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君と視た世界の色彩

作者: サンケー
掲載日:2026/05/05

盲目の少女・マリアは、「世界で一番綺麗な景色が見たい」という儚い願いを抱いていた。


そんな彼女の前に現れたのは、万年落ちこぼれと罵られ続けてきた一人の青年、彼は魔法使い。


彼が使える魔法は、自らの視界を相手に繋ぐ「視界共有」ただ一つだった。


運命的な出会いを果たした二人は、それぞれの想いを胸に、世界で一番綺麗な景色が広がると言われる「世界の果ての岬」を目指して旅立つ。




目の見えない私の世界には、光がない。けれど、決して暗闇ばかりではなかった。


なぜかって?それはね。


頬を撫でる風の匂いや鳥のさえずり、そしてあなたの温かい手のひらが、いつも私に光という温もりを教えてくれていたから。


あの日、運命の歯車が大きく狂いだすまでは。



「あ、そよ風。ふふ、くすぐったいな。ねえ、ゾイド。今、私の足元でカサカサと鳴っているのは何?」


不意に吹いた冷たい風に身をすくめながら、私は足元の心地よい音の正体を尋ねた。

指先を空に泳がせると、ひんやりとした大気が指の間をすり抜けていく。


「それはね、秋の終わりに落ちる枯れ葉だよ。ほら、足元いっぱいに広がっているんだ。まるで赤や黄色の絨毯みたいにね」


ゾイドの優しい声が、頭上から降ってくる。

ただの言葉なのに、彼の声には不思議と輪郭があった。

彼の声を聞くだけで、私の頭の中の真っ白なキャンバスには、温かい色彩がじんわりと滲み出すのだ。


「絨毯かぁ。やっぱり、ふかふかなのかな?」


「あはは、そのまま寝転んだら服が汚れちゃうよ」


私の無邪気な疑問に、ゾイドは困ったように笑った。その声の揺れ方だけで、彼が今、眉を八の字にして笑っているのが手に取るように分かる。


「そうなの?……ちょっと残念だな。せっかくなら、その絨毯の上でお昼寝でもしてみたかったのに」


「風邪を引くよ。ほら、もう寒くなって来たし、冬になるから。そういえば、旅を始めて、ちょうど一年が経つね」


ゾイドがふと呟いたその言葉に、胸の奥がきゅっと疼く。


もう、そんなに経つんだ。


「うん。…ねぇ、覚えてる?」


「何をだい?」


「私が、街の広場で一輪の花をそっと撫でていた時。あなたが初めて私に声を掛けてくれた、あの木漏れ日の日のこと」


私の問いかけに、ゾイドは少しも迷わずに答えてくれた。


「忘れるわけないだろう。一輪の花をそっと撫でながら、君は小さく呟いたんだ。『世界で一番綺麗な景色が見たい』って」


「光も色も知らない私の、ただのワガママなのに。どうして、ゾイドはこんな私の願いを叶えてあげたいなんて思ってくれたの?」


私はずっと胸の奥に仕舞っていた疑問を口にした。見えない私を連れて旅をするなんて、彼にとって大きな負担でしかなかったはずなのに。


どうして…か。

ゾイドは心の中で、自嘲気味に呟く。


ただ怖かったんだ。


アカデミーを追い出され、誰にも必要とされず、何も残せないまま消えていく、底辺の魔法使いである自分の人生が。


だから、君のその純粋な願いを叶えることで、僕がこの世界で確かに生きた最後の『証』を残したかった。これは、僕が僕自身を救うために君の光を利用しただけの、醜いエゴなんだ。


けど、今は、君が教えてくれた「温もり」に満ちた世界に、僕の方が救われている。

気づけば、空っぽだった心は、君の無邪気な笑顔で満たされていた。

もう、生きた証なんてどうでもいい。

たとえ誰にも知られず、僕という存在が歴史の藻屑として消え去ったとしても。

命の炎が消えゆく最後のその瞬間まで、僕は、君の瞳に最高の世界を映し出したい。

これはもうエゴじゃない。


僕の人生のすべてを懸けた、君への贖罪だ。



「魔法使いの落ちこぼれだった僕にとって、君のその夢だけが、唯一、叶えられる現実だったからさ。だから、僕の方こそありがとう、マリア。君が僕を、本当の魔法使いにしてくれたんだ」



