第二章 佐藤光は、普通の女の子だった
昼休み。
購買部で適当に飯团を三個買って、俺は校内をぶらついていた。
そういえば、アニメとかだと、学校の屋上ってよく弁当食べるシーンがあるよな。
というわけで、屋上に行ってみることにした。
ドアを開けると、予想通りの光景が広がっていた。
佐藤光と、見たことのある女子が二人、座って弁当を広げている。
一人は、茶色い三つ編みの優しそうな先輩。もう一人は、丸眼鏡の地味な同級生。
ああ、この二人か。
確か、原作では「ヒロインの友人A」「ヒロインの友人B」みたいな立ち位置だった気がする。
名前は……篠原綾乃先輩と、小早川詩織。
「あ、如月くん! どうしたの?」
佐藤が手を振る。
「いや、飯团食べるところを探してたら、ここにたどり着いた」
「へえ、如月くんも屋上で食べるんだ。一緒にどう?」
「いいのか?」
「もちろん!」
佐藤が隣のスペースをポンポンと叩く。俺は遠慮なく座った。
篠原先輩がにこやかに微笑む。
「如月くん、同じ学校なのに、あまり話す機会がなかったわね。私は篠原綾乃、三年生です」
「如月湊です。佐藤と同じクラスです。よろしくお願いします」
小早川は、こっちをチラリと見ただけで、すぐに本に視線を戻した。
「……小早川詩織」
ぶっきらぼうな挨拶だ。まあ、原作通りなら、彼女は「地味で目立たない文学少女」ってところか。
飯团をかじりながら、俺は適当に会話に混ざる。
「そういえば、佐藤って転入生なんだって?」
「うん! 新学期から来たんだ。まだ二週間しか経ってないけど、もうすっかり慣れたよ!」
「へえ、すごいな。俺なんか、この学校に一年以上いるけど、まだ迷うことがある」
「え、本当?」
「今日も三回ぐらい曲がるところ間違えた」
佐藤が笑う。
篠原先輩も、口元を手で隠しながらクスッと笑う。
「如月くんは、面白い人なんですね」
「よく言われる」
その時だった。
篠原先輩が、少し考えるような顔をして、こう言った。
「でも……如月くん、変わったわね」
「え?」
佐藤が首をかしげる。
「篠原さん、如月くんの一年生のときのこと、知ってるんですか?」
「ええ、茶道部の活動で、一年生のクラスにお邪魔したことがあって。そのときに如月くんを見かけたのよ」
篠原先輩は、穏やかな笑みを浮かべたまま、俺を見る。
「あの頃の如月くんは、本当に暗かったわよ。いつも一人で、誰とも話さなくて、目が虚ろで。でも、それでいて、時々見せる優しさがすごく印象的で——だから、女子の間で人気があったの」
「へえ……今とは全然違うんですね」
佐藤が驚いた顔で俺を見る。
正直、こういう気取った暗い美少年タイプって嫌いなんだよな。なんでこんなキャラが女子に人気なんだろう?
