6 楽しいからいいか
昼休みの前の、十五分休憩。
教室いっぱいに弁当の匂いが広がる。
俺の目の前には丸っこい三角のおにぎりひとつと、おかずの弁当箱。
「筑前煮、と、具入りの玉子焼き?」
向かいで広げられた浅川兄のにも同じものが入っている。
人参や何かの緑が断面から見える。
俺のは二切れ、浅川のは三切れ。
あっちは正規の量だから多い。いや、正規って呼ぶのも変だけど。
「とろろと豆乳のだし巻き。具はミックスベジタブルだ」
「へえ、とろろと豆乳」
「相当味薄いからしょう油ほしかったら言えよ」
コンビニなんかでよく売っているようなミニボトルを振ってみせた。
「そんなの持ってるんだ」
「手抜きの日にいるんだよ。かまぼこ切ったのだけとか、目玉焼きだけとか」
「豪快」
「喧嘩した次の日なんか米の上に納豆乗せたんだぜ」
「納豆!?」
「しかも刻みねぎ入ってんの。学校で食うもんじゃねえだろ。そんで水筒に自分の嫌いなわかめの味噌汁入れやがった」
「水筒に、わかめ……っ!!」
必死に笑いをこらえたが、内側に貼りついて大変なことになりそうだと考えたらふき出してしまった。
「何があってそんな、ことブフォ」
「大丈夫かよ。いやあいつは俺の麻婆豆腐辛かったって言うけど、勝手に食ったのは向こうなんだよな。意味わかんねえ。ラーメン一口も食わせなかったくせに」
真顔で言う。恐ろしい男だ浅川。今なら呼吸困難で俺は死ねる。
「やばい、浅川兄妹おもしろすぎる」
「全然おもしろくねんだよやられる側は」
ふてくされた顔にもふき出してしまう。
笑い続けていると、
「飯桐どうした? あれ今日弁当ちっせー」
「全然減ってないな。調子悪いのか?」
石井と池田がやって来た。
「なんで浅川と弁当同じなんだ」
「うわほんとだなんで?」
「飯桐が足りないって言うんでやった」
まあ、省略するのは嘘をつくわけではないけども。
「なんかそれ女子みたい」
「どこが」
「女子ってさあ、しゃべりながら弁当つつきあって笑い転げてない?」
確かにクラスの女子とか、うちの母親とか姉とか妹たちとかもそうだが池田よ、俺に『女みたい』はやめてくれ頼むから。
浅川も妹いるのに、俺との違いはなんなんだろう。人数か?
「笑ってんの飯桐だけだし」
「浅川が笑わせたんだろ、弁当で」
「だったら話してるのは俺でも実行犯は違うだろ」
「実行犯!」
浮上したのはいいけど笑いすぎて涙が出た。
この笑いが止まる日は来るのだろうか。
「飯桐酒でも入ってんじゃね?」
「浅川の弁当にワライダケ混入とか」
「じゃあなんで俺笑ってねーの」
「「……物静かな男だから?」」
「なんでそんな息合ってんだよ……」
「オレら中学校三年間クラス一緒だもんよ」
「一、二年は浅川の妹とも一緒だったな」
「そだっけ?」
池田はきょとんとした顔だ。おい。
「そうだよ」
「あ、ウスゲ怒鳴りこみ事件?」
「バカ口開けるな」
石井が池田の頭をはたいた。
いつもなら手を当てた上から叩く(同じことを昔母親がしていたせいで、お前池田の母さんかと毎回思う)だけだから、本気でやったのがわかった。
「ちげーよ」
低い声を浅川が発して、俺もふたりも凍りつく。
「世話んなったからお礼に行っただけだっての」
ぞっとした。
その声も表情も今朝の、俺が妹のことを知らなかったときなんかとは段違いの変化だ。
池田を見据えるその顔は、人形に魂が入ったように気迫が満ちている。
近距離すぎて麻痺したのか魅入られでもしたのか、俺はただぼうっとして、こいつ悪くない顔で特徴と表情がないから印象薄かったんだなんてことをぐるぐる頭に浮かべていた。
番長でもやればいいのにと思うくらい、キレた浅川はかっこよかった。
「悪い、オレ嫌なこと言った」
「あのとき騒いだのは俺だから、自分が嫌なんだよ。それ思い出しただけだ」
「浅川……」
「休み時間終わるから俺これ食うわ」
「邪魔した。ぉらいくぞ池田」
「ごめん」
俺も浅川も、しばらく無言で弁当を食べた。
すっかりさっきまでのむき出しの刃物みたいな様子は消えて、普段のたるそうな浅川だ。
「……うまいね」
「ああ」
「俺女の兄弟三人いるけど、誰も料理しない」
「うちも母親は料理あんま好きじゃない」
「あー、うちはその逆か。専業主婦だからさ」
「手伝いくらいはするだろ?」
「味つけとか火加減とかは全部母親。だから姉貴も妹たちもまずいのしか作れない。同じ材料でどうやって食べ物じゃない味にするのか教えてほしいくらい」
一切誇張はしていない。悲しいことに。
「なんか本とか家にねーの? レシピのやつ。そんなの見て作ってる」
「無理、その通りになんて絶対作らない。分量変えたり時間変えたりする」
「あいつも適当なことやってたけどな。この筑前煮の味つけ麺つゆとしょう油だぜ?」
「麺つゆ?」
「しょう油もみりんも入ってるからとか言って。甘いからしょう油メインらしいけど」
「うまいし麺つゆでもまったく問題はないんだけど浅川、一コ訊いていい?」
「ん?」
「なんでだし巻きといい麺つゆといい、台所のこと知ってんの?」
「あっちから喋るから。よく人の部屋入ってきてメモ帳にレシピ書きながら喋ってる」
一瞬想像した。
明日はハンバーグだよとか言う妹と、無愛想に聞き流すだけのふりで意外と聞いてる浅川。
「やっぱり仲いいよな。うち誰も部屋入ってこないし俺も入らない」
「そりゃ平和だな」
「俺もそう思ってたけど、浅川の話聞いてたらそれじゃつまんなくなった。羨ましいかも」
「部活のあとにほとんど毎日だと体力気力が底尽くんだよ」
「それは怖いけど、あーチャイム鳴った」
周りと同じように弁当をしまいながら、この時間が終わるのが惜しいと思った。
俺はもっと浅川のことを知りたくなっていた。
「昼休みまたここで食っていい?」
「テニス部はいいのかよ」
「部活で一緒だし」
「冷てーやつ」
そう言って目元を緩めた浅川は、もう普通に友達だと呼べると思った。