冬の訪れ。

それは、私たちが紡いできた長い旅の終わりを静かに示唆していた。


光を知らない私にとって、季節の移り変わりは、肌を刺す空気の冷たさと、耳に届く音の変化でしか分からない。

けれど、長く果てしないはずだったこの旅路が、これほどまでに短く感じられたのは、ゾイドが隣にいてくれる、ただそれだけで感じる日々の幸せや喜びがあったから。

彼と共に過ごした時間は、どんな苦痛をも忘れさせるほど、どこまでも温かく、愛おしい記憶の結晶となっていた。


「はぁ、はぁ…。ゾイド、風がすごく強くなってきたね。なんだか、鼻の奥をくすぐるような、潮の匂いもする」


吹き荒れる冷たい海風に煽られながら、私は荒くなった息を整えて尋ねた。

ごつごつとした岩肌を、杖と、彼の腕だけを頼りに登っていく。


「うん。もうすぐだよ。マリア、足元が悪いから、僕の腕を絶対に離さないで。しっかり掴んでいて」


ゾイドは私の体を慈しむように引き寄せ、そっと腕を引いてくれる。


その時、不意に触れた彼の手のひらに、私の心臓が小さく跳ねた。

出会った頃はあんなに温かかった彼の手が、まるで周囲の冬の空気そのもののように、冷たく凍りついている気がしたからだ。


「うん。…でも、ゾイド。あなたの呼吸、さっきからすごく苦しそう。本当に大丈夫? どこか痛むんじゃない?」


耳元で聞こえる彼の呼吸は、いつになく荒く、喉の奥から無理やり絞り出すような音が混ざっていた。

胸を激しく上下させている気配が、繋いだ腕から痛いほど伝わってくる。


「はは…。ちょっと、この急な坂道に息が上がっただけさ。底辺の魔法使いは、体力も魔力も底辺だからね」


彼はいつものように、道化じみた自虐混じりの冗談で私の不安を笑い飛ばそうとする。

けれど、その声はひどくかすれていて、いつもの明るさはどこにもなかった。


「…無理はしないでね? あなたに何かあったら、私は…」


言いかけて、私はギュッと彼の衣服の袖を握りしめ、言葉を飲み込んだ。


「ああ、分かっている。約束するよ。…さあ、着いた。ここが、旅の終着点だ。一年のうち、冬の始まりのこの一瞬しか見られない絶景があると言われる――『世界の果ての岬』だ」


ゾイドの声に、確かな達成感と、どこか祈るような響きが滲む。


「世界の、果て…」


私は光のない、空ろな瞳を、轟々と風が鳴り響く前方へと向けた。

波が激しく岩壁に打ち付ける音が、はるか下方から重低音となって足元を揺らしている。


「うっ…!」


その時、ゾイドの喉から、耐えかねたような押し殺した呻き声が漏れた。

彼の手が、私の腕から力なく滑り落ちそうになる。


ゾイドの胸の内で、凄まじい激痛が暴れていた。


肺が内側から焼けつくように熱く、酸素を求めても血の味が広がるばかりだ。


視界はすでに、激しい明滅を繰り返しながら、チカチカと白く濁り始めていた。

もう、身体の限界はとっくに超えている。一歩動くことすら、本来なら不可能なはずだった。


けれど、僕の命の灯火が完全に燃え尽きる前に、君にこれだけは、この景色だけは見せなければならないんだ。


君の暗闇を、僕の命の色で塗り替えるために。


「くっ、はぁ、はぁ…っ! マリア!!」


ゾイドは消えかける意識を強引に繋ぎ止めるように、私の両手を握りしめた。

その冷たい手のひらに、彼の魂の叫びのような熱い鼓動が伝わってくる。


「僕の視界を君と共有する、これが僕の使える、唯一無二の魔法だ!!」



暗闇しか知らなかった私の脳裏に、初めて『光』という名の色彩が、凄まじい奔流となって駆け巡った。

それは言葉にする間もなく、私の固く閉ざされていた心の奥底を美しさで揺さぶり、張り詰めていた感情がそのまま大粒の涙となって、私の頬を静かに伝い落ちていく。


「…なに、これ。すごく、すごく、綺麗」


言葉にならない感動に喉を震わせながら、私はただ、その圧倒的な光景を貪るように「視つめて」いた。


「ここが、世界で一番綺麗な景色だ」


私の手を力強く握るゾイドの、どこか遠くの地平線を見つめるような、誇らしげな声が鼓膜を揺らす。


その声は酷くかすれていたけれど、確かな温もりが宿っていた。


「海から、空へ昇っていく、あの無数の光の粒は、なに?」


私の純粋な疑問に、ゾイドは愛おしそうに言葉を紡いだ。


「冬の始まりの、この朝陽の瞬間だけ見られる絶景だ。凍てつく海面から立ち上る霧に光が乱反射して、まるで光の蝶が舞っているみたいだろう。白、金、薄紅、紫。世界中のあらゆる色が、今、ここにはあるんだ」


