3-10
あれから、どれくらいの時間が経ったのか。
(…………)
意識を取り戻した時、俺は砂漠の中にゴロリと横たわっていた。
近くでバサバサと音を立てるものがあるのに気づき、うっすらと目を開けて見る。パラシュートが風に弄ばれていた。枯れた立ち木に絡みついたそれは、まるで死に神が「おいで、おいで」と俺を手招いているようだった。
体を動かそうとしたが……駄目だった。
まるで言うことを聞かない。指先一つ動かない。目の前に赤茶色の大地が見える。砂漠を抜けた記憶もないので変だなと思ったら、それは俺の体から流れ出した血と灰色の砂が入り交じったものだった。
頭を少し持ち上げてみる。腹に剣のように鋭く突き出た金属片が刺さっているのが目に入った。ブルーグレイのスーツが真っ赤な血で染まっていた。道理で、体が思うように動かないわけだと、俺は他人事のように考えた。思ったより痛みは感じない。感覚が麻痺しているようだった。
と、遠くから陽炎のように小春が姿を現す。
小春は、彼女の体には不釣り合いなほど大きな医療キットを両手で抱えて走ってきた。天使たち専用のフライトスーツは、センサーや電子機器との接続プラグが至る所に張り付いていて、酷く走りにくそうだった。まるで生まれたばかりの子犬が、蹌踉めきながら母親の元へ必死に駆け寄っていく姿に似ていなくもない。
転ぶなよ。
俺は死の瀬戸際にいることも忘れて、娘を見守る父親のような暖かい眼差しを向けている自分に気づいた。
「小春……」
俺の側に辿り着いた小春は、両膝を大地につき、屈み込んで俺の傷の様子を見る。傷は、年頃の娘なら悲鳴を上げているほど酷いものだろう。だが彼女は気にした様子もなく、ただ自分の手に余ることだけは判断したらしい。医療キットからモルヒネ注射を取り出し、同時に俺のフライトスーツに括り付けられている救難信号発信機に手を伸ばした。
「いいんだ」
さっきまでピクリとも動かなかった俺の右手は、嘘のように、あっさりと動いて小春の腕を掴んだ。
「どのみち、助からん」
俺は小春をグッと引き寄せる。もう喋ることも億劫になってきた。彼女はそんな俺の考えを見抜いたように、身を乗り出して俺の唇の上に耳を近づけた。
「俺はもう、お前を連れては行けない。ここから先は小春だけで行くんだ」
小春はジッと耳を傾けて聞く。以前の俺なら、感情のない人形に話しかけているようにも思えただろう。だが今は、微かな感情の変化を彼女の瞳の奥に見いだせる。小春は泣き出しそうな目をしていた。
「不安はあるだろう。だけど、小春なら大丈夫だ。このまま北西に向かって真っ直ぐ進め。お前なら辿りつける」
「それは、命令ですか?」
小春の問いに、俺はゆっくりと頷く。
「そうだ、これからのお前の任務は、生き残ることだ……自由に、誰からも命令も束縛もされない……生き方……」
俺は、意識が次第に薄らいでいくのを感じた。チクショウ、小春に話したい事は沢山あった……のに、何を言うべきか思い出せなくなってくる。
「そうだ……」
肺に残った空気を絞りだすように、俺は言葉を紡ぐ。
「例の……赤い花のことだがな……」
小春は黙って聞く。
「花が……赤いのは……い、き……生きて……いる証だ」
俺は血に染まった手を小春の目の前に差し出す。
「見ろ、俺の血も赤いだろう……小春の血も、同じように赤い……これが、生きている証だ」
言い終わると同時に体から力が抜けた。ストンという感じで、右手が地面に落ちる。小春は、俺の言いたかったことを分かってくれただろうか。多分、大丈夫だろう。視界が次第に狭まっていく。そこに見える小春は、相変わらずだ。戸惑っているのか、それとも悲しんでいるのか分からない。だが彼女は天使であることを止める。俺は確信していた。グッドラック、小春。俺は精一杯微笑んでみせる。
やることはやった。神よ、もしあなたが本当に存在するならば、小春の未来を明るく照らしてやってくれないか。瞼がトロンと落ちた。小春の顔が見えなくなる。
小夜子……
あの世で彼女に再会出来たら、真っ先に謝ろうと思う。
妻の涙に濡れた横顔を、冷たく突き放した俺の過ちを……