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千里眼は闇を視る  作者: 弥生紗和


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第25話 訪問者・2

「お久しぶりです、薫さん。実はずっと帝都を離れていたものでしてね。連絡もせず、すっかりご無沙汰しておりました」


 樋口は愛想のいい笑顔で薫と向かい合う。


「お久しぶりです……帝都を離れていたのは知りませんでした。どちらへ?」

「あの千里眼公開実験の後、他に千里眼を持つ者が見つかればと思い、各地を旅しておりましてね。公開実験が行われるという記事が出てからというもの、私の所に『自分も千里眼がある』と名乗る手紙が沢山届いていたんですよ。九州や、四国、西都にも行きました」

「そうだったんですか。千里眼を持つ方は見つかったのですか?」

「それが、残念ながら全部偽物でしてね……千里眼を持っていると言えば有名になれると思ったのか、金が稼げるとでも思ったのか……どれもインチキばかりで、全くの無駄足でした」


 樋口は苦笑いしながら、出されたお茶を飲んだ。薫も樋口に合わせて微笑む。永田が亡くなってから薫はすぐに妙前家に来て結婚したので、樋口が薫に連絡を取ることができなかったのも無理はない。あの実験の後、我こそはと名乗り出た『自称千里眼』を調べたいと思うのも当然だ。薫は樋口の話を聞きながら、彼を一瞬でも疑ったことに罪悪感を持った。


(月縣を恐れるあまり、訪ねて来る人を全員疑っていたらきりがないわよね)


「それで……樋口さん。今日は私に用があるということでしたけど」

「ああ、そうでした! 前の公開実験では上手く行かなかったでしょう? ですからもう一度、新聞記者を招いて公開実験をやりたいと思っていましてね」

「……すみません。公開実験にはもう、ご協力できません」


 薫にとって千里眼は、怪異を倒す為に重要な力である。樋口の研究にこれ以上協力はできない。

 きっぱりと断った薫の顔を、樋口は驚いたように見つめた。


「……協力できない? そうですか……」

「はい。申し訳ありません」


 樋口に向かって薫は頭を下げた。その時である。薫は突然、全身に鳥肌が立った。急にこの場の空気が重くなり、薫は頭を下げたまま動けなくなった。


(この空気……まさか)


 考えたくない可能性に、薫の背中が冷えた。この感覚は何度か味わっている。だがあり得ないことだ。庭に植えられた『榊の木』は怪異を防いでいる。さっきまで樋口には何もおかしなところはなかったはずだ。それなのにたった今、この部屋の空気が変わった。


 恐る恐る、薫は頭を持ち上げた。そこには椅子に座り、穏やかに笑みを浮かべている樋口の顔があった。


(おかしいわ……どうみても怪異の気配があるのに、何も見えない)


「どうしました? 薫さん」


 樋口の声は変わらず穏やかで、表情もにこやかだ。だが彼の気配が明らかに『違う』と薫は思った。ぐっと目に力を込め、薫は樋口の体を見た。一瞬ぼやけた後、ピントが合うように樋口の体がくっきりと見える。もしも怪異が体の中にいるのなら、この時点で薫の目に黒い蛇が映るはずだが、やはり樋口の体には何もない。


(どうして……? そんなはずないのに)


 焦る薫に、樋口は微笑みながら話しかけた。


「いくら千里眼を使っても、見えませんよ」

「え……?」


 すっと指先が冷える感覚を覚え、薫は上手く言葉が出てこない。この男は千里眼を『透視能力』だと思っているはずで、怪異のことを知るはずがないのだ。


「それにしても、庭に植えられたあの『榊の木』は実に素晴らしいですね。この家をしっかりと守っている。普通の『黒蛇』……あなたがたが怪異と呼ぶものは決して侵入できないでしょうね」


「……樋口さん。あなたは一体、誰なんですか?」


 呆然としながら薫は樋口に尋ねた。


「私には本当の名前があります。薫さんがご存知かどうか分かりませんが……『月縣』という名前を聞いたことはありますか?」


 まさか、と薫は心の中で呟いた。宮廷を恨む月縣一族が、誰にも疑われずに帝都で普通に生活しているとは、全く予想もしていなかったのだ。


「その顔は、既にご存知のようですね。なら説明は早い……私の一族はあなたもご存知の通り、身分を隠して生きております。我々は月縣一族の子孫を探しておりましてね、特に『千里眼』を持つ者は非常に貴重なものですから、優先的に探しております。あなたの噂を聞きつけ、見世物小屋で客相手に封筒の文字を当てていたあなたを訪ねた。一目見てあなたの千里眼は本物だと分かりましたよ」