思わず口に出た。
「前の如月って、ほんとにテンプレート通りすぎるタイプだったんだな……」
「……え?」
三人の視線が一斉に俺に向いた。
——やべ、口が滑った。
「いや、なんでもない。とにかく、今の話しやすい俺の方が、前より絶対いいだろ?」
誤魔化すように言うと、篠原先輩がいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「そうね……でも、前の如月くんの目は『虚ろで憂鬱』だったけど、今の如月くんの目はなんていうか……」
「なんですか?」
「濁ってる。汚いものいっぱい詰まってそうな目になったわね」
「ぶはっ!」
佐藤が吹き出した。小早川も、本の陰で肩を震わせている。
「ちょっと篠原先輩! それひどくない!?」
「あら、でも本当のことよ?」
三人が声を出して笑う。
俺は頭を掻いて苦笑いするしかなかった。
だって、これが二次元ってやつだからな。
昼食を終えた頃、小早川が立ち上がった。
「……すみません、急用を思い出したので、先に失礼します」
「え、小早川さんもう行くの?」
佐藤が残念そうな顔をする。
小早川は小さくうなずき、すぐに屋上を出て行った。彼女の背中がドアの向こうに消えるのを、なんとなく目で追ってしまう。
それからしばらくして、俺たち三人も屋上を出た。
下り階段を順に降りていく。三階の踊り場で、篠原先輩が立ち止まった。
「じゃあ、私はここで。湊くん、またね」
「あ、はい。また」
篠原先輩が優しく微笑んで、三年生のフロアへと消えていく。
そして、俺と佐藤の二人だけになった。
「如月くん、午後も頑張ろうね」
「おう」
何気ない会話を交わしながら、二階まで降りたその時だった——
「いたわね、佐藤光」
——ああ、来た来た。
あの金髪碧眼の悪役令嬢が、いよいよ登場だ。
---
——というわけで、話は今に戻る。
午休みが終わって、教室に戻る途中。俺は一人、廊下を歩きながらため息をついた。
頭の中は、さっきの西園寺とのことでいっぱいだ。
あの嫌悪の表情——まるでゴミを見るような目つき。
さすがは正真正銘の悪役令嬢ってところか。
そんなことを考えながら、教室の扉を開けた。
---
午後の授業は、相変わらず眠かった。
数学はさっぱりわからんし、国語も半分寝てた。後ろの氷室に何度か椅子を蹴られたけど、無視した。あいつ、マジで真面目なんだな。
そして、授業が終わって、放課前のホームルームが終わった時だった。
「如月くん」
隣から声がかかった。
振り向くと、佐藤光がこっちを見ていた。なんだか、ちょっと真剣な顔だ。
「ん? どうした?」
「あの……さっきは、ありがとう」
さっき? ああ、西園寺のことか。俺はずっと寝てたからな。
「西園寺さんのこと……連れて行ってくれたでしょ。如月くんのおかげで、助かったから」
「あー、別に。あれは佐藤のためじゃないし」
「え?」
「俺がやりたかっただけだから。別に感謝されるようなことじゃ——」
そこで、俺は気づいた。
「……あれ? これって、なんかツンデレっぽくない?」
一瞬の間。
「ぷっ——」
佐藤が吹き出した。
「ちょ、如月くん、なにそれ! ツンデレ発言しながら自分でツンデレって言う人いるんだ!」
「だって、前からこういうセリフ言ってみたかったんだよ」
「もう、変なの~」
佐藤が笑う。俺もつられて笑った。
前世でも、友達と遊んでる時にはこんな冗談よく言ってたけどな。まあ、女子とこんな話をするのは初めてだけど。
「でも、如月くんはそういうとこ、いいよね」
「そういうとこって?」
「なんか、気取らないっていうか。普通っていうか」
「普通って、微妙な褒め方だな」
「あ、ごめん! そういう意味じゃなくて! その……話しやすいっていうか、一緒にいて疲れないっていうか!」
佐藤は慌てて手を振った。その様子がまた、なんか微笑ましい。
その時、ふと後ろから視線を感じた。
振り向くと、氷室がこっちを見ていた。でも、目が合うとすぐに窓の外に視線を移した。
——ん?
氷室、何見てたんだ?
