2-3
『サ……イ・タ……サ・イ・タ、チューリップノハ・ナ……』
―!
息が止まった。
慌てて振り返る。
ハルは、静かに戦闘状況の分析を続けている。いつもと変わらない姿。だが、しかし、俺は見た。彼女の口元がゆっくりと閉じられていくのを。
歌っていた。
ハルは歌ったのだ。
誰も教えてくれないはずの歌を。
「…………」
ハルは何もなかったかのように振る舞う。違う。ハルは意識してやっているわけではない。本人にも気づかない変化が、彼女の中で起こりつつある。
俺はハルを見つめる。疑念は、確信へと変わりつつあった。報告すべきだ。そう考えた。けれど、心のどこかで、それを拒絶している自分を感じていた。
何故だ。どうしてそう思うのか理解出来ない。何より、どうして俺は生き残ろうとしたのか。生きる事に未練はなかった。むしろ望んでいた。
いや、違う。
あの時、俺が守ろうとしたのは自分の命ではない。
ハルだ。
ハルは決められた作業を黙々とこなす。
その姿は、十歳の少女。俺の娘も、生きていれば丁度これくらいの年頃だ。
もしかして俺は、亡くなった娘を気がつかないうちに重ねていたのか。
何を馬鹿な。
俺は一人で苦笑した。
本当の娘なら成長し、やがて美しく嫋やかな女性になるだろう。ハルは違う。成長抑制剤を定期的に投入されることで、天使は永遠にこの姿のままだ。老化が進み、抑制剤の効果がなくなる頃には廃棄される。永遠の子供。
コレは、ただの機械だ。人間の形をしていても、その中身は空っぽ。生きているわけではない。ただプログラムされた通り、教えられた通りに動く人形。人形に感情なんかあるものか。人形と娘を一緒にするなんて、どうかしている。馬鹿なことを考えるな。俺は頭を振る。
やはり明日、報告しよう。
そうすれば、ハルは工場に戻されて再検査されるだろう。場合によっては処分だ。そして俺には新しい天使が配備される。欠陥品など背中に担いで飛んだ日には、命が幾らあっても足りない。俺は報告書の作成の為に、子供部屋から真っ直ぐに自分の部屋に戻った。
だが結局、俺は一枚の報告書も書けなかった。