 樋口は薫の千里眼を本物と見抜き、彼女を調査したいと見世物小屋の主人である永田に頼んだ。樋口は薫だけを連れ出すつもりだったが、永田は樋口の手を借りて更に一儲けしようと企んだ。そこで行われることになったのが『千里眼公開実験』だった。


 実験の後、樋口は新聞で永田が亡くなったことを知った。見世物小屋を訪ねると、そこにはひどく落ち込んだ様子の妻、リエがいた。


「なんだい? 学者さん。今うちはそれどころじゃないんだよ」

「新聞で知りました。この度はご愁傷様です……」


 樋口を睨むように見ているリエに、樋口は胸元から香典袋を取り出して渡した。香典袋を見たリエは目の色を変えてひったくるように袋を奪い、その場で中身を確認すると一瞬ニヤリと笑った。


「薫さんはいらっしゃいますか?」

「さあね、知らないよ。あの夜、軍人みたいな連中が来て、薫を連れて出て行っちまったんだ。警察は心臓麻痺で死んだなんて言ってたけど、どう考えてもあの軍人が来たせいでうちの人は死んだんだよ!」


 リエは夫を亡くしたばかりで、まだ混乱しているようだ。ぼさぼさの髪をかきむしり、苛々している。


「そう……ですか。薫さんはその軍人らしき者と一緒に出て行ったんですね?」

「ああ、そうだよ! 薫の行き先は知らないから、もう帰っておくれ」


 リエは素っ気なく言い、玄関の扉をぴしゃりと閉めてしまった。




「薫さんは恐らく宮廷に捕まったのだと思い、私はしばらく帝都を離れることにしました。宮廷に私のことを探られたくなかったものでね。私の所には、他にも千里眼を持つという者からの手紙が沢山届いていましたから、千里眼探しも兼ねていました。残念ながら本物は見つかりませんでしたが、それなりに楽しい旅でしたよ」


 まるで世間話をするかのように、樋口はにこやかに話していた。一方の薫は、すぐにでも逃げ出したい気持ちだが、笑顔の樋口が恐ろしくてその場から動けない。


「まさか、薫さんが妙前家の者と結婚していたとは驚きです。薫さんは我々と同じ、月縣一族の血を引く者だということはご存知でしたか?」

「……ええ」

「なるほど。ということは、宮廷側もそのことを知っていると……それなのに、未だに薫さんは妙前家にいらっしゃる。実に不思議な話ですね」

「なぜ、あなたは私が月縣の血を引くと知っていたのですか?」


 ようやく薫が疑問を口にすると、樋口は口を大きく横に開いて笑った。


「薫さんに、こちらをお見せしましょう」


 樋口は床に置いていた鞄を取り、中から小さなガラス瓶を取り出すと、そっとテーブルの上に置いた。ガラス瓶の中には、黒いミミズのようなものが一匹いた。黒いミミズはじっとしていて動かない。


「ああ、やはり『榊の木』があるせいで元気がないですね……これが、あなた達が『怪異』と呼ぶものの種です。こいつは人の心に取り憑き、やがて成長して体を乗っ取る。だが、これが取り憑いても乗っ取ることができない人間がいます。それが我々『月縣』の血を引く者です。つまり……私と、あなただ」


 樋口は小瓶を薫の目の前に突き出した。


「黒蛇はあなたに取り憑くことを拒んだのです。それが月縣一族である何よりの証拠……身内で喰いあうようなことはしません」


(ああ、だから私は見世物小屋で、怪異に取り憑かれることがなかったんだわ)


 樋口の話には納得できるものがあった。親に金で売られ、永田から搾取されていた薫は日々人生を恨んで暮らしていた。それなのに怪異に取り憑かれなかったのは、怪異が薫に取り憑くことがそもそもできなかったからだ。


