あー楽しかった【2】
◆
「──どうやら上手く逃げ切れたみたいね」
がさり、と。深い森の茂みの中から警戒と緊張を走らせた少女が顔をのぞかせる。
長い髪を胸の辺りまで伸ばした、一見黙っていれば可憐で大人しそうな十六歳の少女──ミリアーノ。好奇心旺盛な瞳で辺りを見回し、誰もいないことに安堵の息を吐く。
「良かった。見つからなくて」
のそのそと茂みの中からミリアーノは姿を現した。
ファーの付いたミディアム丈の白いコートに身を包み、その中には旅知らずのひらひらなワンピースを着込んでいる。そして極めつけは旅に不向きなかわいらしいブーツを履いていた。
自由を感じたのか、ミリアーノは両腕を大きく広げてクルクルとその場に回って見せた。
「あー楽しかった♪」
「ぬぁーにが『楽しかった』だ?」
茂みの中から少年の怒りの声が聞こえてくる。
ミリアーノは動きを止めて茂みへと目をやった。
茂みを掻き分けて同じ年頃の少年が姿を現す。
魔法衣にダウンジャケット。最高にして最強の魔剣使い──それが彼、クレイシスだった。
クレイシスが頬を引きつらせながらミリアーノに言う。
「これがお前の言う『最強の魔剣使いになる為』の旅か? 何が楽しくて毎日毎日破壊と逃亡劇を繰り返さなければならないんだ?」
ミリアーノは不思議そうに小首を傾げる。
「あたしは何もしてないわよ? 全部あんた一人でやったことじゃない」
「その原因が全てお前であることを忘れるな、ミリアーノ!」
すると、茂みの中からもう一つの声。
「まぁこういう旅の楽しみ方もあっていいじゃないですか。僕は好きですよ、こういうの」
宥めながら茂みから姿を現したのは温厚で爽やかな十三歳の少年だった。虫も殺さぬ笑顔に似合った聖法衣に身を包んでいるが、実は聖職者ではない。少年の名はフォルシス。その姿は仮の姿であり、本来の姿は魔剣である。
クレイシスはフォルシスへと標的を帰ると、ビシッと指差して喚き始めた。
「──っつうか、いつまでオレにとり憑いている気だ! 早よ帰れ、自分の神殿に!」
にこりと笑ってフォルシスは手を振りながら明るく返す。
「やだなぁ、『とり憑く』だなんてそんな。本当に幽霊に呪われたわけじゃあるまいし。ただ僕はクレイシスさんが僕の主になってくれるまで地獄の果てまで付きまとう気でいるだけですから」
「幽霊にとり憑かれた方がまだマシだ!」
「あー!」
ミリアーノが怒りの声をあげる。いつの間にか彼の背中にくっついている青い魔剣を指差して、
「あんたのその背にくっついているその魔剣、さっきあの山で見つけた伝説の魔剣じゃない! 気味が悪いから返して来いって言ったの誰よ!」
「うるせぇ! また魔剣にとり憑かれたんだよ! 文句あるか!」
言い返すクレイシスに、フォルシスが寂しげな視線を投げる。
「……また浮気するんですね。僕という魔剣がいながら」
「帰れ、てめぇ!」
「あんたねぇ! フォル君はこれでも世界中の魔剣使いが欲しがる有名な魔剣なのよ!」
「これでもって……」
ミリアーノの発した言葉に傷つき、フォルシスはがっくりと項垂れた。
「なぁ」
急に声を落としてぼそりと、クレイシスはミリアーノに尋ねる。
「お前の旅の目的って、一体なんなんだ?」
「……」
ミリアーノは少し考えるように間を置いた後、当然な顔で答える。
「あたしの名前を世界中に轟かせるため」
「その名を世界中の損害保険ギルドに広めてどうする?」
ミリアーノは冗談とばかりに笑った。
「やぁね。あたしは世界最強の魔剣使いになりたくて旅をしているのよ?」
「それが曲がり間違ってどうして損害保険ギルドに轟いてんだ?」
「不思議よね。あたしはただ純粋に最強の魔剣使いを目指しているだけなのに」
「オレはたまにお前が恐ろしく感じる」
咳払いしてミリアーノ。彼の背にくっついた魔剣を奪って早々と話を打ち切る。
「まぁ何はともあれ。これであたしはついに念願の魔剣を手に入れた」
「入れてねぇだろ。今オレの背から勝手に盗っただろ?」
無視して、ミリアーノは青い魔剣を腰に装着した。そのまま何事なく話を進める。
「これでようやく魔剣使い称号授与戦に出場できる」
クレイシスはその言葉を聞いてフッと鼻で笑った。
その脳裏を過ぎる過去の思い出。
思い返せば先週立ち寄った《イファの都》でオスカ帝国最強の魔剣使いを決める称号戦試合が催されていた。彼女は本気でそれに参加する気だった。
──が、しかし。
最低条件である『魔剣を手にした戦士』に該当せず、当然ながらの門前払い。レベルの低そうな初心者の魔剣使い達が軽々と乗り越えていくその見えない壁が、彼にとってあまりにも巨大な要塞のように思えた瞬間でもあった。