15 そんなに
そうしてしゃべっていたところへ、うちの姉がひょいと顔を覗かせた。
「勉強は?」
「今から」
「お茶淹れるから、休憩するとき呼んで」
「ん」
閉まったドアの向こうから、三時まで上行ってな、と姉の低いがよく通る声が聞こえた。
三人分の足音が二階に消える。
なんとなく沈黙してそれを聞いていたが、
「オレけっこう意外だわ。飯桐も家族にはそんなんなんだな」
「意外ってなんだよ」
「なんてぇの? 口数少ない?」
「池田、俺らと同い年の男で身内の女とべらべらしゃべってたら怖いぞ? 浅川でさえこんなだろ」
石井に指さされた浅川は、
「俺でさえってなんだよ。あと石井、損しかしないから言葉気をつけろ」
「わり、こいつうまく言えないんだよ。思ってることよりトゲトゲしくなるっていうか」
いつもよりまじめな調子で池田がフォローに入る。
「悪い浅川。池田も」
「謝れんなら大丈夫だな」
笑うとまではいかなかったがそのとき浅川は確かに目元を和ませてた。
笑顔だ。満面のとは言えないが、普段からしたら十分笑顔だ。ニヤリとかでもなく普通の。とうとう俺も見たぞ。
「なんだよ」
「や、だって、浅川がさぁ」
「そういう風に仏頂面崩すのそうとう珍しいから」
「ほんとにそうだったらとっくに表情筋退化してんぞ。普通に笑うからな俺も」
「妹と関係ないとこでも?」
池田の言葉に、浅川の横で小さくふき出す音がした。
「この先私たち同じクラスになったとしたら、きっと周りじゅうびっくりするね」
「なんでだよ」
「少なくとも私は萎縮してる自覚あるから。うまく喋れないもん」
「甘えんな」
「うん」
ふ、と目を細めて浅川妹は淡く笑う。
これ以上ないくらいに幸せそうだと思った。なんだか、泣きそうだとも。
「あー……悪い」
「ごめん」
「んな顔すんな」
「よしじゃあバナナと小豆とビターチョコで手を打とう」
「なっ!?」
「明日のおやつはバナナとチョコの白玉にとろとろあんこです」
「よもぎでいいだろうがそんなの。チョコとバナナに小豆はない」
「保守的。頭固い。それによもぎ、今週お弁当に入れたばっかり」
「そうかよ」
「買ってくれるのくれないの?」
「帰り、フクトミヤな」
兄が口にしたのは近くの大きいスーパーの名前だ。
妹に甘いとつくづく思った。
……いや、あんなこと言って実は自分も食べてみたいとか?
「ぉら勉強すんだろ、広げろよ」
いつもより一割増しくらい荒っぽいです浅川さま。照れてます?
池田と俺はおとなしく教科書類を出す。
そんな兄と俺たちを見て、妹は俺たちの視線を気にすることなく笑っている。
ちょっと無防備すぎるんじゃないかってくらいに。
意外だった。
そうしているとクラスの女子たちとどこも違わない。猫被ってたのかと思うくらいだ。
さっき言ってたことによればつまり、教室よりは確実に萎縮してない普段の姿なわけで、兄といるときはこんな感じだってことだ。
なんで、ひとりだとその顔が出せないんだろう。
兄だってそうだ。なんとなくそっちを見たらびっくりした。
笑っていた。さっきのよりずっと笑顔だった。サービス過剰で逆になんかもったいない。
場所が教室じゃないからなのか、いつもよりくつろいでいて優しげで、ついつい目がそっちにいく。
そうやってまた改めて見た顔立ちはあっさりとして印象が薄い部類で、なんだか人形みたいだと思った。
美形とはちょっと違って、崩れたところがないから特徴もないという意味。
減点法で採点したらほとんど満点だろう。
(前にキレた顔をかっこいいと思ったが、笑っていてもちょっと羨ましいくらい男前だ。へこむ)
妹のちょっと大きい丸目で他のパーツがどれも小さい、子どもっぽいかわいい顔(客観的に見て)とはつくりだけなら似てない。全然というくらい似てない。
けど驚くくらい、笑うふたりの顔はよく似ていた。
「笑うとお前らそっくりだな」
池田が驚きを隠さずに言う。こいつのこういう素直なところは羨ましいと思わないでもない。
「そうか?」
「おう。あんまり似てないけど笑った顔すごい似てる。やっぱ兄妹だな」
「そうだな、兄妹だからな」
目元に笑った名残をとどめて、浅川は言った。
その表情も、さっき『甘えんな』と言われたときの妹にすこし似ていた。