「……ひょっとして帝都に現れる怪異は、あなたが心の弱そうな人を見つけて、仕掛けていたんですか?」

「そんな面倒なことをしなくても、人の多い所にこれを放せばいいんですよ。するとこれは勝手に『育ちそうな畑』を見つけて自ら入っていく。上手く育てば、儲けものです」

「なぜ、私にそんなことを話すんですか? わざわざ妙前家に乗り込んできてまで、月縣の秘密をべらべらと話して。私は高臣様にこのことを……全て話します!」


「構いませんよ。あなたは今から、私と一緒に行くんですから。我が一族の主人の所へ、あなたを連れて行くと約束しているんです。薫さんが今後、宮廷と関わることはもうありません」


 その言葉を聞いた薫は、さっと椅子から立ち上がった。


「お帰り下さい。私は……高臣様の妻、妙前薫です。ここを出ることはしません」

「そういうわけにはいきませんね。私もここへ来る為に、相当の覚悟をしてきたんですよ。あなたはさっぱり外に出てこないものですからねえ、こちらから出向くしかなかったんだ」


 反射的に、薫は応接室の外へ逃げようと駆け出した。だが樋口は薫の腕を掴むと、そのまま勢いよく薫を床へ引き倒した。


 応接室の外で様子を伺っていた春江は、音を聞いて急いで廊下を駆け出した。階段の下に隠した薙刀を取り、すぐに応接室に向かった。


「薫様!」


 樋口は薫の上に馬乗りになり、口にハンカチを押し込もうとしていた。春江は薙刀を構え、樋口に向かって叫ぶ。


「今すぐに薫様から離れなさい!」


 樋口は「チッ」と舌打ちすると春江を睨みつけた。


「私は無駄な殺生は好まないんですよ。女中さん」


「この中尾春江、いつでも命を投げ出す覚悟はできております! そちらも相応の覚悟はお持ちでしょう!」


「婆さん一人で、何ができるって言うんだ。やれるもんならやってみろ」


 立ち上がった樋口の前に、薙刀の鋭い刃が突きつけられた。樋口は少しも怯む様子がなく、じっと春江を見据えている。薫は口に押し込まれたハンカチを取り出して床に投げ捨て、急いで後ずさりした。


(何か、武器になるものは……)


 視線の先に、テーブルの上に置いてある陶磁器の灰皿があった。来客用のもので普段は使われていない為、中身は空である。薫は迷いなくそれを手に取った。


「薫様、お下がりくださいませ!」


 春江は叫び、薙刀を構えた。灰皿を抱えたまま、薫は部屋の隅でうずくまった。ガツン、ガンという鈍い音が響き、何かが床に落ちて大きな音がした。

 薫が顔を上げると、薙刀が床に転がり、樋口が春江の襟を掴んでいるところだった。樋口の手は血で染まっていて、薫は思わず息を飲む。


「邪魔をするな!」


 樋口は春江を突き飛ばした。春江の襟に血はついているが、春江が怪我をしたわけではなく、樋口の手から出血しているのが分かった。よく見ると薙刀の刃にも血がついていた。


 振り返った樋口の顔は鬼気迫っていて、薫は思わず体が恐怖ですくんだ。


「お逃げください! 薫様!」


 こちらに向かってくる樋口から逃れようと、薫は部屋の出口に向かって駆け出そうとする。追って来た樋口に、薫は無我夢中で灰皿を振り回した。一度ガツッと鈍い音がして、樋口のこめかみから血が流れ出た。


「なぜ逃げようとするんだ? 我々は同じ一族なんだぞ? 同じ血を引く者同士、助け合おうと言っているだけじゃないか」


「私は、今上様に誓いを立てました! 怪異を倒す為に、私はここにいるんです!」


 じりじりと後ろに下がりながら、薫は叫んだ。


「はあ……分からない人だ。帝はあなたを利用しようとしているだけなんだよ。あなたを人質にして、我々をおびき出そうとしているんだ。だからこっちから来てやったんだよ。帝もあなたの旦那も、あなたを守ることなんてできないってことを、いまここで証明してあげよう」


 血まみれの手で、樋口は薫の手を強く掴んだ。


「痛い!」

「辛抱しなさい。あの方が待っている」


 樋口の力は信じられないほど強い。この力では武器を持つ春江も叶わないだろう。どんなに逃れようとしても逃れられない。薫の顔に焦りが浮かぶ。このまま連れて行かれたら……? 月縣一族の主人とはどんな人物なのか? 一体どこへ連れて行かれるのか? 薫は頭の中が混乱していた。


(助けて――高臣様!)


 薫は心の中で叫んだ。

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