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1-3

 チューリップが、何故赤いかだと。そんなことを聞かれたのは初めてだ。

 赤いチューリップは赤い。赤いバラも赤に違いない。黄色だったら、黄色だということだ。決して誰も赤いバラを青いと言わない。天の邪鬼なら別だが。


「フン」


 俺は、一見眠っているようにも見えるハルを眺めながら鼻を鳴らす。

 戦術モニターには、先日の航空戦の模様を繰り返し表示していた。CGで描かれた鳥瞰図。その中で一個の光点が螺旋を描き、もう一方の光点が、その螺旋の内側を旋回。と、先行していた光点が消えた。撃墜。俺とハルのコンビに、killマークがプラス一。そして、この世から一つか二つの命が消えた。表示される数個のピクセルの塊。その一つ一つが命だ。が、今の自分にはそれは命の輝きではなく、ただコンピュータが描き出した光点に過ぎない。撃墜した喜びも、死者を悼む気持ちもない。無感動に眺めるだけ。


 十年か……


 振り返れば、それだけの月日を過ごしていた。その間フランクリン中尉と呼ばれる男は飛び続け、闘い続け、そして生き残った。同期だった者たちは、その殆どが空に散っていた。パイロットとして優秀だった。敵より機体の性能が良かった。生き残れた理由ならいくらでも言える。だが一番の理由は幸運だったから。運命と言えばいいのだろうか。幸運なヤツだと言われる。自分でもそう思う。酒の入ったグラスを傾けた時だけ、な。


 生き残っている間は勝者だ。死者は言い訳すら出来ない。

 だが最近、虚しさに襲われる。


 世界は滅びかけていた。

 原因不明の海面低下。それに伴う環境変化。水資源が不足し、世界中で小競り合いが起きた。やがて世界は二つに分かれ、互いに決定的勝利がないまま、ダラダラと戦が続いている。

 こんな世界で、次に殺し合う為だけに生き残ることに何の意味がある。

 頭では分かっている。だが死ねない。自殺する勇気もない。惨めでも生にしがみつく。世界中が合唱する。生きろ、生きていれば明日がある。ああ、明日はあるさ。殺し合いという現実が。


 昔、人の命は地球より重かったらしい。今は羽毛より軽く扱われる。人は他人の命ほど軽んじる。生きていれば必ず良いことがある。希望を捨てるな。そうやって人を煽って起きながら、不幸から抜け出せない人間に対して奴らはこう言う、「自己責任だ」と。苦笑。

 死ぬことも出来ない。生きていても希望はない。戦闘機を操る以外、何も出来ない中年男。それが俺だ。


 世界は慢性的に続く干魃と飢餓で苦しんでいるというのに、次第になまっていく身体には、厚く脂肪が溜まっていた。視力も落ちている。本来なら機を降りる歳。しかし戦闘機は幾らでも造れるが、パイロットの数は不足していた。飛べる限りは闘わされるだろう。たぶん死ぬまで。


 喉の渇きを覚えた。脳裏にグラスの中で揺れる琥珀色の液体が浮かぶ。そろそろ自室に戻るか。


 ふと、先ほどの会話を思い出した。


 チューリップは赤い。


 それは当たり前だ。何故赤いのかと言えば……たぶん、自分を綺麗に見せるためだろう。何故綺麗にするかと言えば、それは虫をおびき寄せて受粉させて次の子孫を残す為だ。


 子孫か。


 俺に子供はいない。いや、昔はいた。十年前、未熟児で生まれた娘。わずか数日でこの世を去った。その後、妻とも離婚した。以来つき合った女はいるが、どれも長続きしなかった。


「…………」


 プツッとハルの目の前で瞬いていた画面が消えた。


「デブリンク終了」


 抑揚のない声でハルが報告した。まるで機械。いや、機械そのものだ。外見は人と変わらなくても、その肉体に肝心の魂はない。軍でそう教わった。


「スリープモードに移行します」


 ハルは目を閉じた。短く刈られた髪を除けば、その寝顔は確かに十代の少女のそれだ。しかし人形のようにも見える。自分の子供も生きていれば、たぶん、ハルと同じ年頃だろう。けれど、その寝顔はもっと愛くるしく、そして生命力に溢れているはずだ。ハルにはそれがない。機械だ。人の形をした機械。


 そうしたのは軍、いやこの世界かもしれない。


 子供部屋は狭く、天井も低かった。こういうのをウナギの寝床と言うのだろう。空調は正常なはずだが息苦しさを感じる。左右の壁には、小さなシートがズラリと並んでいた。その全てに一人ずつ、年端もない少年少女たちが身を横たえていた。傍目には死体が並んでいるようにも見える。彼らの正面の壁にも、ハルと同じモニターが埋め込まれていた。そこで繰り広げられる点と線の乱舞を、彼らは身じろぎ一つせず見つめ続ける。


 彼らの顔はよく似ていて、全員が東洋人。それは、俺たちが滅ぼした日本人の顔だった。対中国人用の遺伝子兵器を使用した結果だった。中国人も日本人も、ウィルスには区別がつかない。そして僅かに残った日本人の遺伝子から作られたのが、ハルだ。戦闘機に搭載する高度な戦術AIとして、ハルたちは生み出された。俺たちは天使と呼ぶ。闘う天使【エアー・ウォーリア・エンジェル】


 現代の空戦は、天使なしでは一瞬たりとも生き残れない。熾烈な戦場だ。だから戦闘機乗りは、常に彼らを背負って飛ぶ。一昔前なら、子供を戦場に駆り立てるなど狂気の沙汰だとマスコミに叩かれたかもしれない。子供の姿だから問題なのだ、必要なのは脳だけ。ならば脳だけを戦闘機に搭載すればいいという意見もあったが、技術者は脳を生かすために必要な機材は巨大になりすぎて機体に詰め込めないという。要するに人間の身体は、効率よく脳を生かすことが出来る器だというのが、開発者たちの主張だった。


 天使、か。


 寝顔は、そう、確かに天使だ。ただし作り物の。どこぞの馬鹿が巫山戯て入れたスクリーンセーバーに、首を傾げる程度の人間の出来損ない。ただの消耗品だ。


 保守員に連絡するか。


 そう思ったが、実務に影響するほどのことでもあるまいと思い直した。消耗品と言っても、ホイホイと代わりを用意できるほど軍に余裕はない。もし交換となれば、俺は暫く飛べないだろう。それは困る。歳が歳だがら、輸送部隊に転属ということもありえた。それだけはゴメン被りたい。鈍重な輸送機など、空に浮かんだ棺桶にも等しい。同じ死ぬなら華々しく散りたかった。


 大丈夫だろう。俺は勝手にそう判断して様子を見ることに決めた。それに面倒な事は願い下げだ。喉の渇きも限界に近い。


 見ると、他の天使たちも作業を終了して、次々とスリープモードに移行し始めた。ボンヤリと瞬いていたモニターが消えると、部屋は闇に包まれた。

 端末とPDAを結んでいたケーブルを引き抜き、ハルに背を向けて戸口へと歩き出す。


「お休み、俺の天使」


 部屋の扉をロックしながら、そう呟く。室内灯をオフ。就寝。


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