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2-11

(なんだ、こりゃ)


 俺は舌打ちしたくなるような気分になった。

 まさか、こんな内容の本だとは思わなかった。少なくとも子供に読み聞かせる内容ではない。子供にはもっと、こう、可愛らしくて愛嬌のあるキャラクターたちの溢れるファンタシーな世界感のあるストーリーがいい。主人公が死んでしまうような話は、とてもじゃないが小さな子供には理解出来まい。何よりハルには自己犠牲などという価値観は分からないだろう。読むのを止めようかと思った。ところが、ハルは「続きは?」といった様子で、言葉を詰まらせた俺の顔を不思議そうに見上げている。ここで止められそうにない。俺はページをめくった。


 泣きながら、冷たい猫の亡骸を胸に抱くお姫様。その時、彼女の流した涙と街の人たちの感謝の気持ちが奇跡を起こす。猫は王子に戻り、お姫様の腕の中で目を覚ます。そして二人は城に帰り、幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし。


「…………」


 読み終わっても、ハルは何の反応も示さなかった。最後のページに描かれた王子とお姫様が仲良く並んでいる絵を静かに眺めている。

 失敗だったかな、と思った。

 何か少しでも人間らしい行為をすれば、ハルの中で目覚めている感情を揺り動かせるのではないかと期待したのだが、どうやら俺の見当違いだったようだ。むしろ俺自身が、子供にしてやれなかったことをしたかっただけなのかもしれない。どちらにしろ、始めから期待しすぎた。じっくりと別の方法を考えるとしよう。


「済まなかった、少し難しい内容だったな」


 俺はハルの手から絵本を取り上げようとした。


「…………」


 ところが、ハルは両手で絵本をガッチリ掴んで離さない。それどころか、ツッと顔を上げて俺を見つめた。


「猫は、人間?」


 なっ……

 俺は言葉に詰まった。


「違う、猫は人間じゃない。このお話では、王子様が呪いで猫にされたんだ」


 だから猫が人間ではない。俺はそう説明した。ところが、次にハルの口から飛び出した言葉に、俺は愕然とした。


「ワタシは、人間?」


 俺はきっと、馬鹿みたいに惚けていたに違いない。何を、どう答えていいのか分からなくなったというのが正直な気分だ。


 ハルは人間ではない。

 試験管の中で人工的に遺伝子を弄くられた人形。厳密には、元の遺伝子は日本人なのだから、ハルも人間だろう。生物学的には、そうである。しかし彼女たちには、人として本来あるべき感情がない。軍はそれらを不必要として排除した。もし生物学的に判断するならば、狼に育てられた少女も人間だ。


 ハルは人間ではない。


 そう思ってきた。いや、思わされていた。誰に。軍だ。軍は彼女たちを人形だと言った。俺は、世界はそれを鵜呑みにして信じてきた。しかし現実は違う。彼女は感情を持っている。少なくとも持ち始めていた。


 なんてことだ。


 俺は自分の愚かさに気づかされる。

 何もかも失い、自暴自棄になり、あらゆるものから目を背け耳を塞いだ。世界が俺に絶望を与えた。違う。絶望していたのは自分自身であり、世界は何も変わっていない。この呪われた世界でも、守らなければならないものがある。目の前の小さな世界。これをまた俺は否定して、殻に閉じこもってしまうのか。妻は……小夜子は子供を失ったのを自分のせいだと思っていた。あれは事故だ、彼女の責任ではない。なのに俺は、子供を失った悲しみから逃れるようと、妻に冷たくした。彼女が望んでいたのは、俺の言葉だった。


「ハル、お前は人間になりたいのか?」


 俺は質問してみる。

 ハルは少し首を傾げるような仕草をした。考えこむ間があった。


「人間になれば、分かるのですか」

「何が、だ」

「チューリップが赤い理由」


 そういうことか。


 天使には、戦闘以外の知識は与えられない。だがハルは、誰がが気まぐれでいれた花の映像に興味を持った。そこから自分が知らない世界があることを知った。今、彼女は歩みだそうとしている。


「……そうだ」


 俺はゆっくりと噛みしめるように、自分に言い聞かせるようにハルに応えた。


「人間なれば、わかるようになる」

「それは命令ですか」

「ああ、そうだ……いや、そうじゃない。それがハルの望みだろう」

「私の、望み?」

「そう、お前は人間なりたい……いや、人間なんだ」

「私は、人間」


 機械的なしゃべり方をするハル。しかしもう、ここにいるのは感情のない人形なんかでない。俺はハルの瞳が、微かに揺れ動くのを見ていた。絵本を握りしめる両手が、何かを堪えるようにギュと握りしめられた。

 猫が人間になることはない。だが、ハルは元々、人から生み出された。なら人に戻ることだって可能なハズ。軍によって奪われた感情を取り戻す。

 俺も、ほんの少しの勇気でいい。踏みだそう。


「そうだ、お前は人間だ」


 俺は両腕でハルを抱き寄せる。力を入れないように、ソッとだ。とても華奢な体。これでよく、大の男でも失神するほどのGに耐えていると思う。


「何処か痛いのですか」


 ハルが、腕の中で囁く。気がつかないうちに、俺は涙を流していた。応えられない。歯を食いしばり、それでも漏れ出す嗚咽が恨めしく、そして心地よかった。


「メディカルセンターに連絡しましょうか」

「いや、いいんだ……医者には治せない」


 このままジッとしていてくれ。そう頼むと、ハルは「了解」と小声で応えた。

 忘れていた温もりが、ここにあった。



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