3-6
「マイク、俺が囮になる。離脱して、後ろの敵を片付けろ」
マイクからのジッパーコマンド。二機で雲に突入。その瞬間、マイクの機体が機首をグッと引き上げるのを感じた。減速。まるでかき消すように、俺の隣からマイクが消えた。瞬間的だが、きっと十五、六Gの重力が彼に襲いかかっている。必死にブラックアウトと闘いながら、やり過ごした敵の背後につくため、朦朧とした意識の中で操縦桿を操っているのだろう。俺には、もう無理だ。とてもあんな大Gに体が持たない。若さというものは、時に経験と技量の差をあっけなく埋めてしまう。現実を目の当たりにすると、さすがに俺もロートルなんだな、と思い知らされる。が、感傷的になっている暇などない。
パッと視界が開けた。
雲を抜けたのだ。突入してから、一秒と経っていない。高度は一万フィートを割っていた。目の前に迫る灰色の砂漠。と、俺に続くように、二機の敵が雲をぶち破って現れる。近い。敵は後方三百メートルの位置につく。ミサイルは使えない。
(ガン攻撃照準波、感知)
小春に言われるまでもなく、耳障りな警告音。完全にロックオンされないよう、俺は機体を見えない樽の縁をなめるように旋回させながら降下。スパイラル・ダイブ。しかし大昔の戦闘機ならいざ知らず、現代の機銃は軸線周りに数度銃身を動かすことが出来る。所詮時間稼ぎにしかならない。それでも動きを止めた瞬間、敵の三十ミリ機関砲弾が俺と俺の機体をズタズタに切り裂くのは間違いなかった。
重力と旋回に伴うGで、俺は苦痛のうめき声をあげる。だが、俺よりも敵のパイロットの方が苦しみはより大きいはずだ。距離を詰めよう追ってきた分、速度も俺の機体より速い。オーバーシュートを恐れて、敵はより旋回半径の大きな螺旋を描かなければならない。
俺と敵の軌跡は次第に接近し、遂には複雑に混じり合う。こうなると根比べだ。俺が苦痛に負けて螺旋の外へ飛び出せば、敵は容易に背後を取る。だがタイミングを誤れば、地面へ激突だ。それを恐れて追撃を止めれば、今度は俺が敵の背後を取る。チキンレース。死の二重螺旋だった。
しかし年寄りの俺には、このレースは分が悪い。心臓は今にも止まりそうだ。マイクはまだかと、心の中で待ち望む。ずいぶん待ったような気もするが、実際は僅かな間だった。
『中尉、今です!』
その合図で、俺は渦の中から飛び出した。勝った、と敵も旋回を止めて俺の背後につく。ロックオンされた。
だが次の瞬間、マイクの放った短距離ミサイルが、敵の胴体を射抜く。
やった、と思ったのもつかの間だった。もう一機の敵は、強引とも思える機体の引き起こしで、マイクの放った一撃必殺のミサイルを交わした。紙一重の差。ここに来て経験のなさが如実に表れた。俺なら、もう一呼吸待って、ガンで敵を仕留めただろう。ミサイルの近接信管が作動しなかったのは、俺と敵との距離が近すぎたからだ。AIが味方を巻き込む事を恐れた。親切な事だ。だが、その優しさが俺を殺す。
殺られる。
もう駄目だと思った。ところが、敵は俺のことなど無視したように反転、上昇を開始する。逃げるのか。
しめた、と俺は一瞬思った。このチャンスを生かして、最大推力で戦場を離脱しよう。 だが上昇した敵の行く手にマイクの機体があるのを見て、そんな考えなど吹き飛んでしまった。
「マイク、敵だ。そっちにいった、ブレイク、回避しろ」
マイクは反転、無防備な背中を向けて離脱しようとしていた。上昇して再度攻撃するつもりだったのかもしれない。馬鹿が、と俺は舌打ちした。何故降下して逃げなかったのか。上昇すれば、その分速度を失う。しかもアフターバーナーを全開に焚いていた。その熱は、敵の赤外線ミサイルが完璧に捉えていた。逃げられない。
「マイク!」
俺は、無意識のうちに機体のリミッターを解除。アフターバーナーオン。推力変更パットを最大仰角へ。操縦桿を思い切り引く。すると機体は、その場で垂直に立ち上がる。コブラ。瞬間的に、視界が真っ暗になる。だが微かに見えたレティクルの中に、俺は敵の機を捉えていた。ガン、ファイヤー。1秒間に百発を越える弾丸が、高速で敵の胴体に叩き込まれた。敵は真っ二つになる。爆発。目も眩むような光の玉が空中に出現する。まぶしい光が、俺の視界からマイクの機を覆い隠した。
失速。
急激な機動で、速度を失った俺の機体は、緩やかに大地に向かって落ちていった。それと同時に、俺の意識も遠くなる。まるで深い闇の中に落ちていくようだった。
意識を失う直前、小春が俺を呼んでいるような気がした。