17 ない
それからしばらくの間は静かに勉強した。しばらくの間は。
池田が俺と石井のテーブルに来て、
「飯桐飯桐、三時三時! 休憩! おやつタイム!」
「いやお前さっきまで喋ってただろ。どれだけ進んだ見せてみろ」
そうだな石井、前半は俺も思った。
兄妹と池田の会話がやんで、やっと乗ってきたところだったのに。
「血糖値が高いと逆に頭回らない気がする」
「気にすんなよ三時っていったらおやつだろ!」
石井は池田に対してだけ、切り捨てるような、容赦のない話し方をする。
俺や他の人間相手なら節度を保っていて、まず口数自体が少ない。
気の置けない仲の友人とその他大勢、なんだろう。
たぶん池田もそれをわかっているから、何を言われても笑っていられる。
うらやましい、と思った。
「いやにテンション高いなお前」
「だってこういうときって手土産が『オモタセですが』って出てくるからさぁ」
「意味わかってるか? それ言われるの浅川だからな?」
「オレも食べれるからおんなじことだろ。今聞いたらパウンドケーキだって言うじゃんかぁ。浅川のすごくうまいって、」
ぴたり、と流れ出ていた池田の言葉が止まった。石井もどうしたこいつという目をしてそっちを見た。
そして、ぎゅっと眉間を寄せる。
その様子から、雲行きの怪しさを見てとって逃げようとする池田を石井は呼び止めた。低い声で。
「おい」
「んー?」
振り返った池田はやけに明るい笑顔だった。その顔を崩さず石井の返事を待っている様子が、池田らしくない。
いやいつもの池田と違うと言うべきか。
俺は池田みたいに鋭くもなければ、中学から付き合いがあったわけでもない。
「別に、話したくないならいい」
石井はそのまま、拍子抜けするほどあっさりと問題集に向き直った。
ふっと作り笑顔が消えて困ったような迷うような顔になって、池田は頭に手をやる。視線が宙をさまよった。
「今ここが嫌なだけで、言いたくないわけじゃないんですよ?」
石井は何も言わなかった。俺も。
沈黙を気まずく感じたとき浅川がやってきて、
「言わなくてもいいけど悪い、俺知ってる。そんでこれ耀から」
平然とすごいことを言って紙切れを渡した。
『知ってる』って何をですか浅川さま。
「ちょ、まさかいやふたり仲良かっ……やっぱりか!」
叫んで池田はその場にしゃがみこんだ。
そのとき浅川妹からの紙が俺の足元に落ちて、反射的に拾って見た紙に書いてあったのはたった一言、
「『なぎさん?』」
声に出したら石井がはっとした顔で池田を見た。珍しく気まずげな池田。
俺の知らない名前に、池田と石井だけの中学時代。
つまらない。
そしてそう思う自分が一番つまらないやつだ。
席をはずしたくてでもできなくて、手に持った紙切れを見て丸っこい字だなと思っていたら書いた当人もこっちに来た。おろおろと、申し訳なさそうな顔で。
「ごめんなさ、ばれちゃ、て」
「悪い、焦るとこいつ、うまく喋れない」
浅川がフォローに入った。鉄面皮って浅川みたいなやつに使うんだっけ?
池田はごく普通の顔で、でも口調は思いっきり乱れて、
「あ、うん知ってるし気にしてないし。それよりもあの、そのですね、この件については一体いつ、から……?」
「三年の、二学期、九月くらいには聞いてて……」
浅川は妹の歯切れの悪さと対照的にさらっと言った。
「俺は文化祭の準備期間中に本人から」
池田はがばっと立ち上がって、
「妹はわかるよ妹は! 一年と三年おんなじクラスで三年間おんなじ部活だったし! 浅川はなんでですか接点ないよな!?」
「こいつのことで割とよく喋ってたのと、お前と同じクラスだったから様子聞かれたり、色々。普通に友達だから安心していい」
『友達』、『安心』、この反応。もしかしてと思った。挙手する。
普段だったらしないが、割り込むのに勇気がいったので。
「ひとついいですか」
「はい、なんですか飯桐クン」
池田、言い方は冗談めかしてるのに力が抜けきってしまっている。ダメージは意外と大きそうだ。刺激しないように言葉を選んだ。
「間違ってたら悪いんだけど、その、」
「あーたぶんあってるし。どうぞ」
「つまり、池田、中学から彼女いたと。そういうことでいいか?」
「いーでーす」
どうにでもしてくれって態度だ。本当に珍しい。頭の中まっしろなんじゃないか?
何か秘密にしておきたい大事な理由があったんだろう。
池田が実はけっこうまじめだってこと、俺は最近ようやくわかってきた。
でも俺は別の重大な問題に気づいてしまったから構ってやれない。
それは俺の向かいで石井が、中学からずっと池田と同じ部活で同じクラスで友達やってきてでもたった今事情を知ったらしい石井が、怖いくらい静かにしてるってことだ……。