ゾイドの語る言葉の通りだった。私の頭の中の真っ白なキャンバスは、見たこともない鮮やかな光の乱舞で埋め尽くされ、私は息をすることさえ忘れてしまいそうだった。


「綺麗! なんて綺麗なの、ゾイド! これが光。これが、世界の色なんだね! 私、今、本当に世界を視ているのね!」


生まれて初めて「視る」という奇跡に、私は子供のように声を弾ませた。

繋がれたゾイドの視界を通じて、彼が私を見つめる愛しげな眼差しすら、光の粒の向こうに透けて見えるような気がした。



喜んでくれた。


マリアの邪気のない、鈴の音のような歓声を聴きながら、ゾイドは心の中で深く、深く安堵していた。

ただ、それだけで、彼の落ちこぼれの灰色の人生は、何物にも代えがたい極彩色の意味で救われた。


もう僕に残された時間は、砂時計の最後の一粒のほど。

この視界共有を維持するために、体内にあるマナの全てを使い果たした。

そして、これは二度と、回復することはない。


アカデミーを追われ、誰にも必要とされなかった僕が、最後に君に本物の光を見せられた。それだけで、僕の人生は意味があったんだ。


「ああ、よかった。君の願いを叶えられて、本当に、良かった」


ゾイドの呟きは、ひどく掠れていて、今にも吹き抜ける海風に掻き消されてしまいそうだった。


だが、その歓喜の裏で、私に共有されていた彼の視覚が、急速にその鮮やかさを失い始めていることに気づいた。

あんなに眩しかった黄金色の海が、濁り、かげり、不気味な灰色へと変色していく。


「ゾイド? なんだか、あなたの視界が、どんどん暗くなっていくよ?」


胸の奥に冷たい、嫌な汗のような不安が広がり、私は彼の顔があるはずの方向へとがむしゃらに向き直った。


「ごめん、マリア」


「それに、繋いだあなたの手が、すごく冷たい。震えてる。ゾイド、どうしたの? 答えてよ!」


私は彼の凍てついた手のひらを、自分の両手で必死に包み込んだ。

温めようとしても、彼の体温は急速に奪われ続けていく。


「実は、僕は病に侵されているんだ。もう手遅れだったんだけどね。魔法使いにとって、マナは命を司るエネルギーそのものなんだ。それが回復しなくなった僕は、いずれ死ぬ。マナはね、たとえ魔法を使わなくても、日常の中で少しずつ、心臓が動くたびに消費されるものなんだよ」


ゾイドは静かに、自分の死の宣告を口にした。


「嫌だ、そんなの嫌だよ! 死なないでゾイド! 私、景色なんて見えなくていい! 色なんて、これ以上、知らなくていいから! だから、死なないでよ!!」


私は狂ったように首を振り、彼のボロボロの衣服の袖に必死にすがりついた。

私の瞳からは、感動の涙ではなく、絶望の涙がとめどなく溢れ出していた。


「泣かないで、マリア。君のおかげで、僕の退屈で無価値だった人生は、こんなにも美しくなったんだ。ありがとう。僕に、生きる意味をくれて。だから、一片の後悔もしていないんだ。君の夢を叶えることが、いつの間にか、僕のたった一つの夢になっていたから」


視覚が暗転し、ゾイドの表情は見えない。


けれど、彼がどんなに穏やかで、満ち足りた優しい笑みを浮かべているか、私には痛いほど分かった。


私を包む彼の優しい嘘が、私の心を切り裂いていく。


「ゾイド! ゾイドォォーーッ!!」


私の悲痛な絶叫は、岬を吹き抜ける冷酷な強風にかき消されていく。

やがて、私の手を握っていたゾイドの指から、完全に力が抜けた。それと同時に、私の瞳の奥に繋がれていた、あの奇跡のような美しい景色は、ぷつりと糸が切れたように漆黒へと消え去った。



私は再び、どこまでも深い、光のない暗闇の底へと引き戻された。

けれど、それは以前の暗闇とは決定的に違っていた。


世界の色を知ってしまった私の隣には、あの優しくて、大好きなゾイドが、もういないのだから。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

初めての投稿で至らない点も多くあったこととは思います。もし、何かお気付きなことや不明な点があれば、教えてください。

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