第三章 小早川詩織は、書くことで生きている
放課後、俺は図書館に来ていた。
特に目的はない。ただ、暇だったからだ。前世では結構な頻度で図書館に通っていた——主にラノベを読みに。この世界にもラノベがあるのかどうか、確かめたかった。
文庫本コーナーを適当に見て回る。あるにはあるが、タイトルも表紙も見たことないものばかりだ。まあ、違う世界だから当然か。
その時、ふと視線を感じた——いや、正確には、視界の端に何かが入った。
本棚の隙間から、向こう側の席が見える。そこに、見慣れた人物が座っていた。
丸眼鏡、一つ結び、ブカブカでサイズの合ってない制服。
小早川詩織だ。
彼女はスマホを手に、何かを必死に打ち込んでいる。画面を睨みつけるように見つめ、指が高速で動いている。
——何やってんだ?
興味本位で、そっと後ろに回り込む。
画面には、見慣れたレイアウト——『小説家になろう』の投稿画面だ。
「お~小早川、小説書いてるんだ」
「ひゃっ!?」
小早川の体が跳ねた。スマホが手から滑り落ち、そのまま俺の足元に転がった。
「あ……!」
小早川が固まる。顔色が青ざめていく。
俺はスマホを拾い上げる。画面には、投稿画面のままの原稿が表示されていた。
タイトル:『剣と魔法の境界線——最強の剣士は魔法使いになる——』
作者:黒鉄
最新話更新:今日
「なるほどな」
「あ、あの……それ……」
小早川が立ち上がる。手を伸ばしかけて、でも引っ込める。顔は真っ青だ。
「あの、その……言わないで、くれませんか……?」
声が震えている。
——ああ、そういうことか。
——この子、正体隠してるんだ。
「別に言わないよ。そんなこと」
「……え?」
「ネットで小説書くのって、別に悪いことじゃないだろ。なんで言っちゃダメなんだ?」
小早川がぽかんと口を開ける。
「そ、それは……その……恥ずかしいから、です……」
「恥ずかしい?」
「だ、だって、私みたいな地味な奴が、ネットで小説書いてるなんて……知られたら、なんて思われるか……」
「別に変じゃないだろ。普通だよ」
「ふ、普通……?」
「うん。普通に、好きなことやってるだけだろ」
小早川が、まばたきを数回。その顔が、徐々に赤くなっていく。
「あ、ありがとう……ございます……」
蚊の鳴くような声だった。
---
家に帰って、飯を食って、風呂に入って——それでも、さっきのことが気になった。
小早川詩織。あの地味な同級生が、ネット小説家。
——どんなの書いてるんだろう?
パソコンを立ち上げ、『小説家になろう』にアクセスする。検索窓に「黒鉄」と入力。
出てきた。
『剣と魔法の境界線——最強の剣士は魔法使いになる——』作者:黒鉄
総合ランキング:日間8位・週間13位・月間25位
——おお、結構すごいじゃん。
累計PV:120万超え。ブックマーク数:8500。
これは、なかなかの人気作だ。
俺は第一章から読み始めた。
──で、数時間後。
「……なるほどな」
読了した。最新話まで。
正直、感想は複雑だ。
確かに、面白い。文は上手い。情景描写も細かいし、キャラの心情も丁寧に描かれている。だからランキングに入ってるんだろう。
でも——いや、だからこそ、気になる点もある。
「これは……明日、言っちゃうかもな」
---
翌朝。教室。
俺は早めに来て、自分の席に座っていた。小早川が来るのを待つ。
しばらくして、彼女が入ってきた。いつも通り、地味な服装で、俯き加減で、自分の席に向かう。
「おはよう、小早川」
「……おはようございます」
小声で返して、彼女は本を開く。いつもの逃避行動だ。
「なあ、小早川」
「……はい?」
「昨日の作品、読んだよ」
小早川の手が止まる。顔が、ゆっくりとこちらに向く。
「……え?」
「『剣と魔法の境界線』。全部読んだ」
「え、えええええ!?」
声が出かけたが、慌てて自分の口を押さえる。周りの数人がチラリと見たが、すぐに戻る。
小早川が、机に突っ伏すようにして、顔だけをこちらに向ける。その目は、恐怖と期待が入り混じっている。
「ど、どう……でした……?」
「正直に言っていいか?」
「……はい」
「面白いよ。文はすごく上手い。情景描写も細かいし、キャラの感情も伝わってくる。だからランキングに入ってるんだなって納得した」
小早川の目が、わずかに輝く。
「でも」
「……でも?」
「問題点も結構ある」
「も、問題点……?」
俺は指を折りながら、話し始めた。
「まず、前期の戦力設定が高すぎる。主人公が最初から『最強の剣士』って、それでどうやって成長を見せるんだ? 敵も強くせざるを得なくなるだろ。そうすると、後半は必ず戦力インフレを起こす」
小早川の眉がピクリと動く。
「そ、それは——」
「次に、キャラ設定。お前、百合要素とBL要素、両方入れてるだろ」
「な、なんでわかったんですか!?」
「女キャラ同士の会話、明らかに意識しすぎ。男キャラ同士の友情描写も、なんかベタベタしてる。作者がどっちも入れたいのはわかるけど、読者は混乱するぞ。お前、作品のジャンル、何にしたいんだ?」
小早川が押し黙る。
「あと、論理的な問題もいくつかある」
「ろ、論理的……?」
「第三章で、主人公が魔法を使えるようになるだろ。でも、その前に『剣士は魔法が使えない』って設定を何度も強調してる。それなのに、『才能があったから』の一言で使えるようになるのは、ご都合主義すぎないか?」
「で、でも、それには伏線が——」
「伏線? どこに?」
「一章の——」
「あの『魔法の本を読んでるシーン』のこと言ってるなら、あれはただの『興味がある』って描写だろ。『実は才能がありました』の伏線にはなってない」
小早川が口を開きかけて、閉じる。
「つまり、なんだ」
俺はまとめた。
「お前の作品は、文力でランキングに入ってる。ストーリーや設定の粗を、文章の上手さで誤魔化せてるってこと」
沈黙。
小早川が、俯いている。肩が小刻みに震えている。
——怒らせたか?