---
放課後。
教室を出ようとしたら、佐藤に呼び止められた。
「あ、如月くん! ちょっと待って!」
「ん?」
「あの……よかったら、LINE交換しない?」
LINE。この世界にもあるんだな、やっぱり。
「いいよ」
「本当? ありがとう!」
佐藤が嬉しそうにスマホを取り出す。QRコードを読み込んで、交換完了。
「これで連絡できるね! また何かあったら——いや、何かなくても話そう!」
「おう、よろしくな」
手を振って教室を出る。背後で「やった~」という小さな声が聞こえた気がした。
——なんだ、あの子、意外と普通の女子高生なんだな。
——ゲームのヒロインってもっと特別なのかと思ってたのに。
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下駄箱で靴を履き替えていると、後ろから声がかかった。
「如月くん、ちょっといいかな」
振り向くと、桐谷英二が立っていた。その後ろには、無表情の氷室もいる。
「お、生徒会長。どうしたんすか」
「さっき、西園寺と話してたんだって?」
——お? もう情報回ってんのか。
「あー、まあね。ちょっとな」
桐谷は少し困ったような顔をした。
「あのさ、西園寺のことなんだけど……」
「ん?」
「彼女、小さい頃からああいう風に育てられてきてさ。悪い子じゃないんだ。ただ、周りがそうさせちゃったっていうか……」
桐谷の言葉を聞きながら、俺は思う。
——こいつ、やっぱりいいやつなんだな。自分の(仮)婚約者のこと、ちゃんと心配してる。愛情はないだろうけど。
「もしよかったら、如月くんからも何か言ってやってくれないかな。俺から言うと、どうしても『婚約者だから』って感じになっちゃってさ」
なるほど。確かに、桐谷の立場だと、西園寺も素直に聞けないだろうな。
「わかった。できる範囲でやってみるよ」
「ありがとう、如月くん」
桐谷がほっとしたように笑った。その時だった。
「桐谷くん!」
下駄箱の方から、野生の西園寺が現れた。
「探したわよ! ちょっと話があるの、来て!」
「え? あ、ちょっと——」
西園寺は桐谷の手を引っ張って、そのまま連れて行ってしまった。去り際、一瞬だけ俺の方を見た気がしたけど、多分気のせいだろう。
残されたのは、俺と氷室の二人。
沈黙。
「……佐藤と、仲良いのか」
氷室が、不意に口を開いた。相変わらず無表情だが、なんとなく目線が定まらない。
——あ?
「え? 佐藤って、隣の席のあの子?」
「そうだ」
「別に仲良いってほどじゃないけど。隣の席だから普通に話すくらい」
「……そうか」
氷室はそれだけ言って、黙り込んだ。
——待てよ。
——まさか、こいつ……
俺は急に、あることに気づいた。
「あ」
「なんだ」
「いや、氷室ってさ……」
「なに」
「佐藤のこと、好きなのか?」
氷室の動きがピタッと止まった。
「…………別に」
「いや、顔に書いてあるぞ」
「書いてない」
「書いてる。『好きな子のことが気になります』って書いてる」
氷室が黙り込んだ。無表情だけど、耳が少し赤い。
——おお、なるほどね。
——これが乙女ゲームの「攻略対象たちの恋愛模様」ってやつか。
俺はにやりとした。
「なあ、氷室」
「……なに」
「一条のこと、どう思う?」
「一条? あのアイドルの?」
「そう。あいつも佐藤のこと、気になってるっぽいぞ」
氷室の眉がピクリと動いた。
「……別に、どうとも思わない」
「そっか。でも、もし佐藤を狙うなら、まず考えないといけないことあるよな」
「……なにを」
「一条にどう勝つか、じゃなくて」
俺は一歩、氷室に近づいた。
「桐谷にどう向き合うか、だよ。お前たち、友達だろ?」
氷室が、初めてはっきりと表情を変えた。目を見開いて、口を少し開けて——そして、すぐに元の無表情に戻った。
「……俺は、別に」
「まあ、考えとけ。俺は関係ないし」
俺はひらひらと手を振って、下駄箱を出た。
後ろで氷室が、何か言いたそうにしている気配がしたけど、無視した。
---
帰り道。
スマホを取り出して、さっき交換したLINEの画面を見る。
佐藤光。アイコンは普通の自撮りっぽい写真。よくある女子高生のアイコンだ。
——なんか、思ってたより普通なんだよな、あの子。
ゲームのヒロインってもっと特別な存在かと思ってた。みんなから好かれる、特別な何かを持ってる存在。
でも、さっきの佐藤は——笑うし、慌てるし、ちょっとバカなこと言うし。普通の女子高生だった。
「……普通っていいな」
無意識に、そう呟いていた。
はっとして、慌てて首を振る。
——いやいやいや、何言ってんだ俺。
——まだ会って二日目だぞ。好きとかそういうレベルじゃない。
でも、さっきの笑顔が、なぜか頭に残ってる。
教室で俺のツンデレ発言に吹き出した顔。あの、何の衒いもない、純粋で可愛い笑顔。
「……まずいな」
——このヒロインに対する好感度、上がってないか?
