残像 ~老視覚障害者の手記~
§1 故郷へ
七〇歳を境に、視覚障害が一段と進行したようである。いつの間にか、文字通り、五里霧中となっていた。
「ゆくゆくは田舎に帰って鍼灸師を続けながら、釣りなどしてのんびり暮らしたい」
時代のスピードに乗れなくなり、そんなことを考えるようになっていた。
願いが叶ってのUターンだった。妻と二女、計三人で埼玉県から、四国の中央部にある故郷に帰った。六四歳だった。
四人の子供に恵まれた。多い時には六人家族だった。それが半分になり、人生のステージが進んだことを実感した。
ところが、一年ほどして、何幕か引き戻された。長女が孫娘を連れ、後を追ってきたのである。我が家がまた賑やかになった。
§2 有為転変
生家はすでにない。母校も廃校になっている。典型的な限界集落だ。私の生まれた村は、遅かれ早かれ消滅する。
山肌にへばりつくように生きている故郷の人々のためにと、母校跡に治療院の分室を開設した。保健室だった部屋で、来院を待つ。静寂の底から、子供たちの歓声が立ちのぼってきそうな気がした。
分室での治療を終え、路線バスの停留所に急ぐ。バスがくるまでの数十分、釣糸を垂れる。毎週のことなので、運転手は無類の釣り好きと思ったことだろう。
よく孫娘を同伴した。廃校を活用し、移住者が喫茶店を開いている。治療中、孫娘はスタッフの子供と遊び、夕方、釣りに付き合う。釣り上げた時の喜びようといったら、なかった。
そのうち、釣り始めるまでに時間がかかるようになった。テグスが見えにくくなっていたのである。帰り支度にもエネルギーを浪費するようになった。
ある時、魚籠で腹を上に向けている魚を見て、心が痛んだ。無益な殺生を繰り返してきたものだ。
釣りへの情熱は冷めた。
分室から眺める山容も違ってきた。霧がかかっている。一五歳まで、教室の窓から眺めてきた美しい風景は、もうなかった。
若いころ、お世話になった方がいた。写真をいっぱい撮りだめている、と言っていた。
「整理するお手伝いしますよ」
と申し出たところ、その方は
「友達が写真を整理したとたん亡くなったから」
と遠慮した。
私もまた、目を悪くするまでは、数えきれないほど、シャッターを押してきた。もはやその機会もなくなり、網膜に焼き付いているものはどれほどもないことに、一抹の寂しさを覚える。
§3 発見
これまで、花の美しさに感動したことはなかった。
孫娘が通う小学校では、地元ライオンズクラブの指導により、児童たちがサギソウの球根を育て、標高五五〇メートルほどにある湿原に、移植している。
この活動は四半世紀の歴史を持つ。山腹にある小学校が始めたそうだが、時代の流れに勝てず廃校となった。周辺の小学校数校で引き継いだものの、今では孫娘の通う小学校と近接する小学校一校が活動するのみとなっている。
湿原にはさまざまな植物が群生し、県の天然記念物に指定されている。このうち、サギソウは国および県のレッドデータブックに掲載され、絶滅が危惧されている。
小学生の活動がマスコミに取り上げられることもあって、サギソウが気になり始めた。
「一体どんな花なんだろう」
昔はサギソウが注目されることもなく、地元に育ちながら、実物を見たことがなかった。インターネットで写真を探した。準絶滅危惧種とはいえ、けっこう投稿されている。
写真を拡大して、息を呑んだ。ほぼモノクロの世界だった。なんという造化の妙だろう。白鷺が羽を広げて飛翔しているのだった。
晴眼の人生を続けていたら、おそらく気付くことのなかった美しさだった。
§4 闖入者
サギソウの花期は八月ごろとされる。
六七歳、三年前のゴールデンウィーク明けだった。長女の運転で、孫娘とともにサギソウ園へ出かける。
薫風が湿原を渡ってくる。今を盛りに繁茂する草花の影に隠れ、自生するサギソウは、そっと息をひそめていることだろう。が、あとひと月もすれば、小学生たちが移植に訪れる。仲間が増え、やがて小さな白鷺たちの乱舞するシーズンを迎えるのだ。
「ジィジ!」
孫娘の声がした。
「鹿!」
過疎化で人間の生活圏が狭くなるのと引き換えに、野生動物が勢力を広げてきた。猿が群れで道路を横断し、猪や鹿が街中に出没する。主役交替が進行しているのかも知れない。
きょろきょろと見回す。
「違う! 足元!」
下を見ると、かろうじて、茶色の小動物が認められた。仔鹿だった。私の膝の高さに仔鹿の顔があり、見上げている。
サギソウ園からそっと離れた。仔鹿は付いてくる。孫娘が走ると、後を追って走る。それは、ペットの仔犬となんら変わりがなかった。
私たちはクルマに退避した。これ以上、慣れさせると後々、決してよいことはないはずだ。
クルマの外で仔鹿が中をうかがう。
「もう、お家に帰りなさい!」
孫娘が諭している。
クルマはそろそろと仔鹿から離れた。
振り向くと、いつまでも仔鹿が見送っていた。
§5 回帰
帰ってからも、仔鹿が気がかりだった。
「親とはぐれたのだろうか」
「親は人間のワナにかかったのでは」
「いずれにしても、仔鹿だけで生きていくのは難しいだろう」
さまざまな思いが交錯した。
「明日もう一度行って、仔鹿がいたら連れて帰ろう。小学校で飼ってもらえばいいし、ダメならうちで飼おう」
これが結論だった。
翌朝、再び湿原を訪れた。
仔鹿の姿はなかった。
サギソウと仔鹿。私の中の映像は、いつまでも色褪せることがない。
(二〇二三年四月)
(サギソウ写真提供:三好市観光協会)




