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傍観者の記録。  作者: チシャ
20/22

16 仲よく

 勉強は、今日のところはそれぞれのいちばん苦手な教科をすることにした。

 俺と石井が現国、浅川と池田が古文で、浅川妹が数Ⅰ。

 浅川兄妹と池田が座卓、俺と石井がすこし離れたテーブルで椅子に座る。リビングとダイニング。

 距離は数メートルってところだ。会話に支障はないが、遊んでしまう気がして黙っている。

 石井なんて、集中したいからとイヤフォンで音楽を聞いている。

 お兄さんにすすめられた洋楽らしい。

 おかげで、音を立ててうるさがられる心配が減って正直ほっとした。

 しばらくはシャーペンの音だけがしていたが、


「ね、サインコサインタンジェントが全然わかんないんだけど」


と、浅川妹が抑えた声で言うのが聞こえた。

 対する兄はちょっと冷たい、気がする。


「教科書は?」

「よくわからなかった」

「日本語で書いてあるから読んでこい」

「はーい」


 浅川妹は本当に数学やばいがようだ。

(三角関数くらいなら俺でもわかるから教えてあげたかったが、ひたすら兄が怖かった)

 しばらくすると兄のほうも、


「なぁ」

「なに?」

「この和歌の訳、なんだよ」


 古文、漢文、現代文。国語はとにかく苦手らしい。万年平均点の俺だって、さすがに大意をつかむ程度のことはできるのに。どこかで諦めてないか?

 いや、浅川の二学期末は本当に崖っぷちだった。

 どの教科よりまじめに取り組んでいると思っていた勉強中の様子は、点数を知ってから見るとまさに悪戦苦闘という言葉どおりで、あまりの報われなさに涙が出そうだった。

 国語が苦手だというのは誇張でもなんでもなかった。

 今だって、いくら浅川でも本当にわからないんでもなければ、他人のいる前で妹に質問することなんてないだろう。


「どれ? ああ品詞分解は終わってるんだ。順接仮定、反実仮想……うん、あってるからあとは文脈にあう意味でつなげてみて」

「文脈がわかんないから訊いてる」

「私も、理論でわかってるわけじゃないから。説明難しい」

「どういう訳になるんだよ」

「『世の中にまったく桜がなかったら春にも心穏やかでいられたのに』。和歌苦手だからちがうかもしれない、正しいのは授業で確認して。あ、電子辞書で探せばあるかも。有名だから」


 似たような訳になる和歌が課題にあった気がする。

 ふと石井の様子をうかがうと、イヤフォンをはずしてなんだか不満げな顔をしていた。どうした。

 兄妹の横でやり取りを聞いていた池田はすぐさま電子辞書を開いて、


「ぅおすっげあってる。なんでわかんの」

「フィーリング」


 兄妹の声が重なった。なんでぴったり合うの。

 思わずツッコミそうになったそれを池田は「へー」の一言で流した。大物だ。いやこいつと石井も似たような感じだからか?

 周りがコンビばっかりで、すこしだけ取り残された感がある。

 一歩引いて見ているのは楽しいが、寂しくなることがないわけじゃない。

 軽く沈んだけど、自分の家に友達が来ているんだから十分だと思えたら浮上した。

 兄妹と池田、座卓組の会話は続いている。

 石井も完全に手をとめてそれを聞いていた。

 模試のダントツ一位の勉強法なんて気にならないはずがないし、今日の石井の目的はそれを知ることのはずだ。

 しかし座卓の三人は誰もこっちの様子には気づいていないようで、浅川妹がマイペースに話している。

 おとなしいけど浅川妹も女子だ、しゃべるのが嫌いなわけではないんだろう。

(石井がやたら悔しそうに色々耐えていた。決壊したら『女子め』とでも吐き捨てそうだ。怖い)


「でも、文法苦手。あんまり考えないから」

「それってさあ、読むとき? 品詞分解とかは?」

「きっと、池田君が英文読むような感じだと思う」

「そっかそうだよな、いちいち考えないもんな」


 そこで納得できる池田がちょっとうらやましい。

 俺はイディオムや構文でつまづいて、時間を取られることが多いから。

 その域に到達するまでの努力はあったんだろうけど、凡人は見上げてうらやむだけだ。


「私、意味はわかっても助動詞とか考えるの苦手で」

「あれってさあ、意味わかるようにするためにやるんだよな? できてんだったらいらなくねえ?」

「だいたいわかるだけで、選択肢を完全に絞り込むのには文法の知識が必要だから」

「あーそういう」


 たぶん自分が英文を読むのに置きかえるとよくわかるんだろう。

 浅川妹も池田も、知らず知らずのうちに基礎ができていたタイプに見える。

 『どうせ』なんて言いたくないが、育ってきた環境の違いは今に反映されているはずだ。




「でもこいつ、読み物として教科書読んでるからな」


 いつのまにか考え込んでいたところに浅川の言葉が飛び込んできて、俺は三人のほうを見た。

 話題はもう次に移ったらしい。

 すこし離れているせいか話についていけないのが、嫌というか悔しいというか。もしかしたら、寂しい、かもしれない。


「だって現社の教科書読んで新聞読むとよくわかるから」

「毎日ニュース見て新聞読んでんだろ? それでもわかんなかったりすんの?」

「やっぱり政治とかは難しい。経済も」


 おっとりとして見える浅川妹の口から、政治だの経済だのという単語が出てきて驚いた。

 というか池田は毎日ニュースと新聞チェックしてるって知ってたのか? 今聞いただけか?

 池田に対してはわりとくつろいだ態度で接している気がする。この間平気だって言ってたし。

 俺は石井寄りに見られてるんだろうな。だからって池田みたいにあけっぴろげになれないのがまた悔しいような、そう思うことも諦めているような。

 しかたなく話が弾んでいるらしい三人を眺めた。楽しそうだ。


「こいつ、そのへんのことよく父親に訊いてる」

「お父さんの説明はわかりやすいから。すすめてくれた経済の本もおもしろかった」

「あれだろ、猫の絵の。あれはおもしろかったな」


 俺の頭のなかが経済の仕組みに関する内容の絵本のイメージでいっぱいになる。猫の絵ってどんなのだ。経済の本に、猫?

 そして、俺にはついていけないテーマで、構えずに会話する兄妹のイメージ。

 みんなが帰ったら新聞読もうと心に決めたとき、池田があっけらかんと言うのが聞こえた。


「なあそれオレでもわかる?」


 池田と経済。

 似合わ、いや英語のこともあるから案外、あっという間に詳しくなることだって。危機感。


「読むか?」

「読みたい」

「じゃあ貸していいか聞いとく。たぶん問題ない」


 ふと俺は、浅川兄妹が石井ほど苦労せずにテストで高得点を取っているんじゃないかなんていう自分の考えが、間違っていたと思った。

 ふだんから何気なく知識を積み重ねているとしたら、それが勉強につながっていると気づいていないとしたら。

 勉強はしていない、とそう答えるんじゃないか。

 そうだたしか、妹は古典も原文で読んでいるという話だった。

 娯楽としてであっても充分に勉強になる。


 まあ、それだって恵まれた家庭環境だと思わなかったわけじゃない。羨望のような妬みのような感情を、一瞬だったがたしかに持った。

 幅広く興味を持たせるように、対象について調べることを楽しいと思うように育った兄妹。

 羨ましい。

 石井みたいに努力しているわけでもない俺が、そんな風に思ってはいけないと、わかっていても。

 せめて勉強を楽しいと思えたらよかったのにな。




作中の和歌は、

 世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(古今集、在原業平)

現代語訳は作者がしました。

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