「あの、小早川——」
「間違ってないです」
顔を上げた彼女の目は、さっきまでとは違う光を宿していた。怯えたような目ではなく、闘志に燃える目だった。
「間違ってないです……確かに、私、設定には甘いところがあるって、自分でも思ってました……」
「小早川……」
「でも! でもね、あの『百合要素とBL要素』っていうのは、今の流行りを——」
「流行りに乗るのと、自分の作品が何を書きたいのか、ごっちゃにしてないか?」
「…………」
「お前、本当は何が書きたいんだ?」
小早川が、ハッとした顔をする。
「バトルものだろ? 少年漫画風の熱いバトル。だって、あの戦闘シーン、一番生き生きしてた」
「……!」
「なのに、途中で恋愛要素入れたり、ギャグ入れたり、流行りものを詰め込もうとしてる。それで作品の軸がぶれてるんだよ」
小早川が、机に突っ伏した。
「……参りました」
くぐもった声が聞こえる。
「完敗です……如月くんには、敵いません……」
——お?
「だって、私、こういう話になると、つい熱くなっちゃって……でも、如月くんの言うこと、全部正しいから、反論できない……」
「いや、そんなに落ち込まなくても……」
「落ち込んでません!」
顔を上げた小早川の目は、さっきまでとは違う光を宿していた。
「悔しいけど、嬉しいんです」
「……は?」
「初めてなんです。私の書いたものを、ちゃんと読んでくれて、ちゃんと批評してくれた人」
彼女の声が、少し震えている。
「ネットのコメントは『面白い』『続き待ってます』ばかり。親にも友達にも言えない。ずっと、一人で書いてきたから……」
「小早川……」
「だから、すごく……嬉しいんです」
彼女は笑った。
地味な眼鏡の奥で、初めて見せる、本物の笑顔。
俺は、なぜか直視できなくて、窓の外を見た。
——なんか、変な感じだ。
——別に、俺はただ、思ったことを言っただけなのに。
でも、心のどこかで、思う。
——この子にとって、あの作品は、全部なんだな。
---
放課後、また図書館で会った。
「あ、如月くん……」
「また来てたのか」
「は、はい……ちょっと、修正したくて……」
「見せてくれるか?」
「え……!」
「嫌ならいいけど」
「い、嫌じゃないです! むしろ、見てほしいです!」
そう言って、彼女はスマホを差し出す。第一章の修正版だという。
俺は読む。
「……お?」
「ど、どうですか?」
「結構いいじゃん」
「ほ、ほんとですか!?」
「うん。主人公の『最強』の部分、『まだまだ伸びしろがある』って描写に変えたんだな。これなら、今後の成長も描ける」
「は、はい! 如月くんの言う通りだと思って!」
「あと、この伏線の張り方、前より自然だな」
「えへへ……」
小早川が、嬉しそうに笑う。
その顔を見て、俺はまた思う。
——この子、すごいな。
——ちゃんと、自分の作品に向き合ってる。
——俺なんて、何か本気で打ち込んだこと、あったっけ?
「如月くん?」
「あ、いや、なんでもない」
「あの、よかったら……また見てくれませんか? これからも」
「いいよ。俺、大量のラノベ読んできた経験が活かせるしな」
「あ、ありがとうございます……!」
深々と頭を下げる小早川。
——この子、素直すぎるだろ。やっぱりゲームの中の背景キャラって感じだな。
でも、そんな素直さが、なんか新鮮だった。
「あの、よかったら……これからも作品のこと、見てもらえませんか?」
「暇ならな」
「はい! ありがとうございます!」
小早川は俺の返事を聞くなり、ぱっと嬉しそうに笑った。
その笑顔は、無邪気そのものだった。
——この世界、やっぱり前の現実よりずっと面白いな。