---
その夜。
「如月くん、こんばんは! 今日はありがとう!」
LINEが来た。佐藤からだ。
どう返せばいいんだ? 人生で初めての異性とのLINEだぞ。
一分間熟考した後、俺は普段通りの感じで返すことにした。
「おう。今日はお疲れ」
すぐに既読がついて、返信が来た。
「如月くん、返信早いね! 意外!」
——俺が一分も考えたの、見えてないよな?
「俺、ヒマさえあればスマホ見てるから。学校以外ならいつでも連絡していいよ」
「へえ~。じゃあ、暇なときはいつでもLINEしていい?」
「いつでも歓迎」
「やった! これからよろしくね、如月くん!」
スタンプが送られてきた。猫が「よろしくお願いします」ってお辞儀してる。
なんていうか、ほんとに普通の女の子なんだな。
そうか、ゲームの主人公って、プレイヤーが感情移入しやすいように「普通」に設定されてるんだな。
---
翌朝。
教室に入ると、佐藤がもう席に座っていた。
「おはよう、如月くん!」
「おはよう」
「ねえねえ、今日の昼休み、また屋上行かない? 篠原先輩も小早川さんも誘ってみようと思って!」
「いいよ」
「やった! じゃあ決まりね!」
嬉しそうに前を向く佐藤。
——なんか、この子といると、こっちまで明るくなるな。
——もし元の暗い如月だったら、絶対に心惹かれてたんだろうな。
「如月」
後ろから声がした。氷室だ。
振り向くと、氷室が何か言いたそうに口を開きかけて——でも、やっぱり黙った。
「……なんだよ」
「……いや、なんでもない」
そう言って、氷室は数学の問題集に視線を落とした。
——おいおい。
——まさか、昨日の俺の言葉、気にしてるのか?
——乙女ゲームの攻略対象が、こんなことで悩むのかよ。
でも、そういうもんなのかもしれない。
ゲームの中のキャラクターでも、ちゃんと友達がいて、好きな子がいて、悩んだりするんだ。
当たり前のことなのに、なぜか新鮮だった。
——この世界、ただのゲームじゃないんだな。
——ちゃんと生きてる人がいるんだ。
俺は隣の席の佐藤を、チラリと見た。
窓の外を見ながら、何か楽しそうに鼻歌を歌っている。
「如月くん? どしたの?」
こっちを向いて、首をかしげる。
「いや、別に」
「変なの~」
佐藤が笑う。
その笑顔を見て、また思う。
——やっぱり、この子は……
「あ、そうだ如月くん! 氷室くんって数学得意なんでしょ? 今度教えてもらおうと思ってるんだ!」
「え? あ、うん、そうだな」
「良かった~。一条くんにも、この前応援ありがとうって言われたし、なんか最近、いろんな人と話す機会が増えて嬉しいな」
佐藤はそう言って、また前を向いた。
——そうか。
——やっぱりこの子は、ヒロインなんだな。
——誰にでも優しくて、誰からも好かれて。
——それが、この子の「普通」なんだ。
俺はスマホを取り出して、昨夜のLINEをもう一度見た。
「これからよろしくね、如月くん!」
その言葉が、なんだか急に、重みを持った気がした。
「……よろしくな」
小さく呟いて、俺は前を向いた。
教室の窓からは、春の日差しが差し込んでいた。




