3-1
久々の大作戦が間近に迫っていた。
前回の大敗で、太平洋方面軍は多数の作戦機を失っていた。上層部は今回の作戦の為に、ヨーロッパ方面の戦闘機を無理矢理かき集めて、この作戦に投入した。その意気込みたるや凄まじく、このオアフ山基地には以前の倍の数の部隊が集結していた。
どうやら軍は大きな賭けに出たらしい。成功すれば戦局を逆転できるだろうが、失敗すれば戦線は大きく後退する。最悪、ヨーロッパ方面は敵の手に落ちるだろうと噂されていた。
基地の中は人で溢れ、熱気で爆弾が炸裂するんじゃないかという冗談も聞こえた。一歩外に出れば、そこは生き物の住めない不毛の砂漠しかない。多くの海を失ったため、地球は次第に寒冷化している。日中でさえ、氷点下を下回ることも珍しくない。だがそんなことさえ忘れてしまう雰囲気が漂っていた。かくゆう俺も、連日激しい訓練でスケジュールは一杯。ハルの相手をしてやる暇もないくらいだ。
そのハルだが、例の絵本がいたく気に入ったらしい。相変わらず感情に乏しい表情のままだったが、暇があると絵本を見ていた。さすがに子供部屋に持っていくわけにはいかないので、俺の部屋においてある。好きなときに見に来いといったら、その通り、ブリーフィングが終わるとすぐに俺の部屋に来た。そして就寝時間まで、飽きもせず眺めて時間を過ごす。おかげですっかり俺は変態扱いだが、他人の天使に手を出さないかぎり誰も文句は言わない。天使に不調が出て困るのは本人であって、他の人間には関係のないことだからだ。軍のお偉いさんも、半ば黙認していることだ。
ハルと一緒にいる時間は、以前よりも長くなった。そして相変わらず喜怒哀楽を表に出さない彼女が、注意して見ると、感情表現らしい癖をしていることに気づいた。たとえば爪をかむような仕草の時は苛ついているときで、嬉しい時は微かに体を前後に振るというような……
「小春、にしよう」
俺はある日、ハルの名前を小春とすることに決めた。
「コハル?」
ハルは首を傾げる。
「そうだ、ハルは如何にもって感じだが、小春は人間らしい情緒に溢れた名だ」
ハルという名は、どうしても『2001年宇宙の旅』に出てくるコンピュータのイメージが強い。小春日和という言葉がある。小夜子に教えてもらった日本語の中に、そんな言葉があった。ポカポカと暖かい日差しは、何となくハルの雰囲気にピッタリと合う。
「コハルでは、登録出来ません」
「軍の正式な呼び名じゃない。俺と一緒にいるときは、お前は小春だ」
どうも気性の荒いヤロウが多い軍隊の中にいると、言葉使いが命令調になってしまう。いかんとは思いつつも、どうしても直らない。しかしハルは素直に頷き、俺と一緒にいるときは、自分を小春と呼んだ。嫌な様子はなかった。むしろ気に入ったようだった。