ケイコ先輩
タケシが一目ぼれした美人の先輩、ケイコ先輩には彼氏がいた。そして、その
彼氏とはタケシ達が所属している部の副部長だった。
「ケイコ先輩、彼氏いるんだってよ。」
この一言で、自分の心は激しく動揺した。それは、ボクにとって
初めての経験だった。
ケイコ、部活見学の日に見かけた、あの女性の先輩の名が
ケイコと分かるのに時間はかからなかった。まぎれもなく
ケイコ先輩は、部の中心人物の一人だったから。一軍所属の
実力者であり、容姿端麗、品行方正、成績優秀、
自分に厳しく他人に優しく。まさしく、アオイとそっくりの
存在だった。ただ、アオイと違うのは、アオイが他の部員からの
愛され方が敬愛ならば、ケイコ先輩の愛され方は親愛だった。
だから、アオイと違って、ケイコ先輩の周りにはいつも仲の良い
友達や先輩後輩が集まっていた。その時のケイコ先輩の顔には
いつも笑みが浮かんでいる。その笑顔を見る度に、ボクの心は
大きく動いた。
まずは、上手くなろう。ケイコ先輩に近づけるように。
ボクは、そう頭の中で宣言した。でも、宣言した途端、上手くなる
わけじゃない。「言うは安く行うは難し」とは、よく言ったもんだ。
中学で引退して高校の今に至るまでの数か月間のブランクで、ボクの
実力はしっかりと鈍っていた。それは、ヒロノブも同じで、
「参ったね、こりゃあ。身体が鈍っちゃってるよ。」
とボクが思っていることを代わりに言ってくれた。
ヒロノブ本人は、独り言をささやいたつもりだろうが、
ボクの耳に届くには充分すぎる声の大きさだった。
もっとも、新入部員は、入部してからの初めの数週間は
一軍二軍関係なく、先輩集団と離れての練習だから
雑談やぼやきは、オッケーなんだけど。そんなヒロノブの
でかい独り言が聞こえたのか、アオイはよくボクたちの
練習を看てくれた。アオイにもぼくたちと同じくらいの
ブランクがあるはずなのに、入部から数日後には、ちゃっかり
昔の勘を取り戻しているようだった。実際、アオイの指導は
適格で、ボクたちの数か月のブランクは、女帝による
数週間の指導で、順調に埋められつつあった。
そうしてアオイの指導を受けつつ5月の連休を迎え、
新入部員が一軍、二軍と自然に分かれ始めた頃、
梅雨が近づき始めた頃、ケイコ先輩に近づく道が切り拓かれた頃、
「ケイコ先輩、彼氏いるんだってよ。」
とヒロノブの口から突然、無慈悲な言葉が飛んできた。
部活の合間の休憩時間の雑談中、突然ヒロノブがケイコ先輩の
話しを始めたのだ。
「嘘だろ?」と思った。そう思ったはずだが、無意識のうちに
声に出てしまったらしい。
「いや、ホントだって。副部長と付き合ってんだって。
ケイスケの姉ちゃんがそう言ってんだってよ。」
ヒロノブの隣りにいるケイスケがボクの顔を見ながらコクコクと頷く。
ケイスケはヒロノブと同じクラスで、ボクたちと同じく一軍への参加を
目指しているようで、練習中ベラベラと口も動かすヒロノブと
違って、普段から黙々と練習している。あまりに一生懸命練習するので、
休憩時間は疲れて無口になるような真面目な奴だ。
そんな真面目な性格をしているのに、ヒロノブとは
気が合うようで、授業の休み時間中、この2人が廊下で楽しげに
話しているのを何度か見かけたことがある。その時に、ケイコ先輩の
話しをしていたのだろうか。ケイスケは、自分の出番はもう終わりだと
体現するがごとく、床の上で胡坐をかき腕も組み、頭を垂れている。
ケイスケが休憩中よくやる眠りのポーズだ。こうなると、休憩時間が
終わるまで動かない。
「ほら、見てみ。めっちゃ、仲良さげじゃん。」
ヒロノブの指が指す方向を見ると、椅子に座って休憩中のケイコ先輩の
側に副部長が立っていて、二人で何か喋っている。
「お似合いだね。」
聞き覚えのある声がして、驚いて振り返るとアオイがいた。
いつから、いたんだろう。もう一度、ケイコ先輩の方を見た。
側に立つ副部長を見上げながら、喋っているケイコ先輩の笑顔は
いつもよりも可愛い笑顔だった、ような気がする。