1-9
イヤ……
突如、誰かの声が聞こえた。最初は幻聴かと思った。
『死ぬのは、イヤ』
弱々しい、消えいりそうな囁き。だが、聞き覚えがあった。
『生きたい……』
ハル、なのか。
機体の中央、強固な防弾仕様の棺桶の中。そこにハルがいた。棺桶には窓がない。当然、外から彼女の姿を見る事など出来ない。それなのに……何故か、俺は座席に埋もれるようにして座っているハルを見ていた。
ハルが顔を上げた。幼い少女の顔。黒い瞳が揺れている。その瞳と視線が絡み合った。
『死にたくない……私は、生きたい!』
「!」
まるで落雷が落ちたかのように、全身が痙攣した。目を見開く。途端に強烈な苦痛が襲いかかった。俺は獣のように悲鳴をあげた。
強大なGが、俺の目玉を、心臓を、血管を押しつぶそうとした。呼吸さえ出来ない。それでも俺は、右手に握った操縦桿の感触を思い出す。
「アァァァァァァ!」
自分が何をしようとしているのか。ただ、操縦桿を折るような勢いで引いた。その途端、機体は信じられない機動をした。
マヌーバ・リミッターが自動で解除。アフターバーナーを焚いたまま推力変更パドルが上を向く。噴流が強引にねじ曲げられる。機体は旋回を続けながら、更に機首を内側……進行方向に対し垂直に立ち上がる格好になった。一気に空気抵抗が増加。機体は急ブレーキがかかったように瞬間的に速度を失う。空戦中に速度を失うのは、戦闘機乗りにとって致命的だった。だがこの場合、それが幸いした。
予測もしていなかった俺の機動に、追ってきたミサイルは追尾しきれず、目標を見失う。そのままあらぬ方へと飛びさった。そして二機の敵機が、俺の鼻先を掠めて前に飛び出す。
ピー、というオーラル音が鳴り響いた。
短射程ミサイルのシーカーが、二機の熱源を捉える。無意識のうちにトリガーを押し込む。シュート。敵が必死に回避運動に入るが、間に合わない。撃墜。バラバラに砕け散る破片が、灰色の大地に降り注ぐ。
機体を水平に戻す。周囲に敵の姿はない。味方も……
「…………」
暫く、呆然としていたように思う。
「ハル」
(ハイ)
囁くような声が返ってきた。
「お前は……今、何と言った」
考えこんでいるような間があった。
(質問の意味が不明です)
空耳だったのかと俺は訝しむ。試しに状況を確認。
(通信システムに異常発生。現在全ての戦闘情報リンクがダウン)
戦況がどうなったかはわからない、ということらしい。いつものハルと変わらない。
「帰還する」
バルザムやナミの安否も気になったが、合流しようにも、レーダーは故障していた。敵もまだ辺りをウロウロしている。俺は基地へと機首を向けた。