18 よな?
やきもちだろうかと思った。
石井は池田と友達でかなり仲がいい。
それなのに彼女がいること秘密にされたらやっぱり、池田との間に壁ができたような気持ちになったんじゃないのかと。
相対する二人を、浅川妹は俺の横で不安げに黙って見守っている。
俺の顔も気持ちそのまま不安そうになってるはずだ。
(浅川は妹の横でいつも通りの顔をしてるけど、それは浅川だからだろう)
睨むような目で、石井が切り出した。
「お前、吉野凪とつき合ってるのか」
「石井それ、」
「なんだ」
「悪い、なんでもない」
お前池田の父さんか。と言いそうになって、言ったら絶対にアウトだと思ってギリギリのところでやめた。
なのにだ。
「石井お前さあ、年頃の娘に対する父親じゃあるまいしなんだよその言い方」
言っちゃうのか。自分に対する言葉とはいえ、さすが池田だよ。
死にはしないから放っておこう。自業自得だ。
「気持ちとしては似たようなもんだ。お前のためだから言わせてもらう。中途半端な気持ちなら、吉野凪はやめておけ」
きりっと言い放って、俺は結構驚いた。
石井っていうのは、あんまり人のすることに口を出すようなやつじゃない。
どんな失敗をしても馬鹿にしないかわりに世話も焼かないのがいつもの石井だった。
羽目をはずしたところもふざけたところも見たことがなくて、恋愛関係の話もしたことがない。
それなのに今、その石井が池田に向かって忠告している。しかも、つき合っている彼女のことで。
これはよほどのことだと、深刻に受けとめた俺とは反対に池田は普段の調子で、
「なんで? 理由は?」
「あのな、お前、吉野凪の三人の兄貴、見たことないだろう」
重々しく石井が言って、俺はことの重大さを知った。
浅川が三人いるようなもの。……勝てるわけがない。
「なんか男前っぽい気がする」
「エリート、できるゴリラ、ちゃらちゃらした優男のそろい踏みで三人とも妹を守るのが使命だと固く信じている」
ちょっと待て。
「待ってなんか変なの混ざってた変なの! ゴリラって何できるゴリラって! ていうか説明もう少し詳しくお願いします!」
「ああ、まず長男は県庁に勤める地方公務員だ。高学歴の雑学王で、『こんなのことも知らないのか』が口癖だ」
「うっわヤなやつぅ」
それ俺もすごく思った。でも口を出していいか迷ったから何も言わない。
「次男は中学校の教師だ。厳ついという言葉の意味を知りたかったら見にいけ。酔うとからんできて手加減なしに背中も肩も叩きまくってくるから危険だ」
ああ親戚にいるなそういうおじさん。次男も厄介だ。
「三男は手先が器用で、子供の面倒見るのがうまいな。料理もできる。愛想もいいし、吉野凪が一番懐いている兄貴だな。あれと比べられたらお前、勝ち目はないぞ」
「あーうんしょっちゅうその兄貴と比べて文句言われてる。ところで石井って、吉野と親戚かなんか?」
「親同士がいとこか何かだ。盆に正月に法事、親戚が集まるたびに吉野四兄妹にはいじめられてきた」
「長年の恨みが溜まってるわけでやんすか」
「恨んでるわけじゃないが、面倒だとは思ってる。目の敵にされ続けて十年になるからな」
「え、なんで?」
思わず聞いてしまった。十年前なら石井も今ほど毒舌じゃなか、いや可愛かったろうに。
……言いかえてもあんまり意味なかったか?
でも可愛げのある小さな石井なんて俺には想像できない。
「六歳のころだったかに、兄が吉野凪とオセロをしたんだ」
石井の兄貴は三つくらい年上だと聞いている。
かなり頭も性格もいいらしく、気の向いたときだけぽつりぽつりとその人の話をする石井は、少し劣等感をにじませながらも心から慕っているようだった。
間接的にしか知らない相手だが、石井の兄貴をやれるなら小さいころは典型的な『いい子』だったんじゃないだろうか。
親戚の子の面倒もバッチリ見ますまかせてください、というような。
「年下相手だ、当然兄は負けてやろうとした。でも吉野凪がそれに気づいて怒ったんだ」
誇り高い六歳児、と思った。
この程度、大したことじゃないが、六歳っていう年齢からすると珍しい気がする。
「それで、手加減されたと言って悔し泣きして、それを見た守護神たちの脳内では以来、兄と俺は吉野四兄妹の敵なんだ」
「十年経つのに?」
「十年経つのにだ。大人げない奴らだ」
石井の苦労は分かった。
しかし問題は、池田だ。
十年前に一回だけ妹を泣かせた相手でさえこれを敵とする、いわんや妹の彼氏をや。
「池田……死ぬなよ……」
「え? 何飯桐、オレ死ぬの!?」
「いやぁ……」
「場合によってはな。応急処置くらいはしてやるよ」
石井がここまで相手を思いやった発言をするなんて、万に一つも勝ち目はない。
高嶺の花というか、とんだ相手を彼女なんかにしてしまったものだ。
池田は本当に、命知らずというか、将来は大物になりそうというか。
「でも、なぎさんが一番強いから大丈夫だよ」
浅川妹が池田を励ますように言った。
「あ、やっぱり?」
それで満面の笑みになる池田が図太いのか、噂の彼女が本当に強いのか。
「うん、でもお兄さんたちね、なぎさんの結婚式で新郎をなぐる権利争奪戦がときどき勃発するんだって。なぎさんは笑ってたけど……」
「あーうん、この話やめようか、そろそろ。ベンキョしよベンキョ。あはは」
力ない笑い声が寒々しく部屋に響いた。
誰も池田にかける言葉が見つからなかった。
ちなみに俺は姉や妹たちが結婚しても平然と見送りそうな気もするし、一瞬ナーバスになりそうな気もする。
まだ先のことなんだから、考えたってどうしようもないだろう。
けど、将来のことで喧嘩までする兄弟というのは、少し羨ましいと思った。
池田がもといた座卓のほうに戻っていって、石井が勉強を再開して、浅川兄妹がゆっくり池田のほうに移動しかけた、そのときの二人の会話はたぶん俺だけが聞いた。
「お前結婚することになったらさ、俺べつに相手殴らないからな」
浅川の小さな、小さな声がした。
「それでいいなら、いいよ」
浅川妹のもっと小さな声もした。
将来のそのときだけの仮定じゃなく、やけにリアルに聞こえたやり取りだった。
よくわからないまま、二人の言葉が妙にしつこく頭に残った。