効かせて強引な空気抵抗――風防のガラスが割れているのも入るかもしれない――でぴったりと、後ろに付けている。
「悪いな、これで終わりだ」
一瞬、機体が遠心力からときはなれた瞬間があった。
アルはそこを見逃さない。
二〇ミリ機銃が火を噴いた。
わずか数発だったが、確実に相手の翼を直撃し弾けた。
機銃弾は二〇ミリぐらいの大きさになってくると――実際はその下のサイズ一二・七ミリ機銃からだが――弾丸ではなく砲弾になる。
徹甲弾、曳光弾、炸裂弾の順番にクリップの中に詰められているので、徹甲弾が開けた穴に最後の炸裂弾が入り込み『オスカー』の翼を切り裂いた。
破壊力は抜群だ。
片翼を半分失ってヨロヨロと飛び始めた。
「よし逃げるぞ」
「えッ、追いかけないんですか?」
エリナはアルがこのまま相手を撃ち落とすかと思った。
見た目で判断していたとがあるが、自分に刃向かったものは容赦しない。
そんな人だと思っていた節があった。だが、相手は片翼を失って、なんとか飛んでいると言うだけで格好な獲物のはずなのに……。
自分がいるからそうしたのか? そうエリナは聞き返そうとした。
「俺は人を殺さない主義だ」
疑問をぶつける前に回答が返ってきた。
そして再びロケットブースターに点火して、一気にこの空域から離れる。
〈そうだ。飛行機を落とすと言うことは、人を殺めることだ……〉
今回は片翼を破壊しただけだったが、もしあれがコックピットなりに当たっていたら、操縦者は必ず死ぬだろう。
そもそもドラグーンを倒すためだったら、七・七ミリ機銃で十分だ。
それ以上のを求めて載せているのは、対人への武器としてだ。
自分がなろうとしているものに、恐怖が感じ始めた。
生活のために……そう単純なものではないかもしれない。人の命を奪うこともできる力を持とうとしているのだと……。
「あの人、あのままで大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ。頑張れば飛べる。近くの村か、どこかの補給船に拾ってもらえるだろう。
それにあいつは、それぐらいじゃあ死なん」
「あの人? 襲ってきた人は知り合いですか? でも何でまた……」
「知り合いも何も……。
それよりもなんで俺がここにいることを、あいつは知っていたんだ!」
アルにも何か複雑な事情があるのだろうか?
ぶつけることのない怒りが声から感じる。
これ以上、詮索するのはよした方がいいかもしれない、とエリナは口を噤むことにした。
「……ところで、帰ったら腕時計を買ってやる。
ホーネットになるんだったら、いつまでも止まっている時計を使っているわけには、いかんだろ」
「あッ、バレていました?」
「何の話だ?」
「何でもないです……」
第1章 傭兵の条件【終】




