2-7
予定のウェイポイントで進路を北に向ける。GPSは全く使えない。現在地を割り出すには、機のコンピュータ群とハルが弾きだした数字を照らし合わせるしかない。最悪の場合、膝に縛り付けた地図が命綱になる。もちろん今日もAWACSが上がっているので、よほどのことがない限り迷子になることはない。
『ニューヨークって?』
お互いに気まずい思いをして黙ってから、ずいぶん時間が経っていた。だから急にそんな質問されて、俺は少々面食らった。
「なんだ、ニューヨークに行ったことがないのか?」
と逆に質問しようとして、俺はハッと気づいた。
今のは、マイクの声じゃない。
『ねぇ、教えて……』
舌足らずな、幼い子供が喋るような声。トロンとした、どこかボンヤリした口調だった。
『ニューヨークってどんなトコ?』
子猫が甘えて体をすり寄せてくるような声のあとに、クスクス笑いが続く。
背筋がゾッとした。通信回路はオープンのままだ。ハルの声はマイクの耳にも届いているはず。
「ハル」
俺は叫んだ。
(ハイ)
いつものハルの声。眠りから覚めたように、彼女はいつもの調子に戻った。
「マイク、聞こえたか」
俺は慌てて尋ねた。
『エッ?』
鳩が豆鉄砲でも食らったように、マイクはタップリと一呼吸分どもってから、怖ず怖ずと申し訳なさそうに応えた。
『スミマセン、もう一度言っていただけますか』
どうやら、俺の命令を聞きそびれたと思っているようだ。俺はホッと胸をなで下ろす。何故だか分からないが、ハルの声は俺にしか聞こえなかったようだ。いいだろう、このまま彼の勘違いを押し通すつもりで命令を出す。
「現在位置を確認する、そちらの天使を呼び出して数値をはじき出せ」
『了解』
即座にマイクが背中の天使にアクセスするのが、俺のレシーバーにも伝わってきた。彼が結果を出すまで、数秒を要するだろう。
ハル、どうしてお前の声は俺だけに聞こえる。
頭の中で、そうハルに向かって質問した。幻聴とは思えない。しかし、この前の戦闘記録にもハルの声は残っていなかったし、今もマイクには聞こえなかった。超能力というものを俺は信じていない。それでも―まさか―という可能性を否定出来なかった。
俺が被っているヘルメットには脳波を読みとるシステムが組み込まれている。脳波だけで機体をコントロール出来るほど高度なものではないが、パイロットがGで失神した時に、操縦を天使側に切り替えて墜落するのを防ぐような機能がある。もしかすると、ハルはその回路を利用して俺に語りかけているのでは、と思ったのだ。
「…………」
返事はない。それでも俺は、空耳だったと自分を誤魔化すことは出来なかった。ハルの中で、何かが変わっている。冷徹な機械ではないもの、何か……そう、感情。人間のような感情が芽生えだしているのではないか。彼女は人間らしさを取り戻そうとしているのか。分からない。結論を出すには、俺には知識も情報も欠けていた。相談できる友もいない。俺はどうすればいい。
現在位置を報告してくるマイクの声を、俺はボンヤリと聞き流していた。