7 なんて思って
「なんか来やがった」
昼休み。
ぼそりと浅川がつぶやいて、俺はその視線をたどって戸口からこちらを見る浅川妹を見つけた。
やって来ると妹は兄にノートと教科書を出して、
「これやって?」
「また数学かよ」
「当たってた子休んでて私に回るの」
「ったくどれだよ」
「これ……」
鬱陶しそうにしながらもシャーペンを受け取ってノートに滑らせている。
その背中越しにノートをのぞき込む妹。
「おい、毛」
不意に浅川がぼそりと言った。
見ると、ふんわりハーフアップにした髪がひとすじ落ちて、浅川のあごから首に触れていた。
(俺が『ハーフアップ』なんて知っているのは女のほうが多い家庭で育ったからで、興味があるわけでは決してない)
「ごめんかかってた」
中腰から体を起こし、ゴムをはずして一本に縛りなおす。
腕を首の後ろにやったとき、ブレザーが引っぱられて体の線が浮いて見えた。
「見せもんじゃねえぞ」
浅川の低い声に心臓が跳ねる。
「あ、悪い」
反射で言ってから、ノートと妹のどちらのことを言ったか一瞬考えた。
たぶんノートのふりだ。
だから俺もノートを見ていたふりをする。
しかし浅川妹、着やせするのか。
「持ってけよ」
無愛想な兄にありがと、と返してまるい目で俺を見る。
小さい口をかぱっと開けて、
「だし巻きしょっぱくなかったですか?」
薄かったです臭みはなかったけど、なんて言えるはずもない。
返答は無難に笑って、
「おいしかったです」
ごめんなさいあんなのでお返しにならなかったですね、いえいえ助かりました。
俺にももうすこし打ち解けてくれたらと思う。
兄に向き直っての会話の、落差がなんとも。
「ねえ、どうだった?」
「ちょうどだった」
「ありがとう。でも高血圧には気をつけてね」
「運動するうちはこれでいいんだよ」
「減らず口」
「お前もだろ」
「明日のおべんと手ぇ洗って待ってればいいよっ」
「何入れんだよ今度は」
「チーズかけた水っぽぉい温野菜とカレーの冷めたのどっちがいい?」
「おまっ、待てこら!」
「そんなんで待つやついないも、みゃあっ」
走って逃げようとした浅川妹がちょっとふり返って叫んだとき、急に戸口を入ってきた男子にぶつかった。
はね飛んで机にぶつかり、床に倒れる。
浅川はすぐに血相変えて駆け寄って、妹の上にかがみこんだ。
「おい、どこ打った」
「あちこち。頭はへーき」
「ひとりでも転ぶんだから走るんじゃねぇよ。立てるか」
「うん」
クラス中の耳と目がいつの間にか浅川兄妹に集中していた。
他のクラスの喧騒が遠い。
浅川妹は立ち上がったものの、へたりとひざから座り込む。
「あれ?」
「だめか?」
「もっかいやっ、……」
「力入んないんだろ」
「いけるからだいじょうぶだよ」
「そう言って転ばれたら困るんだよ。おぶってくから乗れほら」
「平気だもん。肩貸して」
「ん」
「っしょ、……」
「だめじゃねーか。握力はあるみたいだからこっちだな」
浅川はしゃがんで妹に背中を向ける。
「乗れるか」
「……うん」
「俺手伝うよ」
我に帰って申し出たけど、
「慣れてるから、大丈夫です。ありがとう」
その言葉どおり、兄の補助だけでひざをそろえておぶさった。
ついつい、あの胸が当たってるんだよなあと考える。いかんいかん。まだ死にたくない。
しっかり支えると浅川は立ち上がって、
「飯桐、落とすかもしれないから後ろついてきてくれないか」
「ああ」
しかし俺は本当についていっただけだった。
浅川の過保護ぶりを横で見ていただけ、というのが正しいかもしれない。